海の開放
肉体を取り戻した人魚、海の王マリエルが、襲い来るネプトゥルフ目掛けて手のひらをかざす。
あっ、水かきがあるぞ。
「“我は命ずる。天地海、全て我が掌にあり。三界を束ねて、我が意思を通ず。大海よ、牙剥き渦巻き、引き千切れ。命ず我が名は海王マリエル。汝、広範殲滅魔法、大渦無限刃”」
あっ、何その魔法かっこいい!!
マリエルの手のひらが真っ青に輝いたかと思うと、彼女のいる辺りから魔将目掛けて、その輝きが伝播していく。
やがて見渡す限りの海が青く光ったかと思うと、それは猛烈な勢いで回転を始め、その中心にネプトゥルフを捉えた。
「ぬうっ! ぬうおおおおお!!」
触手頭の魔将が、巨体を揺るがせて倒れこんでいく。
その全身を、まるで刃物のように鋭く尖った波が切り裂いていくわけである。
ネプトゥルフの後からヒョコヒョコと現われたメイジサハギンたち。
彼らは成す術もなく、バラバラになっていく。
すげー。
「我輩に牙を剥くのかマリエル!! 我輩は、お前のことを思って、石になったお前を最後まで……」
「わたくしを思うあなたが、我が民を滅ぼした……! わたくしは一人の女である前に王! 侵略者であるあなたを許すことはありません……!!」
「きゃっ」
メリッサが嬉しそうに口を抑えた。
俺には、あの二人が何を言っているのか分からないのだが、どうやらこの娘には分かるらしい。
「メリッサさん、メリッサさん。どういうことなんだい」
「んもー、ウェスカーさんそんなだから姫様との仲が進展しないんですよ? いいですか、愛と責任の間で揺れる乙女心というやつです……!」
「なるほど」
サッパリ分からない。
それはレヴィアも同様らしく、マリエルが使った大魔法に興奮してはいるものの、手には魔剣を握り締め、早く投擲したそうにうずうずしている。
「よーし姫様、やっちまいましょう!」
「やるか!」
「うわーん、ここの二人が空気を読まないです!!」
メリッサの嘆きを後に、空中に飛び上がる俺と、背中に乗るレヴィア。
フォッグチルのローブはくるりと丸めて、足の間に挟んでおく。変に風をはらんで、飛ぶ邪魔になるからだ。
海上を見下ろすと、ネプトゥルフが何やら、体の回りから黒い波動を生み出してマリエルの魔法を打ち消していた。
腐っても魔将というところだろう。
だが、無傷では済まない。
「おお……!! これ程までに我輩は想っているというのに、お前には伝わらぬのか……!! 何もかも全て、この醜い姿のため……!」
「姿かたちではありません! あなたがわたくしを想う気持ちは美しいものでありましょう。ですが、その同じ口で唱えた魔法で、あなたはわたくしの国を滅ぼしたのです……! わたくしはそれを許すことは出来ない! ネプトゥルフ!」
「おごごごごっ!! 悲しい……! 我輩は悲しい……! これ程までに悲しいのなら、いっそ、魔王様から任されたこの世界を滅ぼしてしまおう!!」
ネプトゥルフは悲しみの声をあげながら、その巨大な両腕を振り上げた。
周囲の水が即座に闇色に染まっていく。
あれは、ハーミットが使っていた煙みたいなものだな。
ネプトゥルフも使えたのか。
海の水はごぼごぼと沸き立って、不気味な泡が吹き上がる。
その泡の一つ一つから、サハギンが生まれてくるではないか。
「これは……大漁だぞ!!」
俺は大興奮して叫んだ。
これだけいれば、俺たちどころか、島の人間で魚パーティができるではないか。
「よし、ウェスカー! あやつらを薙ぎ払え!!」
「へいほー!」
俺は目の前の空間に、意識を向ける。
そこに、たくさんの泥玉を生み出し……自由落下を始めたところで、炎をぶっ放して融合、爆発させる。
自分で投げつける必要がないから、空から魔法を落とすのは楽だなあ。
「名付けて……えーと、な、なんじの名はあぶっ」
「ウェスカー、慣れぬことをするな。舌を噛んだのだろう」
「すみまひぇん。マリエルがかっこよくて……」
「気持ちは分かる……。私も詠唱の構文を考えるのが苦手でな」
「姫様の詠唱、割と曖昧な表現が多いですもんねえ」
のどかな会話をする俺たちの下は、燃え上がる海面と、断末魔を上げてのた打ち回るサハギンと言う地獄絵図である。
「うぬう!? きっ、貴様ら空気を読むのである!! 今は我輩とマリエルのいいところなのだぞ! 愛憎の決着がそこに」
「へえへえ」
俺は構わず、ガンガン炎の玉を落とす。
もう、落っことすだけで良くて、狙いを定めないのだから楽なものである。
海のあちこちで爆発が起こった。
「ふふふ、ふはははは、はーっはっはっは!! 見ろウェスカー! 魔物たちが美味しく焼きあがっていく!」
俺の上で、上機嫌の姫騎士。
ちなみに、未だに海中戦装備である、下着と紙一重の格好をしたレヴィア。
半ばまでむき出しのお尻やら、一糸纏わぬ太ももから足先が俺に乗っているため、大変良い。
「しかしウェスカー。そなた、思っていたよりも鍛えているな。良い体をしている」
「そりゃあ、俺の場合、魔法は自力でぶん投げないといけないですからね。野山も駆け回ってましたし、まあ体力だけは自信がありますよ」
「ほうほう」
俺の背中をぺたぺた触ってくるレヴィア。
よし、winwinの関係だ。
「くっ、我輩を無視しおったな!? おのれえ!!」
俺の魔法で、生み出したばかりのサハギンをこんがり焼き魚にされたネプトゥルフ。
ついに、俺たちを敵だと睨んだようだ。
背中にある、皮膜の付いた翼を大きく広げると、羽ばたいた。
あっ、飛んだ!?
