第31話 二人の王は対峙する
「ふうっ、やったかの?」
最大火力にして魔力消費も最大の熱線を放射し終えると、虚脱した様子で賢者が問う。
ぐらりと今にも傾げそうな身体を、王は慌てて腕を伸ばし支えた。
「いや、跳び退くのが見えた。恐ろしく速ええ。あれがダークオークキングで間違いなさそうだな。―――おいっ」
勇者は角折れのドラゴンの首筋をぽんと叩き、混乱する戦場に着地させる。
賢者の魔術の余波で大気はゆらゆらと歪み、粉塵が舞い上がり視界が効かない。
「むう、ダークオークキングの近くにいたのはアニエスであったな。超集束にしたのは失敗だったか。火焔砲をそのまま放つか、せめて集束にしてまとめて焼き払ってしてしまうべきであったの」
先に下馬―――下竜した王に抱き下ろされながら、賢者が言う。
「おい、聞こえてんぞっ。というか、普通にだいぶ焦げたわっ!」
「ええーと、何をやってるんだ、それは?」
王は足元のアニエスに目を向ける。
生首、ではなく首から下が地面に完全に埋まっているようだ。
「抜けねえんだよっ。さっさと掘り出してくれ。ああ、いや、それもめんどくせえか。勇者、スパッとやっちまってくれ」
「ええー、いまさらあんたの首なんて刎ねたくねえんだけどなぁ」
言いつつも勇者は躊躇なく聖剣を振るう。
今度は本当に生首が転がり、ややあってそこから全身が生えた。
「やれやれ、助かったぜ」
全裸の少女は何事もなかったかのようにむくりと立ち上がる。
「ご主人様っ」
そうしている間にいくらか視界も晴れ、ケイがこちらへ馬を走らせてきた。
「お早い御帰還で。ドラゴンをお従えになったのですね。さすがです」
「いや、これは俺じゃなく」
「あたしんだ。ふふんっ、竜騎士ってやつだな。えーと、お前は何と呼ばれていたんだっけか? 姫騎士だったか?」
「むっ」
勇者はドラゴンの威容に及び腰のケイの愛馬を見やり、得意満面の様子だ。
ちなみに当の角折れはと言えば、天敵であるオーク達のど真ん中に降ろされてひどく怯えた様子だった。
「状況は、―――見ての通りか」
堅固に築いたはずの城壁は崩され、そこからダークオーク達が侵入を果たしていた。
とはいえ上空から観察した通り、混戦と言う感じでもない。どうやらアニエスが身体を張って衆目を集めてくれたお蔭らしい。
「おおっ、王様だっ!」
「陛下がお戻りになられたぞっ!!」
「勇者様達も御一緒だっ!」
やがて人間とオーク達が王の姿を認め、歓声が上がる。
本能がオークキングに抗うことを拒絶するのか。声に押されるようにダークオーク達は後退った。
しかしそんな中、かえって前に進み出た者が一頭。
「アナタが王さま。オレの、大オジ上だな」
「姉さんの孫。ダークオークキングか」
王と比べると小さい。
オークを一回り大きくしたのがハイオークで、ハイオークをさらに一回り大きくしたのがオークキングである。しかしこのダークオークキングはハイオーク、それも体格に恵まれなかった一番と同程度の大きさだ。牙も王や姉、父王ほど長くも太くもない。
なるほど、まだ子供であった、背も牙も伸びるのはこれからだろう。
一方で体付きは確かにオークキングだ。小山のように盛り上がった僧帽筋にごつごつと隆起した二の腕は、明らかにオークやハイオークとは異なっている。
この筋肉で他のダークオーク達と同様に魔力による強化も受けるなら、その身体能力は計り知れない。
「大オジ上、ともにオークの楽園を作りましょう」
身構える王に、にこやかに歩み寄って来て言う。
「オークの楽園だと?」
「はいッ。オレは大オジ上のやり方、学んだ。それでわかった。何故オークが、かつてのハンエーを失ったのか。それは、イダイな初代さまが、いくつか間違えたから。ニンゲンなんかと交わることで、ワレらオークは弱くなった。そして、ニンゲン殺し過ぎたことで、ワレらオークは腹空かせるようになった」
たどたどしい人語で必死に説明を始めた。
尊敬する一族の先達―――つまり王に、自身の妙案を聞いてもらいたくて堪らないという顔だ。
「だから、ニンゲン殺さず、メシ作るカチクにする。ワレらオーク、そいつら飼う。ニンゲン働かせて、オークはメシを食い、酒を飲む。オークのみんな、これで幸せになる」
「それがオークの楽園か」
