第37話 勇者アシュレイは楽観する
「地下牢だったのか」
「んん、んーんーー」
「どこの国もお偉いさんが考えることは同じってことか」
アシュレイは賢者と会話―――と言って良いのか分からないが―――を交わしながら、階段を登る。
前後を兵に挟まれ、アシュレイに至っては槍まで突き付けられていた。隣では聖女が思いつめた表情で押し黙っている。十日前にテリーから異端審問の話を聞かされて以来、ずっとこの調子だった。
「―――っ」
階段を登り切ると、およそ半月ぶりとなる陽光が襲ってきた。アシュレイは目を細めながらも、すばやく周囲に視線を配る。
「ずいぶんと大仰じゃねえか」
王宮の中庭と思しき開けた空間には、ずらりと兵士が整列していた。
王宮内ということでいずれも徒歩だが、頭部をすっぽりと覆う兜に板金鎧、手には馬上槍と、完全武装の騎士の装いだ。エルドランド王国騎士団の精鋭と言ったところだろう。二百名ほどはいるのか。
「それは勇者様御一行をお送りするのですから」
「へっ、王子自ら護送とはいたみいるな」
一歩進み出た騎士団長のテリーに、アシュレイは皮肉混じりに言い返す。もう隠す気もないのか、テリーの口元には歪んだ笑みが張り付いている。
この男は強くて肩書のある女が苦しむ姿に悦びを感じる性質のようだ。
女だてらに冒険者などしているとこういった人間と出くわすことは少なくないが、大抵は世を拗ねた落伍者の類である。
王族に生まれ今や太子でもあるテリーのこの歪みようは、自分より腕が立って人望もあった従姉二人の存在がよほど疎ましかったのだろう。
「ところで、賢者様も一緒に連れて行くのか? 異端審問を受けるのはあたしと聖女様だけのはずだろう?」
「ええ。護衛対象がばらけるのは少々危険ですから。申し訳ありませんが、ご同道ください」
「そうかい。てっきりあたしらが糾弾されている姿を見せつけて、賢者様のすまし顔が崩れるところでも見たいのかと思ったぜ」
「まさか。―――では、こちらへ」
図星だったのか、テリーは会話を早々に断ち切ると先に立って歩き始めた。
アシュレイ達は前後左右を兵に囲まれながら、王宮の建物をぐるりと回り込むように歩かされた。
異端審問は王宮前の広場で、王族に兵士、民の立ち合いの下で行われるらしい。数日前に地下牢を訪れたテリーが口元をほころばせながら教えてくれた。
勇者と聖女を司教自らが裁くとなれば、普通なら大聖堂―――司教の座所が設けられた教会―――で行いそうなものだ。あえて大々的に知らしめようとするのは、後ろ暗さの裏返しか。
「ちっ、賢者様が魔法を使えりゃ、こんな軍隊なんて一網打尽なんだけどなぁっ」
あえてでかい声を出すと、周囲の兵士たちがびくりと身を竦ませた。
「んー、んん、んー」
「聖剣を持ったあたしならどうかって? この数を全員撫で斬りにするのはちょいと面倒だ。あたしなら、大将首まで一直線だな」
先頭を行くテリーが足を止め、嫌そうな顔でこちらを振り返った。
「ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、―――十人斬りゃあ、あの首に届くな」
テリーと自分を隔てる兵士を指折り数えて、アシュレイは言った。
「貴様っ!」
苦虫を噛み潰したような表情のテリーに代わって、兵の一人が詰め寄って来た。
「おっ、やるか? さてさて、これからあたしらは衆人環視の中で裁かれるわけだが。この勇者様に怪我の一つでもあったら、見ている連中はどう思うだろうな?」
「くっ」
「良い、下がれ。―――もはや虚勢を張ることしか出来ない女の、最後の悪あがきだ。可愛いものではないか」
「そうだな。どこかの誰かさんに卑怯にも薬で眠らされて、得物を奪われて手枷まで嵌められちまったからなぁっ」
「―――っ。お前達、取り合うな。先へ進むぞっ!」
テリーは苦々し気に叫ぶと、再び歩き始めた。
ケイの面影を宿すあの顔を見ているともう少し煽ってやりたくなるが、これ以上は本当に暴走しかねない。アシュレイは黙って後に続いた。
賢者もいつも以上に眠たそうな顔で従い、やはり思いつめた表情の聖女は最初から抗う素振りを見せてはいない。
「……大丈夫か、聖女様」
「―――っ、え、ええっ。大丈夫です。ご心配なく」
血の気を失い蒼白な顔で聖女が言う。
聖女によると、異端審問で助かりたければ自らを異端と認めた上で改宗を誓うしかないという。改宗者に対して、異端審問官はそれ以上の罪を問うことはない。
異端者であったと一度認めてしまえば、当然聖女はその資格を剥奪され、アシュレイも聖剣を取り上げられるだろう。
しかしアシュレイにとって聖剣は単によく切れる刃物、勇者の称号も抜群に通りの良い便利な身分証明程度のものだ。失うには惜しいが、命を張るほどのものではない。
聖女も、“聖女”という肩書そのものに固執するとは思えない。だが自らを異端と認めること。それは聖女にとって死ぬよりも耐え難いことだろう。
「とても大丈夫って顔には見えないけど」
「いいえ、本当にご心配なく。私が何とかいたしますから、勇者様はもう何もご案じなさることはありません」
聖女が青い顔できっぱりと言い切った。
「おっ、何か良い手でも浮かんだのか?」
「……勇者様、賢者様、お耳を」
兵士たちに不審げに見られながらも、アシュレイと賢者は聖女の口元に耳を寄せた。
先程のやり取りが効いているのだろう。無理に留め立てしようとする兵はいない。
