第29話 メイド長クローリスはオークの王に忠誠を誓う
「本当にオークの巣穴に留まるのですか?」
「はい。……あの方を監視し、導く人間は必要でしょう、ジョーさん」
問い掛けに、私は己が主へちらと視線を向けた。
女達を怖がらせないためだろう。王は30ワンド(30メートル)ほども距離を取って、手持無沙汰に立ちすくんでいる。
オークの洞窟から50ミレワンド―――ミレは1000倍を意味する接頭辞。すなわち50ミレワンドは50000ワンド(50000メートル=50キロメートル)―――北上した地に、女達を乗せた十数台の馬車が停車していた。魔物の森を抜け、人間の王国であるソルガムの領域へと踏み込んだ地点だ。私にとっては故国でもある。
洞窟に捕らわれていた女達の解放が決まり、安全な地帯まで王自ら護送してきたのだ。
「貴女一人が重荷を背負う必要はないと思うのですが」
「いえ、私はあの方の、―――言うなれば共犯のようなものですから」
私の答えに、ジョーが諦めた顔で首肯した。
その出自と適正故に、自然と女達のまとめ役を担う女性である。先代の王に件の深手を負わせた、隣国エルドランドの高名な姫騎士だった。
「貴女には、長らくお世話になりましたね、クローリス」
「いえ、解放までこんなにも時間が掛かってしまって、申し訳ありませんでした」
王の即位から、すでに3ヶ月が経過していた。
先代の血を引く唯一のオークキングの雄であるから、即位自体は円滑に事が運んだ。一方で掟の撤廃と新たな掟の制定には、反発が強かった。
王は離反者が出ることを恐れ、説得と懐柔に時間を費やした。オーク達のハグレ化を防ぐためだ。逸れオークが各々勝手に人間達を襲うようになれば、せっかくの掟の改正もまったくの無意味となる。
当然その間は、女達に対する繁殖行為は一切禁止された。数十人の女達―――半数以上がオークの子を孕んでいる上に、気が触れている―――の世話は、私に一任された。場所がオークの巣穴であるから人並みの生活など望むべくもないが、可能な限り彼女達が快適な暮らしを送れるように力は尽くしたつもりだった。
「この3ケ月間は、私達にとっても必要な時間でした」
「……確かに、そうかもしれませんね」
幸いにも、オークの子を為していた女達はこの3ヶ月の間に全員出産を遂げていた。人間社会への帰還後にオークの子を産むというのは、何としても避けたい事態だった。
「―――では、行きます」
ジョーが一台の馬車の御者台に付いた。他の馬車では、比較的精神状態の良い女達が御者を務めていた。女達の中では少数派のはずのドワーフが多いのは、他の種族よりも肉体的にも精神的にも強いということだろうか。
「ご武運を」
自然とそんな言葉が漏れたのは、オークに犯された女達を待つのは悲惨な現実でしかありえないからだ。
「……」
私はもう一度深々と腰を折り、一同を見送った。
「あのよ、付いて行かなくていいのか?」
顔を上げると、いつの間にか側へ寄って来ていた王がおずおずと尋ねてきた。我ながらずいぶん長々と頭を下げていたようで、馬車はすでに遠い。
「監視なんかしなくったって、俺は人間に都合の悪いことはしないぞ」
「聞こえていたのですか?」
「ぬ、盗み聞きするつもりはなかったんだけどよ。オークキングは耳もすげえ良くてな、聞こえちまった」
別に責めるつもりはなかったのだが、王は酷く狼狽した様子で言い繕った。意に介さず、私は問う。
「出て行って欲しいのですか?」
「……本当は、もっと早くに解放するべきだったんだ」
王はぽつぽつと心情を吐露し始めた。
「魔界に一人で放り出すわけにもいかねえし、人里まで送り届けるとなると父さんの目を盗んで抜け出すのは難しいとか。逃がしたのがばれたら、父さんや他のオーク達に不審がられちまうとか。そんな言い訳ばっかり頭の中に並べてよ、ついずるずると引き伸ばしちまった。―――すまねえな」
大きな身体をぺこりと倒し、王は謝罪した。
私はそんな王に何故か苛立ちを覚えた。
「そんな言い訳は聞きたくありません」
「すまねえ」
「謝罪もいりません。そんなことよりも、何故私を手元に留めたいと思ったのか。―――その理由をお聞かせください」
「そりゃあ、クローリスとの生活が楽しくってよ」
