最初の逸脱
どうも。狂気の第一話目です。
カイルは聴覚インプラントの発するピープ警報音に起こされた。
背には硬く木のような感触があることから推測するに、これにもたれかかって気絶していたのだろう。
そして今一つはっきりしない意識の中で瞼を開けた先には全く見覚えのない薄暗い湿地林が広がっていた。
「……は?」
確かに記憶している限り最後に居た場所は森林だ。ただ、このような湿気た森では決してない。
訪れたこともないような鬱蒼とした森である。
ところどころに覗く木漏れ日によって日が昇っているらしいことが分かるが、それにもかかわらず木の密度と背の高さが相まって夜にも近い暗さを呈している。
気味悪い印象だった。
「何だここ? ・・・・・・それになんだこの警報。ARディスプレイまでノイズ塗れじゃねえか、インプラントがバカになってんのか?」
どうやら体内に埋め込まれた視聴覚デバイスが誤動作を起こしているっているらしく、耳元からのピープ音が鳴りやまない上に視覚へのノイズもひどかった。
あまりに激しいショックや電磁的な障害を受けたときに起こるエラーの一種だ。
(再起動で治るか? ・・・・・・クソ、状況がサッパリ分からねえ。)
五感からなだれ込む情報の多さと全てが突然のことなだけに思考が迷走しそうになるが、それをなんとか持ちこたえてインプラントの再起動から始める。
再起動自体は簡単だ。本体はもちろん網膜と耳小骨周辺に埋め込まれているものの、首の裏に取り付けられた制御盤から処々の操作を行うことができる。
マニュアル通り首に手をまわし、探り当てた電源スイッチを二秒押し込んだ。
[視聴覚:オフライン]
電源を切るとシークエンス音声が再生され、対応する感覚が一時的に遮断される。十秒ほどで再起動が完了するまでこの状態は続くのだ。
[……再起動……]
しばらくの無音と真っ暗闇の後で電源供給が再開されたことを示す軽いハム音が聞こえ、間もなく再起動の完了を伝えた。
[視聴覚:デバイスは正常に再起動されました]
(よし、ちゃんと動くな。なら早速位置情報サービスの出番だ)
「――ん? 利用不能だぁ?」
磁場的な問題だろうか、さらに調べてみると無線などの通信もあらかた使えないようだった。
「おいおい、こんな時に限って頼りねえな……」
そうして一通りの通信サービスがつぶれていることを悟ったところで、改めて状況を整理する。
始めに感じるのは目覚める前後で場所が決定的に違うらしいこと。
これは視覚的に明らかである。しかも相当大きく深い森であるのか、ほとんど夜のような暗さを持っているのだ。
このぶんだと日が暮れる前に抜けるのは困難、となれば夜をしのぐため簡単な野営拠点くらいは作っておくべきと考えられる。
ただ地面の具合からみるに、拠点を設営するにしてももう少し乾いていて平らな場所が好ましい。
次に装備。
今背負っているザックには標準で数日から一週間分の糧食のほかに、万能スコップ、飯盒、水など野営につかえるものが一式詰められることになっている。
しかし事態が事態ということもあり、念のため中身確認もついでにすべての装備・所持品のチェックをすることにした。
武器についてはメインアームに担いでいたSR-16ライフルとその予備弾倉、サブアーム用にレースホルスターで腰につけているMEUピストル、ベルトとザックに破片手榴弾と攻撃手榴弾が各三つ。
ファイティングナイフが一本、小型ポンプ式擲弾筒が一丁とその榴弾を含めた弾薬パッケージも数箱ついていた。
武器以外には前述の野営装備と、運のいいことに私物の鋳造機が入れっぱなしになっている。
後は体内に埋め込まれているインプラントが目と耳に、さらに小型通信装置を内蔵したデバイス制御盤が首、その他[義肢]とよばれる機械動力パワードスーツの一種が両手両足の背面についているのとボディアーマーなどを含めた戦闘用衣類といったところで全てだ。
「よし、これだけありゃしばらくは持つか」
特に欠損のなかった装備に軽い安堵を覚え、荷物を詰めなおして小銃をかついで木から立ち上がる。
とりあえず拠点設営できそうな所を探すか、と移動しようとしたその時だ。
先ほど直したはずのデバイスからまたしてもアラート音が鳴り響いた。
「おう再発か? ――いや、これは……」
しかし、今度は明確な脅威オーバーレイ付きである。
その指す後方を見れば体長は三メートルほどもあろう肥えたクリーチャーが立っていた。
「ヴ"オ"ォ"ォ"ー……」
低いうなりを発し、体格には不相応な小さい禿頭が据わった不格好なデカブツ。
体色は不健康な薄緑、恐ろしいほどの脂肪を腹に纏わせた体から生える腕には丸太のような棍棒が収まっていた。
いささか知性があるようには見えない圧迫感ある外見と唸りはカイルを即座に戦闘態勢へと導いた。
クリーチャーの方もそのつもりらしい。目が合うが早いか唐突に発された咆哮と共に、怪物は棍棒をこちらに向かって振り上げる。
「クソ!」
幸いそれの動きはひどく重鈍だった。その隙を利用し、素早く頭を狙って短いフルオート射撃で反撃する。
ダダダダッと短い炸裂音が四度響き、放たれた初弾は続く三発を引き連れて直ちに怪物の眼窩へと殺到した。
