第四十話 鎌倉武士 異世界の常識に驚愕す
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青い空に目も覚めるような緑の草原、鳴り響くは剣戟の音だ。
大陸西方ド辺境 ヤーク地方 ブロート騎士領 グルーテ河流域の原野
異世界鎌倉武士団の北征開始から約一ヶ月後
草の中に斃れ伏した甲冑、馬、投げ捨てられた刀剣、盾、戦士たちの血潮が散りこぼれた花びらのように緑を染めている。
ーーー 既に、戦場の大勢は決していた。
「ヒャッハー!騎士ヤローを殺せェ!」
「クソ袋どもッ!あの鎧は俺ら『赤足』が頂くぞ!」
「ジャン!槍投げて馬を殺れ!」
「ヤだよ勿体ねぇ!」
元気ハツラツな蛮族系男子たちが雑多な得物を振り回して敗残の騎士を追い回す。
「ええい、この腐れ蛮族どもめがァッ!」
折れた槍、最早棒である…を握った敗残騎士は拍車を掛けて馬を駆るが、駆ける蛮族たちはグングンと距離を詰めてくる。
「ええいクソッ!馬が…!」
いくら頑強な戦場往来の戦馬といえど、甲冑を纏った人間を数時間背中に乗せて槍や剣で身体を突かれ出血していれば速度も鈍る。
「ヒャハッ野郎どもォ!馬の足が鈍ってきやがったぜ!」
「鎧も馬も俺らが総取りだァ!」
…もう何分も経たないうちにこのパワフルな男たちは速やかに騎士に追いつき、馬上から引き摺り下ろした騎士を散々に打ち据えることであろう。
その様子はジャパンのトラディショナルな文化、落ち武者狩りを彷彿とさせるものであり、鎌倉武士にとってはそれなりに馴染みのある光景だ。
・・・ しかし全く持って異世界的ではない。
王権の権化として君臨する騎士が氏素性も定かならぬ者たちに襲われるその光景は、この世界では実に異質な光景であった。
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低い声が食いしばった歯と歯の間から唸り声のように絞り出された。
「…あやし! これは奇っ怪なことぞ!」
引き摺り降ろされた騎士の撲殺パーティを少し離れた狼上から睨みつけるように見つつ、青色の大鎧を纏った鎌倉武士は異世界人的には気絶モノに恐ろしい表情で呟いた。
「怪しいって、何が?」
矢三郎の呟きの意味を隣で馬に乗る北人の子供、アバが不思議そうに聞き返す。
「この地の武者どもじゃ!
騎士どもは武士に非ず!奴らは武者の何たるかを知らぬ !」
憤怒して弓を振り回す鎌倉武士にアバが再度聞き返す。
「…そんなに弱いの? 騎士って剣や斧とかの腕前は凄いよ? 特にこの国の騎士は北人の狂戦士でも手を焼く相手らしいけど」
「うむ、彼奴ら 確かに組み討ちは達者やもしれぬ、礼土悪衆の船戮も武郎党の愚礼吾流も中々の兵であった…
じゃが何故 彼奴らは馬上で弓を使わぬ!?馬の上で弓使わずば、タダの的ぞ!」
鎌倉時代育ちの矢三郎の鎌倉武士的疑問に異世界生まれの北人の子供が異世界的に答える。
「いや、普通は弓は馬に乗って使わないもんなんだよ?」
「…そういうものなのか…?」
「それやってるのはヤサブローしか見たことない」
「信じられぬ!!!」
鎌倉武士は目玉を見開く。
「そもそも馬に乗って戦うのだって騎士の連中ぐらいで、北人とか他の民の戦士なら戦場に着けば馬から降りて戦う」
「何と…!」
矢三郎は思わず黙り込むが、これは無理もない。
鎌倉武士としてはこれは大驚愕である。
平安時代以降に誕生した武士は無論のこと、日本では馬が伝わったとされる時期から100年後にあたる5世紀の時点で既に馬上で弓を射る技術、騎射が存在していた記録がある。 (武士登場以前の古代の騎射技術として有名なものは東北蝦夷の騎射であるが、他にも畿内、九州など広い地域で騎射が行われていたという文献が現在まで残っている)
…つまり、騎射のない合戦などは由緒正しい鎌倉武士であり、『弓馬の道』を爆走する矢三郎には想像もつかなかったのだ。
(しかし、この矢三郎という鎌倉武士は結構頭が柔らかいので新たな知識は直ぐに飲み込み、理解して利用できる)
騎士たちは騎射を行わないという新たな知識を得た鎌倉武士は新たな疑問をアバにぶつける。
「して、奴らは何故策を弄さぬのだ!
我らは策を持って戦に臨んでおる!」
そこで矢三郎はセリフを切り、数秒後 自分が何を考え、どう戦をしたのかを雄弁に語る。
「騎馬武者が横腹に突き行った礼土悪衆合戦!
