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「話したい事があるから、うちに来てほしい」

 英士から、そう単刀直入なラインが入ったのは夏休み中のことだった。

「いいけど、お前ん家ってどこ?」

 仕事では会うけど、相変わらず高校では別に親しい間柄じゃないし、遊び仲間でもない。

 いきなり家に呼ぶなんてどうしたんだろう?

 あまり良い予感はしない。

 英士が伝えて来た住所は都心の、あの最初に彼を見かけた噴水がある公園からほど近いタワーマンションの一室だった。

 2LDKだという部屋は深いグリーンを基調にした家具が置かれ、広い居間にはアップライトのピアノとCDや楽譜、種類の違うギターが数本に大きなディスプレイのPCなんかがある。

 片付いてはいないけど、気ままに悪くない感じで散らかっているその部屋には他の家族がいる気配はない。

「そこに座って」と彼は緑と茶系の混在する織地が美しい大きなソファを指した。

「英士って一人暮らしなの?」

「今はね。実家はこの上の階にあってそっちにも部屋はある。けどここは防音だしスタジオがわりの僕だけの部屋」

 そう彼は言って、今両親はニューヨークにある家で生活しているそうだ。

 英士ってすごいセレブじゃないか。

 でも彼はそんな僕の感心をよそに、表情は曇っていてどこか機嫌が悪そうだった。

 冷えたミネラルウォーターのボトルを持って来てくれた彼は溜息をついてソファにもたれかかると、うつむいて言った。

「あー最悪だよ。ほんと最悪、僕は参ってるよ。清貴知ってた?アヤノさんと英文先生が付き合ってること」

「嘘だろ、知らない。いつから」

 急にガツンと殴られたくらい、あり得ないショックだった。

「知るかよ、でも僕は間抜けだよ。くそっ!どうしてこんな……」

 英士は心底悔しそうに、自分の手で栗色の髪をクシャクシャに乱した。

 でも、どうしてわざわざ僕を呼んでこんな話をするのか。

 まさか英士もアヤノさんのことを。

 ざわめく胸に耐えかね、思い切ってそれを彼に尋ねてみようとした時「僕はもう五年も英文先生が好きなんだ。すごく尊敬してるし恋愛感情を持ってる。清貴がアヤノさんを好きなのと同じようにね!」

 英士がまっすぐ僕を見て吐き出すように言った。

 否定なんてさせない、と言わんばかりの眼差しで。

 でもその瞳はそのまま彼の進藤先生への想いも物語っていた。

「え、進藤先生なの?僕はてっきり英士もアヤノさんのことをって、そう思ってた」

 何かの勝負を挑んでくるみたいな英士に虚を突かれて、つい正直な気持ちがすべり出た。

 こうなったらもう隠したって仕方がない。

「英士の言う通り、僕はアヤノさんが好きなんだ。でも、どうしてアヤノさんをライブに誘ったのさ?」

 戸惑いながらそう訊くと英士はちょっと意地悪い笑みを浮かべて言った。

「お前が変にためらって、あの人に近づこうとしないのにイライラしたから。僕がアヤノさんを誘ってオッケーもらったら、お前はどう出るかって思った」

 僕はまた驚いた。

 英士にアヤノさんを気にしてるなんて言った覚えはないのに気付かれてた。

 彼とは恋バナする仲じゃないし、僕に隙があり過ぎだったのか。無意識にアヤノさんのこと見つめすぎていたとか。

「変にって……、僕は高校生だしあの人に相手にされるなんて思えない。だからもっと仕事で力つけて、少なくとも子供じゃないって思われたいだけだ」

「ふーん。でもそれはお前の理屈で、あの人の気持ちじゃないかも知れないだろ」

「どういうこと?それは」

「あの人ってさあ、かなり色っぽいと思うけど?清貴だってじゃあ、『高校生だし』とか言ってる頭ん中で、想像であの人に何してるか言えるわけ?」

 僕は変わらず直視してくる英士の酷薄なグレーの瞳から思わず視線を逸らした。

 一人の時にあの人を想う心の底まで見透かされてる。眠れない夜のこともきっと。

「お前何なの?どうしてそういうこと……イラついたからって」そう反論しかけたら「清貴、誘惑されたことってある?」英士はソファから体を起こすと、僕に身を寄せて低く言ってきた。

