……前編……
紅く燃える街を見下ろしつつ、巨大な鉄の塊が飛んでいく。
B-29『スーパーフォートレス』。
排気タービンエンジン4基を搭載する『超空の要塞』。
その中の1機の機首に、花束を抱えた少女の絵が描かれていた。
「……今日も、よく燃えてやがる」
操縦士が呟いた。
「あの中にいるのは、女子供ばかりなんだろうな」
「ジャック、あまり考えるな」
機長のレイモンド=ウェイン大尉が言う。
半分は、自分に言い聞かせているようだった。
「お前がそんなことを言っていては、マリーに悪いだろう」
ウェイン大尉は、傍らにいる1人の少女に目をやった。
栗色の髪に金色の瞳、レモン色のワンピースを着ていて、機首に描かれた少女と、どことなく似ている気がする。
しかし手に持っているのは花束ではなく、一振りのサーベルだった。
「いえ、機長……私は別に……」
何処か悲しげな笑みを浮かべ、マリーと呼ばれたその少女は言う。
……この可憐な少女が、超空の要塞B-29そのものであるなどと、誰が信じるだろうか。
「なあ、マリー」
操縦士・ジャック=クレイズ中尉は話しかける。
「お前、この戦争に正義はあると思うか ? 」
「……わかりません」
マリーは素っ気なく答えた。
「でも私は、例え自分が正義ではなくても、戦います。それが私の使命だから」
それを聞いて、操縦桿を握るジャックは舌打ちする。
そして、歯ぎしりしつつ言った。
「可愛い顔してても、所詮は兵器か ! 」
「止せ、ジャック ! 」
ウェイン大尉が怒鳴った。
「言っていいことと悪いことの区別くらい、つかないのか ! 」
「いいんです、機長……ジャックさんを叱らないで……」
マリーが止めに入る。
ジャックはフンと鼻を鳴らすと、再び操縦だけに集中した。
「私は兵器……でも……」
呟くように、マリーは言う。
「……この戦いに勝って……私は自由になります…… ! 」
… … … …
明朝
日本海軍 厚木飛行場
「昨夜の爆撃は、また凄かったな」
「ああ、大勢死んだやろうね」
二人の兵士が、双発戦闘機の前で談話している。
夜間戦闘機『月光』。
元々は陸上攻撃機を護衛する、遠距離戦闘機として作られたが、双発故に運動性が低く、敵戦闘機に対抗するのは不可能と判断され、二式陸上偵察機として活躍することとなった。
だがより高速の偵察機が求められるようになり、ほとんど存在意義を失ったこの機体は、『斜め銃』が発案されたことにより、対爆撃機用の夜間戦闘機『月光』として生まれ変わることとなったのだ。
「大本営じゃ、まだ皇軍は快進撃を続けてるって大嘘を流してやがる」
「ああ。空襲で死んだ連中は、俺等を怨どるやろう」
「ふう……消えるは電気、電気は光る、光るは親父のハゲ頭……」
荻堂が意味もなくぼやくと、月光の後部座席から、何かがひょっこりと顔を出した。
端整な顔立ちの少女だ。
武士のような羽織りに袴を履き、腰には日本刀を差している。
それよりも彼女は、月明かりのような不思議な『気』を放っていた。
「なんだ小夜、まだ起きてたのか」
「うん、なんか眠くなくて」
小夜はてへへ、と笑う。
「夜間戦闘機なんだから、朝はゆっくり寝てろよ」
「でも、他の『月光』は寝ないよ」
「そりゃ、お前は特別な戦闘機だからな」
「そうそう、“艦魂”を宿しとるんやから」
……“艦魂”。
その名の通り、艦船に宿ると言われる魂だ。
それぞれ違いはあるが、多くは美しい女性の姿をしていて、特定の人間にしか見えないという。
艦船は、多くの職人の手で造られる物であり、彼らの想いと誇りが、物言わぬ兵器に魂を宿すのだろう。
航空機に宿る“艦魂”は極めて珍しく、この『月光』---小夜には、何か特別な想いが込められているのかも知れない。
操縦士の荻堂上飛曹と、後部座席搭乗員の五十嵐上飛曹は、ラパウルの時代から月光に乗るベテランの搭乗員だ。
日本軍は、パイロットに割り当てる機体を特定していない(機種は大抵固定される)。
だがこの2人は例外的に、小夜の宿る機体のみに乗っている。
