第13話 聖女カタリナはさらに思い悩む
「助かった」
ケイに案内され、庭園の一角に建てられた倉庫に裸婦画と木箱を納めると、賢者がぺこりと頭を下げた。
「構いません。その代わり―――」
「うむ、分かっておるわ。あやつの性欲に関しての調査結果は、後程まとめてお主にも渡すとしよう」
賢者とケイが肯き合い、がっしりと手を取り合う。
最近、メイド達の賢者に対する態度が少しずつ軟化しつつある。魔術でオークキングを燃やした当人であるし、それを抜きにしてもオークキングに対する言動は勇者以上に酷いものがあるが、賢者の悪意の無さ―――それだけに時に厄介だったりするのだが―――が、理解されつつあるのだろう。
「それにしてもオークの裸婦画なんてもの、よく手に入ったな」
小走りで城門へ向かいながら、勇者が問う。
「ほれ、よく庭園で絵を描いたり、木彫りや革細工などをしているリトルフットの女子がおるだろう。彼女にお願いした」
「ああ、いたな」
カタリナも信徒から、教会のステンドグラスやT字架を作ったのが彼女だと聞かされていた。本人は聖心教の信徒ではないため礼拝に訪れたことはなく、話したことはまだない。大陸に暮らす大半の人間が信ずる聖心教だが、亜人で信仰する者は稀だ。
「ドロシー様ですね。……吹っ掛けられませんでしたか?」
先導するケイが躊躇いがちに問う。
「やはりあれは法外な値だったのかの? 絵画の相場など分からぬから、言われるままに払ってしまったが」
「いくら払ったんだよ」
「ふむ。三枚で―――」
「なっ」
「それは」
「はぁ」
賢者の答えに勇者とカタリナが息を呑み、ケイが溜め息を溢す。家の一軒くらいは余裕で建てられるような額だった。
「そんなにおかしな値であったか? あの娘はグランレイズの宮廷画家に頼めばその倍はする。自分もオーク王国の宮廷画家のようなものだから、その辺りが相場だと言っておったが」
「そりゃあ、グランレイズの宮廷画家なんてのは、あたしだって名前を知ってるような超大物だからな」
「ふむ、しかし所詮は人間の画家であろう? リトルフットの画家が描いたあの精緻な絵が、人間の作品に劣るものとは思えぬが」
リトルフット(小人族)は人間の半分ほどの身長をした小型の亜人である。背丈はドワーフと等しいが濃い体毛と屈強な肉体を持つ彼らとは異なり、外見上はほとんど特徴らしい特徴を持たない。人間をそのまま小さくしたような亜人である。力は弱いが指先の器用さはドワーフをも凌ぎ、鍛冶や石工を得意とするドワーフに対して、絵画や木工、皮細工などに才を発揮する。
「そりゃあそうかもしれないけど。芸術品の価値なんてもんは、結局は誰の作品かで決まるようなところがあってさ」
「なら問題あるまい。あの娘は、自分はリトルフットの美人画家として歴史に名を残すから、いずれ十倍にも百倍にも値が跳ね上がると言っておったぞ」
「……まあ、賢者様が自分の金を何に使おうと、あたしがケチを付ける筋合いはないんだけどよ」
勇者が溜め息交じりに言う。
特殊な出自―――世俗からほとんど隔絶された幼少期を過ごし、長じては好奇心の赴くままにその人類最高の頭脳に知識を詰め込んだ―――が故に、賢者はある面では並ぶ者がないほどに博識で、ある面では道理も通じぬほどに無知だった。
後宮の人間の不始末にカタリナがケイに咎めるような視線を向けると、さすがに思うところがあったのか言い訳するように口を開いた。
「元々は純朴な方だったのですが、城下に作品を卸すようになってから人が変わりまして。御自身の作品の価値に気付いたと言えば、聞こえはいいのですが」
やはりこの後宮は人を狂わせる。カタリナは頭を振り、天を仰いだ。
嘆きながらも足は止めずに城を抜け、城門へと到着した。折良く、6頭立ての幌馬車にちょうど馬が繋ぎ終えられたところだった。
「あら、皆さんが行って下さるのですね」
クローリスが恭しく頭を下げる。御者台にちょこんと座っているのはティアだ。
「立派な馬車だが全員、というかお主は乗れるのか?」
賢者が馬車の横に立つオークキングを見上げて言う。
大きいのは分かっていたが、馬車と比較するとその巨体をより確かなものとして実感させられる。頭頂部は幌馬車の屋根の高さと変わらない。
「無理をすれば乗れないこともないが、今回は止めておく。6頭立てでも俺が乗ると速度が出ないからな」
「では、お主はどうやって?」
「決まっている」
オークキングが得意げに見えなくもない顔で、鼻を鳴らした。
