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268話 「ただめし2」

「確か加賀といったな?」


「うぇ?」


背後から急に掛けられた呼び声にびくりと身を竦ませ、恐る恐るといった様子で振りかえる加賀。


「……あれ? だ、誰もいない……」


だが振り返った先に声の主は居なかった。

加賀の後ろには廊下が続いており、どこかに隠れる事が出来そうな場所はない。どこかの部屋に入ったとすれば分かるし、曲がり角で曲がったとしてもそこに行くまでにはそれなりの距離がある。声の発生元はすぐ後ろからで有り、例え走ったとしても加賀が振り返るまでに曲がりきるのは人ではとても出来そうにない。


「怖っ」


ぶるっと体を震わせ部屋へと飛び込む様に入る加賀。

廊下は何事もなかったかの様に静かであった。



そして時を同じくして部屋へと入ろうとする八木にもまた背後から声を掛ける者が居た。


「ああ、八木様お待ちしてました」


「へ?」


背後から聞こえた声に反射的に振り返る八木。


「……え?」


だがこちらも加賀と同様に振り返った先には誰も居ない。

気のせいかと自分に言い聞かせるように呟くと八木もまた部屋へと急ぎ入っていく。

廊下は何事もなかったかの様に静かであった。



「ってな事あったんだけどさー」


「……」


翌朝、ぼーっとした表情で歯を磨いていた加賀に八木が昨日の出来事を話している。

話を聞いているうちに目が覚めてきたのか、難しい顔で加賀はじっと八木の方を見つめている。


「おーい? どした?」


「ボクも同じ事あった……」


口をゆすいで八木に昨日同じ様な出来事があった事を伝える加賀。

それを聞いた八木の顔が明らかに強張っていく。


「……まじかい」


「どうしたの?」


「アイネさん……実は――」


暗い表情を浮かべ黙ったまま立ち尽くす二人を見て、同じく顔を洗っていたアイネが声を掛ける。

アイネの問いかけに一瞬顔を見合わせた二人だが、どうやら加賀が昨日自分と八木に起きた出来事を伝える事にした様だ。


「――って事があったんです」


「そう……詳しくは分からないけど二人に危害を加える類ではないのは確か」


その話を黙って聞いていたアイネであるが、とりあえず害はなさそうだと二人へ話す。


「そ、そうなんすか?」


「もし危害を加えるつもりならすぐデーモンが対応するもの」


「あ、そっか……」


今この場に居ない咲耶も含めてアイネの召喚したデーモンが常に張り付いている状態だ。

もし何か危害が加わる様な事があれば彼らがすぐ動くはずである。

それを聞いた二人は安堵した表情を浮かべる。


「今日は昼食に誘われたんだってね?」


二人が落ち着いたのを見てこの後の予定について話を振るアイネ。


「うん、会議に参加しない人でやるっぽいー」


「あーそれならまだ良いか……良いよな?」


「どうだろう?」


朝食は自分達だけで取ったが昼は誘われてしまった様だ。

一緒に昼食を取るのは会議に参加しない者のみであり、先日の晩餐会よりは人数も少なくはなるが、その分一人あたりへの使える時間が長くなる事になる。

二人は微妙な表情を浮かべ、取りあえず時間まで部屋にいることにするのであった。



食後に出たデザートのケーキを一口食べた加賀の顔がぱっと明るくなる。


「あ、これ美味しい……もしかしてアイネさん作りました?」


「うん」


「お、やっぱそうだった? 道理で美味いわけだ」


ぱっと見は先日の晩餐会で出たケーキと変わらない、だが食べ慣れたその味に加賀はすぐアイネが作った物だと気が付いたようだ。それは八木も同じだったらしく、アイネ作と聞いて納得したように頷いた。

二人の話を聞いたアイネはとても機嫌良さ気である。

もしかすると先日の晩餐会で出たケーキを皆が称賛していたのを見て対抗心を燃やしていたのかも知れない。


「うむうむ、確かに昨日のとは大分違いますな……特にチョコの滑らかさがまた素晴らしい」


その差は二人だけではなく他の参加者にもよく分かったようだ。


「貴方、食べ過ぎると太りますよ?」


「食べられる機会はそうそう無いんだ、今日ぐらい構わないだろう……ところでそれ何個目だね?」


「私は普段から摂生してますので……」


先日の晩餐会とは違い、自然な笑顔で会話する夫婦。そんな様子を見てぽかんとした表情を浮かべる八木。

何せ旦那さんの方は八木に色々と攻勢を掛けていた人物であったりするのだ。


「どうかしたかね?」


「いえ、その……失礼ながら昨日と大分雰囲気が違うなと思いまして」


「ああ」


しどろもどろに成りながらも疑問に思ったことを正直に伝える八木。なるほどと頷く旦那さん。


「なんと言ったら良いか……晩餐会はそう言う場なのだと思って頂ければ良いかな」


「何時でもそうですと疲れてしまうでしょう? 何時からか暗黙の了解と言うことで昼食時にはそう行った話しはしない、となっているんです」


「なるほど……」


今度は八木がなるほどと頷く番であった。



「そうそう、実は昨日ですね――」


その後はそう言った場ならばと会話を楽しむことにした二人。

最初は戸惑いながらであるが徐々に打ち解けていき、八木は先日あった出来事を話題に上げる。


「――てな事があったんですけど、やっぱあれなんですかね……?」


「この建物は大分昔からありますからな。そう言った噂もいくつか存在はしてますな」


あれなんですかねと言いながら幽霊のポーズを取る八木に真面目に返す旦那さん。

八木は幽霊のポーズのままぴしりと固まった。


「そうですな、例えば……無実の罪で地下牢に入れられた貴族の娘がそのまま獄中で若くして非業の死を迎え……夜な夜な無実を訴える悲痛な声が聞こえる……といった具合ですな。詳しく聞きたいのであればお話しますが」


「いやー……本当にあるんですね……遠慮しておきます」


(半分冗談で聞いたのに……勘弁してくれよ……)


昔からある建物故に事実かどうかは判らないがそういった噂はやはりある様だ。

八木は聞いたことを後悔する。先日のあれはやはりそうだったのか、と。


(あれ……何か顔色悪い人が何人か……あの人達も何かあったんかね?)


八木達の会話が聞こえてしまったのか、それとも盗み聞きしていたのだろうか。

どちらかは分からないが、会話を聞いてしまった者の中に顔を青くしている者が見受けられる。

もしかすると彼らも何かあったのだろうか。


(次あったら皆のところに逃げよ……)


そう心に誓う八木であった。

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