第十話 交渉成立(?)
第一章の終わりです。
矢三郎は賢い男だ。
悪く言えば狡猾、良く言えば用心深い。そして、鍛錬を欠かさない手練の戦士であり、幼少の頃より祖父の荒人、父の隼人から英才教育を受けた彼は、どのような事態に巻き込まれてもどこか冷めた別の視点から見て最も理性的で効率の良い行動を本能で出来る稀有な男だ。
しかし我らが主人公 白石矢三郎経久は田舎者であった。それもド辺境、幕府の支配がギリギリ及んでいるような地域で生まれ育ち、遠方へも、都市へも出たことは無かった。
だから、敵とは太刀や薙刀でぶった切って殺すものであり、殺したあとは首を武器の先にぶっ刺して大笑いするものだとしか認識していなかった。暗殺や政治的に抹殺するなどの回りくどい手段は幕府の目のほとんど届かない辺境の矢三郎の故郷では用いられない。直接ブチ殺した方が遥かに効率的だからだ。奸計を用いるにしても、酔わせて襲う酒呑童子方式か、矢三郎が山下一族を滅ぼす時に使った婚姻の儀など防御が薄まり、弱っている日を狙うという、政争などではなくただただゲッスい戦術があるという程度だ。
故に、「毒殺」という概念を知らなかった矢三郎は女エルフの魔術師に差し出された薬を一気にぐびりと飲み干した。
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くーっ、五臓六腑に染み渡る!味は鉛を味噌で煮詰めたようなひどい味で、これっぽっちの量では全然酔えないだろうが、それを差し引いても迎え酒とは美味い酒だ。この強い酒は食道をつたって到達した胃を燃やし始じめ、やがて身体中に血を通して熱が行き渡り始める。
やがて、その熱はものを考えるためにあるという脳みそまで到達するだろう。
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(やっぱりアルコールってみんな大好きなのね〜) ペルはしみじみそう思った。お師匠様も「アルコールを嫌う剛の者はいない」と言っていた。彼女はあまり酒を飲む方ではないが、ギルドの人たち、パーティメンバーは酒豪ぞろいであった。
現に目の前にいる彼も瓶の中身の匂いを嗅ぐと、大声でなんとか!と叫び、一気に「カガクテキヤクヒン」を呷った。お師匠様が言うとおり、酒を嫌う武人はいないのだろう。
一滴残らず「カガクテキヤクヒン」を飲み干した青い鎧の人には、そろそろ変化が起きるはずだ。
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「ぐむう…?」
矢三郎は生涯で初めての感覚に襲われていた。酔いとも違う、何か変な感覚。
脳みそが頭蓋の奥に引っ張りこまれ、ぱっと離されて元に戻るような感覚が何度も続く。
(さ、酒が腐っていたのか…?いや、そんな身体が拒否する様な味ではなかった。鬼の酒はこのような脳みそが引っ張られるような酔い方をするのか?…いや、俺が酔うにしては量も濃さも少ない。じじ様秘伝の火酒の方が遥かにキツい。それに酔っていてはこのように頭も働くまい)
そして、脳みそを小刻みにガンガンと金槌で殴られたような衝撃と稲妻が頭蓋内を走り回るような激しい感覚と共に、矢三郎の話せる言語が一つ増えた。
「あの…言葉、わかりますか???」
「…鬼、貴様、何故日ノ本の言葉を話しておる。話せないのではないのか?」
矢三郎としては、異世界の言葉、鬼の言葉ではなく、日ノ本言葉で話しているつもりである。しかし、脳が無意識的に相手を見分けて自動的に西部地域人間語に変換、発音しているのだ。日ノ本語で話しかけようと思えば話しかけられるが、基本的に「相手に日ノ本言葉が伝わらない」という固定観念があれば勝手に脳と口が翻訳した言語で喋る。翻訳に違和感や漏れがあるかといえば、異世界内で最多の人口と歴史を誇る西部地域の人間語の多様なボキャブラリーの中から自動的に選ばれた、矢三郎の喋っていることに最も近い言葉・言い回し・文法は極めて古めかしい古語であり、なおかつこの世界の言語はオノマトペの多様性や文法など日ノ本言葉と共通点が多いため、口から出ている西部地域人間語と矢三郎が日ノ本言葉で言いたい内容にはとほとんど齟齬はない。(「大鎧」「太刀」などの独自の単語は翻訳されずに発音される。)
「ええ、まあ、色々ありまして、私にはあなたの言葉がわかるようになりました。」
この人は長話を好まないだろうと判断したペルが簡単に説明する。
「…そうか、しからば鬼よ。何が望みだ。なにゆえ俺に近づいた。望みがあるのだろう。さあ、話せ。オレハオマエタチヲコロスキハナイ。」
当初の方針通り、心にもないことを言う矢三郎。
「ゴブリン征伐を手助けして頂きたいんです!報酬はお約束します!」
ペルと彼女のパーティの渾身の願いであった。
「…『ごぶりん』?あの薄汚い薄緑肌の小鬼どもか」
