第23話 勇者アシュレイは聖剣を突き立てる
「ちっ」
アシュレイはここに来てなおも崩そうとしないオークキングの偽善者面に舌打ちした。
聖女がティアをそっと床に寝かし付けるのを見届けると、険しい表情をやわらげた―――ように見えたのだ。オークの豚面故に判然としないが。
「勇者よ、真に良いのだな? その男を討ってしまって」
「ああっ、当たり前だろう」
「そうか。なら、さっさとやってしまうことだ。儂とその男が話す時の常で、人払いは済ませておるが、あまり長引けば様子を窺いに来るオーク兵も現れよう」
「おう」
縛り上げて教会に放り込んでおいたケイも、そろそろ目を覚ます頃合いだろう。クローリスも駆け付けるかもしれない。戦闘力は皆無のはずだが、何となく敵には回したくない女だ。
「下劣な豚の王がっ、死にさらせっ!」
我ながら少々品の無い台詞を吐きながら一直線に駆け寄り、突き出た腹にぶつかるくらいまで距離を詰めてから右へ身を転じた。オークキングの左脇を駆け抜ける。同時に斬り付けた聖剣は棍棒で弾かれたが、構わず右へ右へと回り込む動きをした。
オークキングは小指を失った左足をひょこひょこと跳ねさせながら、かろうじて付いて来る。化け物離れした身ごなしは小指と同時に失われていた。
「―――っ」
右回りに2周ほどしたところで、ぱっと身を翻し左へ転じた。同時に振った聖剣が胸板を斬り裂き、オークキングが小さくくぐもった声を漏らす。浅いが、薄皮一枚ではなく確かに肉に届いている。
さらに足を使って撹乱し、斬り付けていく。与えられるのはやはり浅手に過ぎないが、皮だけだった先刻までとは異なり、肉は裂け、血が流れ出た。やがて―――
「はあっ!」
左へ駆ける、と見せて右へ横っ跳びしながら薙いだ聖剣が、オークキングの腹部をこれまでになく深々と斬り裂いた。分厚い豚腹だけに臓腑までは達していないだろうが、後から後からあふれるように血が流れ出ている。
「うぅっ」
オークキングはあたかも湧き出す血に押し流されるように数歩後退し、ずりっと血で足を滑らせ、片膝をついた。
「終わりだっ!」
決着を付けるべく、アシュレイは詰め寄った。オークキングは苦し紛れに、頭上に棍棒を掲げた。
それは初めての対峙で、アシュレイの初手に対して取った構えと同じだ。―――片一方の膝をついていることを除けば。
やはり媚薬が思考を乱しているのか。あの日棍棒を聖剣で両断されたオークキングは、化け物離れした身ごなしで半身を引くことで斬撃を避け得た。しかし地面に膝を付いた体勢で、そんな芸当が出来るはずもない。
棍棒ごと真っ二つにする。アシュレイは大上段からオークキングの脳天目掛け聖剣を振り降ろした。
「―――っ!?」
ぱぁんと、何かが破裂するような音が響いた。そしてどんな物も抵抗なく斬り裂いてきた聖剣から、がつんとこれまで感じたことの無い強い反動が両腕へ返ってきた。木剣で力一杯に巨岩でも打ち据えてしまったような衝撃だ。危うく柄を手放し掛けるも、ぎゅっと思い切り握り込んで耐える。
「真剣白刃取り。何とか上手くいってくれたな」
「なっ、う、嘘だろっ!?」
聖剣の刃を、オークキングは頭上に掲げた両掌で挟み取っていた。
その化け物離れした膂力で、いくら柄に力を込めても聖剣は微動だにしない。いや、驚くべきは剛力ではなく、肉体強化の加護を受けたアシュレイの渾身の斬撃を掌と掌―――点と点で挟み取った馬鹿げた反射神経だ。そんな真似が出来るのなら、初めから―――
「……そうか、誘いやがったな?」
「乗ってくれて助かったぜ」
オークキングはあえて初戦と同じ構えを取ることで、あの時と同じ剣技を使うように誘導したのだ。アシュレイはそれにまんまと嵌まり、大上段の一撃を献上してしまったわけだ。
もっとも剣の軌跡が読めたところで、並みの人間や魔物にそれを両掌で挟み取るなどという芸当は不可能だ。化け物離れした力と速さを併せ持つオークキングならではの絶技と言えよう。
「オークのくせに悪知恵を働かせやがって。媚薬で頭がイカれてるんじゃなかったのかよ」
「これだけ血を流しゃ、さすがに興奮も覚めるさ」
ちらと、左手から解放されたオークキングの股間に視線をやる。
「くそっ」
