第四十四話 バグセック・バルドルソン
俺は戦士だ バルドルの子 バグセックは戦士だ
十三の初陣では手傷一つ負うこともなく五人の戦士を斃しスヴェン赤髭卿の首を挙げた 十八の頃には名誉も土地も女房も、そして息子さえ欲したものは全て手に入れていた
今年のプレタニケ島攻めまで北人史上最大の襲撃だった二十年前のあの王都包囲戦を、俺は二十の時に戦った
包囲5日目に城壁から放たれた大量の煮え油が梯子の先頭を上る俺の右腕と顔を焼き尽くして目玉までも煮溶かした。
…だがそれでこの俺の命が終わることはなく、敵めらは俺の焼け爛れた指から握り締めた斧の一本すらも失わせることは出来なかった それからも誰も俺から何かを奪うことはできなかった。
…しかし、老境に差し掛かったこの年になって軟弱な南方人の国で全てを失うことになるとは思っても見なかった!
三本の矢、たったそれだけが俺から全てを奪い、失わせたのだ
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我は武士
地頭である白石家に生まれてより二十余年、武芸と殺しを生業に戦と所領押領に生きてきた
初陣では山下源三の首を矢戦にて挙げ、以来白石の力及むる土地を広げる為に戦を繰り返した
が、何の災いか白石の地よりこの鬼世に来た
…然れど未だ望むほどの誉も土地も持たぬ。女房は三人居る 子は無い
この世にも白石の土地を欲してこの地の武家を三つばかり族滅、所領押領し、また現れた海賊を討たんと思うておる
しかし、二十を超えたこの年になって無足の武士となるとは思うてもみなんだ
今持たぬというのならば、奪うまで!
奪い、殺し、また奪うのだ!
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異世界西方ド辺境 ヤーク地方 ブロート騎士領北西部 グルーテ河西岸
矢三郎は寄せた船から飛び降りてこちらに向かってくる武者を観察した。
丈高し 六尺あるか 得物は鉞、怒っておるな!齢の頃は四十か、五十か?
(…我らと顔立ちの異なるこの鬼世の民の歳は読みづらいものじゃが、あの武者の歳が分からぬはそれが由に非ず!)
その武者の顔は右側を何十匹ものミミズがのたくったような赤い大火傷の跡に覆い尽くされている。兜から覗く右耳は溶けて孔を残すのみ、同じく右目玉も潰れている。
…是は尋常の武者に非ず!
矢三郎は獣のように笑い、太刀を構える。
激しく水を跳ね飛ばして一直線に上陸したその武者は正気の者ではない。口から噴いた泡が髭を流れ、その目はまるで身内でも殺されたかのような狂気に染まっている。
(気狂いたるか…然れども六尺ありける大武者、心して掛らねばなるまい!)
矢三郎はこの大柄な敵は勢いそのままに無体無法な突進をしてくると推測し、喉を切り上げんと切っ先の角度を少し変えた。
しかし矢三郎の間合いに入る直前、何かを感じ取ったかのように火傷面の武者の目に突如冷静さが戻り、足を止めた。
(狂い者から武者に戻りたるか!)
思わず口角を上げる矢三郎を余所に敵は大上段に振りかざしていた大鉞を中段に下げて半身の構えを取る。
矢三郎と敵は互いに睨み合い、数瞬の間静止する。
『…バグセック・バルドルソン!!!』
「隼人種久が一子 白石矢三郎経久ァ!!!」
戦士の習性としてどちらともなく名乗り合うや否や、バグセックは唸り声を上げて突進し、速度を乗せた横薙ぎの大振りを放った。
「があッ!
