222話 「レギュラーメニュー入り」
カレーを堪能した最後の客が食堂から部屋へと戻っていくその傍らでカレーの鍋を覗き込んでほっと胸を撫でおろすアイネの姿があった。
「余ってよかった……」
「いや、本当だね。大量に作っておいて正解だったー」
よかったと呟くアイネに加賀も同意するように頷く。
たっぷり用意したはずのカレーであったが皆まるで飲むかの如くカレーを消費していったもので、お代わりの声が上がるたびに二人の表情が曇っていってたのだ。
「何人前作ったの?」
「何と300人前。で余ったのは30人前ぐらいかなー? すごいね一人8皿以上食べてるよ」
8人前とは言ったが女性陣はそこまでお代わりせずデザートに走った事もあって、実際には男性陣は10人前近く食べていたりする。
カレーは飲み物……とまでは言わないが雑炊などの様にするする食べる事が可能な食物だ。そのせいか満腹になってもさらに食う事が出来た様である。
今頃ベッドの上で食いすぎてぱんぱんになったお腹を抱え苦しんでいる事だろう。
「うん、やっぱり美味しい……」
「懐かしい味ねえ。あ、でもちょっと甘めかな?」
「辛いの慣れてないだろうからね、甘口にしたんだよー」
客は全て帰り、食堂に残るのは宿の従業員のみである。
彼らの夕食は最後となるので大分遅めの夕飯となる。
食べる物はその日によって様々だ。客に出した物の余りだったり、新作メニューの試作品であったり等々。今日の様に食べたい物を予め多めに作っておく事もある。
カレーを食べる従業員の顔には笑顔が浮かんでいる。加賀と咲耶は久しぶりのカレーの味に、そしてアイネは初めて食べるカレーの美味しさに虜となって。
だが一人だけ笑顔では居られない者がいた。
「…………甘口?」
「甘口ですよー? あ、前のトゥラウニで食べたあれみたく辛くないんで大丈夫ですよんー」
以前トゥラウニの街で食べた香辛料たんまり使った料理が未だにトラウマになっているらしい。
バクスはいかにも香辛料たっぷりですといった香りを発しているカレーを前に顔を青くさせていた。
スプーンを持つその手も心なしか小刻みに震えている。
だが、出された料理に口をつけないのは礼儀に反する。
バクスは意を決してスプーンをがばっと口に突っ込むのであった。ほんのちょっぴりのカレーを乗せて。
「……カレー美味しい」
匂いに反して辛さはそれほどでもない、食べた直後は舌を刺激する辛味が気になるがそれ以上に様々な材料を煮込んだ事でまろやかになったルーの美味さで気にならなくなる。
カレーを飲み込んだ頃にはバクスの顔には笑みが浮かんでいた。
「良かったー。いっぱいあるからどんどん食べてね」
加賀がそう言うまでもなくバクスはカレーをがつがつと食べ始めていた。
この分ならすぐお代わりが必要だろう。そう考えた加賀は次のカレーを皿に盛りつけていくのであった。
「一晩寝かせても美味しいのだけどこの勢いだと全部なくなりそうねー」
食事も終盤に差し掛かった頃、何度目になるかも分からないお代わりをよそっていた加賀が鍋を覗き込みながらそう呟く。
「……え」
「残りはどれぐらい……?」
その声に反応したアイネとバクスの二人の手がぴたりと止まる。
その顔にはそんなの聞いてないぞと言った表情が浮かんでいた。
「えっと……10人前は残ってるかな」
「なら私は明日の分残しておく」
「……俺もそうするか」
明日になればまた美味しくなると聞いて今日はこれ以上食べるのをやめた二人。
もう5杯以上は余裕で食べているので気が付けばお腹も膨れていたのだろう。
「デーモンさんはどうします」
「えっ……で、では私も……」
加賀は最近はしっかり飯にありつけるようになったデーモンにも声を掛ける。
デーモンは自分の横顔にアイネの視線がぐさぐさと突き刺さるのを感じながらも明日の分を確保する。
彼にとってもカレーは美味しかったのだ。
「ふぅ、食いすぎちまったな……」
「皆気に入ったみたいでよかったー」
一気にかきこんだせいか何時もより食いすぎ少し苦しくなったお腹をさするバクス。
加賀が周りを見渡せば皆似たような状態であった。咲耶は苦しくなったお腹が気になるのか制服の紐を少し緩めている、アイネはアイネできつくなった服を緩めるのにデーモンを魔法陣から出入りさせている。食事が終わるまで待ったのはアイネなりの優しさだろうか。
「実際美味いからなあ……ところでこいつはレギュラーメニューになるのか? 俺としてはなってくれるとすごく嬉しいが」
「んー……材料費と配達時間がネックで……」
レギュラーメニューになるかどうか問うバクスであるが加賀はそれに対し気まずそうに頬をかきながら答えを返す。
「ふむ? どれくらい掛かるんだ?」
バクスに費用を聞かれた加賀は耳元に近づくとこっそり耳打ちをする。
「結構掛かるな……ちょっと待っててくれ」
値段を聞いたバクスは方眉をくいっとあげる。
そして棚から紙とペンを取り出すとなにやら計算を始めた。
「ふむ、月に一回なら問題は無いな。加賀、金は宿の資金で賄うから月に一度お願い出来るか?」
「いけますよー……でも本当に大丈夫かな? 宿赤字になったりは……」
「問題は無いな、少なくとも月1でカレー作ったぐらいじゃどうもならんよ」
計算していたのはカレーを宿でどれだけ出せるかどうかである。
宿で出す食事は客からそこまでお金を取っている訳ではない、そこに原価が異常に高いカレーを出せばその分赤字となってしまう。
だが現在宿はほぼ満席の状態が続いており、それはこの先もずっと続く事になる。さらにはアイネと咲耶のおかげで従業員も少なく済んでいる事もあって月1であればまったく問題にならない程度には稼げている様だ。
そんな訳でカレーは月に一度だけの限定メニューとして宿のメニューに加わる事になったのであった。




