オスカー・ワイルドという男
「外から見ても大きかったど、中に入ってもすごく広いね」
「中型とはいえ船ですからね。発掘隊の宿泊地兼作業場として今は活用してますね」
スピカは繊華に連れられて陸上航行船の内部を進んでいた。ここにはアーテルを探すうえで役立つものがあるらしく、船の案内も兼ねて見て回っている。
或斗はというと、同性同士の方が気楽だろうと提案していイサムと一緒に回っているが、そう決まった時はイサムが微妙そうな顔を浮かべていたのが妙に頭に残っていた。
「ここは作業区画になってます。目的にものはこの先にありますよ」
何があるのかと、そのまま繊華の後ろについていくと広々とした吹き抜けに出た。そこには直径5メートルもほどの黒塗りの球体が鎮座していた。
周囲には球体を調べている人が数人おり、その中にはハカセの姿もあった。二人が来たことに気が付くと、度肝を抜かれて球体を見上げるスピカの近くへとやってくる。
「おや、二人も見学かい?」
「うん、アーテルを探すのに役立つものがあるって聞いたけど、これのこと?」
「そうだね。これはここで発掘されたアーティファクト『魔導演算機』だよ」
「アーティファクト……」
古代魔法文明が残した遺物の中で、現代の技術でも再現・複製ができない代物はアーティファクトと呼ばれる。
世界樹の根元から発掘されたこのアーティファクトは、その名の通り魔法技術が組み込まれたスーパーコンピュータであり、その演算能力は限定的な未来予知も可能だという。
ただ完璧な状態で発掘されたわけでなく、稼働に必要なコアユニットとなるクリスタルが喪失しておりその代替品を探していた。その代替品となりえたのが龍の角であり、今はクリスタルへの加工をモニカたちが進めている。
「すごいものなんだね……。これでアーテルのことがわかるの?」
「うん、魔導演算機を使えば望んだ情報を持ってきてくれるんだ、それが例え手掛かりがない事柄だったとしてもね。まぁ、本来なら未来予測すら可能らしいけど、今の段階ではこれが限界なんだ」
「それでも、手掛かりになるのは間違いないよ。ハカセありがとね!」
「フフ、礼には及ばないよ。それに本当に大変なのはそこから先だと思うし、今はこれが動くようになるまで英気を養っていてほしい」
演算機のチェック作業に戻るハカセを見送りながら、スピカはこれからのことを考える。ハカセの言うとおり本当に大変なのはアーテルに関する情報が手に入ってから、その足跡を追っていくことだろう。
情報通りにいかないこともあるだろうし、目的地までの道のりがとても険しいものであるかもしれない。それでも、指標と言えるものができたのは大きな一歩だ。気が抜けてしまったのか、スピカの口から大きく溜息が吐き出された。
「センカもありがとね。みんなには感謝してもしきれないぐらいだよ」
「こちらこそですよ。スピカさんがのおかげで演算機の稼働に目処がついたのですから、その恩返しみたいなのですよ。言うなればウィンウィンというものですね」
「ウィンウィンか……」
その語感が気に入ったのかスピカは何度か口にしていた。それを止めると繊華に一つお願いをした。
「ウィンウィン関係として一つお願いがあるんだけど。野宿してたからお風呂に入れてなくて、少し借りれないかな?」
「それは大変ですね、今すぐ用意しますよ」
「船の中にアーティファクトである演算機を搭載させることで電源と運搬の悪さをカバーしてるわけか。それにしても大胆だな、電力食いのやつを載せてんだからよ」
「そこは規格外の大容量魔導エンジンで無理矢理解決させたのさ。姐さんの考えることは突拍子もないけど、現状を打破するのが多いからな」
一方の或斗とイサムも船の中を見て回っていた。備え付けのタブレット端末を操作しながらその構造や配置を確認している。外見の通りに船体は二つのブロックが上下に重なって出来ていて、下層ブロックは出入口や着陸脚を備えて作業場として活用されており、上層ブロックが個室などを備えた生活エリアとなっている。
この陸上航行船はモニカの所有物であり、お祖父さんが発掘したアーティファクトなのだという。そのこともあってか、中型クラスの陸上航行船とはいえ船体には魔法技術がふんだんに使われている。
自重を軽減するための軽量化魔法が船全体に施されており、四つの球体状の着陸脚には船の移動の要である浮遊魔法の魔方陣が刻まれている。船を動かす上での膨大なエネルギーは魔導エンジンから供給される魔力と電力で賄われている。魔力と電力を生み出すだけでなく、電力を魔力へ、魔力を電力へ変換できる機能も持ち合わせた魔導エンジンは、現在の文明ではなくてはいけないもとなっている。
