Barehart(後編)
後編です。
なんでBarehartなのかの説明もします。
テーブルを前に対面する彼らの前には今コーヒーが一杯ずつ置かれ、芳香と共に温かな湯気を揺らめかせている。
向かって左側にセドリックとウェバー、右側に男。
彼はそれを一啜りして言う。
「名乗るのが遅れたな。俺はカスパー・ベルンハルトだ。四代続くこの店の店主をやってる」
二人も同様に答えた。
「俺はセドリック・シャープ、こっちのウェバーも含め六人――いや、今のところは五人か。それくらいの仲間とともにこの世界に来た者だ」
「右に同じくウェバー・ソロモンです」
「五、六人となると部隊か? それも、同じ所の」
「そうだ。六人目も同じだが、いろいろと事情があってはぐれてる」
「なるほど。ま、よろしくな」
「こちらこそ」
挨拶がすむと、カスパーはふと後方の木棚へ身をよじって一冊の本を取り出した。
縦二十センチ余り・横十数センチ、厚さ二センチと少々。
ドイツ語で書かれたタイトル以外には装飾もなく、いたってシンプルな茶色の装丁である。
「これは別世界からの人、物の流入とそれに関わる歴史の変遷を示したもんでな、前は役所が製作してた。今あるこいつは廉価版みたいな物だったりするが、多分読めないだろうから本文は気にしないでくれ」
表紙をめくるとすぐに目次が現れる。
タイトルに同じくこちらもドイツ語だった。
「廉価版とはそういうことか」
「おう。つまるところの現地民向けだな」
「教科書か何かか?」
「ハハ、廉価版を使うケチな学校があるかよ。それに子供向けな書き方してねぇしな、いい年こいた大人がこの手の学問を齧りたいときにってのならあるが」
それからカスパーは机に置いた本をめくり、眺めつつ、少しずつこの世界についての解説を始めた。
「まず人や物の流入が始まったのは大体二、三百年前のことだ。当時はこの町の辺りも辺鄙な村と、ただデカイだけの森が広がってるだけだった」
めくられた本の一ページ目にその地図らしい挿絵がある。
西側には海が広がり、そこから内陸に上がって少しすると樹海クラスの大きな森がある。
街の原体だったであろう村は森の北側に面していた。
「流入が始まる前はその村もただの平和な田舎村だな。採ってきた木をちょっと加工したのをそのまま使って家を建ててたんで、どっかで見た絵はそこらじゅうログハウスか掘っ立て小屋って具合だったようだ」
カスパーは次のページをめくる。
「長いこと平和にしてた村だが、最初の流入が起こる直前のことだ。樹海のあたりからどうもおかしな物が出て来始めた」
そこでセドリックが疑問を呈した。
「その"おかしな物"は流入した物とはまた違うのか?」
「いや。詳しく言えば面倒だが、今も居るものだ。"オールド・カインド"なんて呼ばれる連中でな、言わばモンスターってとこか。当時から森の中でも未開のエリアに棲んでたとされている」
「"オールド・カインド"……」
「当然その時まで人里に現れる事なんて一度もなかったもんだから大混乱よ。しかもそのあたりから頻繁に出てきては村にも被害を与えるもんだから、まあ荒れだす訳だな」
そこで彼は挿絵の一つを指差した。
「こいつはその中でもひときわ目立つ、諸説あるが大将みたいなもんだな」
挿絵には背景に立つ森の、さらに二倍の高さはあろうかという泡立つ黒い山のようなものが映っていた。
根本のあたりからは同じ黒の触腕を放射状に十本ほど伸ばしていおり、恐らくは生物だろうと考えられる。
体中に目のような斑がついているのが特徴のグロテスクな物体だった。
「何です? これ……」
ウェバーも思わず本をのぞき込むように見、読めないドイツ語と挿絵を交互に見ているようだった、
「今でもよくは分らん。"何か邪なもの"とだけ形容されている」
