エピローグ ボクっ子ハーフエルフ(元メイド)は旧友と酒を酌み交わす
「君、アシュレイの家系かい?」
懐かしい毛並みに思わず声を掛けた。
「え、ええ。良くお分かりで」
「そりゃあ、その毛色は他にあり得ないもの。―――あっ、マスター、賢者様のエールって置いてる? あっ、やっぱりあるんだ。じゃあ、それ一つ」
酒場内を見渡しても、待ち人の姿はまだなかった。てっきり彼女のことだから先にはじめていると思ったのだが。
カウンターで一人飲んでいた“赤毛”のオークの隣に、勝手に腰を下ろす。
オークと異種族の間の子に、異種族側の形質が受け継がれることは基本的にない。例外は魔王譲りのダークオーク達の体色と、あの勇者譲りのこの体毛である。
勇者とはいえただの人間の形質がオークに受け継がれたことに、当時の賢者も首を捻っていたものだ。
ともあれ、今では自分の血縁でさえ他のオークとの区別など付かないのだが、腹立たしいことにあの勇者の血統だけははっきりと分かる。
「しかし、こんなところでアシュレイの子孫に会うとは思わなかったなぁ。こっちにはいつから?」
「ええと、祖父の代からです」
「おじいさんの代。というと、ひょっとしてロンガム河の大橋の再建の時かな?」
「ええ、祖父はグランレイズ側の工事に棟梁の一人として参加して、それで帝都に住居を与えられたそうです」
ロンガム河に架けられた大橋は、建設後わずか十年ほどで一度崩壊している。
大陸南方に魔界が広がるように、北方には“異界”と呼ばれる摩訶不思議な領域が存在する。
その異界から突如姿を現した異生物によって、グランレイズの帝都が陥落させられる一大事件が起こったのだ。
南方諸国の民がグランレイズに避難するために作られた橋は、逆にグランレイズの民が南方に逃げ込むために使われることとなった。そして南方への異生物の侵攻を防ぐため、橋は落とされたのだ。
ダークオークの大繁殖に並ぶ、いや、むしろそれ以上の人類の危機であった。
王―――当時はすでに退位して一介のオークという立場を取っていた―――と、勇者一行―――こちらもすでに冒険者稼業は半ば引退していた―――、それに魔王までが参戦しての大立ち回りの末に平和が取り戻されるわけだが、まあ、それはまた別の話だ。
何にせよ、その時崩壊した橋はその後長らく再建されることはなかった。
帝都の復興が何よりの急務であり、故に後回しにされ、人民や物資の輸送のためには水運が大いに活用され、発展した。結果、都市の再建が完了する頃には橋は不要とされたのだ。
しかし近年になって、魔導具の発達によって馬を必要としない大型の輸送車が一般化し、陸路の需要が高まった。
そこでグランレイズとオーク王国の国交樹立二百周年、橋の建設からもちょうど二百年目に当たる年に、両国間で再建が決められた。
一度目のような突貫工事ではなく数年がかりの大事業である。この際に多くのオーク達が工夫としてグランレイズに移り住むことになったし、逆に塔の魔術師で南方で暮らすようになった者も少なくない。
「へー、じゃあおじいさんの代からずっと帝都に?」
「いえ。親父は家を出て、北方で開墾を。で、親父の土地は兄貴が継ぎましたので、俺は商売でも始めようと思って、祖父の伝手を頼って帝都にやってきたばかりです」
「へえ、商人かぁ」
オークが商人など昔は考えられもしない話だった。いや、そもそも人間の土地に移住などと言うことからあり得ない。
この二百年余りで世界は大きく変わった。
「―――?」
一瞬、酒場の入り口の辺りがざわめいた。
振り返ると、きょろきょろと視線をさまよわせる懐かしい顔が扉の前に立っていた。
「おーい、こっちこっち」
すっかり色褪せた形見のとんがり帽子を脱ぎ、こちらも久方ぶりに見せる顔を示しながら呼び掛けた。
「マスター、いつもの」
少女はすぐに気付いてこちらへやって来ると、慣れた様子で注文しながら空いたもう一方の隣席に腰を下ろした。
「もうっ、アニエス、遅刻だよっ」
「時間ぴったりのはずだけどな」
台詞と同時に、ゴーンゴーンとちょうど約束の時刻を告げる教会の鐘が聞こえて来た。
「ほーらみろ」
「でも、アニエスのことだからてっきり先にはじめてるものかと」
「へっ、私だってたまには素面で登場くらいするさ。例えば、久方ぶりに会う友人との待ち合わせなんかにはな」
「らしくないこと言っちゃって」
そこでアニエスのいつもの―――賢者様のエールがカウンターに置かれた。
こちらも注文したきりでまだ口を付けていなかった同じものを手に取る。
「再会に」
「乾杯っ!」
刺激的な液体を喉に流し込む。旅先で飲む故国の酒と言うのは良いものだ。
