第3話 伝説の冒険者達は正体を現す
「勇者よ、これ以上の問答は無用ではないのか? 相手のペースに乗せられておるぞ」
「そうです、勇者様。彼女らの心の曇りを晴らすのは、事を成し遂げた後といたしましょう」
沈黙を破り、魔女っ娘と神官が言った。
「―――っ、そうだな! 賢者様、頼むっ!」
赤髪の赤い瞳に光が宿る。比喩ではない。瞳孔が大きく開き、爛々と輝きを放っていた。それは闘志の表れだ。
「うむ。 “解錠”、“召喚”、ついでに“火砲”」
王がやばいと思う間もなく、魔女っ娘の身体が青白く明滅した。
直後にじゃらっと音を立てて三つの首輪が全て外れ、冒険者達が差し伸べた手の先に前触れもなく剣と杖が現れ、最後に王の顔面を目掛けて火の塊が飛んできた。
「ちっ」
王はお腹に抱き付いたティアを引き剥がし、膝の上のクローリスとケイ諸共に押しやると、自身はごろんと後ろに倒れ込んだ。突き出た腹の皮膚と鼻先の毛をちりちりと焦がして炎が過っていく―――ティアを避難させておいて良かった―――のを見届けると、そのまま後方に一回転して立ち上がる。即座にベルトに差した樫の棍棒を引っ掴み構えた。
「詠唱も杖も無しで立て続けにっ。お気を付けください、ご主人様。最上位の魔術師ですっ」
ケイが珍しく焦った様子で叫ぶ。
「―――。――――。――。“肉体強化”」
今度は神官の女がぶつぶつと魔術言語―――魔力が込められた超々圧縮言語であり、魔術の素養がない者、ましてオークの耳と脳味噌には理解が及ばない―――で何事か詠唱すると、手にした杖が白く輝き、その光が赤髪の女の体に乗り移っていく。
「こちらも詠唱が短い。高位神官です」
ケイがどこから取り出したのか、細身の長剣を構えて俺の前に立った。
「俺がやる。ケイはティアとクローリスに付いていてくれ」
「……はっ。二人とも、それに他の皆さんもご主人様の邪魔になります。少し離れていましょう」
ケイは有るか無きかの一瞬の逡巡の後、一礼して踵を返した。ティアとクローリス、そして見物に集まっていた女達を促してその場を離れていく。
「ボクだって戦えるんだけどなぁ」
「良いから早く、ティア」
いつの間にか短弓を手にしていたティアは不満そうにしながらも、クローリスに腕を引かれていく。
「……待っていてくれたのか?」
俺はぞろぞろと離れていく女達を見送ると、“奇跡”―――神官の使う魔術のこと。神聖魔法とも呼ばれる―――の加護を受け、うっすらと光に包まれた赤髪の戦士に問う。
「女達を巻き添えにするつもりはない」
「……そうだったのか」
赤髪の言葉に、魔女っ子が眠そうな目を少しだけ見開いて言う。彼女が先刻放った炎の魔法は、明らかにティアをも巻き込むものだった。
「も、もちろんそうだよ。当たり前だろう」
「うむ。以後気を付けよう」
赤髪がリーダーなのは間違いないようだが、外見から想像される関係性とは少々異なるようだ。
「勇者様、強化の奇跡の効果が」
「ちっ、時間がないか」
神官の言葉に改めて見やると、赤髪の女の纏う光が薄らぎつつあった。効果が完全に切れる前に勝負を決めるつもりか、赤髪はわずかに腰を落とし剣先を下げた。踏み込み、斬り上げようという構えだ。
「待て」
手を開いて前へ突き出すと、今にも飛び掛かりそうだった赤髪が踏み止まる。
「今度は俺が待つ番だ。神聖魔法をかけ直すと良い」
「……へっ、豚の分際で大物ぶりやがって。聖女様、お願いします」
「はい。――――。―――――。―――。“肉体強化”」
赤髪は一瞬怪訝そうにしながらも、冒険者らしく抜け目なく実を取った。念入りにと言うことなのか、王には耳障りな雑音としか聞こない呪文は、先刻よりも幾分長く感じられた。
王は油断なく構えながら、改めて三人を見やる。
あっさりと捕まったのは、王を仕留めるための作戦だったということになるのだろう。勇者、賢者、聖女という大仰な呼び名からして、相当な大物なのかもしれない。
「いくぞっ、豚の王っ!」
赤髪の女が叫び、地を馳せ、宙を舞う。一瞬で間合いを詰めて、跳躍からの大上段だ。