「はい そうです…手強くて、私たちの手には余るんです。」
「…敵同士なのか?お前らと「ごぶりん」は同じ鬼だろう」
「全然違いますッ!」
ペルは無意識ではあるが、矢三郎との交渉が彼がこれまでこの世界で出会った誰よりも上手い。(まあ武力衝突以外のコミュニケーションを取ったのがペルが初めてなので当然ではあるが。)
言葉が通じて、矢三郎に皆殺しにする、油断させて皆殺しにする以外の選択肢が増えたが、ペルがここでひとつ間違えて、
「ゴブリン退治を助けてください!お願いします!」
などと言っていたら、旨みを感じなかった弥三郎はルート2、「油断させて皆殺しにする」を選択し、ペルを含む「赤角」パーティのメンバーは矢三郎にブチ殺されていただろう。
「「「報酬はお約束します」」」
この言葉に興味を持った矢三郎は、彼ら七人の鬼に対する処分をまずは保留とした。
「…その、ゴブリンを殺さば、褒賞を俺に寄越すのか。…俺の望むものをか。」
「あなたの腕が決めることです。」
現在「鬼」の闊歩する世界で情報もなく、孤立無援の矢三郎にとって、荒事をこなすだけで鬼たちについての情報を引き出せ、更に褒賞を貰えるというのなら 彼らを殺すより殺さないメリットの方が大きい。…少なくとも暫くは。
「重畳至極!この白石矢三郎経久、鬼女の歩き巫女のごぶりん退治に手を貸そうぞ。」
「交渉成立ですね!」
ペルが手を差し出す。
握手の習慣がないド辺境育ちの矢三郎は暫く顔にハテナを浮かべていたが、
なんとか、二人は握手を交わした。
「シライーシ ヤサブロー ツネヒーサさん、なんて呼べばいいんですか?」
「…普通に矢三郎で良いわ。貴様 次、真名を言ったら斬り殺すぞ。」
ーーー もし矢三郎が適応力のないタダのボンボンであったなら、一時的にでも鬼の下につくことに耐えられず、彼らを皆殺しにして森でほそぼそと生き続け、この世界について広く知ることは無かっただろう。しかし、矢三郎は土地を得ることと生存・適応の為には手段を選ばない男だった。
ペルがボソリという。
「…あの、私たち鬼じゃないんですけど」
「馬鹿を申せ。そのような面妖な顔つきの人間が居てたまるか、鬼女の歩き巫女。」
ピシャリと矢三郎が否定する。
「…面妖な顔… 確かに私は人間じゃないけど…」
世にも情けない顔をしていたペルは表情を引き締め、意を決した様子で言った。
「…あと、私にはペルという名前があります!『おにおんなのあるきみこ』じゃないです!ちゃんとペルって呼んでください!」
「……めんどくさい、歩き巫女でいいだろう。」
「ペルの方が短いのに!」
「さ、そうと決まれば即行動です!私の仲間のところに行きましょう!」
「応。お主の大将に俺への褒賞について話をつけねばならん。」
「そうじゃなくて、顔合わせ…」
「貝合わせ?都の女子がやるという下らぬ遊戯か」
「そういえばあなた異国の方なんですよね!あなたの国について教えてくださいよ!」
「…ん〜?俺は所詮 辺境の地頭。政や詩、都の流行りなど とんと分からぬ。お主が先にここについて話せ。俺は右も左もわからん。先程まで鬼の言葉もわからなんだのに。」
「鬼って言わないで!」
何故か馬の合う青鎧の武芸百般に秀でた百戦錬磨の青い大鎧のもののふと経験の浅い駆け出しのペーペー銅板階級の天然エルフの女魔術師は割とおぞましい内容の世間話をしながら葉っぱをかき分けて「赤角」パーティのメンバーの元へ向かった。
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「…俺は白石矢三郎経久、地頭家である白石家の当主にして、30の郎党を束ねる棟梁じゃ。白石隼人種久が子、剛勇で名を馳せた白石荒人征久が孫。」
「何言ってるか分かったか?」コソコソ
「呪文じゃねーの?」ボソボソ
「どれが名前だよ…」コショコショ
「結局外国語のままではないか」ボソッ
いくら手練の戦士とは言え、おどろおどろしい気配を発する矢三郎に引き気味のパーティメンバーたちはおしくらまんじゅうのように集まって何やらこそこそ言っている。
(…恩賞と情報を得たらこいつら殺そう)
「こ、こちら 矢三郎さんです!ゴブリン退治に雇われて下さりました!報酬については後ほど話しましょう!さ!みんな自己紹介!自己紹介!」
ペルが微妙になった空気と押している時間を巻くために顔合わせのピッチを上げていく。これから共に死線を潜る仲である。命を預ける、とまでは行かずとも、せめて名前と職業ぐらいは知っておいてもらわねばならない。
「さ、アゼルさん!パーティ長から!」
「えええッ!?」
ゴブリンの真っ黒の血と赤黒い臓物がミックスされた赤黒いドロドロプールのど真ん中に立っていた鮮烈な青の鎧とそれに負けぬほどの強烈な眼光が軽いトラウマとなっていたアゼルハートは相変わらず大楯のコキュータクスの背後に隠れていた。
「…『ぱぁてい長』…?『長』?
