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別の部屋で、もう仕事を始めているアヤノさんの姿を見つけた。
でもその隣には英士がいた。二人で何か話してる。
僕は彼女を横取りされた気がして面白くなかった。
英士のやつとは同じ学年でもクラスは別だし、普段も一緒に仕事の現場に来たりはしない。
今日はあいつの方がホームルーム終わるのが早かったんだな。
先を越された上にアヤノさんと二人で話して笑いあってるのを見せられて余計イラつく。
でもこの気持ちを英士には知られたくない。
僕は呼吸を整えもやもやした気持ちを引っ込めて、いつも通り元気な感じで挨拶した。
「おはようございます、アヤノさん。今日もよろしくお願いします」
「おはよう清貴くん、よろしくね。同じ学校なのに英士くんと一緒じゃないんだね」とアヤノさんが言う。
「まあ、違うクラスだから」と僕。
英士がちらっとこちらに視線を投げて
「今さ、アヤノさんをジャズライブに招待してたとこなんだ」と言った。
英士が有名な先生についてジャズギターを習っているのは知っていた。
普段からよく音楽を聞いてるみたいだし、高校にもギターケースを抱えて来てることがあり、特に女子の間で話題になってる。
「へえ、それ英士が演るの」
また嫉妬にもやもやしながらも、僕は冷静を装って言った。
「違うよ、英文先生のライブ。でも、僕も初めて二曲だけ共演させてもらうんだ」
そう言った英士は僕とは逆に、いつになくテンションが高い。
進藤英文さんという人が英士のギターの師匠でアメリカと日本を拠点に活躍しているジャズギタリストだ。
テレビのジャズの番組なんかに出演したりCMにも曲を書いたりしているそうだ。
進藤先生に心酔している英士が時々話すのでジャズなんてうとい僕も洗脳されて、進藤先生についての知識がインプットされている。
英士のハイテンションは恩師との初共演だからなのか?それともまさかこいつもアヤノさんのこと?
いや、まさかな。
「それ、アヤノさんは聴きに行くんですか」
「行こうかな。アコースティックギターのライブだって聞いたし私ギターの音って好きなの。進藤先生の演奏はCDで聴いて知っているわ。英士くんが演奏するの聴きたいしね」
アヤノさんが微笑して、あの綺麗な形の唇がそう言った。
そうなのか。アヤノさんはそのライブに行くのか。
「じゃあ清貴も来る?」
全くのついでみたいに英士がそう聞いて来た。
英士の演奏があるってのが癪だけど、アヤノさんが行くのなら僕も聴いてみたい。
「ええといつだって、場所は?」
「金曜日の夜八時から」
先生と英士がライブを演るという店の場所は未成年の僕が普段は歩かないような、洒落たバーとか大人が行く店が立ち並ぶあたりだった。
「場所わかるかなあ」と少し不安になった時、
「清貴くん、私とどこかで待ち合わせて行こうか」
アヤノさんがそう言ってくれた。
「え、いいですか?心細かったから嬉しいです」思いがけない展開に僕は即答した。
横で英士がうっすら笑ってるけど、知らないものは仕方がないし僕にとってはチャンス到来だ。
じゃあ、という自然な流れで英士と、そしてアヤノさんとライン交換してもらった。
アヤノさんと個人的に会えるなんて初めてで、嬉しすぎて携帯を出す手が震えそうになる。
僕はそうっと深呼吸してやり過ごした。
英士は明らかに、しょうがない奴だと僕を見下すような態度を隠そうともしない。
一応仕事の上では僕の後輩ながらニューヨーク帰りのあいつに先輩を立てるという概念はなさそうだった。
英士はギターケースを抱えてレッスンに向かう為、街中を歩いているところをモデルにスカウトされた。
日米ハーフのニューヨーク帰りの帰国子女で、身長は僕とほぼ同じ。
スリムで上品な雰囲気のある英士は、あっという間に売れっ子になった。
少し年配の人向けの女性誌では「彗星のごとく現れた感性豊かな美少年」ってことで取り上げられていたらしく、それは伯母から聞いて知った。
「清貴、あなたとこの英士くんって子は同じ高校だったのねえ?こんなイケメン男子が揃って、二人ともモデルなんて学校でかなり騒がれるんじゃない」
うちでその雑誌を手にした伯母にそう言われた。
女子は確かに仕事の話とか聞いてくるし、普段からこちらをチラチラ見たりされてるのがわかる。
「清貴くん、服選ぶの付き合って」って女子グループから言われて一緒に行動することなんかもある。
入学してからこれまで何度か「好き」とか「付き合って」と告白されたこともある。
でも何かが違うんだ。
それなりに付き合ったこともあって楽しい事も色々あった。けど誰かに対して心底手に入れたい、離したくないとこれまでに感じたことがない。
「連絡が少なくて寂しい」とか「清貴くんって意外に冷たいんだね」とか拗ねられても、ただ何だか気持ちが重たくなって疲れてくる。
僕は結局自分本位で冷たい人間なんだろうか。
でも、アヤノさんを想う時のような妄想めいた気持ちは感じない。
側にいるどの女の子からも、触れたくて眠りを奪うほどの気持ちに困らされることがない。
僕が女性と感じるのはアヤノさんで、周りの女子にそうした気持ちを持ったことがない。
年上のアヤノさんの事を僕は好きなんだ。
対する英士はどうなんだろう。
普段のあいつは無口だし、どこか人を寄せ付けないオーラを放っていて、それは多分わざとそうしているのだろう。
編入して来た当初は、綺麗で大人しそうな見た目とは裏腹にクラスの男子連中と色々やりあったりもしていたようだ。
噴水での水びたし事件もその一端だった。
違うクラスからこっそり見に来たり影で盛り上がっている英士ファンの女子たちにも関心がないみたい。
そんな英士と僕は最近、一緒に仕事することが時々ある。
僕は黒髪で英士と見た目は違うけど、同じブランドの服で使われたり同じ雑誌に載ったりする。
出身校と学年が一緒のモデルってのも話題になるらしい。
そして二人ともスタイリストのアヤノさんと組むと雑誌の売り上げもいいようだし、関係のショップからもかなり絶賛されるんだ。
英士がデビューする前はアヤノさんと仕事上の相性が抜群にいいってことが僕の誇りだった。
こうして彼女の側にいて努力して、もっともっと仕事でも彼女にも認められたらと思って来た。
でもアヤノさんは最近英士との仕事も増えてきていて、それがまた僕をジリジリさせる。
それに関して僕ははっきりと、英士に嫉妬している。そんな気持ちが鬱陶しいと思うけれど離れない。
仕事から帰宅し夜になってアヤノさんからライブに向けてのラインがきた。
そして待ち合わせの場所を詰めたんだけど「もし学校のお友達とか、彼女と行くとかそういうことになったら、私に気を使わないでね」だって。
アヤノさん。お願いだからそんなこと言わないでください。
こんな年下の高校生の僕と一緒になんてって、後から気になったのかな。
でも僕はあなたとがいいんだ。アヤノさんと一緒がいい。
それなのに、と悲しくなる。
なんて返すのが正解?
そう考え込んでしばらくベッドに倒れこんで枕に突っ伏していた。
「彼女はいないし、周りにジャズとか好きな子もいないんでボッチ参加です。だからよろしくお願いします」
あなたが好き、と言うことはばれたくないし。
ひとしきり考えた末にそう返した。