…ぬはははは!是をまともに受ければ、太刀とて曲がろうぞ!」
軽い足捌きと共に咄嗟に斬撃をかわした矢三郎は大いにその豪腕に感心しつつも、得物を振り切って体勢を崩したバグセックの急所に素早い突きを放つ。
バグセックは直感的に危機を察し思わず身体を捻るも、避けきれず左脇腹から鮮血が噴き散る。
『ギャァガッ!!!』
バグセックは思わず仰反る
…が、得物を手放してはいない。冷静さを失ってはいない。彼は名のある古強者なのだ。
ーーー 北人の一般的な武装は円盾を左手に身体を守って右手の得物を振るというものだ。 これは仲間と盾を並べて『盾の壁』を組むこともできる優れた武装だ。
…しかしバグセックは両手に握った長柄の北人斧を荒々しく、そして巧みに操る。
…盾を持たず攻撃を守りとするその戦闘スタイルは攻撃力は高いが危険である。
鎌倉武士の纏うような頑強な鎧が発達していない彼らの地域では両手で遣う武器は少数派の武装だ。
鎧に頼れず盾も持たぬなら、敵の攻撃全てを得物で弾き返して相手を倒さなければ生き残ることはできない。
そして、それが出来る古強者、
復讐心に燃える屈強な北人が、懐に飛び込んできた怨敵をタダで逃がす筈がない。
『オオオオオオォ!!!!! ヤサブロールゥウウウ!!!!!!』
刹那に戦斧を素早く短く持ち替えたバグセックは腹の底からの怒りと共に吼え、万力を込めてその戦斧を青い鎧の心臓側の肩に叩き込んだ。
ーーー 鎌倉武士、矢三郎は異様な風切り音を兜の下の左耳に聞いた。
矢三郎の左の大袖が大きく損壊した。 糸が切れ、幾多の小札が空気中に跳ね上がる。
・・・相手がバグセックのこれまで戦ってきた北人戦士や王国兵であれば胴が斜め真っ二つになっていただろう。
しかし矢三郎は鎌倉武士である。
彼らの纏う鉄と煉革の小札を綴った大鎧、ことに左の大袖は矢戦への対応として非常に堅牢に造られ、矢三郎が咄嗟に身を捩ったことで大袖は半ば破壊されつつも戦斧の軌道を歪めて跳ね返していた。
鎧を砕かれたものの、武士の身体は斬られてはいない。致命傷を受けてはいない。
その刹那、斧を振り下ろした今のバグセックの目は舞い飛んだ小札に向いている。斧を握った手からも力が抜けていた。
「おおおおおお!!! 矢三郎経久がいくさばたらき、御照覧あれィ!!!!!」
矢三郎は体格差を活かして大柄なバグセックの腕の下に豹のように俊敏に潜って背後に回り、振り向きざまに裏脛を斬り裂いた。小兵が大柄な相手と戦う時には兎に角動きを止めず相手を翻弄することが肝要だ。矢三郎はその原則に忠実だった。
スヴェア系北人であるバグセックの着用するゆったりとした東方風のズボンは足のラインを分かりにくくするが、それでも太刀の斬撃を和らげることはできない。
『…!』
体勢を整えた矢三郎は仰反った大男の背中に上段からの一太刀を浴びせる。
太刀は無防備な背中の皮膚と筋肉を切り裂き、骨を割った。
『がっああぁああ!』
バグセックは大地に膝を突いた。
足は深く斬られ、皮膚は裂け、肉は切れ、骨は割れた。
戦士が旅立つ時が来たのだ。
どう、と大柄な北人は異国の河原に仰向けに斃れ伏した。
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美しい、青い空
遠き北の故郷の、厚い雲に覆われた灰色の空とはまるで違う、光射す美しい青空だ
ーーー 息子らに豊かな土地を与えんが為にイファル王の征服軍に参加したが、果たせず終わった 自分も子らも略奪に下った南方の国の河原で斃れた
嗚呼、あの灰色の空を、これほどまでに見たいと望む時が来るとは思ってもみなかった
青い空を見つめていたバグセックの視界に、空よりも濃い青の奇妙な鎧と黒い目の、奇妙な顔立ちの男が侵入する。
バグセックは人生の二十年の期間を北人の勢力地、西方の王国王都、フリジア、プレタニケ島、ヴァクセン王国や東方世界、南方大陸での略奪と戦争に費やしたが、たった今自分を見据えているこのような武装と顔立ちの戦士は見たことがなかった。強いて言えば東方人に似ているが全く違う。
「…この空は、古里の空とは違おう?海賊よ
古里の空というものは、離れ、帰ること能わぬと知った時にこそ初めて見たいと思うものぞ」
反りの付いた奇妙な剣を肩に担ぎながらその奇妙な男は爛々とした目を細めて空を見上げて何か言うが、その奇妙な言語の意味は分からない。しかしその凶暴な双眸に露骨な悪意は感じられなかった。
「しかし、見事ぞ!
間近に打ち合いてこの俺の鎧が袖を壊すとはのう!
従兄の馬二郎、赤星の悪三郎、そして馬具背具、貴様が三人目じゃ!」
男は唸り声の様な低い声で笑いながらしきりに自分の左肩を指差してこちらに話しかけてくる。何やら喜びと称賛を感じさせる口調だ。
「…何、憂ふ必要は無いぞ 羽流足山の馬具背具よ、そなたの首は馬二郎や悪三郎と同じに整えてから飾る故」
首元に切っ先を当てがって青い鎧の男は何かを言う
『…ヤサブロールよ、俺は今宵、神々や祖父や父や息子たちと英雄の館で酒を酌み交わすスヴェアの戦士だ!
