第31話 姫騎士ケイは厨房で腕を振るう
「クローリス、こんなもので良いか?」
「……そんな何でもかんでも丸ごと鍋に放り込む人がいますか。ちゃんと食べやすい大きさに切ってください」
「しかし、オークキングの食事だろう? 野菜など丸ごと煮込むだけで十分だと思うがな」
「ご主人様のお口は人よりも少々長いですから、口の端から食べ物をこぼしてしまいがちです。ですから特に汁物は、口をあまり大きく開けずに食べられるように、具材は小さめに切ってください」
「オークなのだから、食べこぼしなど気にせず貪れば良いだろうに。まったく、面倒な奴だ」
「……無理をして手伝ってもらう必要はないのですよ?」
「いや、エルドランド王家に連なる者に二言は許されない」
「でしたらお早くお願いしますね。刃物の扱いはお得意なのでしょう?」
洞窟での生活も十日ほどが過ぎようとしていた。
端的に言うと、それは思いの外に快適な暮らしだった。
洞窟の最奥部に設けられた王の居住空間は板張りの壁でいくつかの部屋に区切られ、有り難いことに王と女達の寝所も別室となっていた。―――クローリスとティアは時折、いや頻繁に王の寝具へ潜り込みに出かけていくが。
どの部屋も床にはびっしりと動物や魔物の毛皮が敷き詰められており、大部屋にはレンガ造りの暖炉が、厨房にはかまどまで設置されていた。寝具や食器などの明らかに人の手によるものもあった。ティアが人里まで出向いてオーガの頭骨―――鉄の半分以下の重さで鉄よりも靭性が高く、防具の素材としては最高級の物の一つである―――を売りさばき、その金で手に入れてきたらしい。
そうして、ともすればそこが洞窟の中であることを忘れそうになりながら時が過ぎていった。
ティアの“いつまでも居候気分で”という皮肉気な視線を、王族風を吹かせて受け流すのにも限界を感じ、私はクローリスに仕事の手伝いを申し出ていた。洞窟内で快適な生活を送れるのも、彼女の並々ならない努力のお陰であることは十日間の観察でよく理解出来ていた。
王族であるから家事などはやり慣れないが、刃物の扱いは得意だと言った私にクローリスが割り振ったのが炊事の手伝いだった。それも自分達の分ではなくオークキングの。
「しかし、よく食うものだな」
かまどに掛けた鍋―――炊き出しにでも使いそうな大型のものだ―――に、野菜を放り込みながら、私は呆れ半分でぼやいた。
隣ではクローリスが、人間なら二十人前には当たりそうな巨大な肉の塊を焼き上げていた。主の身の回りの世話は全て自分でやりたがりそうな彼女が、ケイの助力を受け入れたのも肯ける。
「オークキングというのは生まれつき異常に筋肉が発達しやすい個体ですから、エネルギー消費が激しいのです。ご主人様の受け入りですけど」
「ははあ、それであの身ごなしか」
言いながら、適当に岩塩の小片をいくつか鍋にぶち込もうとしたところで、クローリスの手にさっと遮られた。
「ケイさんは切るだけで結構です。ご主人様のお好みの味付けを、ご存じないでしょう?」
「お好みの味付けって」
オークのくせに生意気な、と私が思っているところへ―――
「―――ケイーっ、お客さんだよ」
ティアが厨房に顔を見せた。今日は鮮やかな金色の髪を太めの三つ編みでまとめている。
「……」
後に続いて入室し、ぺこりと頭を下げたのは商人風の装いの男。いや、商人風に装った男だった。
「おおっ、お前か」
今か今かと待ち受けていた相手、ソルガム王国に派遣した兵の一人である。
共に洞窟に乗り込んだ十人の兵は、私が出奔を決めるとそれに従った。国へ帰るように一度は説得を試みたが、前王と双剣の御二人に忠誠を誓ったのだと言い募られたのだ。
ならばとクローリスからの情報に従って、十人にはソルガムへ向かってもらった。
ソルガム領内で解放された姉は、まっすぐエルドランドへは帰国せず、まずは彼の地の王室を頼ると口にしていたらしい。掠奪された女達の中にはソルガム出身者も多く、彼女達の処遇に関して相談もしたかったのだろう。
「それで、何かわかったか?」
「はい。……よろしいのですか?」
「うん? ああ、この二人のことなら気にするな」
クローリスとティアが話を漏らす相手などオークキングしかいない。オークキングにはどうせ私から話しは通すつもりだった。報告にせよ、詰問にせよ。
「はっ。では―――」
兵の話は、十数台の馬車の目撃情報だった。
台数の多さと、魔界の方向から来たこと、何より役人の先導で王城へと案内されていったことから、三年近くが経過した今でも覚えている者は簡単に見つかったという。
「……少なくとも姉上が解放されたのは間違いない、か」
「はい。目撃者の中にはジョー様のお顔を見知っている者も幾人かおりました」
「そうか。……もう少し調べて見てくれ。私の名を使ってくれて構わない」
「はっ」
ソルガムには何度か軍を率いて救援に訪れたことがあった。多少なりの人脈は築いていた。
「まったく、姉上は何をやっているのだか。すぐに帰ってきていれば、父上の死に目にも会えたというのに」
ティアに連れられて去っていく兵を見送りながら、私は呟いた。
さらなる調査には時間を要したらしく、再び兵が洞窟を訪れたのは一月近くが過ぎた頃だった。
「―――これで、どうだ!」
「……合格です。腕を上げましたね、ケイさん」
「よしっ。口を漱いで待っていろ、オークキングっ」
生来の負けず嫌いを刺激された私が、ようやくオークキング好みの味付け判定に合格した時だった。
「ケイーっ、またお客さん」
ティアが兵を伴い厨房に姿を見せた。
「おおっ、お前か。ふふっ、何やら今日はついているな。……うん? どうした? 何かあったのか?」
私は兵の沈痛な面持ちに気付いた。
「……ジョー様の所在が分かりました」
「なんだ、良い知らせではないか。それで、姉上はいずこに?」
「ソルガムの王城に捕らわれておいでです」
「王城にいるのか。しかし、捕らわれているとはどういう―――」
「ジョー様は、ソルガムの人非人共の手によって、あ、悪夢が如く実験に供されております」
絞り出すような声で兵は言った。
「……それは人体実験ということか? そういえばソルガムというのは、それなりに魔導研究の盛んな国であったらしいな。それで、いったい何の実験をしておったのだ?」
賢者の問いにケイが言いよどむと、王が代わりに口を利いてくれた。
「……あー、こんな噂を聞いたことが無いか? オークの子を一度産んだ女は、オークと同じくどんな魔物の子供も産めるようになると」
「いわゆるオーク腹ってやつか」
勇者が忌々しげに吐き捨て、聖女が眉をひそめる。
低俗な噂話に過ぎないが、オークに犯された女が人里で虐げられる原因の一つだった。
「まあ、まともな魔術師にはまず信じる者はおるまいのう」
「そうだな、まともなはずがねえ。まともな連中に、あんな真似が出来るはずがねえんだ」
「―――っ」
王の言葉に、勇者達が―――少々意外なことに賢者も―――、息を呑んだ。
「……ということは、まさか」
三人を代表して、勇者がおずおずと切り出した。さしもの王も答え難そうにしていると、クローリスがさすがの貫禄で言い放った。
「ええ、そのまさかです。ソルガムの宮廷魔術師は庇護を求める女達を用いて魔物との交配実験を計画し、王はそれを認めたのです」