 そして突然僕の両肩に手をかけるとソファの背に押さえつけた。

「英士、急に何する!」

「アヤノさんが先生を誘った、きっとそうだ。くそ、お前が意気地なしだから英文先生を盗られた!馬鹿!意気地なし!」

 勝手なことばかり言う英士に僕も腹が立ってきた。

「アヤノさんのことをそんな風に言うな。お前こそ、自分が振られた腹いせに勝手言ってるだろ。さっきから聞いてれば、……」

 僕は英士の両腕を掴んで引き離そうとした。

 でも彼の手は僕の両肩から簡単に離れず、もみ合いになって二人ともソファから床の上に落ちた。

 僕は英士の下敷きになり、彼は腕をついて起き上がると言った。

「清貴、……ごめん。怪我しなかった?」

 英士はさっきまでの意地悪い顔つきとは打って変わって、プロのモデルとして本気で心配しているのがわかった。

 怪我や痣を作れば仕事に支障が出かねない。

「大丈夫」僕はうなづいて見せ、二人とも気まずい感じでソファに座り直した。

「子供だから相手にされてないのは僕の方。進藤先生からはっきり言われた。英士はもっと大人にならなきゃダメだって。僕には今経験すべきことがたくさんあるからって」

「英士は先生に言ったの?好きだって」

「それはもうニューヨークにいた頃に言ってる。じゃあ大人になったら愛してくれるの?って。そうしたら、約束はできないってさ。先生は僕がタイプじゃないんだ、僕には魅力がないんだ!死にたい、先生に愛されないくらいなら死んじまいたいよ!」

 きつく目を閉じて顔を歪めた英士は酷く痛ましかった。

「十三の頃から僕は進藤先生についてる。初めて会った時から好きだ、もうずっとだ。僕を受け入れて欲しい」

「でも英士、先生は弟子としてお前のことすごく大事にしてくれてるじゃないか」

「わかってるよそんなこと。ただそれは僕がほしい愛じゃない。先生のそばにいたくて僕はこっちにきたっていうのに。そうさ、子供を相手にしないのは世界中どこにいたって正しいことだろうさ」

「うん、それは間違いなくそうだろうけど。英士が日本に来たのってそれが理由だったの」

 離れたくなくて、好きな相手を追いかけてアメリカからこっちの高校に編入して来るなんて。

「お前ってめちゃくちゃ!自由すぎる。そこまで進藤先生のことが好きなのか?」

「それが何だよ、誰かをめちゃくちゃに好きで悪いか!先生の前の相手は男だった、その前も。それが今度は女だってのがどうしようもなく気に入らない。嫉妬まみれで苦しいんだよ」英士は息を吐いた。

 英士も進藤先生も僕の理解を超えてるけど、英士がそこまで先生を想い見つめ続けていることはわかった。

「女にどう張り合うかなんて、全然わからない。それに僕はどうしてこうも清貴のことを傷つけたいんだろうな」

「知るかよ、でも僕は別に傷ついてない。でもそれは結局僕たちが似てるからじゃないのか」

「清貴は何でそう余裕があるかな。最初に見かけたときから、僕が負け犬みたいになってる時ばかり現れてさ。それが気に入らないのかな」

 あの時英士がずぶ濡れになっていたのは、彼のクラスの連中の仕業だと後で知った。

 授業中にうるさいのは迷惑だと彼らに向かって言い放ったり、連中に金を貸せと言われて断ったとか。

 編入するなりズバズバ言ってのけた英士の態度が気に入らなかったらしい。

 しかもギターの才能があり女子にも騒がれていたし、英士は目立つ要素だらけだった。

 いつでも歯にきぬ着せず毅然とした英士を気に入らなかった奴らが英士を囲んだ。

 英士の音楽プレーヤーを噴水に投げ込んだ挙句、彼を噴水に突き落としたのだ。

「余裕なんかないって。今はもうこれ以上ないくらい絶望的だし」力なく僕は言った。

「くだらないことする連中のことはどうでもいいのに、清貴には負けたくない」

 英士がそんな風に言う方が意外だった。彼と話しているうちに僕は理解した。

 僕と英士は二人ともお互いにライバルと感じていた事を。

 嫉妬し合い、そしていつしか深く認め合うようになっていたと。

「そこは同じだ。僕はお前に負けたくない」

 そう言った僕に彼はグレーの瞳を向け声を立てて笑った。

「お前、いつかちゃんとアヤノさんにアプローチしろよ」

「今は無理だろ、でも諦めない」

 英士の笑顔を見てたらどうしてか僕は強気になった。

「うん、諦めなくていいと思う。先生は近づく相手をあっという間に虜にしてしまうし、でも何て言うか愛されてる自覚がないんだ。ただ太陽みたいに容赦なく輝いて相手を照らしてじりじりさせておいて、いずれ突然去っていくんだよ」

 英士はそう言って、さらに切なそうに付け加えた。

「僕がどれだけ愛してるかなんて知っちゃいない。今のあの人にとって僕はただ一個の才能で、子犬みたいなギター小僧なんだ」

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