第40話 メイド長クローリスは上機嫌に笑う
「ぬるい」
「っく」
大上段からの一撃を繰り出さんとアシュレイが跳躍した瞬間、ケイがすっと踏み込んで体当たりを食らわした。体勢を崩して着地したアシュレイに、さらに追い打ちが襲う。
「―――いってぇ!」
細剣―――を模した木剣の柄頭でこめかみを打ち抜かれ、アシュレイは膝から地面に崩れ落ちた。
脳を揺らされたのだろう。しばし額を抑えながらうずくまるも、やがてガバと勢い良く立ち上がった。
「何しやがるっ」
「何って、剣を教えて欲しいと頼んで来たのは貴様だろう?」
「だからって、最後の一撃は余計だろうがよっ!」
「貴様のような人間は、痛みを伴わねば教えたこともすぐに忘れる。不用意にぴょんぴょんぴょんぴょん飛び跳ねるなと、いったい何度言わせる」
「あたしはこれまでこれで勝ってきたんだよっ」
「運が良かっただけだろう」
「なんだとっ!」
「まあまあ、その辺りで」
それまで黙って見物していた王は口を挟んだ。これ以上は本当に喧嘩になりかねない。
―――アシュレイ達三人が、オーク王国へ出戻っていた。
衆人環視の中でオークキングと共闘して異端審問を反故にしている。教皇庁ももはや味方をしてくれるとは思えず、グランレイズに帰ることも出来なかったのだ。
王は三人の今後の身の振り方に頭を悩ませる日々が続いていた。
とはいえ、今は仲裁だ。
「あー、とりあえず、ケイ。追い打ちは当てずに止めようか」
「……はい」
ケイが不服気に首を縦に振る。
アシュレイが小声で、絶対にあの時足蹴にしたことを根に持ってやがる、とぼやいた。
剣の腕ではケイが一段も二段も上だが、アシュレイは手練手管を用いて一度彼女を打倒している。
「それとだな、アシュレイの大上段は確かに隙こそ大きいが、実戦で前に出て潰すのは相当に勇気が必要だぞ。実際俺も防戦一方だったしな」
「ですがご主人様、それは聖女の奇跡で身体能力を強化し、防御不能の聖剣を手にしていたからではありませんか」
「利用出来るものを利用して悪いかよっ」
「冒険者らしい物言いだな。その主義を否定はせんさ。だがそれを言うなら、この場には神聖魔法を掛けてくれる聖女も、聖剣もない。貴様が“今”利用出来るのはその木剣だけだ」
「ぬぬぬっ」
「さあっ、早く構えろ。それとも、もう終わりにするか?」
「くっそ、やってやる」
散々文句を垂れながらも、アシュレイは木剣を構えた。
ケイの剣は正式な教育を受け、その上で魔物との戦闘をこれでもかというほど潜り抜けた実戦の剣でもある。同じく実戦経験は豊富でも我流剣術のアシュレイには学ぶものが多いのだろう。
「お互いやり過ぎるなよ」
それだけ言い残し、王はその場を離れた。
陽気に誘われ、何となくはじめた散歩に戻る。
むき出しの足裏に、屋上庭園の完璧に手入れされた芝の感触が心地良い。
「―――そして預言者様は神の愛、すなわち聖心を我らにお説きになられたのです。それは全ての人々にとって、福音となりました」
凛とした声に導かれ足を進めると、庭園の一角に小さなひとだかりが出来ていた。
「―――っ」
目が合うと、調子良く語っていた聖女が眉をしかめた。
説法中のようだが、常とは異なり聖女の周りを取り囲むように車座になっているのは亜人達だ。
大陸に暮らす人間はほぼ例外なく聖心教の信徒と言って良いが、亜人には亜人の信仰がある。聖心教の説法を聞きに集まるなど本来ならあり得ないことだ。坑道に籠り切りのドワーフのリアンや、守銭奴のリトルフットのドロシーまでいた。
「あっ、ご主人様っ!」
車座の中から、ティアが嬉しそうに手を振った。
「……そういうことか」
王は合点がいき、小さく豚鼻を鳴らした。
ハーフエルフやハーフドワーフなど、人間と亜人の混血は聖心教を嫌うものだ。
しかし先のエルドランド王都での戦いにて、王の負傷を聖女がきれいさっぱりと癒したことを知ると、頑なだったティアの態度が軟化した。
ティアの声掛けがあれば、リアンやドロシー達も渋々ながらも集まる。教会ではなく庭園の一角が会場というのは、亜人達への聖女なりの配慮だろうか。
「俺も聞かせてもらって良いか?」
「他の皆さんがそれで良いと仰るのでしたら」
「……まあ、別に構わねえんじゃないか?」
一同は顔を見合わせると、古株のリアンが代表して口を開いた。聖女は当てが外れたという顔だ。
後宮の女達の中でも、亜人種の者は王に対してあまり強い嫌悪感を抱いていない。
「じゃあご主人様、こっちこっち」
ティアに手招きされ、車座の一部へ加わる。
王が芝生の上に胡坐をかくと、ティアは当たり前という顔で膝の上に腰を下ろした。
「で、何でソフィアが混じってるんだ?」