コーヒーをまた啜って続ける。
「不幸なことにこいつはとんだ災害だった。村はこいつを含めたオールド・カインドの襲撃に遭って半壊、移転を余儀なくされて今の場所に至る」
「そこから数か月か、一年ほどした時には最初の漂着者が現れた。あー、どっかに絵があったな」
しばしページをめくって六章ほどに達したときにその絵があった。
今となっては上流階級の者しか身に着けないような黒いインバネスコートにフードを被り、顔は嘴状のマスクで隠されている。
マスクには目となる丸いレンズが付けられているが、不透明で表情は識別できない。
先程の生物に負けず劣らず奇妙な見た目をしていた。
「名前はサイモンという」
「流れ着いた当時は十か二十そこそこだったらしいが、後にこの町の今の礎を築くことになった人物だ。近づけなくなった森の周辺に跋扈するオールド・カインドを一ヵ月そこらで単騎一掃し、本格的に人の流入が始まってからは制度整備にも携わってきた」
「単騎だって? ……マジかよ」
「ああ。村じゃ大層祭り上げられていたらしい」
「まさに英雄ってわけか」
「そうだな。そのあとも色々やってるから、今サイモンについて詳しく喋るにはちょっと無理があるって具合だ」
カスパーはコーヒーを飲み干すと大きく息を吐く。
「んで、次は今がどうなってるかってことだが――」
この後はアイゼンシュタインから聞いた"制度"について少し掘り下げた形での話だった。
国家レベルではどういう動きがあるのか、それに伴って経済や技術はどう変わっていったかという話が主だ。
「――ま、今のところはこれくらいか」
一通りを話し終えたカスパーは本を閉じた。
すでにセドリックもウェバーもコーヒーを飲み終えていたので、彼は三人分のカップを流し台のほうへ下げる。
「もう一杯いるか?」
「ありがたいが、午後から行くところがあってな。そう長くは居られないから遠慮するよ」
「僕もです」
「んん、用事があったのか。それはすまんかったなぁ、引き込んじまって」
「いやいや。まだ時間はあるから大丈夫だ」
「それなら良いが」
流し台から戻ったカスパーは改めて二人に向き、今度はより真面目な様子で再び話し始めた。
「そういえば、もし小一時間ほど余裕があるならしておきたい話があったんだが……できそうか?」
「勿論だ。ウェバー、あとどれくらいある?」
「まだ一時間半はありますよ」
「そうか。なら頼む」
カスパーは軽く頷いて続けた。
「これは俺の店の話にもなるんだが……」
"Hepas Barehart"は計二百五十年少々、カスパー含め四代によって続けられてきた。
その看板も土地も初代から変わっておらず、命名の由来などなど記録も大方が残っているのだという。
「"Hepas"は漂着者の持ち込んだ何かの神話からって事は分かるが、初代の命名で未だ解せないのは"Bernhard"じゃなく、意味の近い"Barehart"を使ってたことだな。それが変わらずずっと継がれてる訳だが」
Hepasの語源はセドリックが思うにヘパイストスに違いはないように感じられた。
事実、それは鍛冶の神としても知られている。
「なるほど。二百五十年前が創業なら、物の流入が始まって間もない頃だな。なかなか先進的な人柄だったのかもしれん」
「ああ、実際そうらしい。流れ着いた物を……まぁ具体的に何だったかは知らんが、持ってきて売りに出してたと記録に残ってる」
カスパーは節目節目で思い出すように天井へ視線をくれながらそう話した。
「現代のコピー生産もその延長線上か」
「そういうこともあるな。俺の親父や爺さんなんかも、初代が拾い物を売りさばいてたノウハウを継ぎつつもって感じだったろう」
コーヒーを一度大きく呷った彼は一息をついて少し調子を変える。
