第36話 聖女カタリナは気を揉む
「しっかし、賢者様さぁ。薬盛られて気付かないなんて、らしくないんじゃないか? 薬学は得意分野だろう?」
勇者が牢獄の石造りの床にごろんと横になりながら言った。手枷をはめられた腕を器用に枕代わりにしている。
「んーー、んんん、んんー」
「お前の方こそ斥候のくせに油断が過ぎるって? それを言われちゃ言葉もねえけどさ、まさか聖女様もいるのに眠り薬なんて盛られるとは思わないじゃんか」
「んん、んーんーんんんん」
「それにしたってバクバク食い過ぎ? 王宮の料理なんてそうそう食えるもんじゃないし、つい。オークキングのところじゃ普通の料理ばっかだったからな。まあ正直、向こうの方が口には合ったけどよ」
「よ、よく賢者様が何を仰っているのか分かりますね、勇者様」
カタリナは半ば関心し、半ば呆れつつ口を挟んだ。
カタリナも勇者同様に手枷をはめられているが、賢者には加えて口枷が噛まされていた。発動式の発声を防ぐためだろう。
「うん? あー、そう言えばそうだな。何かいつの間にか分かるようになってるな」
「んーん、んんーんん」
「昨日から普通に理解していた? そうだったっけ?」
口枷はオークキングの城で使われていたような即席の猿轡などではなく、木製の球体を口内にねじ込み、それが鎖で固定されている。球体には穴が開けられていて、飲食―――食べ物に関しては粥のような流動食に限るが―――も可能となっていた。つまりは魔術を封じたまま長期の監禁が可能と言うことだ。
実際、三人が捕らえられてすでに五日程―――薬で眠らされた上に窓もない牢に閉じ込められているから、正確な日数は判然としないのだが―――が経過している。
「どうぞ。こちらです、殿下」
牢番の兵士の声がして、かつかつと靴音が近付いて来た。
「君はしばらく席を外してくれたまえ。―――思ったよりもお元気そうですね」
「……てめえ、よくもあたしらの前に顔を出せたな」
勇者が上体を起こし睨みつける。鉄格子越しに姿を現したのは、大通りで声を掛けてきた青年だった。
テリー・エルドランド。エルドランド王国の王子にして騎士団長である。
つまりは現国王であるケイの叔父の息子であり、ケイの従弟にしてその後釜に座って騎士団を束ねる男だ。
勇者一行はこの男の誘いに乗って王宮を訪れ、歓待を受け、―――目が覚めた時には牢獄というわけだった。
改めてテリーを見やると、青みがかった髪色や切れ長の目付きは従姉によく似ていた。
ケイにジョー、そしてテリーという男にも女にもありふれた名は、エルドランド王家に何かそういう伝統でもあるのだろうか。
「そう怖い顔をなさらないでください、勇者様。兵にお聞きになっているのでしょう? 私どもとしましても、聖心教の御言い付けを突っぱねることも出来ず、これでも苦渋の選択だったのですよ」
テリーがしれっとした顔で言う。
勇者一行の捕縛は聖心教の意向によるものであった。
カタリナが牢番に問い質したところ、取り繕うように教えてくれた。やはり聖女を捕らえているという現状に気が咎めるのだろう。
カタリナ達は聖心教から、オークキングに敗北し、捕らわれ、ついには傘下に下ったと見なされたのだと言う。エルドランド王都までの道すがら、立ち寄った村々でオーク王国を擁護する発言をしていたことも疑念に拍車をかけた。
ついに聖心教は勇者一行への異端審問を決行すべく、エルドランド王国に捕縛を依頼したのだった。
「―――で、何しに来やがった?」
「貴方達の、いえ、正確に言えば勇者様と聖女様の異端審問の期日が決まりましたので、お伝えに参りました」
「あたしと聖女様の? 賢者様はどうなる?」
「教会に所属する聖女様や、神器を預かる勇者様とは違いますからね。さすがに聖心教も、あえて塔と敵対するつもりはないようです」
「だったら―――」
「まだ解放するわけには参りませんよ。王都を火の海に変えられでもしては、たまったものではありませんからね」
「ちっ。で、その異端審問とやらはいつだ?」
「十日後に、他の教区から司教様が二人お越し頂けるそうです。我が国の司教様と合わせて三人のお立会いの下で、審問会は開かれます。さすがに勇者様と聖女様を裁くともなると、なかなか大仰ですな」