…まさか、この臆病者がお主らの長と申すか?」
「……はい、パーティ長のアゼルハートさんです。のうみ…」
ペルが代わりに紹介を始めると、アゼルハートはコキュータクスの背中から飛び出し、矢三郎の前にビクビクしながらも陣取り、目線を合わせると、早口でまくし立てた。
「な、な、な名乗りぐらい自分で出来るァ!お、俺はアゼルハート!このパーティのリーダー!農民の出だから今こそ姓はないが、いずれ貴族みてえな苗字を王様から授かってやる!俺は伝説になる冒険者だ!お、覚えとけっ!」
ファーストコンタクトから矢三郎にビビり倒していたアゼルハートはこのままではパーティ長の面目と自身のプライドが持たないと猛り、恐怖の権化たる矢三郎に精一杯の啖呵を切った。
「…度胸だけはあるようだな。」
アゼルハートの目に安心と喜びの色が浮かぶ。自分より遥か上の実力を誇るおぞましい気を発する武者に曲がりなりにも褒められたのだから。
ーーー しかし、ここで褒めたままにしないのが白石矢三郎という男である。
「があああぁあああぁあ!!!!!!」
白い歯を剥き出して不意打ちで半分ぐらいの本気の気迫を込めた白石家伝来の威嚇の咆哮をアゼルハートに放つ。
そのギラギラと輝く目玉と大迫力の声にアゼルハートは泡を吹いて気絶した。
地面にばったり倒れたアゼルハートを一瞥し、矢三郎がため息を吐きながら言う。
「…こりゃ度胸があるかどうかも怪しいな」
「違えねェや」
場も和み、緊張も溶けたところで、パーティのメンバーは誰ともなく名乗り出す。
「…アバ。シグルズの子、アバ。追跡者、弓と手斧を使う。北の入江から来た。」
「ササラです。精霊遣いをやってます」雰囲気のキツい黒髪の女がそう名乗った。
「コキュータクス」重装の甲冑で全身を固めた大楯とハンマーを持った大男が名を名乗った。
「イヅマと申す」シワシワの老人がそう名乗る。
(…名前ぐらいしかわからなかったがどうでも良い。褒賞とこの変な場所の情報を得られれば良いのだ。)
「あ、あちらで眠っているのがホルトーさんです。熟練の傭兵さんです。さっきは矢三郎さんに命を助けられたと感謝していましたよ!」ペルが大出血して貧血で眠りながら銅板階級のチープな回復魔法でじわじわと回復しているホルトーの紹介をする。
「…あの男、生きておったのか!」
「ええ。回復魔法と止血魔法をかけたのでなんとか。」
「その魔法とはなんだ」
「知らないんですか?」
「俺は腕が千切れかけた人間を助けるどころかあれだけ大量に吹き出す血を止める方法すら知らぬぞ。」
「ええっと、魔法というのは、魔素というすべての生き物の中に存在する物質に神々が加護を…」
「ああ、そういえばお主は歩き巫女だったか!歩き巫女といえど、曲がりなりにも巫女であったな。神様のお陰か」
納得した様子の矢三郎はそれ以上聞かなかった。
「…それで、『ごぶりん』を皆殺しにしてほしいのだろう。さあ、『ごぶりん』とはどんな鬼なのか知っていることを全て教えろ。全てだ。しからばこの俺の策をくれてやる。
…この白石矢三郎経久、族滅には慣れておるでな。」
「赤角」ギルドとビジネス関係を結んだ矢三郎!次回より我らが主人公の極悪なる魔策が開花するッ!
次話より新章突入!




