予兆項
今回は二千文字に満たない小片です。
リアルが魑魅魍魎蔓延る地獄の様相を呈してきたのでクルシイ
ブレンダン・クラッグルヤードは夕食の前に電話をとった。
「もしもし」
電話口から響くは低く渋みの強い男の声。
「ウチだ。今日は珍しく仕事が入ってな」
その指示語の示すところはへパス・ベアハートである。
電話の主は店主であるカスパーに違いはない。
「急で悪いが、もし明日出られそうなら頼みたい」
「明日か」
いつになく早足の日程に、烏のような仮面を着けた青年は少し首を傾げた。
「まあ構わんがね、受けるぜ。だがどうした? この時期にそんな急ぐべき仕事があったとは意外だな」
「火急の用なんだと。森で人探しらしいんで案内は居るだろうしな、それにもしかするとウチの倅にくっついていってるかもしれんそうだ」
幾度か顔を見たことのある青年を彼は思い浮かべた。
たしかあと二人ほど仲間を連れてよく歩いているのも見たことがある。
「そうか、クリストフか。ま、俺たちも暇してたところだしいい機会だ。時間は?」
「正午ごろがいい」
「わかった。支度をつけておく」
軽い挨拶ののち電話は切られた。
顎から額まで顔全体を覆う、ある種オオハシの嘴にも似た仮面。
黒く装飾もあまりないこの仮面をもっとも精密に言い表すものはまさに烏であった。
ブレンダン――以後ブレン――はこの仮面をめったに外すことはない。
クラッグルヤード・クランという小社で樹海に携わる仕事で暮らしている彼は、その師・サイモンと非常に近しい門下生のうち一人としてそれを着けていた。
このクラッグルヤード・クランはブレンとその兄弟子、師が創設にかかわった企業である。
従業員数は本格的な企業ほど多くはないが、それでもサイモンの門下生を多く抱えるのと業務内容から街でも中小企業とはいえない役割を占めていた。
基本的な営業体制はブレンが街に常駐して仲介や関連業務を行い、兄弟子が森に居を構えさまざまの実働に勤めるのが基本のやり方だ。
先に受けた仕事の電話ももちろんこの社としての仕事である。
近年の流入者と現象発生の低下のあおりを受けて最近の仕事は軒並み件数が落ちて暇を持て余している彼にしてみれば、この久々な依頼は逆に生き返るような思いだった。
切れた受話器を置かずにフックスイッチを手で押すと"山林管治局"へダイヤルする。
「もしもし、アイゼンシュタインさんは居られますか? あ、ご無沙汰してます。はい、久々に仕事がありましてね、ええ。やっとですよ。なのでまたあいつに頼みたいんですが……」
ブレンは電話口に向かって先ほどの要件を伝え、兄弟子への連絡事項を手短に伝えた。
「これでお願いします。いえ、どうもお疲れ様です。はい。失礼します」
彼は受話器を戻してふぅと一息ついた。
そして近くの机に置いてあった紙巻き煙草とジッポ・ライターに手を伸ばし、そのまま一服に移る。
仮面の口にあたる接合部が解放され、分厚いカッターナイフのような形の歯と長い舌が一瞬覗いたかと思うとすぐに紙巻きを咥えて見えなくなった。
ブレンはいつもこのようにしてよく煙草を吸う。
しかし一般に良しとされる口の圧を使った口腔喫煙という吸い方は仮面では難しく、もっぱら肺まで煙を吸い込んでいた。
大きく煙を吐いて彼は思う。
「オヤジもそろそろ帰ってくる、か」
――もしこの仕事が済んで以降も暇が余り、師が再びこの社に顔を出したらばそのときは連休にして飲みにでも出かけよう。
烏はそう考えて夕食を作りに奥へと消えていくのだった。




