第七話 凶悪なるものとの邂逅
冒険者パーティ「赤角」パーティ長 アゼルハートを頭目と看破し、その後頭部に矢を放った矢三郎!
さあ、今後の展開やいかに!
「赤角」パーティ パーティ長 アゼルハートの頬をかすめ 、矢が遥か彼方へ飛んでいく。
「うわっ!矢が飛んできたぞ!敵襲か!?」
「…ぐっあああぁあぁあぁ!!!!!」
「どうしたんですか!?ああっ、ホルトーさんの腕が!う、腕が!」
ホルトーが人生最大の痛みに絶叫するおよそ二秒前、矢三郎がパーティ長 アゼルハートの頭部に向かって放った矢を目視した勤勉なる元傭兵ホルトーは、矢を後頭部に食らえばギルド長のアゼルが死亡してしまう、矢を防がなければならない、と考え、咄嗟にその古傷に覆われた丸太のような腕を矢の軌道上に突き出した。
弓矢程度であれば、骨さえ外せば大した傷にもならず、パーティー長の命を守れるなら安いもの、とまで考えての行動であった。
が、矢三郎の放った矢はホルトーの想像を凌駕する威力だったのだ。
ホルトーは前腕部の橈骨と尺骨の間の隙間の部分で矢を受けようとした。この世界では一般的な鋳型で量産された簡素な矢尻ならば大した出血もなく筋肉で防げるはずであった。
しかし、元寇や朝鮮出兵の際に大陸側の記録にその鋭さについて記されている日本刀と同じ技術、しかも 日本刀製作技術最高峰時代である鎌倉時代の職人が一つ一つ丹念に作り上げた鎌倉武士の鏃は分厚く、鋭い。
鏃は肉を切り裂き上腕に侵入、矢三郎の剛腕から放たれた凄まじい速度の矢は尺骨と橈骨にヒビを入れるに留まらず、鏃、矢柄、矢羽と勢いを保ったまま順当にホルトーの腕を貫通、尺骨と橈骨をへし折り 重要な動脈数本と筋組織を大規模に切り裂いた。
結果、ホルトーの左腕は矢三郎の強弓によってほぼ千切れ、僅かな皮膚によってようやく繋ぎとめられていると言った様相となった。
ーーーさて、舞台は襲撃を受けたパーティと見えない場所から矢を射かけた青鎧のもののふの居る場所へ戻る。
「あぁああぁあぁああ!!!!!」
ぶらぶらと揺れる左腕から赤い血を吹き出すホルトーは絶叫し、取り乱す。
「ほっ、ホルトーさん!落ち着いてください!ち、治癒魔法をかけますから!」
女魔術師 ペルが叫ぶ。
暴れる彼を沈めようと近づいた精霊遣いのササラを思わず殴り飛ばしたホルトーはその声に我に返る。
「ッすまなかった!冷静さを失ってし…ッがぁああう!早く、血を止めてくれ!出血死する!」
低位の治癒魔法である止血と数時間かけて大規模な傷を再生させる低位外傷治癒魔法を手早くかけ、添え木を添えて包帯で固定する。
「だっ、誰だ射掛けてきたのは!?」
大楯のコキュータクスに守られたパーティ長 アゼルハートが叫ぶ。
茂みの方からぷぎゃぷぎゃと言うような声が聞こえてくる。
パーティメンバーが思わず叫んだ。
「「「ゴブリンだ!」」」
彼らは各々武器を取り、戦闘準備を整える。
ーーーしかし、ゴブリンはこちらに向かって来ず、その声は話すような鳴き声から絶叫へと変わったようだった。
ーーーーー
「がぁあぁああぁ!!!!!!!!!」
大声で我らが若き主人公矢三郎経久は野獣のように咆哮する
「ぴぎぃっ!」
その声に気圧された鎖帷子を頭に被ったゴブリンはその小さな身体を更に萎縮させる。
哀れなゴブリンはあっという間に上段からの太刀の一撃に脳天をかち割られ即死する。
脳天を割られ脳みそをぶちまけて死んだゴブリンはこの1分で7体、首を刎ねられたり内臓を地にぶちまけて死んだものを含めると11体に及ぶ。
彼らの群れは追い剥ぎ、冒険者の殺害、村への略奪などを生業とし、他の群れに比べれば人間と接する機会が多かった。 その彼らですらこれまでに見たことのないほど異質で凶暴で危険なこの人間は約一分で繁栄を極め、栄養状態の良い強いゴブリンを多数 屠った。
