幕間・不法異種交遊 前編 二組の兄妹は森で出会う
「アニキ、あったよっ」
「おうっ」
声を頼りに繁みをかき分けると、妹が地面に這いつくばってブヒブヒ鼻を鳴らしてた。
「……オーガのもので間違いなさそうだな」
腰をかがめて視線を下げると、妹の鼻先に巨大な足跡が見て取れた。点々と、いくつも続いている。
「こっちだ」
四つん這いで臭いを辿る妹の後に続く。オーガなら、鍛錬の相手としては十分だ。
先日の人間の国への侵攻で、オークの軍勢を率いたのは人間の女騎士であった。
王が目を掛ける三人の女の一人で、掟によりオークの女を娶ることのない今代の王にとっては妃のようなものと言えるかもしれない。
それでも、誇り高きハイオークの兵からの反発は当然あった。
王は兵達の不満をその慧眼で見て取ると、女騎士と一番の立ち合いを命じた。
一番。それは近衛兵で最強の者に与えられる呼び名であり、つまりはオーク王国において王に次ぐ戦士であるはずだった。
しかし、勝負は実に一方的な展開となった。
一番の振るう棍棒は全て空を切り、女騎士の鞘ぐるみの剣は突き出される度に緑の肉を打った。
ハイオークの中にあってもとりわけ巨躯に恵まれた一番の全身が血に染まり、もんどりうって倒れた。それでも、一番であるという誇りが彼を何度となく立ち上がらせたが、苦しみを長引かせるだけだった。
結果、一番の負った傷は重く、戦への参加を見合わせることとなったのだ。
王はさも当然という顔で見守っていたが、内心ではオークの不甲斐無さに落胆していたはずだ。
オークはもっと強くならねばならない。
だから今日も非番を利用して、妹と二人で魔物の森に訪れていた。
王の方針で、人里近くに現れた魔物は見つけ次第始末して良いことになっている。魔物相手の実戦に優る鍛錬は無い。
「―――っ。――――っ!」
行く手から、何やら騒ぎが聞こえてきた。
「……」
妹と顔を見合わせる。
想定していたオーガの唸り声に混じるのは、人の悲鳴だ。
「急ぐぞっ」
「ああっ」
駆けた。妹もぱっと立ち上がり併走する。
この辺りの住人ならオーク王国の国民であり、すなわち王の所有物である。助けないわけにはいかない。
繁みの終わりが見えた。
いくらか開けた草地にはオーガが三頭。一頭が石斧を振り上げている。
飛び出し、妹と二人で棍棒を交差させて石斧を受け止めた。
「―――っ! なんだぁっ、オメエらは!」
本来石斧が振り下ろされるはずだった場所には、人間の番いが肩を寄せ合い震えている。
「おうっ、無事かっ!?」
オーガを無視して、人間に語り掛ける。二人はこくこくと首を縦に振った。
突然のオークの乱入に取り乱さず、むしろどこか安堵した様子だ。やはりオーク王国の住民のようだ。
「やれっ!」
ぐっと棍棒に力を込めて石斧を一時引き受けると、妹に合図を送った。
オーガ相手に長くはもたないが、それで十分だ。
「はあっ!」
妹が踏み込み、無防備に晒されたオーガの脇腹を打つ。
「ぬぐっ」
オーガの身体から力が抜ける。兄は機を逃さず石斧をはね上げ、棍棒を横薙ぎにした。
狙うはやはり脇腹。妹が打ったのと同じ箇所だ。
すでに妹の一打で肋骨は砕けている。棍棒はオーガの胴の半ば近くまで深々とめり込んだ。
「―――がはっ」
「まずは一頭」
口から血の混じった吐瀉物を撒き散らしながら、オーガの巨体が倒れた。
「ブタやろう、よくもやりやがったなっ!」
残りの二頭がようやく動き始める。
たかがオーク相手と侮っていたのだろう。いや、仲間一頭を倒されてなお、その感情は抜けきっていない。二頭の動作は緩慢だった。
確かにオークは本来、オーガよりも完全に格下の生物だ。例えハイオークであってもその関係が覆ることはない。
しかし兄妹は、―――オークキング近衛の三番と五番であった。
「“遊ぶ”なよ」
「あいよっ!」
妹に一声掛けると、三番は一方のオーガへ向かった。
鍛錬であるから、本来ならオーガが本気になるまで“遊ぶ”ところだ。しかし今は人間二人の身の安全を優先した。
オーガが石斧を振り被る。三番は走り寄った勢いそのままに、棍棒を突き出した。あの女騎士の戦いに倣った突き技だ。
胸板に三番の体重を乗せた一撃を食らって、オーガは石斧を振り下ろす間も無く巨体を宙に舞わせた。
「ぐうっ、や、やりやがったな、ブタやろう」
どうっと大地に落ちるなり、オーガは跳ね起きに掛かる。
こちらの攻撃が効いていないはずはないが、オーガという魔物は闘争心の塊だ。一度火が付けば腕が千切れようが臓物が飛び出ようが、死ぬまで暴れ続ける。
