閑話 サー・グレゴール・ブロートの憂鬱
さぁさぁ やって参りました、
鎌倉武士は異世界へ 〜武士道とは鬼畜道と見つけたり〜 も、読者の皆さまのお陰で40話の大台も目前、そして 第四章 VS異世界騎士編も大詰めと相成り申した!
今回は閑話として『異世界騎士の側から見た』鎌倉武士という存在について、そして彼らが矢三郎の行動や策謀にどのような反応を示しているのか、それを騎士の側から描いたエピソードをお届けしたいと思います。
大陸西方ド辺境 ヤーク地方北西 ブロート騎士領 ブロート城 当主の私室
「どうしてこうなった…!
何なのだあの蛮族!?ヤサブロール・シラーシ… 奴は何者だ! どこから来た…!」
板金鎧で全身を覆った巨漢の騎士 サー・グレゴール・ブロートは憂慮し、憤怒し、思わず壁への独り言を激しくする。
それほどに蛮族襲来という事態は予想外だった。
譜代のレドアクス、土着のドローム、そして勇猛のブロート、 ヤーク領北西部を守護するこの三家は精強さでもって知られていたはずだった。 これまでは誰も我々に逆らわなかった。
「…おのれ、おのれ…!」
一ヶ月前、レドアクスが皆殺しにされた。
分家や庶子の者すらも絶えたという徹底ぶりであり、城壁に大量の生首が並べられていたという話もある。…が、ブロート領とは距離がある為 詳しくは分からない。
しかし兎角、レドアクス一族が皆殺しにされ 城と領地が占領されたことは確かだ。
「…おのれ、蛮族、おのれ…!」
そして半月ほど前、ドロームが蛮族と相見えた戦場で大敗北した。
戦場でその男を見た者曰く、件の蛮人は見るも恐ろしい顔立ちをした異形の黒い髪の男で、見たこともない変わった青い鎧兜を身に纏い、赤い弓を携えて黒毛の魔狼に乗っていたという。
『白石矢三郎経久ァア!見参ッ!』
…蛮人はそう名乗りのような蛮声を上げて先陣を切ってドロームの陣に突撃した。
そして、自在に駆ける狼上から巨大な弓を使って距離を取りながら、まるでカモでも射るかのように幾人も幾人も騎士たちを射落としたそうだ。
真っ先に射られ落馬死した当主レオフリカを筆頭に本家の者はある程度騎士を射殺してから抜剣した蛮族の頭目や彼を追いかけて正面から突っ込んで来た蛮族の軍によって尽く討死、兵士たちは逃げ散った。
そして その日のうちに守りの薄いドローム城は攻め落とされ、数少ない生き残りは我らブロートの元に逃れてきた。
…蛮人の風貌や戦の顛末はその生き残りたちから聞いた話であり、彼らがこの城にたどり着いたのは五日ほど前のことだ。
…そしてブロートも奴の領内への侵入を許してしまった。
未知の恐ろしい風貌の蛮人、騎士家を二つ壊滅させ、一つは完全に滅ぼした謎の殺戮者…
「…ええい 畜生め」
グレゴールの憂慮と憤怒は止まらなかった。怒りと共に姿勢は前のめりになり、既にその常人より突き出た額は石壁に衝突している。
「サー・グレゴール、アジャイ村を焼いた蛮人ヤサブロール・シラーシとその軍勢への対処をサー・アルバートが知りたいと仰せに…」
「やかましいわァ!!!!!」
グレゴールは振り向きざまに放った裏拳で背後から不快な報告をした相手の横っ面を殴りつけた。
…ガントレット越しに伝わる顔面を殴る心地好い感触が少し胸を空かせる。
「……ぬ?キサマ 分家のアナベルか!」
殴りつけた感触が素肌や革の頬当てのそれではなく 質の良い鋼の兜越しのそれであったことに気づいたグレゴールは殴り倒した相手を見、それが誰か悟った。
従者と思って考え無しに殴り飛ばした相手はブロンドの髪の美しい、分家の当主たる女騎士だった。
「…はっ サー、……私で…御座います」
身長2メートルに迫る騎士グレゴールは大力だ。
彼に横っ面を殴られてしまえば並の異世界人ならば首の骨がへし折れていたであろう。