入射した弾丸は薄い骨と軟弱な組織を引き裂きつつ頭蓋の一部をかち割って貫通。
この初弾によって制御系を破壊されたデカブツは追い打ちの三発もモロに受け、数秒ほど支離滅裂な叫びと共に鉄球を振り回した挙句に激しく倒れ込んで沈黙した。
インプラントで補強されているとはいえ慣れた手捌きである。
装備は古くても本職の勘が味方しているのであろう。
ただ、とっさに発砲したのはマズかった。
(マズった! 銃声で別の奴らを呼んじまったか……)
さっきありがたかった癖はどこへやら、補助聴覚がいくらかの重い足音を拾い始める。
聞く限りには五体前後だろうか、移動速度は意外に早い。
今これを処理しきるのはいささか無理があると悟るや否や宛を考えるより先に全速で走り出した。
加えて義肢の拡張アクチュエータ(動力装置)を使い走力をあげてはみたものの、デカブツは一分もたたないうちに薄暗い森でもその顔をぼんやりと認められるほどに迫ってくる。
凄まじい体力だ。
「何だコイツ等はァ!? 寄ってくんじゃあねえ!」
制御しやすいMEUピストルに切り替えてけん制射撃を始めるがなかなか致命打を与えられず、怪物の分厚い脂肪層が相手では四十五口径もそのパワーを生かせない。
何よりその図体からにわかには想定しがたい走力を備えているのがもっともの脅威だ。
加えて不幸なことに、さっきのチェック時点で義肢のバッテリーが十パーセントを切っていたのが痛手となった。
義肢の自動電源管理によって出力に制限がかけられる仕様がある以上、このままで奴らを引き離すことはまず困難と考えるのが妥当だろう。
「ああクソ、こんなときに!」
出力制限自体は解除できるがもちろんそんな暇はない。
しぶとく追ってくる奴らは疲労の兆候もなく、ついにピストルがホールドオープンする。
「こっちもか、畜生!」
弾の切れた銃をホルスターに仕舞い、しばらく走りながら策を考えた。
この状態、位置関係でライフル駄目だ。ザックの中に特別武器はないし、ナイフはあるがまさか使おうとも思わない。
それなら義肢で殴り掛かっても大差ないかという次元、どのみちあのデカブツ相手には考えたくない事である。
有力候補の擲弾筒もザックの奥に誤って仕舞い込んでしまった。
さて、あれこれと可能性を消去して最後に残ったのは手榴弾である。
(あぁ、そうだった。手榴弾。完全に忘れてたが……ベルトについてるフラグなら何とか使えるかもしれねえ)
手榴弾はザックの専用ラックに三、ベルトのホルダーに三ずつ二種類がついている。
フラグは破片手榴弾の事で、広範囲に破片をまき散らすという比較的防御的な性格を持っているものだ。
物によって特性こそあれ、一対多の状況に対する打開策として手榴弾は最もシンプルかつ古典的な方法ともいえるだろう。
ただし、これはその特性上十五メートル前後にわたって致死級の効果範囲を持っている。つまるところ、このようなケースでは自爆の可能性さえ十二分にあるというわけだ。
本来ならばより効果範囲の狭い攻撃手榴弾を使いたいところだが、わずかに釣ってあるザック横まで手が届かない。
これしかあるまい。
腹をくくったカイルはピンを抜き、少しでも爆発の影響を受けないように全速で走った。
義肢も稼働を続けさせながら自分も全速力を以て連中からできるだけ遠ざかるよう試みる。
頃合いを見計らってレバーを落としたら、後は投擲のタイミングを待つのみだ。
じっと焦りと緊張に耐え、来る二秒前――
「くたばれ!」
罵倒もついでにクリーチャーの一体へ当たるように手榴弾を投げ、頭を抱えて泥中に飛び込んだ。
狙い通りの位置に当たった手榴弾は即座に炸裂、爆風で最も近い三体の上肢を吹き飛ばし、残る後ろの二体も頭や足などに無数の破片を受けて倒れた。
爆発の周囲の樹木も巻き込み大規模な破壊が起こったが、幸い泥の地面に高低差があったことや、上等のボディアーマーを着ていたことが重なって致命的な破片を受けることはなんとか免れた。
やがて一通りの倒壊が終わると森は静かになり、カイルの緊張が少し緩む。
「ああクソ、どうだ……?」
顔をあげてみると十数本の倒れた木と肉片、その他有機的な破片が焦げ臭い火薬のにおいと共に泥に沈んでいた。
付近の木には骨と金属片らしい物がいくつも突き刺さっている。
飛び込んだところがくぼんでいなければまずかったかもしれない。
「……ふーぅ、助かったぜ」
拡張聴覚も他なクリーチャーの足音は拾っていない。
やっと全てが終わったような気になり脱力しする。
あまりの疲労感からか、泥の中だったがしばらくの間仰向けに寝転んで休んだ。
(さて、休めたはいいがこりゃ早いとこ安全を確保しねえと絶対にマズいな。どうしたもんか……)
とは言えこの混乱に混乱が重なってひどい疲労を感じている今、できることは大してなさそうに感じた。
それに今相手した怪物。
薄々雰囲気の異常さは感じていたが――常識をもって考えれば到底あり得ない事であるとは承知の上で――もしかするとこの森は、どこか別な世界なのではないか。
少なくとも人が未だ立ち入ったことのないような場所であることは間違いない。
(……)
カイルはしばらくこの最悪の仮説に起き上がることができなかった。