魔王の萌芽
いよいよ、魔王オルゴンゾーラが自ら動き始めます。
「ぶいー!!」
チョキが何か叫んでいる。
なんだなんだ。
「えっ!? 誰かいたって!? レヴィア様ー! なんか、オルゴンゾーラの影に誰かいたって。チョキが見つけたみたい!」
「なんだと!」
汚れを洗うためにビショビショになったレヴィアが、キリッとする。
俺はビューっと風を吹かせて、彼女を乾かした。
「どれどれ」
俺はレヴィアをお姫様抱っこしたまま、下へと降りていくのである。
チョキが途中で、俺の肩に飛び乗る。
「ぶ、ぶ、ぶいー!」
「ネーロ、ウェスカーさんまで近づけて! あのね、ウェスカーさん! その人って、前に私たちがユーティリット王国の王都で戦った、おじいさんっぽかったって!」
「おじいさんって、あれか。魔将オペルク?」
「ぶいぶい」
チョキが頷いた。
ああ、やっぱり生きてたんだなあ。
しかも、アポカリフを戦わせといて、影でこそこそと作業していたとは。
「どれどれ……。よく見ると、確かにオルゴンゾーラの一部が削れてる」
オルゴンゾーラの本体は、地面にうずくまったような姿勢をしているが、その目玉の辺りが削られていた。
後は、角とか翼の先端とか。
まんべんなく、全身が少しずつだな。
「うむ……一体、何を考えている?」
「魔王を復活させるつもりなんでしょうなー。でも、ここで復活の儀式をやろうとすると、レヴィア様とか俺がひっくり返すでしょ」
「無論だ! もろともに粉々だ!」
「でしょー。だからそれが怖くて、中途半端にどこかでオルゴンゾーラを復活させるんだろうと」
「それともう一つ」
シュテルンたちも降りてきた。
ゾンビみたいな竜は、地面に降りると同時に、溶けて消えてしまう。
「魔将を名乗る、オルゴンゾーラによく似た男がいる。オルゴーンと名乗る、赤い衣装の男だが……。突然現れた」
「ほう」
レヴィアがニヤリと笑った。
これは殴る相手を見つけた顔だ。
「オルゴンゾーラの分身か何かじゃないかね」
「だろうな」
じかにそのオルゴーンという男に会ったのは、シュテルンとイヴァリアしかいない。
どんな奴なのはよく分からないわけなのだ。
しかし、対処方法は一つだけである。
「ま、実際に会ったらぶっ飛ばしゃいいですな」
「その通りだ」
最終的に魔王もぶっ飛ばすので、いまさら何が増えてもぶっ飛ばすだけである。
決意というか、いつも通りの方針を確認する俺たちの頭上で、アポカリフから生まれたピースが落下してこようとしていた。
遠く離れた空間。
果のない闇がどこまでも広がり、その中に点々と、遠く見える星のような輝きがある。
そして一点だけ、大きく広がる光。
『進捗はどうだい、オペルク』
「はい! 今まで人間どもから集めた、絶望や恐怖に染まった魔力は、ゆうに千年分。これにオルゴンゾーラ様の欠片があれば、どうにか……」
耳が尖った老人と、白いスーツを纏った男が、そこにはいる。
老人の名はオペルク。
魔王に惹かれて軍門に下った、魔族の識者。
男の名は、魔王オルゴンゾーラ。
遥か星辰の彼方より、この世界に降り立った異界の神。
正しくは、その神が力を失い、魂のみが形を成している存在である。
『結構。私の可愛いオルゴーンたちはどうかね?』
「そちらは順調に。回収したオルゴンゾーラ様の欠片から、現在七体を生み出すことに成功しています」
『あれらは、僕の真似をする他に能がない存在だが、その身に人間たちの魔力を吸い集める役割を持っている。あれの活躍が、新たな私の肉体の仕上がりを左右すると言っていい』
魔王は、虚空に手を伸ばす。
その手の内に、白いカップが出現した。
なみなみと、怪しい色の液体が湛えられている。
『オルゴーンの一体を呼び戻せ。あれを僕の肉体とし、次は自ら出るとしよう』
「オルゴンゾーラ様がご自身で……!? ですが、万一の事があれば……!」
『何を言うんだい? 今この世界で、自ら星を破壊し尽くした僕と、同じものが生まれようとしているんだ。しかも、二人。真の邂逅の前に、本格的に味見をしておきたいと思うのは当然のことじゃないかね』
「し、しかし、オルゴンゾーラ様にもしもの事があれば我ら魔族は……」
『僕にとって、僕以外の全てのものは等しく価値がない。その中でオペルク。君だけはこうして生かしてやっているんだぜ?』
オルゴンゾーラは笑った。
彼の横に、オペルクによって呼ばれたのか、赤いスーツを纏った、彼によく似た男が出現する。
魔王の分体、偽りの魔将オルゴーン。
オルゴンゾーラは、これに、ごく自然な動作で重なった。
まるで彼の実体が無いかのように、その白い姿は赤い男に飲み込まれる。
一瞬、オルゴーンがビクリと痙攣した。
そして、目玉の色がぐるりと反転し、黒と金色に彩られた球体に変わる。
「ふむ、これならば多少は動けそうだ」
手のひらを握り、開き、そして肩をぐるぐると回す。
「さあ、勤勉な魔王が、自らの力で人間たちから魔力を集めるとしよう。強い恐怖を与え、されど命は極限まで奪わず、限界まで彼らの恐怖と絶望が染み込んだ魔力をこの身に集める。実に難しい仕事ではないかな」
オルゴンゾーラは、虚空をぐっと握りしめた。
そこにドアノブが生まれる。
「では行ってくる。僕が戻るまでに、準備を整えておくように」
「は、はい!」
オペルクの声を背中に、オルゴンゾーラは出立する。
虚空は扉となり、彼を新たな世界に運んだ。
そこは、どこまでも続く青い空。
火山の周囲に、原始の森が広がる南の島。
「ウホッ?」
火山島を守る、聖なる獣、ゴリラが招かれざる来訪者に気づいた。
争いを鎮める魔力を持つドラミングが、島に響き渡る。
生半可な魔物であれば、この音を聞けば戦意を失い、ゴリラのもとに頭を垂れる事となる。
だが、この男は例外であった。
「報告には聞いている。勇者パーティと共に、魔将フレア・タンと戦った聖獣ゴリラ。なるほど、君が邪悪な存在であれば、僕は放っては置かなかっただろう。力、秘めた魔力、共に僕が集めた魔将に匹敵する」
赤いスーツの男が、ゴリラに向かって歩み征く。
原始の森が引き裂かれ、男のために道を作る。
歩いた後は闇色の孔となり、瘴気を放つ。
「ムホーッ!」
ゴリラは察した。
眼の前にいる存在は、絶対にわかり合うことが出来ないモノ。
わかり合う、平和、そういった概念とは対局に位置する、言わば……彼のライバルであったあの魔導師に近い性質をもった何かだ。
一言で表すなら、悪のウェスカー……!
