310話 「街外れの塔 3」
寒空の下、八木はいつも通り仕事に励んでいた。
一つだけ違うところを上げれば現場にうーちゃんが付いてきている事だろう。
「寒い……」
ずずっと鼻水をすすり、手をこすり合わせる。
動いていれば暖かくなるかと思った八木であったが、やはり風が吹くと寒いらしい。
「しっかしなあ、注意しろって言われても……意味ないんだよなあ」
うー(うまうま)
白い息を吐き、昨日のやりとりを思い出す八木。
出かける際に気をつけろとは言われたが、気を付けても吸血鬼相手には意味がないこと。
そして頼みのうーちゃんであるが……。
「うーちゃん食べ過ぎるとご飯食べられなくなるぞ?」
う(べつばらべつばら)
缶にたっぷり詰まったクッキーを頬を膨らませる勢いでもりもりと食べていた。
吐いた息で八木の視界が曇る。
「べつばらってそれしか食べてないでしょー」
うっ(しょっぱいのもある)
「おう……」
そういう意味じゃない、口に出掛かった言葉を飲み込む八木。
昼食を前に耳をへんにょりさせるうーちゃんを思い浮かべ、また小さく息を吐くのであった。
「八木さん、お客さんっすよ?」
「へ? ……わかった今行くよ。 うーちゃんお願いしてもいいかい?」
うー(おー)
仕事をちょいちょいこなしていると不意にモヒカンから声が掛かる。
八木のお客ということであるが、別に珍しいことでは無い。毎日とはいかないが週に何度かは八木を訪ねて客が来るのだ……だが今日は別である。
事前に吸血鬼の話を聞かされていた八木は表情を硬くさせると、うーちゃんを連れ客の元へと向かう。
(まさかいきなり来た? それとも普通の客か……?)
客が待っているという簡易小屋の前で一人悩む八木。
だが、本当の客であった場合いつまでも待たせる訳にはいかない、意を決してドアノブへと手をかける。
「お待たせしました」
「初めまして。 ニーナと申します」
中で待っていたのは恐ろしく綺麗な女性であった。
艶やかな髪に、陶器を思わせる白い肌。 ありふれた表現ではあるが人形めいた美しさを持つ女性であった。
「……はっ!? あ、は、初めまして、八木です!」
一瞬見とれていた八木がはっと気が付いたように身を震わせると、慌てて名を名乗る。
(っべー! むっちゃ美人さんじゃん)
にこりと微笑む女性を見て、思わず鼻の下が伸びる……が、そこで背後からうーちゃんの蹴りが八木の尻に入る。
「いだっ……ええっと、それで本日はどういったご用件で?」
蹴りの痛みで浮かれていた思考が落ち着く。
八木は何とか椅子に腰かけると女性に向かい話しかけた。
「実は折り入ってご相談したいことが……」
「む……」
少し伏目がちに、そしてちらりと上目遣いで八木を見て話す女性。
が、八木は動揺する事はなかった。
美人を前にして内心はしゃぎまくっていた八木であったが、今度は逆に至って冷静である。
(落ち着いてみると結構良い服きてる……どこかの良いお嬢様? いや、もしかして貴族……うっ)
目が合うよりも先に八木の視界にはいっていたのは女性の恰好だ。
生地は上等であるし、目立たないながらにも所々装飾がついている。
首に掛けられたネックレスには精密な金細工と宝石が下品にならない程度に飾られていた。
貴族だろうか? そう考えた直後、八木の脳裏に皮剥ぎ未遂事件の光景が浮かぶ。
「その、仕事が立て込んでいまして……」
「あまりお時間は取らせません……お仕事が終わってからでも良いのでどうかお願い出来ないでしょうか?」
八木が選んだのは何とか断る道であった。
だが仕事を理由に断ろうとするが、女性は終わってからでも良いと縋るような視線を八木に向ける。
「んん……そ、それじゃ昼に宿に戻って食事取りますので、その時でよければ」
「ありがとうございます!」
そうなると八木も強く断ることは出来ない。
二人であうのは論外であるし、周りに出来るだけ知り合いが居てほしい……と言うわけで宿で話を聞くことで妥協するのであった。
一方その頃加賀は……。
「……何時もと変わらないね」
「そうね」
午前中の買い物を済ませ、今はパン屋の隣でいつもの屋台を出しているところであった。
行列が出来るほどではないが、客は途絶えることなく来ている。 このままいけば程なくして用意したものは全て売り切れとなるだろう。
「んー……屋台出してる時は周りに人いっぱいだし、もし来るなら買い物中? でもさっきは特に何もなかったよねー」
「そう……どうかな」
屋台を出している場所が場所だけに周りには大通りを行き交う人々、それにパン屋の客など大勢の人がいる。
そんな中で何かしてくることは無いのでは、と予想する加賀。それにアイネも同意しようとするが、ある方向をじっと見つめ同意するの止める。
「……ねえアイネさん」
「ん」
「何か変わったお客さんが要るんですけど」
加賀もアイネの視線に気が付いたらしく、そちらをじっと見つめていた。
二人の視線の先にいるのは真冬だというのに胸を開けた服を着た、どこぞのドラゴンを彷彿とさせる男性であった。
もっとも、こっちは超がつくほどイケメンではあるが。
「……」
ちらりと加賀の様子を横目でみた後、無言で冷たい視線を男に向けるアイネ。
男はそれに気が付かないか、それとも無視したのか加賀の元へと一直線に向かい声を掛けた。
「やあ、これはこれは美しいお嬢さん」
「あ……はい」
久しぶりに聞いたお嬢さんという言葉にピクリと反応しつつ、加賀は男の声に返事を返す。
「噂を聞いてやって来てみればまさかこれ程とは……いや、この出会いはまさに運命だと思いませんか?」
「思いません」
何だこのナンパ野郎は、内心毒を吐く加賀。
開いた口から思わず毒が漏れてしまう。
「ははは! これは手厳しい! 泣きそう」
「どうぞ」
ばっさりである。
「ははは!」
加賀の受け答えが面白かったのだろうか。男は目を潤ませながら笑っていた。
「と、これは失礼。 私としたことが名乗るのを忘れるとは」
「いらないです」
名乗ろうとする男に対し、断ろうとする加賀。
帰れと言わないだけまだ優しい対応だろうか。
「私の名はヨハンと言います……宜しくお嬢さん」
男はそう言って名乗ると加賀の手を取り口づけを――
「……」
――しようとした所、横から伸びたアイネの手がそれを阻止した。
男は一瞬困った表情を浮かべる。が、アイネの顔をみて頬を綻ばせた。
「おや……こちらもまたお美しい」
だが、アイネの反応はない。
無言で男の手首をがっしりと掴んだままだ。
「……私としては挨拶のつもりだったのですが」
困りましたな、と笑う男。
アイネの手は動かない。
「……あの、お嬢さんどんどん手が締まってるんですけど……」
男の笑みが徐々にひきつっていく。
心なしかミシミシと骨が鳴る音が聞こえてる気がしなくもない。
「ってぁぁぁあああ!! 痛い! 手首折れちゃう!」
我慢の限界が来たのか男がついに叫びだす。
アイネも加賀も無表情で無言のままである。
「なんで!? なんでこんな強いの!? 仮にも吸血鬼の私の! 手首くびれちゃうぅう!」
男の叫びと濡れた音が大通りに響いた。