「……世話係とは名ばかり、貴方をこき使うことの方が多かった女ですよ。私が貴方にしてあげたのは、せいぜい果実の皮をむく程度のことです。それも、保身のためのご機嫌取りに」
「それでも、クローリスがただ側にいてくれるだけで、俺には望外の幸せってやつだったよ」
「……そうですか」
我ながら少々安すぎないだろうか。それとも、女達の世話をしている間に自分自身も気が触れてしまったのか。そう思いながらも私は踵を返して、遠く去り行く馬車へと背を向けた。
故国との、人間世界との決別―――などと大袈裟なことを言うつもりもないが、ちょっとした決意表明だ。
「何をしているのです? ほら、私を抱えてください」
「……? ああっ! 馬車を追うのか」
そんな私の心中など知るはずもない王は、見当違いの発言をしながら慌てて私を抱きかかえた。
「違います、行先はあっち。私の足では、洞窟まで戻るのに何日掛かることか」
私は王の顔を―――胸元に抱えられたので、ちょうど手の届く位置にきた―――、ぐいと逆方向へと捻じ曲げた。
「……まだ俺と一緒にいてくれるのか?」
「王子にさえ世話係がいたのですから、王に世話係無しでは格好がつかないでしょう。それに、貴方が言ったのですよ、―――ご主人様」
「ご、ご主人様? ……お、俺が何を言ったって?」
王が問い質す。初めて私からご主人様と呼ばれた狼狽と緊張に目をぱちくりさせ、同時に満更でもなさそうに大きな鼻をさらに膨らませながら。
「世話係はクローリスが良いと、そう仰ったではないですか」
言いながら、私は王の首筋にしっかりとすがり付くのだった。
それから、洞窟へと戻り、王とその世話係―――メイドとしての生活が始まった。
私はそれまでの生意気な態度を一変させ、誠意と愛情を持って王に仕えた。
かつての日課であった洞窟巡りの必要がなくなった王は、軍事訓練と称してオーク達を連れ出し頻繁に狩りを行うようになった。
元々オークは狩猟を好み、毛皮を伝統衣装とするほどであるが、それは個々人の力試しであるとか趣味の延長であった。王は兵としてオークを動員することで巻き狩りを行い、大量の獲物を得た。当然軍事訓練とは王の建前で、人間からの略奪に拠らない食料自給の模索である。
半年が過ぎた頃にオーガの集団との大規模な戦闘が起こり、図らずも訓練の成果が発揮されることとなった。オーク達は1対1では分が悪いオーガを相手に2対1、3対1で対することで戦線を拮抗させ、その間に王が単騎で数十頭のオーガを討ち取ることで大勝利をおさめた。この戦いを機に、オーク達の王に対する忠誠は盤石なものとなった。
また、私の方から少々誘いを掛けてみた結果、王が人間の女性に対して不能である事実が判明したのもこの頃だ。
さらに1年が過ぎた。半人前の冒険者であったティアが洞窟を訪れたのがこの時期だ。ティアは持ち前の身軽さと幸運を味方につけて洞窟の最奥部まで到達するも、当然のように王に優しく返り討ちにされた。
すでにかなり母性的な体付きに成長していた私に懐いて、いつしか彼女は居付くようになり、それ程の時を待たず王に忠誠を誓うに至った。そして―――
「―――ごっ、ご主人さまっ、お母さんっ。大変大変っ! 何だかすっごい強い女騎士が乗り込んできてるよっ!」
ティアが大慌てで私室に飛び込んで来たのは、さらに一年余りが経過し、王の治世も間も無く三年目に入ろうという頃だった。
「えっ? ちょっと待って、お母さん! ボクの初登場シーンはっ!? まさか今ので終わり?」
ティアが大騒ぎで詰め寄ってきた。
「えっと、それは―――」
「仕方ないだろう、ティア。お前はオーク王国建国の物語には、ほとんど何の関りもないのだから」
クローリスが言葉を濁していると、ケイが口を挟んでくる。
「むー、確かにそうだけどっ。だからって何も端折らなくても良いのに」
「そんな顔しないの。ほら、こっちへいらっしゃい」
「もうっ、そんなことで誤魔化されないんだからっ」
ぷくうと頬をふくらませたティアをクローリスは抱き寄せる。
ティアはしばしジタバタと抵抗していたが、きれいな金色の髪を優しく撫で付け、ふくれた頬を指でつついてやると、やがて胸の中で大人しくなった。
「さて、私からはこれくらいにして。後はケイさん、お願いできますか?」
クローリスはティアを抱えたまま寝台の王の隣に腰掛けると、これ幸いと逞しい肉体に身を預けた。