「んで本題に入るが、今俺のやってる商売は火器販売だけじゃなく、漂着者相手……ことにあんたら兵士みたいな部類に提携を持ち掛けるってものだ。これは親父の代から始めた新しいビジネスでな」
「俺達を呼び込んだのはその関係、か」
「そうだ。まあ、どちらにせよ弾薬や交換パーツで世話になるだろうとは思うが」
「確かにな。多少関わりがあって損なものでもないな」
カスパーは口角を少し上げて続ける。
「だろう? 提携の具体的な内容は、こちらから武器弾薬を安く提供する代わりに依頼を受けてもらう。この店自体一部行政の外注に入ってるから、相応な額の金銭的な報酬も出る。
依頼は物資の回収や治安維持などの行政偏りな場合もあれば、ウチが個人的につながりのある商人・採掘業者なんかの護衛である場合もある。
総合的な報酬額は役場や工場あたりで開発やってる連中にも負けてねえぞ」
「なるほど。なんだかうまい話にも聞こえるが」
「リスクも相応だからな。さらに今は人の流入がそもそも減って人材不足なもんで、一件あたりにかかる報酬が増えてる。もしあんたら、それに別に来てる仲間を含めた分隊クラスに受けてもらえれば、この町も含めてお互い得になると思うんだが……どうだ?」
セドリックは少し迷うように目を伏せたが、すぐに見返して言った。
「うむ、聞く限り確かに損な話ではない。今俺の一存で決めることはできんが、帰ったら取り合ってみることにする」
「そうか、助かるぜ」
ここまでの話が済んで時刻は十一時時過ぎ、そろそろ戻っておくに越したことはない時間だ。
「さて、話も一段落ついたようですし戻りますか。時間もいいとこですよ」
「そうか。じゃあ俺達はこれでおいとまするよ」
「おう、すまなかったな」
セドリックとウェバーは椅子を立つ。
「いやいや。助かったよ、良い話が聞けた」
「あとコーヒー、ご馳走さまです」
カスパーも心なしか嬉しそうな表情である。
そうして二人は店先まで見送られ、元通りアイゼンシュタイン宅に向かったのであった。
……
二人が見えなくなった頃、店では上の階から一人の老婆が下りてきてカスパーと話していた。
「おや、お客が来てたのかい」
「んん? まぁ――この先そうなるだろう奴らがね」
「そうかい、そりゃ久しぶりだねぇ」
続けて老婆はさっきまで三人のいた裏方に入り、そこを一瞥する。
ふと壁にかかった写真の方を向くと思い出したようにまた話しかけた。
「クリストフはまだ仕事なのかい」
写真に写るのはカスパーとその妻らしい女性、老婆自身と老爺。
中心には一人の青年が映っている家族写真だ。
「そうだよ」
二人は親子らしい、どこか億劫そうな調子で話している。
「……クリストフで思い出したけどあの二人にいうの忘れてたなァ、不純物のこと」
そうぼやきつつ裏方に戻ったカスパーも同様に写真を見やった。
「時間がたてば自然に気づくじゃろ。それかいっそ、あの子らに会わしてみるか?」
「ハハッ、それも手か」
老婆は気だるそうに裏方を離れ、表に出て郵便受けを開く。
二、三通の手紙と新聞紙を一枚とって戻ろうとした最中、その一面記事を見て急にあわただしく部屋に戻ってきた。
「あんた、これ見たかい」
「何だい」
見出しにはこうある。
"サイモン氏、近く五十年ぶりの帰還か"
それを見るなりカスパーも目を丸くした。
「何、本当かよ? 実は死んでんじゃねえかとずーっと思ってきたんだがなぁ」
老婆は紙束を裏方のテーブルに置いて座る。
「まあええわ、あの子らが戻ったら言っといてあげな」
「うい」
「それとコーヒー一杯淹れとくれ、飯がまだだよ」
つまりサイモンの服装はペスト医師っぽい何かです。
ところでBarehartはとある知り合いに店の名前考えるんだが何かないか?って聞いたときに教わったものですがあいにくスペルがわかりません。
仕方ないね。