「馬鹿な事を。あたしはともかく、聖女様が異端なはずがねえだろうによ」
「しかし、オークキングに付き従っていたという目撃証言もありますし、教会にその有り様を批難する意見書を送りつけたと聞き及んでおりますよ?」
「それは―――」
聖女は言葉を飲み込んだ。
オークに汚された女達に対する扱いを改めるよう、聖女の名の下にいくつかの教会に書簡を送りつけたのは事実だ。それは―――少なくとも南方諸国の教会にとっては―――、聖心教に対する背信と見られても仕方がないかもしれない。
「へっ、何が聖心教の言い付けで仕方なく、だ。歪んだ性根が漏れ出ているぞ」
「―――っ」
テリーはぱっと顔に手をやると、不快気に勇者を睨んだ。―――酷薄な笑みが浮かんだ口元を隠しながら。
「……お知らせすべきことは以上です。せいぜい御覚悟されることだ」
「へっ、やっすい捨て台詞だな」
勇者から背中に罵声を吐きかけられながら、テリーは足早に去って行った。
「……ありゃあ教会のために、なんて殊勝なたまじゃねえな。まあ従姉がアレじゃ、色々とこじらせるのも無理はねえか」
「それで勇者様、どう致しましょうか?」
教会の関与することであるから、カタリナが知恵を絞るべきかもしれない。
しかし経験上こういう時に頼りになるのは、賢者の博識でもカタリナの良識でもなく、勇者の発想だった。
「そうだなぁ。……異端審問ってのは、聖女様の御威光でどうにかならないもんなのか? 実際のところ、聖女様より信仰心の篤い人間なんていないと思うんだけどな」
「猊下―――教皇様と連絡が取れれば、何とかなると思うのですが」
小さく首を振りながら、カタリナは答えた。
信じる者は救われると言いたいところだが、これはそんなに簡単な話ではない。
「今の教皇様っていうと、あたしが聖剣を抜いた時に何度かあったあの爺さんだよな」
「ええ。―――勇者様のいろいろと問題のある言動が黙認されているのも、あの御方が後ろ盾となってくれているからなのですよ」
「わかってるって。それであの爺さ―――猊下には、あたしらの捕縛命令はまだ伝わってないと考えて良いのか?」
「ええ、グランレイズの教皇庁と連絡を取る時間があったとは思えませんから、こちらの司教様達の独断でしょう」
「司教か。確かグランレイズでは“大”司教だよな」
南方諸国に渡る際に一度念入りに説明をしたはずだが、勇者は覚えていないようだ。―――あるいは、最初から聞き流していたか。
「グランレイズには大司教区が三つあり、それぞれに大司教様が治めています。南方諸国は国ごとに一つ、全部で十数の司教区があり、司教様によって治められています」
「つまり大司教よりも格下ってわけだ」
カタリナは、うーんと小さくうなってから続ける。
「治める教区の大きさが異なると言うだけで、形式上の序列はございません。ただ枢機卿は大司教様から二名、司教様から一名が選出されるというのが慣例ですね」
「で、枢機卿の中から選ばれる聖心教のトップが教皇ってわけだ」
「はい。今の教皇様が聖座に付かれたのは、私の列聖と勇者様の選定が評価されたことも理由の一つです。あまり考えたくはないことですが……」
「教会の権力闘争に巻き込まれた可能性もあるってことか。そうなると、真っ当なやり方で爺さんに連絡を取るのは無理だろうな」
「んー、んんー、んんん?」
賢者がカタリナを見つめてうなる。
「え、ええと、勇者様、賢者様は何と?」
「司教風情に、聖女を裁く権利があるのかだって」
「……確かに聖女と聖人は神の御業の代行者であり、教会の位階を越えた特別な扱いを受けます。歴代の教皇様の中でも列聖された方は数えるほどですし、権威という点では教皇様を凌ぐと言えなくもないかもしれません」
「だったら―――」
「ですがそれも本物なら、の話です。聖女を認定するのが教会である以上、一度教会から偽物の烙印を押されてしまえば、今まで神の御業と見慣れされていたものも悪魔の詐術と蔑まれることでしょう。それは、聖剣をお抜きになった勇者様にも言えることですが」
「ちっ、勝手なもんだぜっ。―――まっ、なるようになるか」
「ゆ、勇者様?」
元来用意周到な彼女にしては珍しく、勇者はいたく楽観的に呟くと再びごろんと横になった。