1鐘後―――鐘は日の出から日の入りまでを12に分けた時間単位。教会で時報として鐘を鳴らしたことに由来する―――、すでに馬車は目的の村の程近くまで迫っていた。
幌の中にはカタリナと勇者に賢者、ケイ。御者台にはティア。そしてカタリナは極力視線を向けないようにしているが、それでもなお幌の隙間からちらちらと覗く異様に存在感のある緑色の巨体。
馬車の外を、オークキングが走っていた。二足歩行の豚の化け物が、6頭立ての馬車と同じ速さで並走している。何とも言えない光景だ。
「持久戦に持ち込めば有利だろうと考えていたんだが、そうもいかないみたいだな」
勇者がオークキングを冷静な目で見つめる。
「キング亜種はエネルギー消費が激しい身体とされておるが、そこは魔物、というか野生の生き物だの。そもそも貯蔵している量が人とは違う。特にオークというのは“これ”があるしの」
賢者は言いながらぽんぽんと自分のお腹を叩いた。
オークキングはブヒブヒとさすがに鼻息を荒げながらも、少しも速度を緩めることなく、1鍾の間(=約1時間)走り続けている。しかも背中には、その巨体にも負けない大荷物まで担いでいた。馬車に積みきれなかった救援物資だ。毛布や食料に加えて、清潔な水を詰めた樽まで3つもある。人間ならどんな力自慢でも持ち上げることすら出来ないだろう。
魔物なのだから化け物じみているのも、人間離れしているのも当然だが、このオークキングの身体能力を一体何と言い表したものか。
「……化け物離れ、とでも言うのでしょうか?」
「ほう、なかなか的確な表現だの。使わせてもらおう」
カタリナの呟きに、賢者はうんうんと二度三度肯くと、ローブから紙束を取り出し筆を走らせた。
賢者は冒険をしながらも、見聞きしたことを元に新たな魔術の活用法を考案したり、魔物の生態をまとめたりして、定期的に塔へ論文として提出している。故にそこを去って5年が過ぎた今も、塔所属の最高の魔術師“賢者”の称号を保持し続けているのだ。
「100万豚力ってのは?」
「語呂が悪い。不採用」
「くそっ、じゃあ―――」
勇者と賢者がわいのわいのと騒ぎ始める。
5年間冒険を共にしたこの二人の仲は、時にカタリナに孤独を感じさせる。勇者が大岩に突き立った聖剣を引き抜いた瞬間に立ち会い、それ以来の縁が続いているが、常に行動を共にしてきたわけではない。自分には聖女として人々を導き、癒す役目があったのだ。
やがて村まで丘を1つ残した位置で馬車が停まり、オークキングが地面に荷を下ろした。ここからは慎重に歩いていくことになる。
「……ティアさん、ありがとうございました」
「あっ、うん、カタリナさん。―――あっ、ご主人様、待ってよっ」
カタリナが頭を下げると、ティアは逃げるように先頭を行くオークキングの後を追っていった。
気持ちは分からないではない。カタリナがただの冒険者としての神官――― 一般的な信徒よりは信仰心に篤いが、あくまで神聖魔法修得のために聖職に就いた者達―――ではなく、聖女の認定を受けた本物の高位聖職者であると知ったためだろう。
聖心教の聖書には人間は神の現身であり、亜人は神の創りたもうた人間の兄弟、と記されている。つまり亜人を人間より一段下の存在と見ているのだ。
そしてハーフエルフら半亜人に関しては、宗教家によって多少解釈の分かれるところではあるが、人類の誤った営みの産物、あるいは神のお目こぼしと見なされていた。神の定めた自然の摂理は人間と人間、エルフとエルフ、ドワーフとドワーフ、リトルフットとリトルフットの婚姻であり、ゆえに神は人間を村里に、エルフを森林に、ドワーフを穴倉に、リトルフットを草原へと分かれ住まわせた、と聖心教では理解されているためだ。
「はぁ、上手くいかないものですね」
幼く純粋な精神を持つあのハーフエルフの少女こそ、カタリナにとって何より真っ先にオークキングの呪縛から解き放つべき対象である。しかしその道程は険しそうだった。
当作品をお読みいただき、ありがとうございます。
ちょっとお知らせを。
権利関係の問題を失念していて、前回までは小型の亜人にホ〇ットという呼称を使っていたのですが、今回からリトルフット(“小さな足”の意)と改めました。ハーフリングという呼称が代用としては一般的ですが、メインキャラにハーフエルフ娘がいるので紛らわしさを回避するため、実在する化石人類の名前から取りました。すでに投降済みの部分も修正しておりますが、もし修正漏れがあるようでしたら御指摘頂けると助かります。