第30話 姫騎士ケイはオークキングに立ち向かう
「ふごっ、ふごごっ」
豚鼻を下から貫いた。上顎と下顎、それに舌をまとめて細剣で縫い止められたオークは、身動きも取れず体を固まらせた。
「ふんっ、たわいもない」
細剣を引き抜くと、血をまき散らしながらオークは洞窟の奥へと逃げ出した。
周囲にはすでに事切れた緑の肉塊が無数に転がっている。最後の一頭はあえて逃がして、仲間の元への案内役としたのだ。
「ケイ様、我々が先行します」
「……ああ、任せる」
逸る気持ちを抑え、部下に前を譲った。供回りの精鋭十人にはオーク程度に後れを取るような者はいない。
大型の丸盾を前方へ突き出すように構えて、三人が小走りで先行した。私は残りの者を率いて後に続いた。
姉のジョーが消息を絶って、すでに三年近い月日が流れていた。
周辺のオーク被害の元凶となっていたオークキングの根城を探索中の出来事だった。双剣と謳われ、エルドランド王国の武力の象徴であった双子姫の一人の失踪に国内は騒然とした。当然必死の捜索が行われたが、それ以降オーク達は人里への目立った襲撃を控えるようになり、手掛りすらも途絶えた。
やがて父王が失意の内にこの世を去り、叔父が王位を継ぐと捜索は打ち切られることとなった。それでも私は自ら草の根を分けるように姉を探し続け、ついにこの洞窟へ目星を付けたのだ。
「―――ほう、今度は少しは手強そうな奴らがいたな」
手負いの一頭が逃げ込んだ先はいくらか開けた空間で、オークの棲み処らしからぬことに篝火が焚かれ、視界は良好だった。十数頭のオークがたむろしており、いずれもここまでに倒してきた個体よりも目に見えて大きかった。ハイオークというやつだ。
私は前へ出ると、集団の中心で他よりも偉そうにしているオークへ細剣の切っ先を向けた。
「貴様がこの洞窟の主、オークキングか?」
「……ぶっ、ぶっはっはっはっ!」
まず件のオークがふき出し、他のオーク達も笑い始めた。
「何がおかしいっ」
「オレが王様のはずがあるか。あのお方はオレ達なんかとは比べものにならねえ」
「ならばその王とやらを今すぐここへ連れて来いっ!」
「王様を連れて来いだぁ? てめえ何様のつもりだっ! おい、おめえらっ! どうやらこいつらの狙いは王様らしいっ! 身の程ってやつを教えてやろうじゃねえかっ!」
「おおっ!!」
オーク達全員が棍棒を振りかざし、雄叫びを上げた。
「な、なんだこいつらは? 本当にオークか?」
盾を構えた兵の一人が、気圧されたように言った。他の者も気を呑まれた様子だ。
兵として魔物討伐に従事してきた者達だからこそ感じる異常。オークがまるで人間の軍隊のように喚声を上げて士気を盛り立てていた。さらには隊列のようなものまで組むと、―――足並みを揃えて一斉に突っ込んで来た。
「盾を持った者っ、前へっ! 槍持ちは―――」
「―――お前ら、止まれ」
猛り立っていたハイオーク達の足が、たった一声でぴたりと静止した。そして左右に分かれ、地面に膝を付き首を垂れる。
人垣―――オーク垣と言うべきか―――が割れて出来た道の向こう。さらに奥へと続く洞窟の暗がりから姿を現したのは―――
「あっ、良かった。ご主人様っ、まだ全員無事みたいっ!」
エルフ―――いや、ハーフエルフだろうか―――の少女だった。
鮮やかな金色の髪を頭の高い位置の左右二ヶ所でまとめ、防御力皆無の丈の短いスカートと一緒にふりふりと振るわせている。
あまりに場違いな少女の登場に何事かとあっけにとられるも、続いて姿を現した異形の存在にすぐにそんな疑問はどうでも良くなった。
「おい、ティア。あまりに前に出ると危ないぞ」
「―――っ。なるほど、確かにハイオークとは違うな」
“それ”は並みのオークよりも一回り大きいハイオークよりも、さらに一回り大きかった。オークのご多分に漏れず腹こそ突き出ているが、筋骨隆々としている。額には×字傷、下顎から突き出た牙は太く長く禍々しい。さすがに錯覚だろうが、洞窟の固い岩盤が“それ”が一歩踏み出すごとに揺れたように感じられた。
「お前がオークキングだな」
「おう。……んん?」
オークキングは嫌に人間臭い仕草で首を傾げた。
「あんたは、……確かジョーといったか? 何をしに来た?」
「―――っ!」
「おわっ」
オークキングの口からその名が出るや、一足飛びに距離を詰め、斬り付けていた。しかし緑色の残像だけを残し、存在感抜群の巨体は私の前からかき消えていた。
「い、いきなり何をする」
オークキングは私のすぐ横にいた。怒りに任せて剣を振るい、前のめりに体勢を崩した私の横に。
「……いや、オークがあんたにしたことを思えば、当然の報いってやつか」
オークキングが呑気に自問自答するのに乗じて、私はさっと体勢を立て直した。ぶんぶんと頭を振って、気を取り直す。
「お前達は手を出すな。私がやる」
