第33話 オークキングは衝動に抗う
「なるほどね。それでそのまま、この国を乗っ取っちまったってわけか、オークキング?」
「本当は、ケイの国に併呑してもらえばいいかと思ったんだけどな」
「叔父上に任せては、錯乱状態の姉上がまともに扱われるはずがありません」
「かと言って、あんな目にあった皆さまをオークの巣穴に連れ戻すというのはあまりにも酷でしょう」
王の答えを、ケイとクローリスが順繰りに補足する。
「―――つまり女達の住居を確保するためだけに、国を興したってことかよ」
「まあ、そうなるな。今はそれだけのためってわけでもねえけどよ」
呆れ顔の勇者に王は答える。王自身、あまりの展開に当時は戸惑ったものだ。
習い性で豚鼻の頭を掻こうとするも、クローリスとケイが両腕にしっかと抱き付いているために断念した。
「で、あたしがあの部屋で見たのが、その女達ってわけか。オークに犯された上に、人間にまで取っ捕まってそんなことされりゃあ、まあ、“ああ”もなるか」
女達は魔物だけでなく人間の男もひどく恐れるようになっていた。女性であっても以前からの知り人であるクローリス以外とはほとんど会話が成り立たない。
それでも、三年前と比べればかなり回復してきているという。―――オークキングである王などは一番の恐怖の対象であるから、実際にその様を目撃したわけではなく伝聞だが。
「ふむ、数が合わんのではないか? 勇者が目撃した女達は十人程度と聞いておるが、初めに解放した女は数十人という話ではなかったかの?」
賢者はさすがに目ざとく、クローリスとケイがあえて触れなかった部分に踏み込んできた。
「……大型の魔物を使ったかなり強引な実験も行われていてな。城を落とした時にはすでに半数以上が、な」
「むっ、そうか」
さしもの賢者もばつの悪そうな顔をする。
「ああっ、元気になった女もいるんだぜ。ドワーフなんかは小さいってのに、やっぱり心も体も頑丈でな。故郷に戻ったのもいるし、後宮の地下に住み着いて好き勝手してるのもいる」
王は努めて明るく言った。
「ああ、あのリアンってドワーフか」
「あら、お会いしたことがありましたか、アシュレイさん?」
「あたしに後宮のことを知りたければクローリス、あんたを探れと教えてくれたのが、リアンさ」
「あらあら、そういうことでしたか。ふふっ、リアンさんったら」
クローリスが怖い顔で笑い、勇者が失言に気付いて“しまった”という顔をする。
「あ、あんまり怒らないでやってくれよ。聖剣を好きにいじらせてやるっていう、ドワーフには抗いようのない交換条件を付けて、あたしが聞き出したんだから」
「―――勇者様、そのお話、もう少し詳しくお聞かせいただけますか? 聖剣をどうしたと?」
「やべっ」
聖女に詰め寄られ、勇者が再び“しまった”という顔をした。
「そういえば、ドワーフの中には多夫多妻制の氏族もあったはず。肉体的な頑健さに加えて、精神的な負荷も他の種族よりいくらか軽かったのかもしれんのう」
そして賢者が、我関せずと思案顔で言う。相変わらずマイペースな連中だった。
賢者はさらに呟く。
「ふむ、それにしても何だってソルガムの連中は、わざわざ隣国の王族まで―――」
「―――しかし、正直少し意外だな、賢者。あんたのことだから、実験の結果について根掘り葉掘り問い質してくるものかと」
王は賢者の言葉を遮り、疑問をぶつけた。
「ん? それは、失敗が目に見えておるからな。オークの赤子を胎内に十月十日も宿しておれば、多少なり魔力が残留することもあろうが、だからと言っても魔力的生物になれるわけでもないからの」
「魔力的生物?」
「……おや。博学なお主が、つまらぬことを知らぬのだな。魔力的生物、―――つまりは魔物だ」
「へえ、魔物って略称だったのか」
「まあ、塔が学術的にそう定義したと言うだけの話で、後付けであろうがの。それよりもはるかに以前から、人間は魔物を魔物と呼んでおっただろう。ただ、分類学的には非常に分かりやすい呼称ではあるぞ」
「分類学っていうと?」
「つまりは魔物と普通の生物の境界をどこに定めるか、という話じゃ。簡単に言うと、筋力で体を動かすのが普通の生物、筋力と魔力で体を動かすのが魔物ということだの。例えば角兎は肉体的には兎に角が生えただけの生物だが、魔力が作用することでただの兎よりも格段に高い跳躍力を持つ。故に魔物に分類されるわけだ」
「ってことは、俺も普段から筋力だけじゃなく魔力を使って動いてるってことか?」
「それも知らなかったのか? まあ、オークやオーガは魔物の中でも、身体能力における魔力が占める割合はかなり低いとされておるがの」
賢者はしばし他の者達には退屈な、王にとっては興味深い講義を続けた。
やがて、勇者達は王の私室を辞した。
自分達だけで今後の身の振り方を話し合うのだという。ケイには反対されたが、王は三人に武器を返還し、監視も解いた。
「ありがとうございました、ご主人様。姉上に代わり、お礼を申し上げます」
四人―――三人と一頭だけになった私室で、ケイが頭を下げる。
「賢者が逸れた話に熱中してくれて助かったぜ」
―――何故隣国の王族まで実験に用いたのか?