「魔導エンジンとかの魔道具を作るための魔鉱石を始めとした魔法資源を獲得するために、100年くらい前に魔法大陸に入植が始まったんだってな」
「西の大陸も東の大陸も魔法資源が枯渇しかかってるからな。それで資源が豊富で貴重なアーティファクトも見つかる魔法大陸レガリアはゴールドラッシュってわけよ」
そんな魔法大陸レガリアが百年ほど前まで人類が未踏査だったのは、空には龍の巣、近海には大海獣、陸は魔獣が跋扈している危険地帯ゆえに近づけれなかったからだ。
一番最初に入植された5つの港湾都市は要塞クラスの防壁を築いている。内陸側はユグドラシルを除けば、未開の地であり魔獣たちのテリトリーと化している。
そこで内陸部は発掘品の輸送と拠点を兼ねた陸上航行船が活用されている。この船は中型クラスの大きさであるが、中には全長1キロを超える超大型タイプも存在しているらしい。
「これでも船としちゃあよくあるタイプなんだろ。これもれっきとしたアーティファクトならなにかすんごい機能があってもいいはずだぜ」
「発掘したオンボロ船を出来る限り復元したんだとさ。それでも新品のレプリカ船と同じなんだから、十分すごいと思うぜよ」
或斗たちは船の下層区にある作業区画にて、航行船について語り合っている。冒険者にとって航行船を所有することはある種のステータスということから興味があり、この船の操舵を担当しているイサムから有意義な話を聞けた。
人と物が出入りする搬入口とそれに直接繋がる格納スペースを利用して作られた作業区画は発掘された品々やそれらを鑑定する機器、採掘に使われる道具などが雑多に並んで混沌としている。
その中で一際忙しなく動いている一団が目についた。モニカとステラを中心としたクリスタル作成チームの面々である。原料である龍の角をある程度の大きさにカットしたものをステラが魔法陣で包み込むと、歪な形だった結晶がキレイな正八面体へと姿を変えた。
その加工された正八面体を受け取ったモニカは何か黒っぽい箱に収めると、ディスプレイを睨みながらキーボードを打ち込んでいく。他のスタッフも同じような作業をしているので、或斗とイサムは見学がてら彼女らに飲み物を差し入れた。
「お疲れさん、そんな風に魔法で加工してくなんてすごいもんだな」
「これもれっきとした錬金術の応用ですよ。お祖父ちゃんなら魔法を使わないでもこれくらいのは作れますから、わたしはまだまだです」
「もーっ、そんなことないったら。ステラちゃんのおかげでこんなに早いペースで出来てるもの。あとはクリスタルに魔法陣の打ち込みとデータや魔力が流れるためのバイパスを組み込むだけだからね!」
「……その作業が一番めんどいみたいっすけどね」
缶コーヒーを配りながらイサムはぼやく。ディスプレイとにらめっこしっぱなしなスタッフ達の疲労具合を見れば、この作業が大変なものだと理解できる。
「それならイサムも手伝ってよ、こういった細かい作業は得意でしょ。それに人では多いほうがいいから或斗くんもしてみない?」
「え~俺は今日非番なんっすよ、それに或斗を案内する役目もありますし」
「我が共犯者にこういった作業はさせないほうが賢明だぞ。3分もしたら頭に血が上って操作機器を殴り壊すだろうからな」
「確かにありえるな、ってそんな事を言うためだけに出てきてんじゃねぞジェフティ!」
わいわいがやがやと騒ぎ始める或斗達であったが、それがスタッフの貴重な休憩時間を伸ばす事に繋がったのは不幸中の幸いだろう。その後結局イサムは作業に参加することになり、或斗はその場から離れた。
小腹がすいたので軽食をとりにエレベーターで生活区画である上層部に昇る。この時間帯ではまだ食堂は開いてないが、代わりに喫茶店がオープンしているのだ。陸上航行船の中にある喫茶店とはどんなものか或斗は気になっている。
その喫茶店はエレベーターホールのすぐ近くにあり扉にはコーヒーカップの絵が飾られている。扉を開けば来客を知らせる鐘の音がカランカランと鳴り響いた。
「いらっしゃい、おや見ない顔だな。新入りか?」
「まぁ、そんなとこっすよマスター」
「なら、うちのコーヒーを飲んでいけ、注文はそれからにしな」
カウンターの向こうにいたマスターは頭頂部辺りまで禿げ上がった髪をオールバックにまとめた、あまりガラのいい感じではない壮年男性であった。ただ、新顔である或斗に挨拶代わりとしてコーヒーを振る舞ってくれるのだから、そこまで悪い感じはしなかった。