実のところ、現在のオーク王国とそれほど大きな違いがあるわけではない。
一部のオーク達を開墾や耕作に駆り出してはいるが、基本的には農業も工業も商業も人間達が担っており、オークはその上前をはねて生活する戦士階級である。
王のやり方に学んだというのは、確かにその通りなのだろう。しかし―――
「……人間を家畜にする、ね」
「まさか、大オジ上も他のオーク達と同じ考えか?」
「他のオーク達の考え?」
「ニンゲンが好きだと。カチクになんかできないと」
「オーク達がそんなことを」
思わず背後を振り返る。
真っ先に目に留まったのは一番だ。青い顔をしたレオンハルトやディートリヒ、二番と支え合うようにしている。
「いいえ、みなの総意です」
“お前の考えか?”と視線で弟に問うと、首を振って否定された。
改めて周囲を見やれば、人間の兵とオーク達が一体となって陣を築いている。
負傷した人間の兵に肩を貸すオークもいれば、人間の兵に傷を拭われるオークもいた。
「大オジ上、答えを、聞きたい。ともにオークの楽園を」
「お前には、この光景が見えていないのか?」
「……大オジ上?」
ダークオークキングに向き直る。
「俺の望んだ、いや、望んだ以上のものがもうここにはある。お前の言うオークの楽園なんて、クソ食らえだっ」
「―――ッ!? 王であるアナタまで、そんなことを言うとはッ」
紫の顔色が黒ずみ、まさに“ダーク”オークという容相が呈される。
「なぜッ、オークの王がッ、再びワレらオークに力を取り戻したイダイな王であるアナタまでがッ、オークのハンエーを求めないッ!?」
やはり子供と言うことなのか。ダークオークキングはダンダンと地団太を踏んで苛立ちを露わにする。
「アナタがやらないならッ、オレがやるッ! この世界のすべてを、ワレらオークのものにしてやるッ!!」
「そんなこと、させると思うのか」
「邪魔するなら、大オジ上でも、ヨウシャはしない」
「―――おいおい、ずいぶんと生意気な口を利くじゃねえか、ガキ」
言い返したのは王ではなく勇者だった。
「ニンゲン、口挟むな」
「てめえ、さっきから聞いてりゃあ、ずいぶんと人間様を舐めてくれるじゃねえ、―――かっ!」
勇者がダークオークキングの足元へ飛び込んだ。速い。いつの間にか肉体強化の奇跡を受けている。
そしてこの低く深い踏み込みは、地中から斬撃が襲い来る勇者の隠し技“大下段”。
「―――あん?」
不可視にして不可避の斬撃は地を割り、そして空を斬っていた。
ダークオークキングの姿が勇者の眼前から消え、故に地中から跳ね上がった聖剣がその身をとらえることはなかった。
「上だっ!」
王は叫びながら、言葉だけでなく手も伸ばした。
板金鎧の襟首のところを掴み、強引に引き寄せる。
直後、勇者のいたはずの場所を紫の足が踏み抜いた。
「なっ、あたしのとっておきを初見で避けやがったのか?」
「ああ、それも軽々十ワンド(10m)は跳び上がってやがったぜ」
王ですら自前の脚力では不可能な跳躍だ。
「……んんッ?」
大地に降り立ったダークオークキングは、地面に刻まれた亀裂と自身の足裏を交互に見遣りながら不思議そうに首を傾げている。足裏にはほんの一筋、毛先ほどの傷が見えた。
聖剣が肌に触れたまさにその瞬間、反射的に跳び上がって回避したと言うことなのだろう。
聖剣の存在を知りながらも、指を斬り落とされるまで反応出来なかった王とは比べるまでもない。
「勇者、悪いがちょっと下がってろ」
「あたしが足手まといだってのか?」
「その剣は間違いなく俺達の切り札だ。いざって時に肝心のお前がやられて使えないってんじゃ、話にならねえ」
「……ちっ、はいはいっ、分かりましたよっ」
かなり不服そうにしながらも勇者は頷いてくれた。
「皆ももっと下がれっ。人間やただのオークが割って入れる戦いではないっ」
ケイが一番や兵士達に向けて叫んだ。
「……ご主人様、申し訳ございません。ここはお力にすがるほかありません」
「おう、任せとけ」
頭を下げるケイに、心中の不安を隠し努めて軽く返す。
「―――――ッ!」
ダークオークキングが魔界語で叫ぶと、駐屯地に侵入したダークオークも城壁際まで後退した。
戦場の真ん中に残されたのは二体の化け物。いや、化け物離れした何か達だった。