昔は強くもなければそれほど好んでいたわけでもない酒だが、長く生きているとこんなものに頼りたくなる夜もあり、最近ではすっかり飲むのが当たり前になっている。
毎日毎日暇さえあれば飲んだくれていたアニエスの気持ちが、今はほんの少しだけ分かる。
「―――あ、あのっ、予言者アニエス様ですよね?」
赤毛オークが緊張した面持ちで問う。
「うん? そうだが」
あの日、オーク達やグランレイズ兵三万の前でその不死の肉体を露見させることとなったアニエスは、それを機に正体を公表した。
以来、絵画に描かれ像に彫られ、果ては硬貨に刻まれた。本人も見た目だけなら聖少女のイメージそのものであるから、美化も誇張もなく正確な絵姿が広く知れ渡ることとなった。
酒場には赤毛オークの他にも、ちらちらとこちらを伺う者達がいた。
とはいえそれもほんの一部で、残りは慣れた様子で目も向けない。アニエス指定の待ち合わせ場所だけあって馴染みの店なのだろうし、帝都の飲み屋ではありふれた光景なのだろう。
「ほ、本当に、こうして酒場などに御姿をお見せになるのですね」
要するに興味津々の赤毛オークや一部の者たちは“お上りさん”というわけだ。
「お前の連れか?」
「連れってわけじゃないんだけど。……まあでも、言ってみれば親戚の子供みたいなものかな」
「親戚の子供? ……ああ、そうか。赤毛だもんな」
そこで赤毛オークがはっとした顔で、まじまじとこちらを見つめてくる。
被り直したとんがり帽子からのぞく金髪と、幅広のつばと喧嘩をする長い耳を。
「ひょっ、ひょっとして、あなたは“寵妃”ティア様?」
「へへー、バレた?」
アニエスの登場、そしてその後のやり取りで察するところがあったのだろう。
「こ、これは失礼いたしました」
赤毛のオークはがばと席を立つと、そのまま酒場の床へ跪こうとする。
「ちょっとちょっと、お忍びなんだから、目立つのはやめて。ほら、座った座った」
慌てて押し留め、席へ戻す。
「し、失礼いたします」
赤毛のオークは膝をぴっちり合わせ、小さくなってちょこんと座る。
「もうっ、アシュレイの血筋なら身内みたいなもんなんだから、そんなに硬くならないの。親戚のおばちゃん程度に思ってくれていいから」
「いや、さすがにそういうわけには」
人間と比べてもさらに世代交代の早いオークであるから、この赤毛オークは王とアシュレイから数えて十数代は離れている。自身が王族に連なるなんて意識は失われて久しいのだろう。
「ところで、前に会ったのはいつだったっけ、アニエス?」
「あーと、あれじゃねえか。オークが初めてうちの司祭になるってんで、祝ったことがあったろう。あの時じゃないか?」
「あー、そっかそっか。あれ、でも塔の魔術師になった子のお祝いの方が最近じゃない? ほら、ご主人様が籍だけ持ってたから、それ以来の快挙って言って」
「あー、そうだったっけ? あれって確か三十年くらい前だったよな?」
「もう、ぼけちゃって。あんなのもっと昔でしょう」
ちなみに前者は聖女の、後者は賢者の後裔である。
「……あの」
赤毛オークがおずおずと口を開く。
「オークが塔に採用されたのは、五十年ほど前になります」
「ほら、やっぱり」
「ちっ」
「ただ、オークが初めて司祭様に就任したのはもっと最近で、そちらが確かおおよそ三十年前だったかと」
「へへん」
「むむっ」
したり顔を返された。
「それにしても君、詳しいね」
「教会で習いましたので」
「あー、なるほど」
王が在位中最後に手掛けた施策だ。
元々教会では周辺の子供達を集めて読み書きを教えるというようなことをしていた。当然教材は聖書であり布教活動の一環なわけだが、これに幼児期のオークの出席を義務付けたのだ。
一部の聖心教関係者からは当然不満と不安の声も出たが、神と対話した存在に予言者アニエスの後押しまであれば逆らえる人間などいなかった。
オーク達に人間の常識を教え込むと言うのが王の一番の目的だが、幼少時からの触れ合いは人間とオークの垣根を取り払い、今日の共存の礎ともなった。
当初はオーク王国内に限った話だったが、オークの他国への移住が進んだ今では大陸中で行われるようになっている。勉学の内容も単純な読み書きだけでなく、人とオークの歴史なども教えられるらしい。
「しっかし、三十年ぶりかぁ。……お前はほんと変わらねえな」
「アニエスにだけは言われたくないよ。というか、数十年ごとにキャラ変えるって話はどうなったの? 結局他のキャラを見た覚えがないんだけど」
「いやぁ、もう全人類に知られちまったわけだし、これでいっかなって。長く生きてるとこの適当なのが楽でなぁ」
「まあ、ボクもそれなりに長生きしてるから、それは分からないでもないけど」
