第34話 オークキングは深いため息をこぼす
―――殺して、殺して、殺しまくった。
人間とオーク達には人語で伏せるように命じ、賢者から教わった“こちらを見ろ”と言う魔界語を叫ぶと、聖鏡から幕を取り払った。
本能的にオークキングの言葉には抗えないのか、あるいは魔界生まれで純朴ということか。ダークオーク達はバタバタと倒れていった。
城内に侵入したダークオークを殲滅すると、崩壊した城壁から外へ出て残りの連中も。
当然多少の討ち漏らしはあり、逃げ出すものも出たが、後を追って一頭残らず聖鏡に映し取った。
奪った命は総勢一万。いや、雌オーク達の腹の仔も数えればさらにその数倍にも膨れ上がるだろう。
「―――っ! ――――っ! ――――――っっ!!」
駐屯地の前に戻ると、歓呼を持って迎えられた。
城壁上には人間とオークの兵が一緒くたになってびっちりと並び、拳や棍棒、剣を突き上げている。
「ご主人様、ご無事ですか?」
「おいおい、大丈夫かよ?」
城門からケイ達が駆け出してくる。
よほどおかしな顔色をしているのか、ケイや勇者はおろか賢者まで気遣わしげに覗き込んできた。
「心配するな、こいつのお陰で気楽なもんだったぜ」
言いつつ、さすがに立っていられず崩れるように座り込んだ。
戦場で一万の敵兵を討ち取った指揮官はいても、その全てに直接手を下した者などいないだろう。まして全員が血縁者だ。
聖鏡のお陰で殺したという印象が薄い方法を取れたのは幸いだった。でなければ身体も、そして心も今以上に疲弊していただろう。
抱えていた聖鏡を、隣の地面に降ろす。被せ直した幕がまくれてしまわないように細心の注意を払いながら。
「――――。―――――。“完全回復”」
「ありがとう、聖女」
少なくとも身体の方は奇跡によって即座に癒された。
「陛下、申し訳ありません。牙は―――」
「良いさ。正直飯を食う時に邪魔なだけだったしな」
角折れのドラゴンの角と同じで、抜けてしまった牙を継ぎ直すことは聖女の奇跡でも難しいらしい。
「それで、その、こちらなのですけど」
おずおずと差し出されたのはその抜け落ちた牙だ。王がダークオーク達と戦っている間に回収されたらしい。
我ながら立派なもので、人間の大腿骨ほどもある。
「その、い、頂いても?」
「ん? ああ、別に構わないぜ」
一度受け取った牙を聖女に突き返す。
「ありがとうございますっ! 我が聖堂の至宝と致しますっ!」
「……お、おう」
聖女はぎゅっと胸に牙を抱きしめる。
自分の体の一部が祀られている光景を想像すると正直ぞっとしないが、やっぱり返してくれとは言い出し難い様子だ。
「まてまて、聖女。それなら儂にもいくらか融通してくれぬか? オークキングの牙であれば良い魔導具の材料となるであろう。……魔王城でこやつの姉の亡骸からサンプルを回収するのは、さすがに気が引けての」
「なっ。これは宝物として教会で厳重に保管させて頂きますっ。魔導具の材料にするなんてとんでもないっ」
「いやいや、ただ眠らせておくなどもったいないではないか。さあ、勇者、半分に切ってくれっ」
「いけません。勇者様も、何を聖剣を抜いているのですかっ!?」
「いやあ、せっかくだから記念にあたしも一欠片頂いとこうかなって」
「むっ。それが有りなら私も一つ貰おうか。というより、ご主人様のお身体の一部なのだから、誰よりもまず正妃である私に権利がある」
勇者達が馬鹿らしい言い争いを始めた。
ぼうっと眺めていると、心の方もいくぶん慰められていく。
自分の牙の所有権を争っているのだと思うといたたまれない気分でもあるが。
「―――で、なんだって聖鏡がここにあるんだよ?」
アニエスもやって来て問う。
まだ全裸のままだったらしく、レオンハルトとトリッシュがマントか何かの布を被せ掛けている。
「グランレイズに援軍を頼みに行った時に、奥の手として貸して欲しいって猊下にお願いしてな」
「ほう、よくもグレゴールのやつが認めたもんだ。正真正銘うちの至宝だぞ」
聖心教最大の聖遺物であり、加えて非常に危険な品でもあった。本来は教皇領の大聖堂に安置されていなければならないものだ。
「“貸し出しなど前例がなくありえないことですが、陛下は唯一聖鏡を扱える存在。であれば聖剣が勇者の手にあるように、聖鏡もまた陛下の元にあるのが正しいとも言えるでしょう。故に内密にお貸しします”ってさ」
教皇の口調を真似て答える。
勇者達の協力を得られていなければ、本当は魔王城にも抱えていくつもりでいた。もし魔界で失われるような事があれば大問題で教皇の首が飛びかねない。だから内密に、だ。
とはいえこれだけ目立ってしまっては今さら隠蔽のしようもないが、同時にこれだけ戦果をあげたのだからもはや問題にもならないだろう。
人類の窮地を救った英断であり、教皇の功績として称えられることになるはずだ。
「ああ、そうそう。もう一言、本音も漏らしていたな。“私は一度これで命を落としていますので、正直あまり手元に置いておきたくはないのです”ってな」
「はっ、なるほどね」
「あっ、あの、もしかして我々が運んできた荷ですか?」
「ああ、助かったぜ。俺が運ぶと目立ち過ぎるからな」
頷き返すと、レオンハルトは顔を青ざめさせた。
何も聞かされず聖心教の至宝を運ばされていたのだから、敬虔な信徒としては当然の反応だろう。
「さて、とりあえずこいつは一度聖堂に戻すと、―――っ!? なんだ?」
腰を上げた瞬間、眩い光に襲われた。
ダークオークの骸で見渡す限り紫で覆われていた大地が、今度は暴力的なまでの白に包まれていく。