隣には、特徴的なとんがり帽子と黒ローブの主が座っていた。
「たまには説教を聞けと、聖女に引っ張り出されての」
「聖心教の信徒ではあるんだよな?」
「まあ、そういうことにしておかんとグランレイズでは生き難いのでな」
ソフィアはしれっと答えると、王の余った片膝に顎を乗せてぐでんとだらけきった体勢をとる。
「……はぁ」
聖女は一つ溜息をこぼすと、諦めた表情で説法を再開した。
それは、聖心教に伝わる聖書をかみ砕いた物語だった。
俗な言い方をすれば救世主、または預言者とも呼ばれる男の一代記である。
語り口は端的にして明瞭だが、同時に情感に溢れている。
聖女ともなれば聖堂で高位神官を相手に説法することもあれば、村の子供や信仰心の薄い者達を相手に神の愛を説くこともある。これは後者のための話法だろう。
「こうして、預言者様は人々の原罪を一身に背負われ、磔刑を受け入れたのです。磔台に打ち付けられた預言者様は、全身を剣で斬られ、槍に突かれ、矢に曝され、火にくべられながらも七日七晩お苦しみに耐えられました」
聖心教のシンボルであるT字架にまつわる物語は、王がかつて暮らした世界に存在した宗教のものと酷似していた。―――預言者に課された苦行はいくらか過激なようだが。
「故にこれより後―――」
ふいに、聖女の語りが途切れた。
王が不審に思って視線を上げると、はっとした顔の聖女がこちらを見つめていた。
「……?」
「んん、失礼。私としたことが、預言者様の慈愛と魔物の蛮勇を混同するとは。―――故にこれより後、人々は原初の大罪を許され、再び神の愛が世界を満たしたのです。……皆さん、ご清聴に感謝致します」
聖女はわざとらしく咳払いを一つすると、そそくさと説法を締めくくった。
「いやぁ、勉強になった。クローリスやケイから一応あらましは教えてもらっていたが、さすがに聖女ともなると上手いもんだな。お世辞抜きに聞き惚れてしまった」
「……ありがとうございます」
聖女は複雑な表情で頭を下げる。
魔物の賞賛など受けたくはないが、せっかく良好な関係を築けたティアの目を気にして反駁も出来ず、といったところか。
「―――ご主人様、こちらでしたか」
では解散というところで、タイミングを見計らったようにクローリスがしずしずと歩み寄ってきた。
「何かあったか?」
「エルドランド領より使者が参っております」
「そうか。―――エルドランド“領”ね」
オーク王国は、エルドランド全土を併呑していた。
捕縛されたエルドランド王―――ケイの叔父から正式に譲り受け、同じく捕らえられた貴族たちの推戴を受けた“形”である。王としても予想外の展開であるが、気付いた時にはケイが全てのお膳立てを整えていたのだ。
言うまでもなく、周辺国やグランレイズをかなり刺激する結果である。
「ケイにも同席してもらった方が良いな」
膝の上からティアを下ろし、肩を掴んでソフィアに居住まいを正させると、王は立ち上がった。
「そう思いまして、アシュレイさんと取っ組み合いをしていたケイさんには、玉座の間へ先行して対応をお願いしておきました」
「おう、助かる。ありがとう。―――しかし、取っ組み合っていたか。まあ、木剣で殴り合わなかっただけマシと思うべきか」
ぼやきつつ、王は玉座へと通じる廊下の入口へ向かった。
そっと付き従うクローリスが囁く。
「ところでご主人様、約束を覚えておりますよね?」
「…………約束? ―――あ、ああっ、あれのことか。もちろん覚えているぞ。“クローリス達以外のための無茶は控える”って約束だよなっ」
クローリスの剣呑な目付きに気付き、王は慌てて記憶を探り出した。思い至ったのは、アシュレイ達との一度目の対戦の後に交わした約束だ。
「ご主人様はあれから二度、無茶をなさいましたね。いずれもアシュレイさん達のために」
「あ、ああ。そんな風に言えなくもないな」
「そんな風にしか言えません」
「す、すまん」
「ふふっ、約束を破ったお詫びに、何をおねだりしましょうか?」
「あの、お手柔らかに頼むぜ」
「いいえっ。ここで私が手心を加えては、またご主人様は無茶をなさいますから。……そうね。ソフィアさんに頼んでまた媚薬を作ってもらおうかしら、うふふっ」
クローリスが上機嫌に不穏な事を言う。―――問題を山積みにしつつも、オーク王国は今日もいつも通りに平穏だった。
第一部完結です。
ここまで読んでくださった皆様、ありがとうございました。
番外編を挟んで第二部へ続きますので、引き続き読んで頂ければ幸いです。
第二部は聖女カタリナと聖心教のお話。第一部では感じの悪いだけだったカタリナもちょっとはデレます(たぶん)。