第15話 聖女カタリナは豚王の心中に思いを巡らす
「―――ちっ、何のつもりだ。魔物らしく、やっぱりオーガの味方に付くつもりか?」
勇者は掴まれた肩を揺すって振りほどこうとするも、さすがにオークキング相手に力では敵わず、首から上だけで振り向いて睨み付けた。
「人間のお前が出ていくと、捕まっている連中が人質にされるかもしれない。あいつらもそれぐらいの知恵は回す。俺なら、オークが相手なら、その心配もない」
「……まっ、その通りだな。言い争いをしている暇もねえし」
一瞬の逡巡の後、勇者が聖剣を鞘に納めた。
気が短いところはあるが、短慮ではない。根っからの冒険者であるからには、むしろ損得を秤にかけるのは得意分野だ。その秤に自身の命やプライドすら平然と乗せるほどに。オークキングとの戦闘に際して、自分ごと燃やすという作戦を立てたのも勇者当人なのだ。
オークキングは小さく肯き返すと、時間が惜しいとばかりにぱっと物陰から飛び出した。そして吠える。
「―――――っっっ!!!」
人間の怒号と豚の鳴き声が一体となったような、混沌―――混豚というべきか―――とした咆哮だ。思わず耳を塞ぎたくなるのを、カタリナは理性をもって耐える。
オーガ達はわずかな動揺の後、前へ出た。人質を使うどころか、せっかくの獲物を奪われまいとする動きだ。
人間達は―――すでに絶望に囚われきっているのか、これを機に逃げようともせず呆然と成り行きを見守るばかりだ。
「ブタやろうが、たった一匹でオレたちとやりあおうってのかっ」
オークを格下の魔物と侮っているのか。オークキングを囲むようにしながらも、素早く戦闘態勢を取ったオーガは1頭だけだった。
オーガ族の伝統的な得物である石斧を構え、角を前に突き出すような前傾姿勢だ。つまりは頭を相手に曝け出す形だが、オーガにとって常日頃からぶつけ合っている頭部は弱点ではなく、武器であり盾であった。両の角は決して鋭利と言えるような代物ではないが、オーガの力と合わされば板金鎧くらいは容易く貫く。そして角と一体化した頭蓋骨は厚く固く、膂力自慢のドワーフの戦鎚の一撃にも耐え得るものだ。
あのオークキングが負けるとは思わないが、大敵だった。オークの中にあってなお際立って大きなオークキングの巨体も、オーガと対するとそれほど目立たない。孤立無援で、どう戦うのか。オークと共闘などぞっとしないが、人間の命が掛かっている。いざとなれば援護に入るべきだろう。
「―――っっ!!」
オークキングはもう一声吠えると、石斧を構えたオーガを目掛けて突っ込んだ。
それは圧倒的で、一方的だった。
オークキングがオーガにぶつかると、赤褐色の巨体が天高く跳ね上がった。思わず残りのオーガ達が、そしてカタリナもそれを目で追う。
「―――ちっ、相変わらずオークとは思えない身ごなしをしやがる」
「さすがです、ご主人様っ」
勇者がぼやき、ケイが喝采を送る。二人の声と、落下してどしゃりと地面に激突したオーガの身体に導かれ、カタリナが視線を大地に戻した時には、残りの4体はすでに倒れていた。
「むっ、見逃したか」
「わっ、ご主人様、すごーいっ! 一瞬で4体も倒しちゃったっ」
賢者が悔やみ、ティアは歓声を上げる。
宙を舞った赤褐色の巨体に目を奪われず、しっかりとオークキングの戦いぶりを見届けたのは勇者とケイだけのようだ。
「…………出てきていいぞ」
オークキングはしばし鼻面を引くつかせるようにして周囲を伺った後、こちらへ手招きした。
「たいした早業、それに剛腕だな」
勇者は頭から地面に倒れ伏したオーガの角を掴んで、顔をもたげさせながら言う。
見ると額が陥没していた。それも角と角の間の、オーガの頭骨が最も厚い箇所だ。冒険者の指南書などでは、如何なる攻撃も無効とされる部位だった。
へこみは拳大というにはあまりに大き過ぎるが、ごつごつとした輪郭からしてオークキングの拳骨によるものだろう。撥ね飛ばされた最初の1頭以外は皆似たような倒れ方をしているから、他の3頭も同じく頭蓋を拳で砕かれたことが察せられた。
オークキングは肉体強化の加護を受けた勇者の剣をかわしきったのだから、見た目に反して機敏なのは理解していたが、腕力の方は見た目通りかそれ以上だ。
「何だってこんな面倒な倒し方を? さすがのお主も拳が痛むのではないか?」
賢者がオークキングの拳を興味深げに見つめながら言う。
「力加減を誤って殺しちまわないようにな。どこから来たのか、他に仲間がいるのか、その辺のことは聞き出しとかないといけないからな。オーガの額なら、少々力が入り過ぎても死ぬことはねえだろう」
「……死んでるぞ」
「……マジか」
勇者の一言で絶句したオークキングに代わって、ケイが素早く他のオーガの元を巡る。
中空に跳ね上げられた最初の1頭―――遠目にもねじくれた身体に息があるとは到底思えない―――には軽く目をくれるだけで、残り3頭の頭部を順繰りに持ち上げていく。
最後の1頭、やはり額をへこませたオーガの顔を確認して叫ぶ。
「―――大丈夫です、ご主人様っ。こちらのオーガはかろうじて息がございます。すぐに尋問を開始しますっ」
「あ、ああ。任せる」
「……お主、儂らを倒した時は繊細と言って良いほど完璧な力加減だったではないか」
「腹が立っていたからなぁ。ちょいと力を込めすぎちまったな」
オークキングが、妙に人間らしい仕草で豚鼻の頭を掻く。
半身を業火に焼き尽くされてなお平静を失わなかったこの魔物が、何か腹を立てるようなことがあっただろうか。まさか、無残に殺された人間達のため、などと言うことはあるまい。
「……あれは」
カタリナは視線を向けた屍の山の中に、人間のものより太く大きく、何より緑色の手足が混じっているのを見つけた。オークの兵士だ。
オーク王国領内の魔界に程近い村々の周辺には、常にオークの兵による哨戒網が張られているという。哨戒兵は侵入したオーガを捕捉した後、数体は伝令としてオークキングの元へと馳せ参じ、そして死骸がここにあるということは、残りのオークは人間を―――というよりも自分達の所有物を―――守るために戦ったということだろう。
―――なるほど。人間のためではなく、部下のオークのための憤りですか。
カタリナは訳もなくほっと胸を撫で下ろすと、すぐに自らの仕事に取り掛かる。
本当なら、しばし聖書の一節を暗唱して心の平衡を取り戻したいところだが―――勇者には悪い癖だと言われるが―――、今は時間がない。
「お怪我をしている方はこちらへ。ああっ、無理はなさらずに。動けない方はその場でお待ちくださいっ」
カタリナは説法で鍛えた声を広場に響かせた。