理由は、この機体は荻堂と五十嵐以外の者では、「何故か」まともに操縦できないのである。
……無論、小夜との相性の問題だろう。
「ねえねえ、他の操縦士さんたちが話してるのを聞いたんだけど、絶対に墜ちないB-29がいるんだって ? 」
小夜が後部座席から降りた。
飛び降りる、というよりも、舞い降りると言うべき、優雅な動作だった。
「ああ、そのB公を狙った戦闘機は、近づくことすらできずに墜とされるって、噂になってる」
「機首に、花束抱えた女の絵が描いてある機っちゅう話や。他のB公と何か違うんかね ? 」
「どうもおかしいんだよな。熟練の搭乗員が、プロペラの後流に飛ばされたりとかさ……」
すると小夜は少し考えた後、こう言った。
「今度、そのB-29を探してみたいの」
「えっ ? 」
「そのB-29を墜とせば、みんな少しは安心して戦えると思うの。だから……」
「ふうむ……」
荻堂は腕を組んだ。
「どうするんや、荻堂 ? 」
と、五十嵐。
「……いいんじゃないか、俺等の手で墜としてやろう。こっちには小夜がついてるんだからな」
「ほな、決まりやね。頼むで、小夜」
「うん ! 任せて ! 」
……日本軍に未来は無い。
荻堂も五十嵐も、わかっていた。
アメリカの工業力は圧倒的だ。
B-29のような巨人機を量産し、惜しげもなく投入してくるのだ。
日本軍は迎撃戦闘機として、異形のエンテ型戦闘機『震電』、ロケット戦闘機『秋水』などを開発しているが、実用化には程遠い。
しかし、何もできないからと言って、何もしない訳にはいかない。
日本人の意地、そして戦闘機乗りの意地だ。
彼らの愛機に宿る少女……小夜も、命の限り彼らを支えると、誓っていた。
……そして、3日後の夜。
B-29の編隊が、帝都に向かう。
その中に、『マリー』号の姿もあった。
「……そろそろ、ジャップの戦闘機が来るころだ」
ウェイン大尉が言った。
傍らに、マリーの姿がある。
「用心しろ、連中は死を恐れていない」
「チッ……そりゃ国を守るために、必死でしょうからなァ」
ジャックが忌々しげに言う。
副操縦士はジャックの口調に恐怖を覚えたのか、そっぽを向いて無視を決め込んでいる。
「……ジャックさん」
マリーが口を開いた。
「……何だ ? 」
「貴方は、何がそんなに……不満なのですか ? 」
その言葉が、ジャックに火を着けた。
「何が不満かって ! ? わからねぇなら教えてやるよ、ポンコツ爆撃機 ! 」
「おい、ジャック ! 」
ウェイン大尉がたしなめるが、ジャックは無視して続ける。
「小さいころな、どうしようもないクソガキの俺は、周りの不良と一緒になって下町を暴れ回った。イエス様に唾吐きかけた分だけ偉くなれるって、本機で信じていたんだよ」
「……」
「そしてある日、とうとう人を殺しかけた。母ちゃんは俺の頬を打って、命は尊いものだと教えてくれた。そこで俺はようやく気づいたんだよ、自分がどれだけちっぽけで、どれだけ弱いかってことを ! 」
「ち、中尉、お願いですから落ち着いて操縦を……」
航法担当が、ジャックの剣幕に怯えながら言う。
「本当に強くなりてぇと思って、俺は軍に入った ! 命がけで戦う空の戦士に憧れて、必死で飛行機の操縦を学んだ ! だが今やっていることは何だ ! ? 俺は母ちゃんが尊いものだと言った命を、何百も奪っている ! 無抵抗の女子供の命を ! そして勲章までもらって英雄扱いだぜ ! ? ふざけた話だよ、街中で1人殺せば犯罪者になるってのに ! 」
そこまで言って、ジャックは黙った。
肩で荒く息をする。
「……ジャックさん、私は…… ! 」
マリーが口を開く。
だがその時、乗組員の1人が叫んだ。
「来ました ! 下方にジャップの戦闘機 ! 」
「機種は ! ? 」
「月光 ! 」
夜空の中、1機の双発戦闘機が近づいてくる。
B-29の下部に潜り込む気だ。
「撃て ! 撃ち墜とせ ! ジャック、加速だ ! 」
「了解、っと ! 」
その時、マリーの表情が変わった。
