第22話 勇者アシュレイはオークキングの例のアソコを断つ
「聖女様」
「ええ。――――。―――――。――――」
聖女が詠唱を始める。
思い描いていた決戦の様相とは少々、いやかなり異なるが、オークキングがまごついている隙を見逃す手はない。
「ティア、危ないから離れていろ。手を出すなよ。お前の適う相手じゃないし、人同士で殺し合いなんてするもんじゃねえ」
オークキングが下半身にまとわり付いたティアを引き剥がす。
相も変わらずの偽善者ぶりだった。錯乱した女達を目の当たりにした今となっては、それはアシュレイの闘志を一層かき立てるだけだ
「うん。―――べーだっ!」
ティアはオークキングの股間を名残惜しげに一瞥し、次いでアシュレイに向けて舌を突き出し憎らしい顔を見せると、謁見の間の片隅へと下がっていく。
焼け焦げ変形した玉座の傍らに立つオークキングと、アシュレイとを阻むものはもう何もない。
「―――。“肉体強化”」
そこで狙いすましたように詠唱が終わり、聖女の杖から発した光がアシュレイの身体に宿る。
アシュレイは言葉も発さず、一足飛びにオークキングへと詰め寄った。
肉体強化の奇跡の効果で、ほとんど浮遊感を覚えるほどに身は軽い。奇跡の効果は行使者の能力と、さらに受け手側との相性によって大きく変動する。聖女は聖心教屈指の奇跡の担い手であり、アシュレイとの相性も最高と言って良い。体重はそのままに全身の筋力は倍加し、さらには視覚や聴覚などの感覚、反射や思考の速度までも同等に向上している。今ならあの武人メイドと真正面からやり合っても問題にしないだろう。
「はあっ!」
最後の一歩で高々と跳躍し、3ワンド(3メートル)近い長身を誇るオークキングの頭上より聖剣を振り下ろす。
オークキングは右手で構えた棍棒で―――左手は股間を隠すのに使っている―――、聖剣の腹を叩いた。化け物離れした膂力に、中空でアシュレイの身体が錐揉み状に舞う。抗わず、むしろコマ回しの要領で正中線を軸に旋回し、横薙ぎに二度三度と斬り付ける。
「ぬっ」
跳び退いて躱したオークキングの突き出た腹と股間へ延びた左腕に、うっすらと赤い線が走った。斬ったのは薄皮一枚と言ったところだが、前回はそこにすら届いてはいない。オークキングの動きは明らかに精彩に欠けている。
アシュレイは奇跡の加護で強化された動体視力と思考力でもって、中空を旋回しながらそこまでを見て取ると―――
「まだまだっ!」
着地と同時にさらに攻勢に出た。斬り上げ、突き、足元を払う。
「ぬっ、とっ、おわっ」
オークキングはほとんど無様と言っても良い足取りで避ける。
「ふむ、これならば―――“火砲”、もう一つ“火砲”」
横合いから、賢者の放った炎の魔術もオークキングを襲う。
前回の戦いでは、オークキングは軽快な動きで狙いを定めさせず、時にアシュレイを盾とすることで賢者の攻撃魔法による介入を完全に封じている。それを打破したのが媚薬と言うのは少々不本意な話だが、後宮に長く逗留した意味もあったと言うものだ。
オークキングが身を沈めて火砲を躱したところへ、聖剣を合わせる。弾かれるも、跳ねた切先がオークキングの肩を軽く抉った。棍棒で剣の腹を叩く角度が甘かったからだ。これも前回の戦いでは見られなかったミスだ。媚薬は確かにオークキングから思考力を奪っている。
「はぁっ!」
再び高く跳躍し大上段から斬り付け、着地と同時に足元を斬り払う。勢いのままにくるりと一回転して、斜めに斬り上げる。避けられ、弾かれようと、構わず攻め続けた。
たまらずオークキングが距離を取ると、そこへ火砲が襲い掛かる。そして―――
「―――。――――。“息吹”」
攻め疲れ、乱れたアシュレイの呼吸がふっと軽くなる。
聖女の神聖魔法だ。清浄な空気を作り出し病人の呼吸を助けるための奇跡だが、酷使し疲弊した身体や精神に活を入れる効果もある。
距離を詰め、再び聖剣を振るう。我知らずいくらか鈍っていた剣勢は、初手の鋭さを取り戻している。
勇者が前衛で戦い、後方から賢者の援護と聖女の支援が入る。前回は封じられた本来の三人での戦い方だ。ドラゴンや魔界の奥深くに存在するという魔王だって打ち砕く―――予定の――――パーティーの本領だ。
優勢のままに戦闘は続き、効果の切れた肉体強化の奇跡をかけ直してもらうこと2度、時間にして四半鐘(15分)ほども聖剣を振り続けた。軽傷とも言えないような浅手が幾筋もオークキングの身体に刻まれていく。アシュレイの“常の”剣技は、十二分に身に染みたことだろう。
―――頃合いか。
アシュレイは低く深く踏み込んだ。ほとんどオークキングの足元へと頭から突っ込むような形だ。顔面が石造りの床にぶち当たる直前、左手でその床を打ち、思い切り身体を跳ね上がらせた。同時に右の逆手に握り直しておいた聖剣で斬り上げる。
「うぐっ!」
オークキングは大きく跳び退き、着地にしくじって二度三度とたたらを踏んだ。
「賢者様の要望通りになったな」
素早く立ち上がり聖剣を構え直しながら言う。
以前、賢者がオークキングの治癒力を検証するために、足の小指を斬り落とすように迫っていたのを思い出したのだ。
先刻までオークキングがあった場所に、小さな緑色の肉塊が残っている。まさにオークキングの足の小指だった。
小指の転がる床の手前には、一筋の長く深い亀裂が走っている。聖剣が斬り裂いた痕だ。
地面を擦るように低い下段は受けたことがあっても、実際に地面を断ち割り、地中から襲ってくる剣など当然見たことはないだろう。聖剣ありきの技だった。
跳躍からの“大上段”がアシュレイの見せ技で得意技なら、この滑り込みからの“大下段”はアシュレイの隠し技で必殺技である。通常の剣技に慣れた目では、完璧に躱すことなどおよそ不可能と言って良い。
「へっ、それでもその程度の傷で避けたのはさすがだが、その足でどこまで、―――っ」
横合いから飛んできた矢を、聖剣の腹で弾いた。
「ご主人様を傷付けたなっ!」
文字通り矢継ぎ早に矢が飛んでくる。これまでオークキングの命令に従い、黙って見守っていたティアだった。
「ティア、危ないから手を出すなっ」
「―――。――――。“誘眠”」
ぐらりと、ティアの頭が傾ぐ。
聖女の睡眠へ誘う神聖魔法だ。激痛にのたうち回る怪我人さえ、大人しく寝かし付ける強烈な効果をもつ。
「心配する“振り”などなさらなくとも、私達はこの子を傷付けたりはしませんわ」
聖女は駆け寄り、倒れ込むティアの小さな体を抱き留めると、オークキングに冷たい視線を向けた。