脱出
序章、カイル編はいったんこれで終わりです。
次回からはカイルの部隊員たちの視点でお送りします。
ひとり見知らぬ森に取り残された青年は辺りを取り囲む木の、嫌につややかな樹皮に背を預けたまま放心しているところであった。
森の中はたまに聞こえる葉擦れや風の吹き抜ける音が支配し、時折それらが足音のようにも聞こえる。
(足音なら良かったんだがな……化け物じゃなけりゃ誰だって良い。クソ。)
またしばらく考え、目を瞑る。
この後どう動くか?いつまで物資が持つのか?仲間は?
そもそも、動いたところで意味があるか?
(……)
そうして考えに耽っているうちに、緩やかな眠気さえ襲ってくるのだった。
―――――
「――なぁ、生きてるか? ……おーい?」
「んっ!?」
半分眠りかけていたカイルは唐突に肩をたたかれて現実に戻った。
驚いて反射的に後ろを見れば三人の男がこちらを覗き込んでいることがわかる。
さっき肩をたたいた男は直毛で前髪の長い黒髪、首に変わった柄の石でできたネックレスを下げて丈の長い上着を着ていた。
奥にいるうちの一人は腕の付け根や胸に黒いタクティカル・ベルトのようなものをつけ、背には黒い弓(複合弓にも見える)を背負っている。
左目の虹彩だけが天然にはなさそうなくらいの澄んだ青で、どうやら義眼らしい。
最後の男は一人目に似ているが髪に少し癖があり、眼鏡をかけていて黒や暗い紫の混じった長剣を携えていた。細い釣り目で厳格さを感じさせる風貌である。
全てが唐突すぎて困惑しているこちらの様子を察したのか、最初の男が流暢な英語で話しかけて来た。
「ああ、心配する事ぁ無えよ。全員人間だ。俺はこの森から西へ行ったところの町に住んでるベルンハルト。後ろの青い目の奴はツェーザル、隣にいる人相の悪いのがフリッツ。見た感じじゃアンタ、他所の世界から来てるんだろ? 町まで案内するぜ」
他所の世界、と聞いて昨日の仮説が固まった。
少しの間のあとカイルは口を開く。
「他所の世界、ってことはああ……やっぱりか。クソ」
「その具合じゃちょっとは察してたみたいだな。まあ街に行けばアンタ以外にも他所の世界から来た奴はそう少なくねえから安心しな」
ベルンハルトは苦笑気味に肩をすくめた。
「そうなのか……」
「んじゃ何はともあれ付いてきてくれ。ちょっと歩くことになると思うが大丈夫か?」
「ああ。まだいける」
それから彼らについて森を西に行くと、不思議なことにたった数キロ進んだあたりで地形に変化が現れた。
木の密集率が下がり、あたりも明るくなってくる。
「すげえな、北に進んであれだけ変化が無かったのに。」
「この地域は森の中心でずーっと平らな危険エリアだからな。バケモンは湧くし、目印もクソもない地形だから慣れないと永遠に出られなくなるぜ。」
「ならあの―いや緑色の肥えた奴なんかもここにしか出ないのか?」
「トロールな。あれはデカイ森やら洞窟やらの人が手を付けにくい場所ならどこにでも出るが、見たのか?」
「ああ。四、五匹相手にすることになった。」
「ほぉ―、あれは意外に機動力あるからめんどい部類なんだぜ。初見じゃまずかったかもしれないがな」
「それは身をもって体験したよ。ただ手榴弾、えーとちっさい爆弾でそいつらを片づけた後、一匹も見てないのがちょっと気がかりになってるんだが……」
「そりゃ火とか炸薬の武器には連中ビビりやすいからだ。あれの天敵が火系ってのが大きいな」
「なら良かった。てっきり伏兵だとか、こっそり追ってくるものかと思ったが」
「ヘヘッ、そいつぁ杞憂よな」
……
街に向けて移動を始めたのが朝ということもあり、森自体を出るのは日没ごろとなった。
「よーし、そこが門だ。こっからはジープの出番だからゆっくり休めるぜ」
彼の言葉通り視界のうちには重厚なコンクリートの隔壁が見える。どうやらあの奥がゲートになっているようだ。
「……案外別世界っても、そんな変わった所じゃないのかもしれんな」
ジープがあるというあたりから、技術的には元の世界と変わらないくらいのものかと予想する。
それに意識していなかったので気づかないでいたが、ツェーザルは大腿用ホルスターに四インチ銃身のリボルバーを差していた。
考えてみればそうだ、三人の恰好は武器を除くとどう見ても現代らしい。
ファンタジーさながらの怪物と対峙したことと、この世界の文化的要素に触れていなかったことが相まって少し意外な感じも受けた。
がしかし、ベルンハルトを見ると少しまずそうな顔をしていた。
「いや、これは元々この世界にはないものだ。あんたと同じく別世界から来た奴が使ってたもののコピーか、単体で流れ着いたものの現物まんまだな。」
「えっ?」
「そっちでの"中世"時代を思い浮かべてくれ。まあ中世と一口に言っても難しいだろうが……どっちにせよ、大方俺らが聞いたことのある世界にゃ大方そんな感じの時代があるはずだ。あんたがどこの世界の出かは分からんが、まあすぐ見るから大丈夫だと思うぜ」
「そうなのか。中世については大丈夫だ。つまりは地は中世、そこへ別世界の人間が技術をもたらしていって今に至るという具合か?」
「そういう事だ。ただ技術レベルとしてどれくらい浸透してるかとか詳しく言うと複雑になるけどな。まあ車はゲートの外に着けてるから、そこまで頑張ってくれ」
ゲートに着くとツェーザルが先導を変わって隔壁の横についているアナログ制御盤を操作する。
すると発動機の音がして隔壁がゆっくり下降し、ゲートと隔壁との中間エリアが姿を現した。
真っ先に目に飛び込んでくるのは三門の機関銃がのぞくトーチカである。
周囲には金属製の拒馬や有刺鉄線が置かれていて意外とモダンな防衛線が敷かれていた。
(機銃付きの防衛線、思ったよりずっと現代的じゃないか)
トーチカの奥へ進むとゲート本体に着く。端にある監視室には兵員がおり、ここも同じくツェーザルがそこへ話した後にゲートが開けられた。
開いたゲートの先にはこれまでの鬱蒼とした湿地林はなく平原が広がり、なによりまともに太陽が照っている。
雲のない快晴の夕暮れだった。
広大な平野の地平線に煌々と輝く太陽が投げかける赤い光は、暗闇をさまよい気の萎えていたカイルにとって何より心に沁みるものだった。
――ここまで夕日の綺麗に見えた日はいつぶりだろうか。
そう感傷に浸っていると、用意されていたジープのドライバー席にいつの間にか乗りこんだベルンハルトがエンジンをかけながら言った。
「よし。じゃああんた、助手席へ乗ってくれ。町へは三十分もすれば着くから、そこまででいろいろと説明させてもらうぜ。ツェーザル、フリッツ、お前らは後部座席だ」
「「おうよ」」
彼らの言葉ではっと我に返る。
「ああ、すまんな……ありがとう。」
カイルは小走りにジープへ向かい、残る二人も同じく後部座席に座るといよいよ車は町に向けて走り出した。
助手席からは見渡す限りの赤い平原が見える。その果てには巨大な霊峰が鎮座し、ちょうどその麓に一本、同じく夕日を受けて赤く輝く灰色の線が佇んでいた。
町とはあれの事だろう。