「へへっ、そうだろ。まっ、変わらないのはお互いさまってことか。―――ああでも、お前は髪だけはずいぶん変わったなぁ。昔は毎日髪型を変えるお洒落さんだったのに、今はなんつーか、アシュレイみたいだぞ」
アニエスはとんがり帽子を取り上げながら言う。
「むっ、失礼な。あそこまでぼさぼさじゃないよっ」
髪型を整えてくれるクローリスがいなくなって、すっかり無頓着になっているのは否定しないが。
クローリスが亡くなって、百数十年が経過している。自分を除けば“王の女”の中では一番長く生きた。
すでにひ孫の代になっていた国王の元、国を挙げての葬式となった。
政との係わりを避け、良き母、良き祖母、良き従者であり続けたクローリスだが、彼女の存在無くして人間とオークの共存がここまで上手く続くこともなかっただろう。
「それにしても、勇者達はともかく、お前ら三人はあいつが死んだら後でも追うんじゃねえかと心配したもんだが、二人ともしっかり人生を全うし、お前はこうして旅をはじめて百ウン十年か」
ちょうど似たようなことでも思い出したのか、アニエスが感慨深げに言う。
「ご主人様の最後のお願いだもん。お母さんには、子供や孫達を頼むって。ケイには、国のことを。そしてボクにはオークと人間の世界の行く末を見届けて欲しいって」
「そうだったな」
「―――まあでも、ボクもそろそろかな」
アニエスがじっと見つめてくる。
以前ほど鮮やかさがなくなった金髪が少し恥ずかしく思えて、指先で毛先を弄んだ。
エルフの寿命はおおよそ五百年。ハーフエルフはだいたいその半分だ。
―――あの逞しい両腕に抱きしめられて、鼻先でぐりぐり頭を撫でられたい。
それももうすぐ叶う。
王は言っていた。自分の魂は聖心教の神様の元にも、エルフが言うところの森の精霊様の元へも帰ることはない。だからいつまでだって待っているよと。
ならば死は、ティアにとって喜びでしかない。
ただ、一つ気掛かりがあるとすれば―――
「……そうか。それで急に連絡をくれたのか」
「そういうこと。…………ごめんね」
「あん? 何を謝ってやがる?」
「あなたほどじゃないけど、ボクも残される者の悲しみってのは味わい尽くしてきたからね」
「ああ、そんなことかよ。心配すんな、そんなもん慣れっこだ。―――それに私もそろそろ逝けそうだ」
「えっ、そうなの?」
「ああ。そう言えばお前には、つーか誰にも話してなかったな、私の見た予知の話」
「例の、自分が死ぬ瞬間ってやつ?」
「ああ」
「……あのぅ」
そこで赤毛のオークが口を挟む。
「俺はここでその話を聞いていて良いもんなのでしょうか?」
「ははっ、構わねえ構わねえ。せっかくだ、聞いてけ。…………あの日見た予知は、天蓋付きの立派な寝台に横になっててよ。それで静かに息を引き取るわけだ。周りには私を心配する連中がたっくさんいて、―――で、そんなかに何個がオークの顔が混じってるんだな」
「それって要するに、……普通に大往生ってこと?」
「まっ、そうなんだけどよ。私がこの予知を見たのは、まさに人間が生き残りを賭してオークとやり合ってたころなんだぜ。いったい何を見ちまったのか、そりゃあ困惑したさ」
「ああ、そっか。それで、人間とオークが仲良くなったもんだから、そろそろ逝けそうだって?」
「おう。聖心教にもオークの神官がいるくらいだからな」
「ふ~ん。……あれ? じゃあもしかして、アニエスがご主人様に妙に協力的だったのって、まさか死ぬため?」
「ははっ、まさか。聖心教じゃ自殺は禁止だぜ。毎度毎度、良い方に良い方に、旨い酒が飲めそうな方に転がっていったら、こうなったってだけの話さ」
「まっ、アニエスだもん、そりゃそっか」
「お前な、ちょっとは否定しろよ」
心残りが一つ、晴れた気がした。
大盛り上がりで宴の夜は更け、ぐでんぐでんに酔い潰れたティアとアニエスは酒場二階の宿へと運び込まれた。
女二人を軽々抱え上げた赤毛オークの腕は、やはり王ほど逞しくはなかった。
ここまでお付き合い頂きありがとうございました。
オークキングの物語、これにてひとまず完結となります。
ファンタジー系の作品は今回初めて書いてみたのですが、書き始めてみると面白く、自分自身すっかりハマってしまいました。
そしていざ書き終わってみるとちょっと作品と別れ難い気持ちまでわいてきて、同一世界観で前日譚など投稿しますので、宜しければそちらもどうぞ(↓のマイページの作品リストから飛べます、タイトルはまあ一目瞭然)。
普通に清らかな聖少女時代のアニエスと初代勇者のお話です。
同じく本日から連載を開始した新作の方をメインで書き進めますの、更新頻度は隔週くらいになってしまうと思いますが。
ではまたどこかでお会いしましょう。