サイフォンを使って淹れられたコーヒーを手に取ると、芳醇な香りが広がってくる。何も入れずに口にすると香りは更に強くなって独特な酸味と苦味が口いっぱいに満たされる。今まで飲んできたコーヒーはただ苦いだけの飲み物だったが、これは別格だ。しかし或斗の子ども舌は二口ほどの飲んで限界に達して、おもむろに砂糖とミルクを入れ始めた。
そして全部飲み干すとキメ顔でマスターに感想を述べた。
「いや~美味しかったっすよマスター。今までコーヒーなんてただ苦いだけの飲み物だと思ってたけど、これだと認識を改めなきゃだね」
「そりゃ当たり前だ、俺の淹れたコーヒーなんだからな」
「その通りですよ、マスターの入れたコーヒーは天下一品ですよ!」
カウンター席から離れた長椅子の方から、マスターのコーヒーを大絶賛する声がした。その主は長いローブを羽織った青年で、眉目秀麗といってよい整った容姿を愉快にほころばせていた。
そして青年は或斗と向き合った。
「誰だいアンタ?」
「3日ぶりの再開だね、灰村或斗君。彼女―スピカ・シェルナ・ティアラは元気かい?」
「ほんとに広いお風呂だね」
「はい、共用の浴場なので大人数で入れるようになってます。私の国では銭湯と呼ばれる様式なのですよ」
木目調の落ちついた雰囲気の広い浴室の中で、スピカと繊華の二人は互いの身体を洗い合っている。
スピカは汚れと一緒に疲れも流し落としたようにすっきりとした表情を浮かべ、繊華もそのふれあいをどこか楽しんでいるようだ。
「背中を流しまね。ちょっとスピカさんの事を聞いてもいいですか?」
「あ、ありがとうっ。えっと、どこから話せばいいのかな」
「その、スピカさん自身のことやアーテルさんのことなどを。あ、もし嫌でしたら別に構いませんので」
「ううん、わたしも誰かに話したほうがしっかり思い出せるかもしれない。まだまだ記憶が穴抜きだからね」
「スピカさん、記憶喪失なのですか!?」
繊華が後ろに回ってスピカの小さな背中を流しながら恐る恐る尋ねてきた。スピカはそれを肯定的の返したが、スピカが記憶喪失だということに繊華は驚きを見せる。
ある程度は記憶が戻ってきたが、それはまだアーテルに関すること記憶だけで、まだ穴抜きが多いのが現状だっただからこうして口に出して話すことで、眠れる記憶が呼び覚ませるかも知れない。最も、スピカはそのことを特には意識しておらず、繊華に自分のことを知ってほしいと思っていたからだ。
背中を流すのに長い白髪が邪魔にならないように前の方へ回しながら、スピカはこれから探すアーテルの容姿や人となりや、自分自身のことなどを話してみた。
「その、記憶喪失と聞いていたので、ここまで話してくれるとは思ってませんでしたよ」
「……実は、牢獄にいたときの記憶はほとんどないの。しっかりとわかるのは抜け出す一週間くらい前からかな」
「えっと、つまりは牢獄にいた時の記憶はないと?」
「うん、そこから長い間の記憶がすっぽりと抜けてるの。昔の記憶は何とか思い出せるけど。……もし、あの時『あの声』が聞こえなかったら、わたしはまだ牢獄にいたかもね」
「声、ですか」
昔を懐かしむように口元を少しほころばせて、スピカは続ける。
「その声を聞いたからわたしは目を覚ますことができたの。頭の中に響くみたいだったけど『ここから開放して』ってしっかりと聞こえたよ」
「あ、その声の人って、もしかして……」
「そう、アーテルだよ。聞こえた時はわからなかったけど、今はそうだって断言できる。だから、アーテルにお礼を言わないと。わたしの起こしてくれてありがとうってね」
アーテルを探す理由を簡潔ながら本心を出してスピカは答えた。それを聞いた繊華は強い衝撃を受けたように驚きの表情を浮かべると、すぐに嬉しげな顔をした
「素敵ですね、そんなふうに姉妹でつながっているのは。そのお手伝いを私も出来るなんて誇らしいです」
「ありがとうね、センカ。みんながいてくれるから百人力だよ!」
繊華からの言葉をとても嬉しく感じたスピカはご機嫌の調子でシャワーヘッドに手を伸ばす。お互いの背中は既に洗い終わえているので、泡だらけの身体をシャワーで洗い流した。程よい温度の熱湯がスピカを白い肌の上を伝い、柔らかな曲線の上を流れていく。
そんなシャワーを浴びているスピカの姿を、隣で同じようにシャワーを浴びている繊華が凝視していた。
「すごい……」
「ん、どうしたの?」
「スピカさんってすごくスタイルがいいです。胸も大きいですし、白い髪も長くて綺麗でですし……」
「フフ、ありがとね。でもセンカだって、すっごく素敵だよ」
スピカは150センチにも満たない小柄な背丈に反して豊満な身体つきをしており、白い肌と髪色と相まってどこか神秘的な印象を見る者に与える。