側面の窓から、接近してくる月光を見る。
「どうした、マリー ? 」
「……あの戦闘機……」
マリーの体が、小刻みに震え始めた。
「私と同じ……“兵器の精霊”がいる…… ! 」
「なんだって ! ? 」
「マリーの他に、飛行機に宿っている奴がいたのか ! ? 」
機内がざわつく。
マリーは数秒間、何かを考えていたが、意を決したかのようにウェイン大尉に言った。
「……機長、お願いです ! あの戦闘機と、話をさせてください ! 」
「なんだと ! ? 」
「相手も同じ“兵器の精霊”なら、私が説得すれば……引き下がってくれるかもしれません ! 」
そんなことは有り得ないと、マリーは分かっていた。
だが生まれて初めて、自分と同じ存在に出会ったのだ。
会って話がしたかったのである。
「……いいだろう、行ってきなさい。その間は、一切攻撃をしない」
ウェイン大尉は優しく言った。
「ありがとうございます ! 」
お礼を言った後、マリーはジャックの方を向いた。
「ジャックさん……私も、貴方と同じ考えです」
マリーは機の壁をすり抜けて、外へ出る。
窓から、彼女が主翼の上に立っているのが見えた。
その後口を開いたのは、ジャックだった。
「機長、真に勝手ながら、スピードを少し落とさせていただきます」
「何 ? どういうことだ ? 」
ウェイン大尉が訝しげに問う。
「……その方が、話しやすいでしょう」
「………そうだな」
ウェイン大尉は微かに笑った。
………荻堂は月光の操縦桿を握り、夜空を駆けていた。
五十嵐が後部座席で、周囲を見回す。
「いたで荻はん ! 二時方向に敵編隊 ! 」
「よし、旋回する ! 小夜、行くぞ ! 」
《うん ! 》
この時期、大部分の月光には機上レーダーも搭載されていた。
しかしあまりにも性能が悪いのと、レーダーの取り扱いに詳しい整備員がいないため、五十嵐が取り外してしまったのである。
だが彼らには、レーダーなど不要だ。
機体と同化している小夜が、荻堂と五十嵐を導くのである。
《いた、左20度方向に例のB-29 ! 女の子の絵が描いてある奴 ! 》
「あそこか ! いつも通り下部に潜り込んで、斜め銃を喰らわせるぞ ! 」
月光の『斜め銃』は、その名の通り20mm機銃を30度前後の仰角で装備したものだ。
発案者は現在の厚木の第三〇二航空隊司令官、小園安名大佐だ。
「敵さんも撃ってきたで ! 」
「ああ ! 20mm弾が確実に命中する距離まで、接近する ! 」
荻堂の見事な操縦により、B-29からの射撃はなかなか命中しない。
その時、突如小夜が叫んだ。
《あのB-29、“艦魂”がいる ! 》
「何 ! ? 」
《気配を感じるの ! 私と同じ、“艦魂”の気配がするの ! 》
それを聞いて、荻堂は合点がいった。
“艦魂”が宿っているのなら、「墜ちない」という噂も頷ける。
自分たちも小夜のおかげで、何度も危ない橋を渡って来れたのだ。
「アメリカさんの“艦魂”も……やっぱり女なんやろか ? 」
「……そうなんじゃないか ? 機首に女の絵を描くぐらいだから……」
荻堂は躊躇した。
アメリカ軍の“艦魂”も、国のために、仲間のために戦う健気な少女なのだろう。
自分はそれを撃てるのか…… ?
「 ! 荻はん、あれ ! 」
五十嵐が叫んだ。
見ると、B-29の主翼の上に、1人の少女が立っているのが見えた。
闇の中だというのに、何故か顔がはっきりと見える。
「“艦魂”…… ! 」
いつの間にか、B-29からの防御射撃が止んでいた。
速度も、少し落ちている。
《荻堂さん、五十嵐さん ! あの“艦魂”、私を呼んでる ! 会って話をしたいって ! 》
「小夜……」
《お願い、行かせて ! 》
戸惑う荻堂に、後部座席の五十嵐はそっと言った。
「荻はん……わてらの姫様を、信じましょ」
「………そうだな。行ってこい、小夜 ! 」
《うん ! ありがとう ! 》
月光の機体から、小夜の姿がすーっと浮かび上がった。
そして、B-29の主翼に立つ、マリーの元へと飛んだ。
…