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「アヤノさんに告白したの」
「うん、でも気持ちの整理がつかないって言われた。きっとダメだと思う」
英士の帰国が迫ったある日、僕らは再び彼の部屋で話していた。
あの緑と茶系の綺麗なソファにもたれて、英士が淹れたコーヒーを一緒に飲んでいた。
ブルーのグラデーションで麻の風合いが良いセーターを着た英士は、ソファの背に片腕をもたせかけて僕の方を向いて言った。
「そうかな、今の僕にはお前がすごく魅力的に見えるけどね」
「英士に言われてもな」
「でも清貴は自分に正直でブレないからいいってこと。僕は好きだな、これも恋って言うのかな」
涼しい顔でそう言って僕を見た、彼のグレーの瞳はいたずらっぽく笑っていた。栗色の髪にセーターの色が映える。
最近の英士は撮影でも大人っぽくなったと言われているけど、僕も印象が変わったと思っていた。
壊れそうに進藤先生のことを思い詰めてた頃の彼とは違って、余裕を感じるしすごく惹きつけられる。
この前のライブの時に「僕の後輩だな」と彼に言った進藤先生も、どこか眩しそうに英士を見ていた気がしたんだ。
「めちゃくちゃだよ、お前って」
不思議と気持ちを乱される彼のグレーの瞳をかわして僕は言った。
英士は、皿に載せてきたドライフルーツのオレンジに少しチョコレートが少しかけられた菓子をつまんでいた。
「でも、恋って理不尽で自由だって、英文先生を見てていつもそう思ってた」
「愛せないって、そう言われるまで諦められないってのが今はわかるよ」
「自分に正直になったら止めらんないだろ、清貴」
漂うコーヒーの香りの中にほのかなオレンジの香りが混じり合った。
「うん、そのかわり前より楽になった。もう相手に気持ちを隠さなくていいからさ」
「理不尽で、自由な気持ちをね」
そう言った英士はソファにもたれたまま、不意に空いてる方の手で僕の頭を引き寄せたかと思うと、唇を塞いだ。
薄く閉ざされた瞳を隠す栗色のまつ毛と白い頬が視界に入り、柔らかく温かな英士の唇の感触に僕はうろたえた。
コーヒーとオレンジの香りがする、英士。
唇が離れた。けれどグレーの瞳がまだ至近距離から僕を見つめている。
「最初は清貴のこと、クールぶってて煮え切らない意気地なしと思ってた。でも、話したら違うってわかった。そして今こうして二人でいたら僕は、清貴に誘惑される」
「英士」
「不愉快だったか、でも僕は謝らないよ。ふざけたわけでもない」
「やっぱりめちゃくちゃ言うね、不愉快じゃない。でも僕は応えられない」
「ふん。もうわかってるさ、二度としない」
自嘲気味に英士は言ったけど、最近の彼が変貌した理由が少しだけ理解できた気がした。
進藤先生に向かって、一途に太陽を見つめて追い続けるヒマワリのようだった彼は、今はもう追いかけるだけの存在じゃないのかも知れない。
英士も太陽みたいに、誰かの心を焦がしては金色の夕映えを残していくのだろうか。
その出来事から数日後、彼はアメリカに帰った。
彼が旅立つ日、僕は仕事で見送りはできなかったけど、いずれボストンかニューヨークを訪ねる約束をしていた。
アヤノさんとは、今日の仕事の後に会って二人で話すことになっていた。
今日の仕事の現場は別々なので、噴水と大きな木があるイルミネーションを見たあの公園で待ち合わせていた。
僕は先に着いて、少しだけ彼女を待っていた。
アヤノさんは視界の向こうから歩いて来て、僕を見つけると微笑んで小走りになった。
急がなくていいのに、そんな風にそばに来られたら今度こそあなたを抱きしめてしまうよ。
そう思いながら僕は笑顔を返した。
僕のそばに来たアヤノさんは、やっぱり僕の胸元に頭が来るくらいの背丈だ。
今日は眼鏡じゃなくて切れ長の目に街明かりが映り込んで煌めいていて、綺麗だと思う。
こんなに近くに彼女がいることが、もう今日で最後だとしたら。
期待しちゃいけない、そして今日が二人で会える最後だとしても忘れたくない、と思っていた。
「待たせてごめんなさい、清貴くん」少し息を弾ませたアヤノさんが言った。
「ううん、大丈夫です。ここは好きな場所だから」
あなたを待ってる時間までも大切だから。
そして僕を見上げたアヤノさんに尋ねた。
「アヤノさん、気を遣わずにはっきり言って。やっぱり僕のこと、愛せないですか」
思い合う幸せは大きくて、手に入れたい、手放したくないものだと思う。
でも恋して、叶わなくて、やっとわかることもあるんだろうな。
想いが届かなくて、失って別の誰かの心に気がつくことも。
「清貴くん、私……」
その後に起こったことは、僕たちの上に枝を広げていた大きな木だけが知っている。
英士、それは今度お前に会ったら話すよ。
完