思惑ありて正面よりのぶつかり合いを選んだ泥武合戦!
そして 朝駆けして野営地襲うたこの武郎党合戦!
三つ悉くが策有る戦じゃ!」
これは自慢話の類ではない。 これは彼が何に疑問を持っているのかを伝える為、そして若人に白石の兵法を聞かせ伝える為でもある。
「…じゃが騎士どもは策を持たぬ!正面よりの突撃と、一騎打ちのみ!何故じゃ!?あば!」
傍から見ればやたら顔が怖い不精髭の青年が10代の子供に常識を大声で尋ねる奇っ怪な光景だが 件の武士としては普通の会話のつもりで、そもそも異世界の常識についてはこの顔の怖い若者は子供どころか赤子ほども知らないのだ。
「…うーん …誇りってやつじゃないの?
ほら、騎士の連中ってヤサブローのこと蛮人だの蛮族だの顔が怖いだのとか言ってるでしょ?」
「応」
北人の子供の言葉に素直に鎌倉武士は頷く。
「お父ちゃんから聞いたんだけど、南の国の貴族は格の低い相手に色々と考えて当たるのは臆病で、馬鹿にされることなんだってさ
だから、蛮族扱いのヤサブローに色々考えて戦うのはカッコ悪いと思ったんじゃない?」
元々 ヨソ者であり、そもそも子供であるが 非常に明晰なアバが考え出した、的に遠からぬ答えを聞き、矢三郎は更に怒った。
「阿呆な連中よ!!!
保元の乱に於いてはあの鎮西八郎を有した上皇方も下野守の火計の前に敗れ去り、治承・寿永の乱では敵の虚を突くを得意とした九郎判官義経に平家方は終始後手に回った!
…あやつら騎士は誇りを取りて負けをとるか!!」
「へーえ あの雷神の化身みたいなチンゼイハチローでも火には弱かったの」
アバはのらりくらりと答える。
標準的な鎌倉武士の如き苛烈な人間と良い関係を構築できるのはアバのような元々の波長が合うタイプの人間、
また或いは…
「おすっ、ヤサブローさん!
捕虜どもに首実検させたら、主だった騎士どもの首 殆ど全部あったっス!」
「応、重畳!」
…このアゼルハートのように空気を読めるタイプの人間だ。
彼は良い報せを持たずに苛立つ鎌倉武士に近づいたり話しかけるような愚行はしない。それが出来るのは今いる中ではアバだけだ。
(異世界では他に、天然さで毒気を抜いてしまったり、矢三郎を頭ごなしに怒鳴れる異世界で唯一の存在だったり、何考えてるかよくわからんと矢三郎に評されてたりする妻たちが居るのだが、不運にも彼女らは悉くこの場にいない)
「パーティ長殿、討ち漏らしは如何程か?」
「確認するっス」
アゼルハートは懐からボロきれのような羊皮紙を血まみれの手で取り出して目を細める。
「リストに乗ってるのは大体は殺ってるっス
…当主となると未確認は残り二人、ちっさな分家のヤルフートとかいうとこの女騎士が一人と、あ、ブロート本家の当主がまだっス!ヤベェ! 」
狼狽えるアゼルハートに我らが鎌倉武士 矢三郎殿はがははと笑って答える。
「おう、其れはこやつじゃ! 先程 渡して居らなんだな、名は愚礼吾流!中々の太刀の達者じゃった! 」
上機嫌の矢三郎は鞍の後ろの首掛け(三番目の妻 ソマリ手製の逸品) から大きな顔面の首を外し、矢三郎の手柄を示す為に矢(矢羽根に彼固有の紋様が刻まれている)を目玉にドシュッと深く突き刺し、アゼルハートに投げ渡す。
「俘虜どもに見せよ」
「うす!」
「済んだ後には騎士と俘虜悉くを戦神に奉れ」
「う、うす…いくさがみ…」
「…知らぬのか!?
刎ねた首をば束ね 枝に吊るし 戦神に捧げ奉るのだ!」
異世界の一神教徒的にはかなり荒っぽい鎌倉武士の宗教観にドン引きしつつも 命令を実行するべくアゼルハートは生首を抱えて鎌倉武士から離れ、斬首役に指名した数人を引き連れて捕虜たちの元へ向かう。
その背中を眺める矢三郎の胸の内には驚愕と怒りと戸惑い、ほんの少しの望郷の哀しみがあった。
(…斯くも、斯くも我らとこの鬼世の者どもが異なるとは…!)