さっくりと13体目のゴブリン、隊長ゴブリンの首を刎ねたそのおぞましい人間は生き残りを睨みつけ、その白い牙を剥きだして吠えた。
「がああああああああ!!!!!!!」
その威嚇の声に弾かれたように生き残り達は散り散りに逃げていった。
(ぬう、小鬼どもめ。馬を奪う邪魔をしおって。俺の矢を防いだあの男、見込みはあったがあの傷では助かるまい。…さて、他の鬼を殺しに…)
がさっ
矢三郎が六人の赤ら顔の人に似た鬼を射殺した木立に稲穂のような髪の色をした男が顔を突っ込んだ。
黒い血と赤黒い臓腑に塗れた死骸の中心に立つ青い鎧の男とパーティ長を務める鎖帷子とプレートアーマーの男がお互いの存在に気づく。
両者の目が合った。
主人公は凶悪なるもの。
ブクマ 感想、評価等つけていただければ嬉しいです というか、ないと拗ねてブッチする可能性が高いです
本文中で出た橈骨・尺骨はこのような部分の骨を指します。
ちなみに中世ヨーロッパで一般的な矢じりと鎌倉武士の鏃。
ヨーロッパ
鎌倉武士
使い手の膂力の差もありますが、鏃の性能差も鎌倉武士の強弓の威力を強化する要因だったのでしょう。
本編で初めて矢三郎が異世界で太刀を振るったので記念に鎌倉時代までの日本刀の発展についてミニ解説したいと思います。
興味のない方はすっ飛ばしてくださって構いません。
次回予告はその下です。
<日本刀の発展>
古来日本では弥生時代中期から青銅の刀剣が独自に製造していました。形状としては直刀で、湾曲した片刃が基準である日本刀の分類には入りません。
また、刀が鉄で製造されるようになったのは古墳時代です。
直刀
直刀(復元)
日本の刀剣に反りが出来始めたのは平安時代初期と推定されています。何分遺品は少ないですが、蝦夷征伐で名を馳せた坂上田村麻呂の儀式用のものとされる「黒漆剣」や実戦用の「騒速」が現存し、うち「騒速」には刀身全体に緩やかな反りがあることから、奈良時代末期〜平安時代中期が直刀から曲刀への変遷の時期であったと考えられています。
しかし、具体的にいつ始まったかは未だに不明です。(蝦夷刀の影響を受けたとも言われる)
最初の日本刀である反りの大きい長大な刀、「太刀」が一般化したのは平安時代、前九年の役、後三年の役などで武家が台頭した時代です。
良質な砂鉄の取れる地域では需要に伴い、様々な流派の刀鍛冶が現れます。
太刀
源頼朝によって鎌倉幕府が建立、鎌倉時代に入ると、武家の力が更に更に強まり、日本刀の黄金時代に突入します。鎌倉時代に作られた刀は史上最も質が良く、時が下ると鎌倉時代の太刀を切り詰めて、所謂「刀」である打刀に改造して愛用する戦国時代や江戸時代の武士もいました。鎌倉時代の人々の刀への偏執は凄まじく、熱心な愛刀家、壇ノ浦に沈んだ安徳天皇の異母弟、院生を行った後鳥羽上皇が自ら刀の焼刃を行ったりするほどでした。
アメリカのガンマニアに通ずる部分がありますね。
太刀は時代を下る事にぶっとく、分厚く、鋭く、質実剛健なものとなっていきます。
やがて、大太刀が誕生、刀身が90cm以上の長大な太刀で、重量は凡そ1.4kg〜4kg。全長としては、使用が確認されている中で最大282cmを超えるものも記録に残っています。基本的には馬上から敵を力任せにぶった斬る武器ですが、たまに2メートルの大太刀を徒歩でぶん回す猛者もいました。
大太刀 (これは太郎太刀という大太刀で、全長は229.5cm、刀身は187cm。戦場で使用された最大の大太刀より60cmほど小さい)
どうですか?鎌倉時代までの日本刀の歴史とこの太刀をぶん回す鎌倉武士のバケモノぶりが分かっていただけたでしょうか?
次回予告
盗賊というアコギな職業ではない冒険者という存在とコンタクトを果たした矢三郎、我らが若き青鎧の主人公の行動とは?殺すのか!?殺さないのか!?
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