三番はすぐさま距離を詰め、立ち上がるその瞬間を狙った。
横薙ぎにした棍棒は、オーガの跳ね起きる勢いと相まって凄まじい威力を発揮する。これも女騎士の見様見真似だ。
三番はもんどりうって再び倒れたオーガに馬乗りになると、繰り返し棍棒を叩き落とした。
「―――ふうっ」
いい加減手の平がひりひりと痛み始めてきた頃になってようやく、オーガの身体から力が失われた。
「やっぱりオーガの野郎はしぶといな」
「王様のようにはいかないねぇ」
同じくオーガ一頭を仕留めた妹が言う。
返り血に塗れている。三番よりも非力な分、石斧を奪って使ったようだ。
王なら風のように駆け寄って、一撃でただの肉塊に変えてしまうだろう。訓練で近衛兵全員で挑んでも、王の息一つ乱すことが出来ないのだ。
「あ、あの」
ひどく怯えた声は人間の番いの男の方だった。
「おう、テメエ等なんだってこんなところにいたんだ? ここはもう魔物の森だぞ」
「は、はい。実は―――」
男は震えた膝で何とか立ち上がると、自らを抱きしめるようにしながらたどたどしく話し始めた。オークと違うのは分かるが、それにしても吹けば飛ぶような弱々しい体付きだ。
「―――ああ、あの花か」
人間の番いの目的は、魔物の森で取れる薬草だった。
男の母親が倒れ、その唯一の特効薬が魔物の森原産のその花なのだという。オーク王国内でも栽培されてはいるが、希少過ぎてとても庶民の手に入るようなものではないらしい。
「……はぁ、仕方ないな」
「アニキ、まさか」
「どうせもっと奥へ行くつもりだったんだ。何かを守りながらの戦闘というのも、近衛兵の鍛錬としてはちょうど良いだろう」
「王様は一人だよ。二人もお荷物を抱えていくのかい? というか、アンタもアンタだ。何だって嫁さんだか恋人だか知らないが、こんなところまで連れてきたんだい。アタシらオークにはよく分からない習性だけど、アンタら人間の男は女を守るもんなんだろう?」
「そ、それは」
妹に睨まれて、男が身を竦ませる。
「ち、違いますっ。私が勝手に家を飛び出して、兄さんが追いかけて来てくれたんです」
女の方が言った。
「兄さん? 何だ、アンタら番いじゃなく兄妹か」
「はい。お母さんの薬になる花がこの森にあるって聞いて、それで兄さんが止めるのも聞かずに」
「無手法な妹を持つと大変だな」
三番は軽く男の肩を叩きながら言う。
「はっ、はいっ。―――あ、ああっ、ち、違います。本当なら僕が率先して動くべきだったんです」
男はよたよたと体勢を崩しながらも一度は同意し、妹“達”の視線に気付いて慌てて否定した。
「ふんっ、間抜けな男達は放って置いて、さっさと行くよ」
「あ、ありがとうございます」
五番はまだ地面に倒れ込んだままの人間の女の脇に手を差し入れ、軽々と助け起こした。
「あの花ならたしか、向こうの水場の辺りに生えていたはずだよ」
五番が率先して歩き出すと、人間の兄妹がそれに続き、三番は殿に付いた。
「あのう、お二人のお名前をうかがってもよろしいですか?」
「……」
人間の女の質問に何も返せずにいると、男の方がひどく焦った様子で口を開く。
「いっ、妹が失礼致しました。こちらから先に名乗るべきですねっ。僕はトマ、妹はマリーと言います」
「……いや、せっかく名乗ってくれたのに悪いが、オークにはもともと名前を付けるという風習がなくてな」
「えっ、そうなんですかっ!?」
女が驚きの声を上げる。
「まあな。だが人間が言う名前とはちょっと違うが、王様からはオレはサンバンと名乗るように言われている」
「アタイはゴバンさ」
「サンバンさんに、ゴバンさんですか? 変わったお名前ですね。なんだか番号みたい」
人間の妹が言う。兄よりよほど肝が据わっているようで、もう少しも声は震えていない。
「ははっ、実際番号なのさ。近衛兵で三番目に腕が立つからアニキがサンバン。アタイは五番目だからゴバンさっ」
「ええっ、そ、それじゃあ、次に会う時にはイチバンさんとニバンさんになってるかもしれないってことですかっ?」
「そいつはいいねえっ! ははっ、なんだかアタイはアンタのことが気に入っちまったよ」
そうして、不思議と意気投合したオークと人間の妹達は、時にひそひそ、時にわいわいと魔界の森の静寂を破る。
「……女というのはオークでもお喋りなんですね」
「まあな」
かく言う三番も、人間の兄に対して妙な共感を覚えるのだった。