王は頭上に棍棒を掲げて受けに掛かる。右手だけの片手持ちだ。如何に奇跡で肉体強化を施そうと人間、それも女の筋力と体重である。オークキングである王には恐れるに足らないものだった。左は拳を握って、剣を受け次第脾腹を突いて意識を断つ心積もりだ。
「おっ」
剣が棍棒に触れた瞬間、王は反射的に左足を退いて半身になった。
棍棒が中ほどからほとんど何の抵抗もなく切断されていた。咄嗟に引っ込めた腹先を剣が掠めていく。間髪入れず剣が跳ね上がり、今度は横薙ぎに振るわれた。腰を引いて体を“く”の字に折り曲げながら、後方へ跳んでかろうじて躱す。
勢い余ってごろごろと転がった身体を立て直す。全体的に丸い体型なためよく転がるのだ。しかしトントントンっと軽快に跳ねるように距離を詰めてきた赤髪は、もはや眼前まで迫っていた。再び上段から斬り下ろしに来る。王は短くなった棍棒で剣の腹を叩いて弾き、何とか事無きを得た。
「くっ」
オークキングの怪力に払われて、赤髪の女がたたらを踏んでわずかに距離が開いた。追撃の好機であるが、王は興味を引かれ棍棒に目を落とした。
「嘘だろう」
切断面は実に滑らかで、樫の年輪がくっきりと浮かび出していた。
王がかつて暮らした世界、生まれ育った国には偏執的なほど斬れ味にこだわった刀剣が存在した。それでもせいぜい青竹数本を切断するのが関の山だろう。王が手にする棍棒は、巨体のオークが握ると相対的に大した太さとも見えないが、人間で言えば成人男性の太腿ほどもある。それを剣ですっぱりと切断するなど信じ難いことだ。ましてこの世界に出回る刀剣は王から見ればお粗末な造りの物が多い。
「はあぁっ!」
体勢を整えた赤髪が再度斬りかかってくる。再び剣の腹を狙って弾くも、今度は女は足を踏み締めてその場に留まり、さらに斬撃を重ねてくる。王はオークキングのオーク離れした反射神経でそれを叩き落していく。
「おいおい、どうなってるんだ、その剣は」
斬れ味の良い刀剣というものは必然的に厚みに欠けるものだが、棍棒を幾度叩き付けても赤髪の剣は少しもその形状が損なわれていない。分厚い戦斧の類だってへし折れるのがオークキングの腕力だ。
斬れ味も頑丈さも規格外の剣だった。よく見れば剣身はうっすらと光を纏っている。何やら特別な代物と言うことらしい。
「はっ、せっ、やあっ!」
赤髪は大振りをやめて、小さく連続して剣を使い始めた。神聖魔法の効果もあって速い。全てを弾き落とすというわけにもいかず、足を使って時に避け、時に透かした。
赤髪の剣は冒険者らしく型のない我流という感じで、それだけに捌き難くもあった。跳ねるような足運びも、戦う場所を選ばないし選べない冒険者が故だろう。
かつて王が存在した世界では武術の基本は足裏で床を擦りながら動く“すり足”と言われていた。見様見真似に等しい生兵法ながら実践してみたこともあるが、比較的見晴らしの良い平地であっても草に足を取られることもあれば、石に躓きバランスを崩すこともあった。下腹の突き出たオークは体型的に足元を視認し難いこともあって、沼地や岩場、暗い迷宮内ともなれば怖くてとてもやる気になれない。
それ故、その巨体には甚だ不釣り合いながら、王の足運びもまた赤髪と同じく跳ねるような軽快なステップを踏んでいた。
「くそっ、オークのくせにすばしっこいっ!」
「オークはオークでも、オークキングだからなっ」
ひらひらと軽い足取りで剣を避け続ける。
そうしながら立ち位置を赤髪と絶え間なく入れ替える。魔法による援護を避けるためだ。魔女っ娘の攻撃魔法は言うに及ばず、神官の神聖魔法も対象が目まぐるしく動き回る状況では加護を与えられない。
さすがに正面から打ち合って負けるとも思わないが、赤髪の技量は一流で、手にする剣の斬れ味は異常の域にある。ここは肉体強化の効果が切れるのを待って、安全着実に勝利を得るべきだろう。
人間相手に慎重を期するというのは、オークキングの肉体に生まれ落ちてより初めてのことだった。