「……今回のような場合、異端審問官は必ず被疑者にある検査を求めてまいります。恐らく今回も私と勇者様に対して、それを求めてくるでしょう。女性の尊厳を否定するような、口に出すのも憚られる実に悪辣なやり口なのですが―――」
「―――ああ、聞いたことがある。処女検査ってやつか。そういやあたしらはオークキングに犯され虜とされたって設定なわけだから、そりゃあそこを突いて来るだろうな」
「―――ひぐっ」
アシュレイがピンと来て先んじると、聖女は自分から振った話だというのにおかしな声を漏らした。真っ青だった顔色を真っ赤に一変させている。
「……その反応。おいおい、まさか受けるつもりってことか? そりゃあ “膜”を見せてやれば、それ以上の潔白の証もねえだろうけどよ。…………いやいやいや、無理無理無理」
アシュレイは一度冷静にその状況―――衆人環視の中で大股開きする自分の姿―――を思い描いて、すぐに頭を振ってその絵を打ち消した。
「ご、ご心配なく。恥辱を受けるのは私一人で十分です。まずは私が検査を受けます。司教様方も形勢不利と理解すれば、それ以上私達の不興を買うような真似は控えるはずです」
「いやいや、聖女様にだってそんな真似はさせられねえよっ」
「んーんー」
「ほらっ、あの賢者様ですら止めておけって言ってるぞ」
「だからと言って、勇者様に代わりをお願いするわけにはいきません。第一、勇者様はその、……そういったご経験がおありでしょう?」
「えっ? あー、まあ、その、―――まあなっ。冒険者なんてやってると色々あるからな、色々」
「んんー」
―――つまらない見栄を張るな。
そう言った賢者を黙殺してアシュレイは話を続ける。
「そもそもあたしが言いたいのはそういうことじゃなくてだな。股倉さらすくらいなら、自分達は異端だって認めちまおうぜ」
「それはなりません。ここは、私にお任せください」
やはり聖女には自らを異端と認めるつもりは微塵もないようだ。信仰を曲げるくらいなら死を、死ぬくらいなら一時の恥をと、すでに心を固めてしまっている。
「―――いつまで話しているつもりです、お三方」
テリーの冷ややかな声が水を差した。
話に熱中している間に、宮殿の門まで辿り着いていた。ここを抜ければ、異端審問の会場となる広場である。
「聖女様、話の続きはまた今度、無事に助かってからするとしようぜ」
「ゆ、勇者様、その助かるための算段をしているのですよ」
「分かってる。まあ、色々言わせてもらったけどさ、たぶん必要ない」
「必要ない?」
「んー」
「おっ、賢者様もあたしに同意するってさ」
「二人とも、いったい何を―――」
聖女の言葉は、軋みを上げて開く門扉に遮られた。
「―――おおっ、集まってやがるな」
広場はこれから裁かれんとする勇者と聖女の姿を一目見ようと、人でごった返していた。
中央には台が設けられており、宮殿の門からその周辺の一角だけは柵で囲われ聴衆の侵入を拒んでいる。
台の上には、すでに司祭服の偉そうな三人が待ち受けていた。件の司教達だろう。
「――――っ、ゆ、勇者様っ、勇者様だぞ!」
「あちらは聖女様だ!」
「もう一人おられるのは賢者様か!?」
兵達に引き立てられ台上に上がると、人々もアシュレイ達に気付いてわっと騒ぎ始めた。
さすがに公然と司教達を批判する者はいないようだが、アシュレイ達に好意的な声が多いようだ。
台上から見下ろすと、聴衆は広場だけでは収まり切らず大通りまで列をなしていた。
自然と視線が向かった大通りの先に、聳え立つ巨大な城門が見える。
エルドランドは南方諸国の中では大きな国であり、王都ともなると市街までを城壁で囲んだいわゆる城郭都市を形成している。外壁の城門から真っ直ぐ伸びる大通りの行き着く果てが王宮であり、この広場だった。
広場から城門までは一ミレワンド(1㎞)以上も距離があるが、大通りに詰めかけた聴衆はその半ば近くまでを埋め尽くしている。
「こいつはここの住人だけじゃねえな。どうやらよほど喧伝してくれたらしい」
じろりと司教達に視線をやるも、素知らぬ顔で受け流された。
ある者は柔和な笑みを浮かべ、ある者は厳かに遺憾の意を示し、ある者は悲しげにアシュレイ達への同情心を表している。
さすがに聖心教の司教まで登り詰めるような人間は、そう容易く腹を探らせてはくれない。アシュレイも口喧嘩には自信があるが、宗教を絡めた討論となると到底敵う相手ではないだろう。
聖女が異端扱いを受け入れない以上、待ち受けるのは死か。あるいは聖女にそんな真似はさせられないから、アシュレイが“膜”をさらすはめになるのか。いや、それなら大暴れして死んでやった方がましだ。
つまりは現状、アシュレイは死ぬ以外の選択肢を自ら選び得ない。
―――だと言うのに、まるで焦りは湧いてこなかった。
いや、そう言い切ってしまってはいくらか嘘になるか。本音を言えば、いつまで待たせるんだという思いもある。
「ったく、もったいぶりやがるぜ」
まるでアシュレイのそのぼやきに答えるかのように、どかんと大地を揺るがすような轟音が鳴り響いた。
「…………」
騒がしかった広場がシンと静まり返り、誰もが音のした方を―――外壁の城門を振り返った。
人々の視線の先で、やはりもったいぶるようにゆっくりと巨大な鉄の門扉が倒れていく。
「そういうのは勇者の、あたしの役目だろうがよぉ」
代わってその場に立ち現われたのは、城門と比べればはるかに小さく、人間と比してははるかに巨大な緑色の化け物だった。