矢三郎はふん、と鼻息を吐いて何気なく太刀で空気を斬る。
その何気ない行動に恐怖し硬直した彼が跨った魔狼や周りの武士団員たちを全く気にせず鎌倉武士は思考を続ける。
(武者どもは馬上で弓引かず、戦に策を用いるを恥とする…
神々も違うておる! …あの若者は首を戦神に奉り 戦勝祈願することを皆目知らぬ様子… )
その時、アゼルハートが小脇に抱えた騎士グレゴール・ブロートの生首の、矢が立っていない方の目と鎌倉武士の目がチラリと合った。
その刹那、
突如 その鎌倉武士は怒りと驚きと殺意の篭めた両眼をくわっと見開いた。
その異世界的には驚愕すべき凄まじい形相に、思わず「うわっ」「おっ」 と近くの冒険者が驚くが、彼らには矢三郎がその表情を浮かべた鎌倉武士的理由は分からなかった。
(こやつらは! 俺が騎士どもの道理を知らぬと同じに我ら武士の道理を知らぬ! この矢三郎が矢に斃れし敵を見たとて、我のとりたる首と分からず、盗みおるやも!)
鎌倉武士、否、何時の時代も武士という生き物は己が手柄を奪われることを何よりも嫌う。
…そして前述の通り、矢羽根に個人固有の模様を描くことは弓矢をとる身である鎌倉武士の間では誰が討ったかの混同や盗まれることを防ぐ為に広く行われていた。(蒙古襲来絵詞の中でも矢羽根の模様の違いは詳細に見ることができる)
…しかし、その常識がこの世界でも通用するとは限らないのだと矢三郎は気づいたのだ。(無論 恐ろしい矢三郎の倒した敵を盗ろうとする者はいない)
鎌倉武士はすう、と息を吸い込み、武士団員全員に聞こえるほどの大音声で吼えた。
「二本の白線入りたる青き矢羽根の矢の身に立ちたる屍は悉く この俺 白石矢三郎の手柄ぞぉっ!!! 掠め取りし者あらば、耳を切り、鼻を削ぎ、面の皮を剥ぎて 地に磔じゃ!」
まあ これでわかったじゃろ、と鎌倉武士は一息つき、武士団員たちはこれからは絶対に青色の矢が刺さった死体には不必要に触れないことを決めた。
その時、矢三郎の元に何やら心底慌てふためいた様子の武士団員が刃欠けの斧を片手に必死に駆けて来た。
「ヤ、ヤ、ヤサブロー様ァ!!!!!」
「何事ぞ!」
「へい!実は騎士追っかけて河原に出たら…」
必死に駆けて来た男の必死の報告を聞き終わった鎌倉武士はワハハと大笑し、新たな獲物に向かって魔狼を駆けさせた。
今回の異世界鎌倉武士団の侵攻路と勢力圏
(前回までの行軍路は第三十九話を参照)
ドローム領を完全掌握し、朝駆けで三騎士家の最後、ブロートを破りました。
今回は鎌倉武士が今更ながら異世界人との「常識」の違いに驚くお話でした。 異世界人側は平常運転にドン引きしまくりです。
そしてしれっと前回 異世界騎士側の視点で鎌倉武士を評価してくれた騎士グレゴールは一騎討ちで討ち取られ、ブロート騎士家も(ほぼ)族滅されています。
レドアクス・ドローム・ブロートの三騎士家を族滅し、勢力を強めた鎌倉武士 矢三郎と異世界鎌倉武士団、彼らの今後は、そして最後、武士団員が河原で見た『新たな敵』とは一体…?
次回もお楽しみに!
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作中の矢三郎の鎌倉武士的セリフや描写について軽く解説したコラムのようなものを書きました。読み飛ばしても小説を読む上では全く問題ありません。
『戦神に奉れ』
軍記物語の描写に頼ることになるが、治承・寿永の乱の時代には既に首を取る・首をさらすことを武士たちは『軍神にまつる』という言葉で表現していた。
また、最初に討った敵の首を軍神に捧げ、勝利を願うといった習慣も当時から存在したようである。
室町時代以降は「血祭り」「血祭りに上げる」といった言葉に変化しつつも、軍神に首をまつる文化は脈々と受け継がれていった。
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『耳を切り、鼻を削ぎ、面の皮を剥ぎて 地に磔』
顔の皮を剥いで地面に磔にする処刑は「土磔」と言い、源頼朝が父 義朝を風呂で騙し討ちにした武士 長田忠致に行ったと伝わる。忠致は爪を剥がされたり 肉を切り刻まれつつ 数日かけて刑を執行された。
耳切り、鼻削ぎは平安時代には既に行われていた記録があり、鎌倉時代を含む中世〜近世の日本では一般的な刑罰として広く用いられた。
矢三郎の育った白石家では重罪人には上記の三刑を併用したりしなかったりしていたようである。(最も数日かけてじわじわ殺すような余裕は田舎武士にはないので基本は野ざらしかいい感じの時に殺すかである)
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