「ムガアッ!」
故に、ゴリラはこの瞬間だけ、平和主義をかなぐり捨てた。
これは危険だ。
いや、危険などという生易しいものではない。
こうして存在しているだけで、周囲に負の魔力をばら撒き、世界を絶望で染めていく存在だ。
ゴリラの全身が逆立ち、体毛が銀色に染まっていく。
これぞ、ゴリラの戦闘形態、シルバーバック。
ドラゴンにすら匹敵する魔力を全身から発しながら、ゴリラは赤いスーツの男に飛びかかった。
「ははあ! これは始めの頃のレヴィア姫よりも遥かに上だ」
にこやかに笑いながら、ゴリラの一撃を、片腕で受け止める男。
ゴリラは、腕を、足を、歯を使い、全身で赤いスーツの男に攻撃を加える。
この全てを、彼は片腕で受け止め、受け流し、払い落とす。
ゴリラとこの男の戦いで、大地は裂け、森はなぎ倒され、天は鳴動し嵐が巻き起こる。
ふとゴリラは気づく。
自分は誘導されている。
戦っているように見えて、この男はある方向へ、自分を誘い込んでいるのだ。
だが、ゴリラは攻撃の手を休める事が出来ない。
彼の胸に去来する感情は、目の前の存在に対する恐怖だった。
手を止めてはいけない。
出来うることなら、この男をこの島で仕留めなければいけない。
そうでなければ……。
「な、なんだ! ゴリラ、戦ってる!」
「ゴリラ、赤い男と!」
島に住まう人々の声が聞こえた。
ゴリラは愕然とする。
この男は、島民たちのもとまでゴリラを誘導していたのだ。
島の人々は、ゴリラが戦うという、極めて珍しい光景に気付き、次々姿を現す。
「ゴリラがんばれ!」
「ゴリラ!」
「ゴリラ!」
声援が飛ぶ。
だが、ゴリラの表情は焦りに血の気を失う。
これは……この展開は、まずい。
ゴリラと戦う……いや、攻撃を一方的に受け止め、受け流し続けるこの男の顔に笑みが浮かんでいる。
「では、諸君に恐怖と絶望をもたらそう。ゴリラ君。君も生まれが違えば、僕の下に仕えることも会ったかも知れないな。だが、仕方ない。それに、例え君が僕の部下だろうと、何もかも、等しく価値は無いのだ」
「ウ、ウホォッ!」
「僕かい? いいだろう。君に敬意を表して名乗ろうじゃないか。僕の名は、魔王オルゴンゾーラ。聖獣ゴリラ、君の命は恐怖と絶望となり、僕の血肉となる。さらば」
赤い指先が奔った。
ゴリラの胸を、オルゴンゾーラの手指がやすやすと貫く。
「ゴッ」
ゴリラの口から、血が迸った。
「バーン」
悪戯めいた口調で、オルゴンゾーラは呟いた。
その瞬間、ゴリラがいた場所が大爆発を起こす。
爆風が吹き荒れる。
だが、爆風と炎は、島の人々に届く前に不自然な力で遮られ、空に向かって、地の底に向かって撃ち出される。
島が揺れ、空が黒煙でかき曇る。
衝撃が世界を震撼させ、やがて前触れもなく、火山が噴火を始めた。
「あ、あああああ!」
「ゴ、ゴリラアアアア!」
「うわああああ!」
島民たちは衝撃のあまり、叫ぶ。
叫びが恐怖となり、理解が絶望となる。
爆炎の中から、傷一つないオルゴンゾーラが歩み出た。
大きく手を広げ、満面の笑みを浮かべて天を仰ぐ。
「良い絶望だ! 素晴らしい!」
島民たちの体から、不可視の力が溢れ出していた。
それこそは、魔力。
人が持つ内なる魔力。
これが、オルゴンゾーラに吸い込まれていく。
やがて、魔力を吸い尽くされた人々が倒れる。
島のあらゆる生物が動きを止め、火山すらもがその火を弱めていく。
火山島の持っていた魔力を全て、己が身に集めた魔王は、満足げに頷いた。
「簡単なことじゃないか。魔将たちは何故、今まで手間取っていたんだ。やはり、僕以外の奴はダメだな」
彼はブツブツと呟くと、また、何もない空を握りしめた。
空間が扉になる。
オルゴンゾーラは、新たな場所へと立ち去っていく。
動くものの消えた火山の島。
いつまでも続くと思われた静寂の中、かすかにドラミングが響き始めた。