…貴様が討ったこの俺は名高きバグセック・バルドルソン!誇れ!』
最早視界も定かならぬ大柄な北人は自分を殺した男に末期の言葉を云う。
「…何を言うてあるかさっぱり分からぬ! が、羽流足山の馬具背具の首は俺がもの、馬具背具が首を取りしことは我が手柄じゃあ!」
矢三郎の手に皮膚を貫き血管を切り裂き、肉を裂く感触が伝わる。
矢三郎は駆け、河縁に立つや否や毟とった首を太刀の切っ先に高々と掲げ、ユーモラスにも映る激しい動きで首の存在を主張して河上に浮かぶ龍頭の船々に吼える。
「海賊どもォ!己らの首領は、この白石矢三郎が討ち取ったりぃ!ぬはははは!!!!!」
北人の精強な戦士たちは恐怖した。
『…見ろ! あの男 マトモじゃあねぇ!』
『畜生、バグセックを殺すとか大狼の化身かよ!?』
そのこの楽しげな青い鎧の男はたった一人で僅かな間に首領の息子全てを射殺し、二十年以上に渡り首領として一族に君臨した男を決闘で討ち果たし、血の噴き出す生首と変えて剣の切っ先に突き刺したのだ。彼を恐れるのは精強な北人とて無理もない。
『…落ち着けっカルフッ!ビャルニ! あのバケモン野郎はたった一人だ!』
『あ、ああそうだ! 囲んで殺そう!』
北人の戦士団が纏まりかけたその時、騎兵や徒歩の雑多な武装の雑多な兵たちが吼え声を伴って茂みを突き破り続々と現れた。
彼らは100を超える兵たち、
…青い鎧の化物がこの世界で身一つから纏め上げた異世界鎌倉武士団である。
矢三郎の隣で馬脚を止めた鎖帷子を着けた臆病そうな若者が叫ぶ。
「…ヤサブロウさん!?無事っスか! 肩やられたっすか!?」
「応 ぱーてぃ長殿!案ずるな鎧のみじゃ!海賊どもの惣領なる馬具背具が仕業ぞ!そなたは冒険者衆に下知!芋畑のじょえるは村人衆を指図! あば!そなたは弓遣う兵を集めよ!…誰ぞ馬具背具の首持て!」
異世界での戦に慣れてきた鎌倉武士は的確に隊を率いる者たちに指示を下す。
「おすっ、冒険者衆!ヤサブローさんの指示を待て!」
「任しといてくだせっ!村人衆得物構えやぁ!」
「弓隊、集まれ!矢を番え!」
百の兵たちは各隊長らの元で体勢を整えた。
…ただ一人の男の命令を待っていた。
「懸かれァ者ども!彼奴らはこの我らが河を無断に通りし賊ども!生かして返す事決して許すなァ!」
応、と答えた武士団員たちはいつもの如くに敵に襲いかかった。それが陸の敵ではなく河原に接岸した二十人の戦士の乗る龍頭船であろうとて動きは同じ、統率の取れない敵を次々に討ち果たしてゆく。少人数の戦では敵を恐れた方が先に崩れてしまうものである。
バグセックの旗艦の戦士たちが討たれゆくその様を睨み、周りを固める騎兵隊の兵たちに矢三郎は口元を歪めながら楽しげに言う。
「俺は、この鬼世に来て初めて俺と打ちあひて武者と出会うた! 我らは所領押領を為し、海賊の長を討った ここらが引き時じゃなぁ」
矢三郎は決闘を制して首を取りましたが敵も然る者、危うく殺られるところでした。
鎌倉武士が出現しなければバグセックは今回の略奪を成功させて北に戻って6年後に戦死するはずも今回鎌倉武士に一族諸共滅されてしまいました。
有力な首領が戦死したこの出来事は異世界の歴史に少なからぬ影響をもたらします。
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補足コラム
『首を太刀の切っ先に高々と掲げ、ユーモラスにも映る激しい動きで首の存在を主張して河上に浮かぶ龍頭の船々に吼える』
この描写のモデルになったのは、絵巻に登場する討った敵の生首を長刀に刺して手柄を誇りながら扇を振ってダンシングして戯けるこの武者
この時代の武士という人々には殺伐とした戦場にあっても妙におかしみのある言葉戦いの数々や行動の数々が多く見られるのが特徴的だと感じます
『周りを固める騎兵隊の兵たち』
矢三郎の直接の指揮下にある20人規模の騎兵 馬上戦闘が可能な彼らはレドアクス戦などの要所要所で活躍している
その多くはお家が滅んだり家督を継げず出奔したりなどでワケアリの元騎士の出の冒険者で、戦場での活躍の機会と恩賞を与えてくれる矢三郎への忠誠心はかなり高め
一応バグセックの死体の部分をトリミングしていない完全版はこちらに上げています
https://www.pixiv.net/artworks/81964565
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