第21話 勇者アシュレイは再びオークキング討伐に臨む
「初代のオークキングとやらは、何だってオークの力を削ぐような掟を作ったのだろうな?」
「たぶんだが、王権を確立するためじゃないかな」
「ふむ、どういうことかの?」
「愚民政策、いやこの場合は弱民政策とでも言うべきか」
「愚民政策、弱民政策。初めて耳にする言葉じゃが、なるほどのぉ。……しかし、お主は博学だのう。まさかにオークの口から儂の知らぬ言葉や発想を聞くことになるとは、お主と出会うまでは想像だにせんかったわ」
「むふふっ、そうでしょっ。ご主人様はすっごく物知りなんだから」
控えの間と謁見の間を仕切る深紅のビロードの向こうから、賢者とオークキング、それにティアの話し声が聞こえる。
足音を殺して近付いてはみたが、賢者の調査によればオークの獣並みの嗅覚と聴覚をさらに十数倍した感覚をオークキングは備えているという。奇襲など上手くはいかないだろう。
アシュレイは聖女と顔を見合わせて一度肯き合うと、聖剣を抜き放ち、軽く横に払った。ビロードは半ばからすっぱりと断たれ、床に落ちる。
「おいおい、安いもんじゃないんだぞ」
やはりこちらの存在には気付いていたようで、窮屈そうに玉座に収まったオークキングはこちらへ振り向いていた。そしてけち臭い言葉を口にする。
「―――賢者様っ」
オークキングが言うのは無視して、アシュレイは呼び掛ける。
オークキングの膝の上にはティアがちょこんと座り、賢者は玉座の正面で覚書帖に筆を走らせていた。
「……そうか。もう少しデータを取りたかったし、話も聞きたかったのだが。やれやれ、お主がそうすると決めたのなら、まあ、仕方ないの」
賢者はおもむろに覚書帖をしまうと、杖を手にする。
「“火砲”、 “火砲”、 “火砲”」
賢者の掲げた杖の先端から火球が立て続けに3つ放たれ、―――すでに無人となった玉座にぶち当たった。
「まったく、玉座はさらに高いんだぞ」
オークキングは何か察するところがあったのか、至近距離から火球が放たれる直前にティアを抱えて跳び退いている。さすがにオーク離れした機敏な動きだ。
ともあれアシュレイと聖女は、この隙に賢者と合流した。アシュレイが前衛に立ち、背後に賢者と聖女が並ぶ、久方ぶりのいつもの配置だ。
「ちょっとソフィアっ、何のつもりっ!」
怒りの声を上げたのはティアだった。
「すまんな、うちの勇者が結論を出したらしい。珍しく考え込んでおるようだったから、どちらに転ぶものかと思っておったが。―――で、その顔から察するに、この男は倒すということで良いのだよな?」
「おう。ひょっとしたら良いオークもいるのかもしれない、そんなふうに一瞬でも思っちまったのは、気の迷いってやつだな」
「……ふむ、良かろう。儂はお主の決定に従うまでよ。一応、パーティのリーダーはお主だしの」
賢者は一瞬何か言いたげに口籠るも、あっさりと肯いた。
「うっ、裏切るの、ソフィア? せっかく仲良くなれたと思ってたのに」
「すまんの。儂もお主らやこの国を好ましく思うておったが、―――儂の一番は、勇者での」
「なんでそんながさつな乱暴者をそこまでっ」
「ふふっ、まあ、お主らからはそう見えような。しかし儂にとってはこの世界に生きる喜びを教えてくれた、恩人みたいなものでの」
「ううーっ、もう知らないっ! ご主人様にやられて痛い目見たって、知らないんだからっ」
ティアはぷいっと顔を背けた。頭の後ろで一房にまとめられた鮮やかな金髪が、彼女の拒絶の意思を示すようにばっさりと空気を薙ぎ払う。
「……あたしに味方してくれるのは、恩人だからなのか?」
「ん? なんじゃ、もしかして傷付いておるのか?」
「そんなんじゃねえけどよ」
「ふむ、では一番の親友だからとでも言い直そうか?」
「まあっ、賢者様が他人の気持ちを思いやるだなんて」
