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第28話 村娘クローリスは小刀を振るう

「怪我を理由に譲位を迫るのではなかったのですか? いつになったら切り出されるのです? まさか結局は口だけで、王の傷が癒えるのを待っているのではないですよね?」


 王の寝所を辞して私室へ戻るや、私は王子を責め立てた。


「あ、明日こそ父さんに言うよ」


「明日ですね」


「……ああ」


 王子は私の冷たい視線を避け、いつものようにこちらへ背を向けると、しょぼんと床へ座り込んだ。

 王の殺害を迫った私に、王子は譲位という代案を示した。しかし今日も王の見舞いをした王子は、何でもない会話に終始している。すでに王の負傷から三日が経過していた。王子はひどく思い悩んだ様子で、日課の洞窟巡りも滞りがちだった。


「……はぁ、仕方のない人ですね」


 私は私室の片隅に積まれた果実へ手を伸ばすと、皮をむいて切り分けた。皿―――というよりもただの木の板だが―――に乗せて王子へ差し出す。


「ありがとう」


 王子は太い指で一つずつ慎重に摘まみ上げると、口へ運んだ。

 普段はオークらしく丸ごと、何だったら一緒に刈り取られた枝葉までまとめて平らげてしまうが、こうして体裁を整えてやると王子は妙に嬉しそうにするのだった。


「……そうだ。明日、王にも果実をおむきしましょうか。皮のまま食べるよりも消化に良いと思いますよ。もちろん、生肉などよりはずっと」


「おお、そいつは良いな」


 翌日、竹籠に果実を大量に詰めて王の寝所へと向かった。籠は当然、人間から奪ったものなのだろう。本来は肩に掛けて背負うためのベルトを、王子は指先にひょいと引っ掛けるだけで運んでいく。


「父さん、お加減はいかがですか?」


「おう、悪くねえ」


 毛皮の上に寝そべっていた王がむくりと上体を起こす。さすがオークの王と言うべきか、すでに腹の傷はふさがっていた。

 寝所には、傷口を抑えるために呼ばれていた雌オーク達の姿もすでになかった。それは幸いだが、蒼白―――碧白へきはくとか翠白すいはくと表現すべきだろうか―――な顔色は、負傷した当日と比べると本来の緑に近付いている気がした。―――あまり時間は残されていなそうだ。


「今日は父さんにお見舞いの品を持って参りました」


「見舞いの品? ……そいつはお前の世話係の女だったな。飽きもせずまだ飼ってやがったのか。言うまでもねえと思うが、俺は人間の女はいらねえぞ」


「いえ、そうではなく。―――おい、始めろ」


「はい」


 王子は竹籠を私に押しつけ、偉ぶった口調で言った。王の前だからだろう。

 私は小さく肯き返して、小刀を使って果実の皮をむき始めた。


「ほう。人間の女ってのはやっぱり器用なもんだな」


「ええ、我らオークには欠けたものです。火を使って料理を作ることも出来ますし、我らのように毛皮をなめすだけでなく、色々な材料から布を織ることだって出来ます」


 王子が人間の女の良いところを指折り数えながらあげていった。まだ王に自ら掟を撤廃させることを諦めきれないのかもしれない。


「―――それに気が利きます。あと、栗色の髪がきれいですし、オークの雌と違って近付くと良い香りもします」


 王子の話は進むに連れて、人間の女全般ではなく私個人を称える言葉になっていった。オークに褒められてもおぞましいだけ、―――のはずが不思議と悪い気はしなかった。


「……終わりました」


 私は普段よりも余分に時間をかけて籠の果実を全て切り分け、盆―――皿に使っている物よりも大きいだけのやはりただの木の板だ―――に並べて王の眼前へと捧げた。


「まあ、たまにはこういうのも悪くねえか」


 王は切り分けられた果実を巨大な手で一度に5つも6つも掴み取ると、口へと放り込んでいく。鼻面にそって長く裂けた口唇の端から、食べこぼしや果汁が滴り落ちた。王子ならまずやらかさない粗相だ。私は不快感を隠し笑顔で盆を捧げ続けた。

 王は存外気に入った様子で、ばくばくと次から次へと口に運ぶ。微笑みを絶やさぬまま、私は―――


「―――何のつもりだ?」


「っ!」


 盆の陰から喉元目掛けて突き出した小刀が、掴み取られていた。王は実に無造作に、素手で刀身を握り込んでいる。


「お、おいっ、何をしているっ!?」


 王子が叫ぶのも無視して、私は体重を掛けて小刀を引き抜きにかかった。しかし、小揺るぎもしない。


「ああっ」


 逆に、王がくいっと軽く手首を返すだけで、私は唯一の武器である小刀を手離し地面に倒れ伏すこととなった。


「まったく、人間の女ってやつは油断ならねえぜ」


 王は小刀を指の力だけでへし折ると、それを投げ捨てながら腰を上げた。


「―――ひっ」


 私は尻もちをついたまま後退る。巨大な、恐怖そのものを具現化したような存在が目の前にそびえ立っていた。

 それはまさにオークの王であった。3ワンド(3メートル)に届こうという長身は、分厚い筋肉と脂肪に覆われている。人間の胴回りほどもある足がその超重量を支え、節くれだった足指からは十字鍬ピッケルを思わせる厚く鋭い爪が生えていた。掠めただけで人間の皮膚は裂け、肉も断たれるだろう。握り込んだ拳は岩の塊のようだ。やはり人の頭蓋など容易く砕くだろう。