光源は、―――聖鏡だ。ぶ厚いビロード越しにも直視出来ない、強烈な光。
「…………誰だ?」
視界も効かない白の中、すぐ隣りに何者かの存在を感じた。
「――――。―――――」
返答は頭の中に直接響いた。
人語ではなく、魔界語とも響きが異なる。と言うより、そもそも言語ですらなく何か曖昧な音のようなもの。しかし不思議と意味は理解できた。
「造物主様なのですか?」
「か、神様だって?」
この不思議な“声”は、王だけに聞こえているわけではないらしい。
周囲の者達はもちろん、兵たちの中からも戸惑いが漏れる。
「造物主様、いったい何用あってこの地にご降臨頂けたのでしょうか?」
「―――――――。―――。―――――」
王が問うと答えが返って来た。どうやら対話相手として選ばれたらしい。
造物主は理由があって降臨したのではないと言う。
その聖心を分け与えた存在の魂魄が、一度に大量に聖鏡によって吸い取られた。つまりこの地に造物主の精神の一部が集結した。故に顕現が可能となり、“気まぐれ”で姿を見せたのだという。
「であれば私は、貴方様が聖心をお分けになった尊き存在を、あまりにも多く屠ったということになります。私にお声掛け下さったのは、その罪を罰するためでしょうか?」
「――――――。――――」
そのようなものに頓着しないと言う。
「では何用あってこの私に?」
「――――――――――。――――――――」
造物主の答えは二つ。
一つ。少し変わった魂の持ち主故に話し掛けた。
もう一つ。せっかく降臨したのだし、気まぐれついでにこの地の王の願いを聞き届けよう。
ざわざわと周囲が色めき立った。
造物主に直接願いを叶えてもらえるなど、人間にとってあり得るはずもない名誉であり、夢のような話だろう。
「では、この戦いで失われた我が方の兵を蘇らせて頂けますか?」
真っ先に思い浮かんだのはやはりそれだった。
「――――。――――――」
断られた。
顕現の際に、聖鏡に吸われた魂だけでなくこの地で死したばかりの魂をもその身に集め、混じり合わせたという。
すでに人もオークもダークオークも、全ての魂は渾然一体となってその身を形作っており、人とオークの命だけを選んで元の持ち主へ戻すのは不可能ということらしい。
「そうですか。では…………」
他の望みはすぐには思い付かなかった。
些細な願いなら、いくつも浮かんでくる。
“王冠を新調する”とか“ダークオークの亡骸の処理”とか“今晩は久しぶりにクローリスの手料理が食べたい”とか。
しかし神様に叶えてもらわなければならないような願いは見つからない。要するに、自分はこれ以上望むべくもないほど幸せな男なのだろう。
「―――――。――――」
迷っていると、造物主の方から提案された。
「おっ、俺の身体を人に作り替えることが出来るのですかっ?」
「―――――――」
魂をそのままに外見を作り替える程度は容易いと言う。
―――オークキングの身体を捨てて人間になる。
言葉にしてみれば、それは悲願だった。とっくの昔に諦め、あるいは最初から不可能と断じて胸の奥にしまい込んだ願いだ。
前世の記憶を取り戻したあの日、どれだけオークの我が身を恥じ、呪ったことか。
「そ、それでは、お願―――」
―――ご主人様似の子ですねっ。
瞬間、あの夜のクローリスの言葉が蘇る。
彼女は今まさに、そのオークの子を身籠っているのだ。
「…………はあぁぁぁぁ」
ため息を、深くて長いため息を一つ。それで迷いを振り払う。
「ご提案は有難いのですが、お受けするわけにはいきません」
「―――」
造物主は特に気にした様子もなく、そうかとだけ答えると沈黙した。
それ以上の提案は特にないらしい。王の最大の望みを読み取ったと言うことなのだろうか。
「―――ああ、そうだ。では、このように御姿をお見せになるのは、これを最後として頂けますか?」
「へ、陛下、何をっ!?」
造物主に対するあまりに失礼な発言に、さすがに聖女が声を上げ、兵達もざわめいた。
「――?」
「理由ですか? 要らぬ争いを避けるためです。聖鏡に多くの命を捧げれば造物主様に拝謁がかなう、それも願いまで叶えてもらえるとあっては、間違いなく争いの元になりましょう」
再び、周囲がざわついた。
言葉にしてしまえば、誰しも容易に想像の付く未来だ。
「――――――」
確かに軽率だったと、なんと造物主が謝罪のようなものを口にする。
「出過ぎた口をお利きしました」
「――――――――」
今日は面白い魂と出会えた。
その言葉を最後に、白の光が引いていく。
大地は土の色とダークオークの亡骸の紫を取り戻し、人々の顔も見て取れるようになった。
「…………、――――――っっ!! ――――っ!」
ややあって造物主を、いやむしろ王を称える大歓声が巻き起こった。
聖堂騎士のレオンハルトはもちろん、あまり熱心な信徒とは言えないケイや勇者、信仰心の欠片もないような賢者までが身を震わせている。
「ああっ、やはり陛下は救世主様の御再来っ!」
当然の如く、一番盛り上がっているのは聖女だ。滂沱と涙をこぼし続けている。
神と対峙し言葉を交わした存在など、かつて神器を下されたという救世主以来ということになるのだろう。
「……オークをやめる最初で最後の機会だったんだろうなぁ、はあぁぁ」
周囲の興奮をよそに、未練がましくも王はもう一度深いため息をこぼした。
次回、本編最終回です(アフターストーリー的なエピローグがその後もう1話続きます)。




