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幕間 河内源氏 覚へ書き その一

どうも読者の皆々様、作者で御座いまする。皆様 益々ご健勝のことと存じますが、作者は1回書いた鎌倉武士は異世界への次話が消えてしばらく死んでいました


が!


読者の皆様をお待たせするのはいかんと思い、継続して投稿できそうな番外編を用立てました!


これを読んで頂ければ鎌倉武士という生き物についてより理解して頂けると思います。


どうぞご照覧あれ!


 

 さて、読者の皆様。


「鎌倉武士ってこんなにキチガイなん?」


  「田舎の野蛮人だけじゃないの?平安貴族ってあんなに奥ゆかしいし、武士もそうでしょ」


 などと思われている方もいるかもしれません。


 ここは声を大きくして言わせて頂きます。


 み ん な キ チ ガ イ で す



 貴族の方も藤原家の坊っちゃまたちでさえ 天皇を殴りつけたり法王に弓を射掛けて 法王の従者の首を持ち去ったりしていますが、今回は武士の話なので割愛しましょう。以下でする武士の総本家たる河内源氏の紹介で理解してもらえるでしょう


 が、その前にひとつ鎌倉時代の記録である吾妻鏡から少し小噺を語りましょう



『吾妻鏡』


 御所の侍所に於て、宿直の田舎侍、鬪乱を起す。即時に死者二人、刄傷者二人也。

 去る夜の鬪乱者、宿直之間、枕相論に於て起る。

 刄傷の二人者、伊達四郎、萩生右馬允等也。死者は兩方の郎從也。


(御所の侍の詰所で宿直の田舎侍どもがケンカを起こした。死者は二名、刀傷を負ったのは二人であった。


 その夜のケンカはその四人の当直時、()()()()()()()()起こった。


 刀傷を負ったのは伊達四郎、萩生右馬允。死者は双方の従者であった。)



 寝る場所を巡って殺し合いが起こる。これだけで如何に狂っているかわかっていただけるだろう。


 …ん? 伊達四郎?伊達(ダテ)?伊達?伊達?



 そうです。この「伊達四郎」伊達家初代の伊達朝宗の四男、あの伊達政宗の遠い叔父に当たるのです 伊達四郎の父である伊達朝宗の母は由緒正しい河内源氏の当主、源為義の娘だと言われています。


 ね?やっぱりみんなおかしいでしょ?



 ーーーーー


 閑話休題でした


 多分これからシリーズ化する河内源氏の紹介。あの頼朝や義経に連なる系譜なのですが、トップバッターの悪対馬守以降 禄なヤツが居ません(断言) 彼の父の義家まではわりとマトモだった。今回頼朝・義経から見てひいじいさんとひいひいじいさん世代の二人だけです (といっても、子供作るのが早いのと上の子と下の子で親子ぐらい年の差があったりするので源平と割と時期は近いです)



 文章としては、


 名前→ 詳細な解説→ めんどくさい人の為に簡単に何やったかの説明→ 身内殺しのカウント


 に、なります。ではスタート!




 源「悪対馬守」義親


「将軍の長男義家、驍勇絶倫にして、騎射は神の如し ~ 雷の如く奔り、風の如く飛び、神武命世なり」と言われた類まれなる武の人 八幡太郎義家の嫡男で河内源氏を統べる後継者、


 な の だ が


 赴任先の対馬、九州で略奪・殺人・焼き討ちの三コンボの狼藉を働いて朝廷を怒らせ、定番流刑地の隠岐に流されるも脱獄、島根に渡ってまたもや略奪・殺人・焼き討ちを行い、父 義家の朝廷内での立場、ひいては源氏全体の立場を悪化させ、彼のあまりの狼藉ぶりに父の義家自身が息子である義親を征伐しようと覚悟したが、心労がたたってか義家は死んでしまった。義親は平清盛の祖父に当たる平正盛に追討され、都に首を晒される。


 彼が死んだせいで河内源氏内で跡目を巡る身内殺しが相次ぎ 源氏が凋落し、彼を討ち取って名を上げた平氏と大幅に差をつけられ後の世代に大きなツケを払わせることとなる


 やったこと: 父に殺さなくてはいけないと思われるほどの狼藉及びせっかく父が東北での戦いなどで名声を高めた源氏を衰退させた



 身内殺しカウント 奇跡のZERO でも父親が追討来てたらわからなかった


 源新羅三郎義光


 源頼義の三男。義家と後述の義綱の弟に当たる。甥の義親に劣らぬ畜生。若い頃は官位を辞してまで兄を助けに行った良い奴だった。


  悪対馬守の死後 河内源氏の棟梁になっていた義家の三男の義忠 そして自分より立場が上である「同腹の」(()()()()同腹の兄弟は腹違いの兄弟より父子の契りを交わすなど、強い絆で結ばれることが多い)兄である加茂次郎義綱を同時に抹殺し、棟梁となるべく謀略を起こす



 まず自分の部下である藤原季方と長男の妻の兄(彼の長男からすれば義兄に当たる)の鹿島三郎を兄 義綱の元へ送り込み、義綱の息子である義明の刀を盗ませ、その刀で先代棟梁 義家の三男にして現棟梁の義忠を殺害する (源義忠暗殺事件)


 現場に残された凶器によって冤罪を食らった加茂次郎義綱とその嫡男 義明は僅か13歳だった義家の四男であり、殺された義忠の弟である源為義(ダメ義)によって討たれる。当然この後ろには年若い甥を傀儡にしようとする新羅三郎の姿があった。


 彼が送り込んだ部下であった藤原季方は二人と共に殺され、長男の義兄 鹿島三郎は義満の手で生き埋めにされ、事件の真相を知る者はいなくなった。


 が、何故か真相がバレ、彼は常陸国へ逃亡、政治の中枢から遠ざかり、彼の棟梁への夢は潰えたのであった


 やったこと: 源氏の棟梁になりたくて次兄の息子から盗んだ刀で現棟梁のほうの甥を殺して次兄と甥に冤罪を被せ、冤罪の兄と甥を彼に騙されていた長兄の四男の甥に殺させた。陰謀に協力させた部下は追討のどさくさに紛れて殺し、同じく協力した長男の妻の兄、つまり息子の義兄は生き埋めにして証拠隠滅。けどバレたから関東にランナウェイ


 ちなみに佐竹氏の祖。


 身内殺しカウント 兄×1 甥×2 息子の義兄×1




源氏、ひいては鎌倉武士が狂っているのは義親さんの血が悪いと思う作者です。でも貴族も貴族でアレですから 仕方ないのかも知れません。


矢三郎が鎌倉武士なのも鎌倉武士だからです

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