第14話 聖女カタリナは農村に豚を逐う
「こっちだ」
オークキングが、腰を折って這うようにして先導していく。
時折足をとめ、豚鼻を地面になすりつける様にしてふんふんと鳴らし、豚耳をぴんと逆立てている。そうしていると本当に巨大な豚のようだ。考えることは同じようで、勇者がふふっと場違いな笑みを漏らす。
「王自ら泥に塗れるか。なかなか立派な姿と言えるのではないかの?」
「へっ、豚だから泥遊びが好きなだけだろ」
賢者の言葉に勇者が反駁する。
確かに人間の王が民のために同じように振舞ったなら、類稀な聖君と称えられるべき行いだろう。しかし所詮は魔物である。カタリナとしては勇者に大いに賛同したいところだが、ケイが冷え冷えとした顔で睨んでいるので口を噤んだ。
とはいえオークキングの感覚は確かで、オーガに見咎められることなく村への侵入を果たすと、今は木造の似たような家並みが続く中を、物陰と物陰を縫うように着々と進んでいく。オークキングが進路を取る先は、おおよそ村の中心部のようだ。
「しかし、ずいぶん大きな村だな」
「ええ。丘の頂から見た感じですと、200から300戸はあるのではないでしょうか」
勇者の言葉に、カタリナは今度こそ賛同を示した。
聖女の常の役割は各地を巡り、神の愛を説き、時に奇跡をもって病める人々を癒すことである。故にカタリナはグランレイズの農村はほとんど隈なく行脚して回ったと自負している。
言うまでもなくグランレイズはこのオーク王国とは比較にもならない超大国である。人口は大陸全体の8割以上を占める。一方で、領土は残る1割余りの人々が暮らす南方諸国の総面積と大きな差はない。大陸の人口はグランレイズの有する肥沃な河内平原に集中しているためだ。しかしカタリナの訪れたグランレイズの農村の大半は50戸に満たない規模だった。また多くの村では家屋は田畑の中に点々と散らばっていた。しかしこの村は家々が一つ所に建ち並び、その周囲に広大な田畑が広がっている。“村”というよりも“街”の様相を呈していた。
「魔界からもあまり距離が無いし、おそらく自衛のためにまとまって暮らしているということではないかの? 村の外周も柵のようなもので覆われておったしのう」
「……ええ、この辺りの村は大抵この形態です」
賢者に視線を向けられ、ケイが答える。
「ふむ。相手がスライムや角狼程度であればそれで対処できようが、オーガとなるとそうはいかんだろうのう。犠牲が増えるだけになりかねんか」
話していられたのは、その辺りまでだった。
先頭を行くオークキングの脚が徐々に速まっていく。カタリナと賢者は付いていくだけで必死となった。やがて勇者やケイ、ハーフとはいえ身軽が身上のエルフのティアまで引き離されかけた時だ。
「―――止まれっ」
声を潜めながらも厳しい口調で叫ぶと、オークキングは通せんぼをするように両腕を広げた。
「なんだってんだ?」
「お、おいっ、見るな」
勇者は斟酌せず、オークキングの脇をすり抜け、物陰から顔を覗かせる。荒い息を整えながら、カタリナと賢者もそれに倣った。
「―――っ」
広場があった。村祭りなどの会場となる、村人達の憩いの場だろう。それが、凄惨な悲劇の舞台となっていた。
広場の中央付近に、裸にむかれた男女が二つに分かれて集められている。ちょうど左の集団から一人の女が呼び出されたところだった。オーガが女の頭の天辺からつま先までを眺め回し、小さく肯いた。女はほっとした顔で、右側の集団に加わっていく。
「……奴隷の選別かよ」
勇者が忌々し気に呟く。
オーガは人間を連れ去り、家畜を兼ねた奴隷とする習性をもつ。オークとは違いオーガは人との交配は不可能であるため繁殖用の母体にこそされないが、戯れに性処理に利用され、暴力を振るわれ、そして貪り食われるのだ。
性処理道具であり食料でもあるのだから、外見が好みに合う者や肉付きの良い者を選んで連れ帰ろうというのだろう。右がすでに奴隷に選ばれた集団で、左がこれから選別を受ける集団らしかった。
そして二つの集団の真中には、小山が一つあった。かつて人だった物の残骸で出来た山だ。山の麓には、先ほど女を選別したオーガが血に濡れた石斧を担いで立っている。つまり山は、オーガの御眼鏡に適わなかった者の行き着く先だろう。
阿鼻叫喚の惨劇と言いたいところだが、泣き叫ぶ気力も残っていない様子で、人々は悄然と佇んでいる。築かれた山には、粗末ながらも鎧をまとっている者も混じり、折れた槍なども突き出ていた。すでに必死の抵抗を終えた後なのだろう。
「オーガは、5体のようだの」
賢者が確認するようにあえて口に出した。山の麓で奴隷の選別をしているのが1頭、左右それぞれの集団に睨みを利かせているのが2頭ずつだ。
オーガ。
オークよりも一回り以上も大きく、頭に生えた二本の角と赤褐色の肌が特徴のヒト型魔物だ。ヒト型魔物の御多分に漏れず人語を解すが、気性は獣同然に獰猛で、よくオーガ同士で角をぶつけ合って喧嘩をする姿が目撃される。不仲ゆえの衝突を意味する“角を突き合わせる”という言葉の語源である。それが鍛錬にもなっているのだろう。肥満体のオークと比べると筋骨隆々としていて、討伐難度はずっと高い。
仮にグランレイズの主要都市近郊にオーガ5体が現れたなら、完全武装の兵士200人が入念な作戦の下で出陣するだろう。
「賢者様、聖女様、援護を」
勇者が硬質な声で言い、聖剣を抜き放った。
瞳を爛々と輝かせ、髪の毛を逆立てている。比喩ではない。怒気や闘志を燃え上がらせた時、勇者は全身でそれを表現する。たいていの場合その引き金はとなるのは義憤であり、カタリナはひそかにこの状態を勇者モードと呼んでいた。こうなった勇者はもう誰にも止められない―――
「待て」
―――はずが、巨大な緑色の手が後ろからがっしりと勇者の肩を掴んでいた。