聖女がぱんと手を打ち、大仰に驚く。アシュレイは、―――まあ悪い気はしなかった。
「と、こんなこと言い合ってる場合じゃねえな」
オークキングは―――前回と同じく―――自分から積極的に攻め掛かってくるつもりはないようで、ベルトに差した棍棒を抜きはしたものの、構えもせずにこちらの様子を伺っている。
「それで、何かあやつの弱点のようなものは見つかったのか?」
「いやぁ、それがさっぱり。でかくて速くて強い。種も仕掛けもねえ単純な強さだけに、穴がねえ」
「てっきりお主のことだから勝算が立ってから挑むものと思っておったが。何も本当にがさつな乱暴者を演じることはないのだぞ」
「しかたねえだろう。こっちにも色々と事情があったんだよ」
ケイやクローリスとのいざこざは、あえて口にはしなかった。賢者がそれで心を乱すとも思わないが、ティア同様に2人ともそれなりに仲良くしていた。
「しかたない。これを試してみるか」
賢者がローブの中をごそごそとあさり、小瓶を一つ取り出した。そして中に入った液体―――青紫色で妖しく泡立っている―――を、
「うおっ」
「きゃっ」
アシュレイと聖女、そして自分自身へと振りかけた。
「な、なんだ、これ? 皮膚に付いても大丈夫なものなんだろうな?」
液体のかかった襟元を引っ張って鼻先に近付け、嗅いでみる。おどろおどろしい色彩から予想される悪臭の類は特にしなかった。
「人間には、ほとんど何の臭いもしまい。しかしあやつには、―――さてどうかの?」
「ぐっ」
オークキングが胸元を抑え、くぐもった声を漏らす。前かがみに身体を傾け、今にも倒れそうにしている。
「ご、ご主人様、大丈夫?」
「あ、ああ、大丈夫だ。大丈夫だから、ちょっと離れていろ」
「ソ、ソフィアっ! ご主人様にいったい何をしたのっ!?」
「ふうむ、予想以上の効き目だの」
賢者はティアの殺意の籠った視線をどこ吹く風と受け流す。
「おいおい、本当に何なんだ? オークにだけ効く毒、なんて都合の良いもんの作製に成功したのか?」
「毒ではないの。むしろ治療薬と言っても良かろう」
「治療薬だと?」
「うむ。クローリスとケイに頼まれた物でな。オークにしか効かない、特にオークキングには効き目抜群の、―――媚薬よ」
「はぁ?」
アシュレイと聖女は同時に気の抜けた声を漏らし、肩を落とした。
それが少々はしたない態度と思ったのか、聖女は頭を振ってすまし顔を作るも、すぐに青ざめて問う。
「けっ、賢者様、も、もしかしてこの液体の原料は、まさか、以前教会に持ち込んだ―――」
「うむ、雌のオークの体液だの」
「ああっ」
聖女が天を仰ぐ。
そのまま悪癖―――聖書の暗唱―――に耽らなかったのは、さすがにこれからの戦闘を見据えてくれたのだろう。
「―――あっ、ほんとだっ。元気になってるっ」
ティアが弾んだ声を上げた。必死に隠そうとするオークキングに食い下がり、股間を覗き込んでいる。
「ちょっと、ソフィアっ、ボクこんな話聞いてないんだけどっ」
「ああ、クローリス達はちゃんとお主にも分けると言うておったぞ。……自分達が試した後で」
「もうっ、お母さんもケイもずるいんだからぁっ!」
ティアはだんだんと地団駄を踏んで―――比喩表現ではなく本当に地面を踏み鳴らしている―――不機嫌を露にする。賢者の裏切りを責め立てていた時よりも怒っているように見える。
「しかしこれから戦いって時に、何だってこんなものを引っ掛けたんだよ、賢者様?」
「先刻お主は、あやつの強さをでかくて速いと評したが、もう一つ、見た目によらぬ冷静な判断力もあやつの武器の一つであろう。性的興奮で多少なり思考が乱れれば、手玉にも取りやすかろう。―――それに加えてな」
賢者がオークキングを指差す。
「現にああして、動きにくそうにしておるぞ」
腰を引き、もじもじと足をすり合わせるオークキングは、確かに気の毒になるぐらい戦いづらそうだった。