 何故、私でも隙を突けば殺せるなどと考えてしまったのか。相手はオークキング。英雄譚や古き伝承にも名を現す魔物の中の魔物なのだ。


「―――っ」


 ふっと、現実に痛みすら伴うようだった強烈な圧迫感が消失した。見慣れた背中が、王の前に立ちはだかっている。

 この1年、いつも向けられていた背中だ。それは己が形相で私を怖がらせまいとする王子の優しさだ。そしてオークキングなど怖くないと、私に誤った認識を抱かせた憎い背中でもあった。


「何のつもりだ、息子よ」


「父さん、これは、その、……何かの間違いです」


「間違い? へっ、間違いで喉元に刃物突っ込んでくるような人間、なおさらお前の側には置いておけねえな」


「お、お待ちください、父さん」


 王がぐいと押し退けに掛かるも、王子は抗う。


「……世話係が欲しいのなら、別に見繕ってやる。そうだな、繁殖場に確かドワーフの女がいたな。人間の女よりも頑丈だぞ。それともエルフやリトルフットの女が良いか?」


「いえ、俺は彼女が、クローリスが良いのですっ」


 王子がはっきりと言い切った。もしかすると、名前を呼ばれたのはこの時が初めてだったかもしれない。


「……そうか、そうか」


 王がぽんぽんと王子の肩を軽く叩いた。口角をつり上げた凶相は、時折王子が見せるのとよく似た笑顔だった。王は笑顔を張り付けたまま私へ向き直ると―――


「―――ひっ」


 表情を一変させた。

 王子が私に一度だって見せたことの無い顔だ。それ故に意図するところは明白だった。


「我が息子を、ここまでたぶらかしやがったかっ。繁殖場に落とすなんてこたぁしねえっ。この場で100回叩き潰してくれるっ!」


 王が叫び、迫る。オークキングの本気の突進だ。私には逃げることはおろか、身構える時間すらなかった。唯一出来たのは、恐怖に目をつぶることだった。


「…………?」


 しかし予想された衝撃はいつまでも訪れず、私は恐る恐る目を開けた。


「―――っ」


 眼前で、王と王子が組み合っていた。

 鼻先と鼻先を突き合わせての押し合い。王子と共に洞窟巡りをしているとよく目にする、オークとオークの喧嘩の形だ。


「ぐぬぬっ」


「ぬぐぐっ」


 オークキングとオークキング。頂上決戦の帰趨きすうはすぐに決した。一方は年老い、傷を負っているのだからそれも当然だ。王が鼻面を仰け反らせた。

 すかさず身を寄せた王子の額を、王の牙が抉った。普通のオーク同士の喧嘩では、牙が互いを傷付けることは滅多にない。しかしオークキングである王の牙はとりわけ大きかった。そして同じくオークキングである王子の牙もまた大きく、―――それは王の喉へ吸い込まれるように突き立った。


「―――なっ、あ、ああっ」


 悲痛な声を漏らし、その場にへたり込んだのは王子の方だった。王はびくびくと身体を震わせながらも、その場に立ち尽くしていた。


「……お、おれっ、のっ、ぶっ、ぶすこっ、ぶふっ」


 王は何かを言おうとして、しかし喉にぽっかりと穿たれた穴がそれを許さず、―――結局何一つ言い残すことなく、ゆっくりと大の字に倒れた。




「その後、殺害の痕跡を隠蔽し、呆然自失していたご主人様を何とか奮い立たせ、王の崩御と自らの即位、そして掟の撤廃を宣言していただいたというわけです」


「……いや、何つうか、あんたすごいな」


「うむ、キングメーカーというやつだの」


 アシュレイの言葉にソフィアが同意し、カタリナは胸でT字を切っている。

 そんな三人の反応には取り合わず、クローリスがちらと王に横目を向けると、視線がかち合った。王は―――内心はどうあれ―――、優しく微笑んでくれた。


「それで、その額の傷が父親とやり合った時のものか?」


「ああ、こっちはな」


 アシュレイの問いに、王が額の×(ばつ)字傷のうち、右下から左上へ走る方を指差す。

 当時は回復魔法を掛けてくれるような神官もいなかった。年月を経た今も傷痕はくっきりと残っている。


「もう片方は誰にやられた傷だ? お前に手傷を負わせるようなのが、そうそういるとは思えねえが。……ひょっとして噂に聞くドラゴンとやりあった時の傷か?」


「まさか。さすがにドラゴンの爪にやられたら頭がふっ飛ぶ。―――これはな、姉にやられたんだ」


「姉だと?」


「ああ、掟の撤廃に強硬に反対する姉が一人いてな。掟の存続を賭けて決闘を挑まれた」


「へえ、それじゃあ父親に続いてその姉も殺っちまったってわけだ?」


「いいや、同じ過ちは犯さねえよ。顔をこう、そむけるようにしてな。おかげで俺の方の傷も逸れて、格好良い×字傷が出来上がったってわけだ」


「格好良いねぇ。まあ、良い目印ではあるな」


 王が額の傷を誇らしげになでる。王にとってそれは、父親の形見のようなものなのだろう。


「……では、続きと参りましょうか」


 一度だって自分を責めてはくれない王に、クローリスは胸の内で頭を下げ、話を再開した。


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