しかし、女だてらに戦士階級たる騎士家の当主として鍛えられ幾度も戦場に出ているアナベルが咄嗟に力を込めた筋肉質な首はその強力な打撃から命を守っていた。
「済まぬ、気が立っておった」
巨漢の騎士はぶつぶつと早口で、ふらつきながらもガシャガシャと姿勢を正す女騎士に一切心の籠っていない謝罪を済ませる。
「勿体ないお言葉…」
吹けば飛ぶような小さな分家であっても騎士は騎士、殴り殺したとて誰も文句を言わぬ従者や領民とは違う。それなりの待遇で扱わなければならないのだ。
「…ヤサブロールはアジャイに留まっておるのか!」
グレゴールは焦りを悟られぬよう早口で女騎士に問う。
「…は」
「かくなる上は!この儂が直々に兵を率い、アジャイに居座る蛮族どもを打ち倒すぞ!!!」
…勇猛に見えるこの行動だが、これは恐怖故の行動だ。 精神的に追い詰められた巨漢の騎士は恐怖を消し去る為の行動として逃走ではなく闘争を選択した。
「そこの従者!騎士どもに出陣を伝えよ!」
「へへい!お任せを!」
ーーー しかし結局のところ、恐怖に突き動かされたグレゴールに率いられていては闘争も逃走も変わらない。思考を停止して逃げることも、思考を放棄して敵に突っ込むことも、本質的には同じことなのだ。
数々の戦史を紐解いても、小規模な合戦では概ね受け身になった方が負ける。 窮鼠が猫を噛むこともあるが、これは極めて少ない。
…騎士グレゴールは敵と戦場で相対する前から既に後手に回ってしまっている。
「儂のグレートソードを出せ!馬丁どもに馬に鞍をつけさせい!」
「サー!お待ちを!」
「…何だ?!」
がなる主君に、大兜越しの声で女騎士アナベルが言上する。
「蛮人ヤサブロールの侵攻は我らの手には余ります!ヤークの街に書簡を送り、伯からの援ぐ」
「黙れ!!!この儂に蛮人相手の戦で伯と代官様の手を煩わす大恥をかけと言うのかっ! ……これはむしろ好機! レドアクスとドロームを滅ぼした蛮族を皆殺し、ブロート一族の権威を高めるのだ!」
随分な大言壮語であるが、それ自体は悪くない。
例え夢想的でも飢えた人間ならば目の前に美味そうなエサがチラつかされれば全力を尽くす。
しかし、グレゴールの表情、立ち居振る舞い、声色には焦りと恐怖が隠せていない。 これではエサもエサにならず、事実、木っ端分家の素朴な女騎士ですらグレゴールの夢想に否定的な意見を隠そうとしない。
「しかし、ヤサブローウ率いる蛮族どもは連戦連勝! しかもこの二週間で休息を取り 村を襲い、腹も膨れています! もし負ければ取り返しが…」
「黙れ!ドロームの生き残りから話は聞いておるわ! …下劣な蛮族どもに精兵たるドロームの騎士が敗れたのは正面から蛮族どもの突撃の勢いに打ち負けた為!!!
確かに奴らは屈強だ!だが所詮 蛮族は蛮族、策を考える頭はない!!!」
未知の蛮族への恐怖で短絡的な行動に出ては居るがグレゴールも戦場往来の騎士、大雑把で差別的でもあるが、武士団の戦術への分析を行っていた。
ーーー だが、ここでもグレゴールは武士相手に後れを取っていた。
鎌倉武士が騎士を正面から打ち負かした、ドロームとの合戦、
矢三郎が敢えて損害覚悟で正面からぶつかった目的は 『 騎士を正面から打ち負かした 』 というインパクトのある実績を示し、戦術を用いた勝利であるレドアクス合戦の印象を薄れさせる為であった。
グレゴールは完璧に鎌倉武士の術中にハマっていた。
「 騎士の突撃で蛮族の陣を砕き、続く歩兵の攻撃で蛮族どもを制圧するのだ!」
巨漢の騎士は跪いた女騎士を背後に残し、甲冑を鳴らして厩舎へ向かう。
大兜で覆ったその顔に浮かぶ恐怖を押し隠した男の表情は、先程素顔を見ていた女騎士以外には誰にもわからなかった。