先刻までは抑え付けていなければ腰巻きを内側からまくり上げ露出せんとしていたアレが、今は確かに大人しくなっていた。
「こっちの番だな」
のそりとオークキングが立ち上がった。それだけで抗い様の無い力で聖剣が引っ張られ、アシュレイの身体はつんのめる。―――これからの展開を暗示するように。
「いくぞ」
「―――っ」
オークキングが聖剣を揺さぶる。アシュレイの身体は思い切り左右に振られ、足が宙に浮くほどだ。柄を力一杯握りしめ、ほとんどそれにぶら下がるようになりながらも耐える。
握り合う聖剣は、互いの命綱のようなものだった。
聖剣を失えば、アシュレイに勝ち目はない。オークキングにしてみても、これが最後の勝機という思いだろう。腹の傷からは今なお血が流れ出し続けているのだ。
とはいえ孤軍奮闘のオークキングとは異なり、アシュレイには他にも打つ手が残されている。
「賢者様っ! 前回の作戦通りだっ! いや、前回よりもきついやつを頼むっ!」
「うむ、しばし耐えよ! ――――。――――――。――――」
「わ、私も。――――。―――。―――――」
再びオークキング打倒ための作戦―――賢者がアシュレイごとオークキングに強力な魔術を叩き込み、聖女の回復魔法でアシュレイは一命をとりとめる―――が始動した。それもオークキングに耐え抜かれた前回以上の火力で。恐らくアシュレイの生存の可能性は五分、いやそれ以下だろう。さすがに一番の親友であるところの賢者には拒まれるかとも思ったが、すぐに詠唱が開始された。聖女も後に続く。
「させるか」
オークキングが詠唱を阻止すべく賢者たちへ足を向ける。しかし負傷に加え、両掌で手挟んだ聖剣ごしに人ひとりを持ち上げながらとあっては、さすがに足取りは鈍い。加えて―――
「あたしを忘れてもらっちゃ困るっ!」
「ぐうっ」
聖剣への揺さぶりが中断されるや、アシュレイはブーツの踵でオークキングの左足の小指―――があった場所―――の付け根を踏み砕き、返す刀で股間を蹴り上げた。さしものオークキングも苦しそうな声を漏らす。
さらには聖剣を逆にこちらから揺さぶってオークキングの両掌に裂傷を刻み、腹の傷につま先をねじ込んでぐりぐりと抉る。噴き出すように血が飛び散り、オークキングは―――今度は演技ではなく本当に―――足を滑らせ膝をついた。
こういう狡い戦法は、斥候のアシュレイにとってはある意味本領である。傷口を抉るような攻撃と、実際に傷口を抉る攻撃で時間を稼ぐ。
「―――――――。――――――。―――――。“壱百八重火焔砲”」
そして賢者の詠唱が完了し、発動式が読み上げられた。
―――あっ、これは死ぬな。
神聖魔法の効果で加速した思考で、アシュレイはふっと理解した。
聖剣を挟んでオークキングと向き合う格好だから、背後から迫り来る火群を直接目にすることはない。しかし賢者曰く先の三十六重火焔砲の3倍の熱量を有するという壱百八重火焔砲だ。その身に秘めた魔力の全てを費やす賢者にとって最大火力の攻撃魔法であり、それはすなわち人類の有する最大威力の攻撃ということでもある。それを真面に―――癪なことにオークキングの盾となる形で―――食らうことになる。死は免れ得ないだろう。
幸いなのはオークキングの巨体にとって、自分の身体は小さ過ぎる盾だということだ。賢者の最大火力はオークキングを今度こそ焼き尽くしてくれるだろう。
アシュレイが諦観と、強敵と刺し違える満足感に浸っていると―――といっても瞬き一回分にも満たない刹那の間だが―――
「―――おわっ」
ぐんとこれまで以上の力で聖剣に引きずられた。アシュレイの身体は束の間、完全に宙に浮かび上がり、―――着地した時にはオークキングと立ち位置が入れ替わっていた。
直後、オークキングの背中に賢者の最大火力が炸裂した。
「ぐおっ、ああっ、あぁあっ」
豚面に、アシュレイの目にもはっきりと分かる苦悶の表情が浮かぶ。
「―――っ、お前はどこまでっ、どこまで偽善者ぶりやがるっ!!」
アシュレイは手にした聖剣に視線を落とした。オークキングの両腕は業火からアシュレイを庇護するように左右に大きく広げられ、結果聖剣は解放されていた。
「くそっ」
言葉に出来ない怒りや苛立ちを込め、アシュレイは聖剣を振りかざした。そして鍔元まで深々と突き立てる。―――足元の石造りの床へと。