兵に言い置き、改めてオークキングと向き直った。
右足前の半身に構え、右手に握った細剣は剣身を敵の目線に合わせて傾ける。そうすることで相手は剣をただの点でしか捉えられず、距離感を失い、気が付いた時には剣先がすでに突き立っている、ということになる。エルドランド王家に代々伝わる剣術だった。男児に恵まれなかった父王の慰めになればと、修行に明け暮れ血肉とした技だ。―――姉と二人で。
今度は体勢を崩さず、連続して三つ突いた。激情に駆られた先刻とは異なり、平常通りの―――つまりは不可避の突きだ。
「おうっ、わっ、っと」
「―――っ」
私は目を疑った。
剣先は確かにオークキングを捉え、緑の肌に触れた。しかしその次の瞬間に、オークキングは剣速を上回る速さで巨体を仰け反らせ、身を捌き、跳び退いていた。
「なるほど、年を取って反応が鈍った父さんが食らっちまうわけだ。人の技ってのはすごいもんだな」
さらに突きたてるも、オークキングは感心した声で呟きながら避け続けた。
鈍重そうな見かけに反して、反応も身ごなしも恐ろしく速い。速すぎる。剣先に触れてから避けることが可能なら、距離感の喪失など問題にはならない。
「馬鹿なっ、ケイ様の突きが!?」
兵達が悲痛な声を上げる。
自分が突きをかわされる姿など、数えるほどしか見せたことが無いはずだ。そしてその相手は、互いに手の内を熟知した姉であった。
「ケイ? ジョーじゃないのか? ……そういえば、クローリスが言っていたな。ジョーは高名な双子の騎士の片割れだとか。もしかしてあんた、ジョーの双子の姉だか妹か?」
構わず突きまくるも、オークキングは兵達のざわめきに耳を止め、思い巡らせる余裕まで見せつけてくれる。そしてまた、今度は三度も姉の名を知ったふうに口にした。
―――どこまでも愚弄してくれるっ。
腕が千切れるのではないかと思うほど、突いて突いて突きまくった。しかしこれ以上ないほど大きな標的は、するりするりと剣先から逃れていく。
「うーん、このままじゃ話にならねえな。―――悪いが、ちょっとだけ大人しくしてもらうぞ」
オークキングのその言葉を最後に、私は意識を手離すこととなった。
次に目を覚ました時には武装を取り上げられ、兵達も残らず捕縛されていた。オークキングが手ずからかすり傷すら負わず、そして負わせもせずにやってのけたらしい。
そして私はオークキングのメイド長を名乗る胡散臭い笑顔の女と話し合い、姉がとうの昔に解放されたと聞かされるのだった。
「―――とはいえ、さすがににわかには信じ難かったのでな。しばし洞窟に留まり様子を伺うことにしたのだ」
「……問答無用で斬り掛かって、そのまま居座ってってよ。お前もあたしらと同じことしてんじゃねえかよっ!」
勇者が、我慢ならないと言う顔で叫んだ。
「ふんっ、一緒にするんじゃない。私は一人、正々堂々とご主人様に挑み敗れたのだ。三人掛かりで邪知暴虐を尽くした貴様と同じにされたくはない」
「へっ、何が正々堂々だっ。お偉い姫騎士様は、お考えがお足りにならないんじゃありませんかねぇっ」
「貴様っ」
「しかし、オークの巣穴に留まるなどよく許可が出たの? 叔父に代替わりして王女ではなくなったにせよ、一国の王族であろう?」
ケイと勇者、いがみ合う二人の様子には頓着せずに賢者が問う。
「……叔父とはあまり折り合いが良いとは言えなかったのでな。そのまま出奔してやった」
「なるほどのう。双剣のケイともあろう者がわずか十人の供で洞窟へ乗り込んだのも、叔父との不仲が原因か?」
「ああ。当時私が自由に動かせる兵は供回りのわずかな者達だけだった。まあ、大軍を動員していれば、ご主人様と直接対峙する機会を得られなかったかもしれない。―――そう考えれば、運命の巡り合わせというやつかもしれませんね、ご主人様」
ケイは王に向き直ると、笑顔で告げた。
ティアに言わせればケイの笑顔はぎこちなく下手糞らしいが―――自分ではひどい言い掛かりだと確信している。笑顔に下手も何もあるか―――、王は照れ臭そうに逆ハート型の愛らしい鼻先を掻いた。
「ふーん、そうなるとあたしらとその豚王との出会いも運命だったってことにならねえか?」
「―――ああっ、勇者様っ、何と汚らわしいことを仰いますっ」
勇者の挑発に、ケイが反応するより早く聖女が嘆く。
「ケイ、言っておくけどご主人様に戦いを挑んだのは、ボクの方が先だからねっ」
ティアまでが言い募り、室内が騒然とし始めたところで―――
「ケイさん、そろそろお話を再開して頂いてもよろしいでしょうか?」
パンパンと手を叩いて注目を集めると、クローリスが言った。
「あ、ああ」
「それと、私の笑顔のどこが胡散臭いのか、後ほどゆっくりご説明くださいね?」
「う、うむ」
ケイは昔語りが終わるまでにクローリスがこの件をすっぱり忘れてくれることを願いながら、話を再開した。