海の魔物じゃなかったのか。なんであんな巨体が飛ぶのだ。
「ま、いいか!」
俺は考えるのをやめた!
「よし、敵が昇ってきた! 私が突っ込むから、援護を頼むぞ!」
「へいさー!」
俺の上で、レヴィアが勢いよく立ち上がる。
「“告げる! 滾れ血潮! 奮えよ筋肉! 燃え上がるアレ……じゃない炎!! あと風! それで筋力強化”!!」
詠唱中にちょっと迷ったな。
どうやら、海王ことマリエルの魔法詠唱は、俺たちに大きな影響を与えたようである。
俺の背中に立つ姫騎士の足裏がカッと熱くなり、次の瞬間、彼女が強く背中を蹴って飛び上がる。
全身に風を纏うレヴィア。
「なにぃっ!?」
自由落下などとは比べ物にならない速度だ。
加速しながら、ネプトゥルフに突っ込んでいくレヴィア。
上昇途中であった魔将はこれを避けられない。
触手の生えた頭部に、見事姫騎士のキックが炸裂した。
そして炸裂した部分から、爆発が起こる。
うん、これは筋力強化じゃないな。
「ぬぐわああーっ!」
落下していくネプトゥルフ。
慌てて翼をはためかせ、体勢を立て直そうとする。
「そうは行くかよ! 俺を忘れんなよ!」
ゼインが槍を投げた。
それは狙い過たず、魔将の翼に突き刺さる。
皮膜に見えてもかなり頑丈なようで、貫通は難しいみたいだ。
だが、これで魔将の羽ばたきが邪魔された。
ネプトゥルフの巨体が体勢を崩しながら、海上に落っこちてくる。
「今よ! ボンゴレ! パンジャ!」
「フャン!」
『キュー!』
海は苦手でお留守番だったボンゴレ、ついに出陣である。
パンジャが頭の上を平たく変形させ、そこにボンゴレが鎮座している。
赤猫はちっちゃい姿のまま、尻尾を展開すると、その先端から光線を放ち始めた。
ネプトゥルフの周りをぐるぐる回りながら、光線をガンガン当てていく。
魔物なのに、いやに知的な戦い方をするなあ。
「こしゃくな!!」
そんな魔物二匹目掛けて奮われた、巨大な拳。これは、クリストファが張り巡らせた光の障壁に防がれる。
「させませんよ。マリエルさん、今です」
「はい、感謝いたします! “我は命ずる。天と海、二界を束ねて掌に落とす。力を水に、速さを風に委ね、撃ち放つ。竜巻よ、貫き穿て。命ず我が名は海王マリエル。汝、貫通殲滅魔法、竜巻螺旋槍”」
詠唱とともに、マリエルの周囲の水が寄り集まる。空に暗雲が立ち込めて、雲が垂れ下がってくる。
これが水を吸い上げて、空と海を繋ぐ柱みたいになった。
そして、柱は海面から体を持ち上げて、その先端でネプトゥルフを指し示す。
「遅いわ!!」
転倒しながらも、ネプトゥルフは全身を使って海の中を動き始める。
マリエルの魔法は、発動に時間がかかり過ぎるようだ。
「させるかっ! ちぇえいっ!!」
そこで、いつの間にかネプトゥルフの上にいたレヴィアが、手にした魔剣を魔将の腹に叩き付ける。
魔将の腹から、緑色の体液が吹き出した。
これで、ネプトゥルフの動きが緩慢になる。
「ぬぐはあっ!? き、貴様正気か! このままでは貴様も、マリエルの魔法に巻き込まれるのだぞ!? 人の泳ぐ早さでは、もはや逃れられん!!」
「ふっ、そこは心配していないさ」
レヴィアが笑っているのが分かった。
なので、俺の出番なのだ。
アイロンの魔法を上空に向けて、飛行から降下に移る。
「またも……またも自ら危地に飛び込んでくるのか!? あの魔導師はなんだ……!!」
ネプトゥルフの声を余所に、俺はサクッとレヴィアを抱きかかえて回収する。
「あっ、剣が!」
「あー、剣を拾ってると間に合いませんな」
海面すれすれを掠めながら、ネプトゥルフの巨体を離れた。
その、目と鼻の先に、風と水が渦巻く巨大な槍が飛来する。
俺はこいつ目掛けて、足裏を叩き付けた。
アイロンを解除し、そこから放つ魔法は。
「“魔法解体・小盛り”!」
俺の足が触れた部分の魔法が解けて、ただの風と水になる。
すぐさまそこを魔法が埋め、強烈な反発力が俺の脚を後押しする。
俺はその勢いに乗り、魔法の巨大槍の上を疾走した。
「おおおおっ! 何が起こっているのだこれは!」
俺に抱えられたレヴィアが、嬉しそうに叫ぶ。
この人、こういうの好きだなあ。
魔法の槍の、切っ先から尻尾までは一瞬。
俺が飛び降りた背後で、巨大な魔法はネプトゥルフに炸裂したのだった。
「おおおおおおおおおお!!」
凄まじい叫び声が響く。
「やったか!?」
俺はとりあえずそう叫んでおいた。