王が賢者の言葉を遮らず、問われてしまっていれば、やはり答えずには済まなかっただろう。
王城の地下に残された手記から、王たちが知った事実を。
先代オークキングに敗れて繁殖部屋送りにされ、その三ヶ月後に巣穴を去ったジョーの胎内に、すでにオークの子が宿っていたことを。
そもジョーの出産こそが、ソルガムの宮廷魔術師たちに呪われた実験の着想を与えたということを。
「……辛い話をさせちまって悪かったな、クローリス、ケイ」
今度は王から二人へ頭を下げる。
「いいえ、お辛いのはご主人様も同じでしょう」
「クローリスの言う通りです。何でもお一人で背負われようとされるのは、ご主人様の悪い癖です。我らの過去は、三人で等しく担うべきものです」
「……ああ」
思うところはあるが、王は小さく頷き返した。
「ティアも、なんだか仲間外れみたいにしちまってすまんな」
「ほんとだよっ。それはちゃんと反省してよね、ご主人様もお母さんもケイも。特にケイっ、今の“三人で”って台詞、何だかすっごくやな感じ!」
「そうは言っても、事実、お前はこの件に関しては部外者だろう、ティア」
「むー」
「ケイさん、あまりティアを苛めないで下さい」
「ふふっ、すまない。では、お詫びというわけではないが、ティアも含めた全員で、こいつの効果を試してみようではないか」
ケイは立ち上がると部屋の隅へ行き、クローリスとティアをちょいちょいと手招きした。
三人は王に背を向け、何やらひそひそと囁きあう。
「……ケイ、これってまさか」
「武器を取り上げた時に、ついでにな」
「ああ、これが例の」
「?」
当然、化け物離れした聴力を有する王には筒抜けであるが、いまいち要領を得ない。
ぼうっと見守っていると、三人は首筋や耳の後ろを手で擦り始めた。何かしら塗り込んでいるようだ。
「―――っ」
やばい、と思った瞬間にはすでに王の頭の中は煮えたぎっていた。―――例の媚薬だ。
王は咄嗟に布団に突っ伏し丸くなった。手足を引っ込めた亀が如く、攻めを捨てた完全なる守りの構えだ。
「お、お前ら、あんな話をした後で、よくもこんな真似が出来るなっ」
「ご主人様、それはそれ、これはこれです。切り替えていきましょう」
クローリスがむにむにと背中に胸を押し付けながら言う。
「姫騎士とオークは相性抜群と相場が決まっております。私はいつでも覚悟は出来ておりますよ、ご主人様」
「ご主人様、意地悪しないで早く来てよぅ」
右の耳元でケイが、左の耳元でティアが囁く。
賢者の作った薬の効き目は長く強力で、王は己が内から湧き上がる衝動と三人の誘惑に、その後半日以上も耐えることとなった。
それは誇張無しに、王にとって勇者達との死闘以上に苦しい戦いであった。