それに対して繊華も、長い黒髪と清楚な佇まいが見せる奥ゆかしさに反して、スピカ以上に豊満なスタイルは実に官能的であり、相反するもの同士が両立していて独特な色香を放っている。
ベクトルは違うが、二人が美少女であることに相違なかった。当人たちはそこまでの自覚はなかったが。
「あ、ありがとうございます。そう言われるとなんか恥ずかしいですね」
「わたしもだよ。ささ、ここで立ちっぱなしじゃあ冷えちゃうよ?」
繊華の背中を押して湯船の方へ向かう。大人数で一度に入れるように広く作られた湯船には暖かなお湯が張ってある。肩までお湯に浸かってその湯加減の良さにスピカは気持ちよさそうに顔をほころばせた。
「ふぅー、極楽極楽~」
「フフフ、スピカさん気持ちよさそうですね」
二人で入ってもまだまだ余裕がある湯船の中で身体を伸ばして、久々のお風呂をじっくりと堪能していく。スピカの隣に座ってぴったりとくっついている繊華は時折、何か言いたげな視線をスピカへ向けるが、それをすぐに引っ込める。それを何度か繰り返していたので、気になったスピカがどうしたものかと繊華の方へ向き合う。
ハッとした繊華であったが、どこか観念して少し顔を赤らめながらも言葉を続ける。
「実はその、スピカさんとお友達なりたいなと思っていまして……」
「そうなの、もうわたしとセンカは友達と思ってたよ? でも、確かにしっかりとは言ってはいなかったね」
あまりにも真剣な顔をしている繊華からどんな言葉でるのかと身構えていたスピカも、その理由が友達になりたからという事に驚いた。スピカの中では少なくとも繊華とは既に友達という認識であった。
それでも、ちゃんと言葉にして伝えるべくスピカは繊華に面と向き合う。
「わたしもセンカと友達になりたい。オッケーしてくれる?」
「はい! こちらこそよろしくねスピカ!」
快諾を受けて嬉しげに繊華はスピカへ頬を寄せる。広い浴槽で密着するけどそれは悪い感じはしなかった。
「俺の名前を知ってる? それにスピカの事を……」
「誰だ、お前は? アンタみてえなのにコーヒーを出した覚えはねえぞ」
突然親しげに声はかけてきたローブの男は自身の名を知っているのに或斗自身は面識がないことに混乱していた。それにスピカの事を出していたので嫌な予感がする。
だが或斗よりも早くマスターが動いた。店の奥にいたことから先客であるはずだが、見覚えがないということに警戒心を露わにして眼光鋭く睨みつける。
当のローブの男は剣呑な雰囲気にも係わらず、先ほどから変わらない微笑を湛えている。その笑みは穏やかさを体現した微笑にも、見るもの全てを蔑むような嘲笑にも見えた。
「そんなにいきり立たなくても大丈夫ですよ、ボクにあなた達に危害を加える気はありませんので。……それにこちらの姿なら面識がありますよね、マスターさん?」
「姿が変わったっ!?」
「……なっ!? ホーランドかお前は!?」
微笑を崩さぬまま右手をかざすと、手の甲に彫られた魔法陣が蠢いてローブの男をまばゆい光が包み込んだ。その光はすぐに収まったが、そこに立っていたのは別人であった。
ボサボサに伸びた髪をした野暮ったい風体の青年で、いきなり知り合いへ変貌した事にマスターは驚いたように声を上げた。
「あれは姿形を魔法で変えたわけじゃない。肉体どころかその魂すらも変わっている、完璧に別人に変貌しているぞ」
「おいおい、そんなの有りかよ……」
或斗の影から這い出てきたジェフティは冷静に分析していく。ホーランドへと姿を変えたローブの男は手を叩いて賞賛する。
「ご名答だ! ボクはここではホーランドとして働いていたのさ。まぁ二重生活は中々大変だったけどね。さて、見事正解を出した或斗君とジェフティ君に対してもう一つ見せたあげよう。……こちらの姿の方が馴染み深いだろう?」
「てっ、てめぇは……!?」
またしても姿が変わり、長い髪をオールバックにした壮年の男性へと変貌する。或斗はその顔を忘れもしない。地下牢獄にて自身の心臓に銃弾を叩き込んだ張本人なのだから。
咄嗟に銃を引き抜いて引き金に指をかける。だが、銃弾を撃ち出す寸前で思いとどまった。その姿が最後に見たときよりも酷く弱々しく見えてからだ。
それでも背後に立つジェフティはいつでも黒炎を放てるように構えて、或斗も視線を鋭くして睨みつける。ローブの男を相変わらずに口元を緩めている。
「死にかけかクソローブ野郎、スピカを捕らえていた上にオレの心臓に鉛弾を撃ち込んだ報いだ。そのままくたばりやがれ」
「ハハハ、確かにスピカの重力魔法を受けてから高濃度のマナを浴びれば、肉体と魂が崩壊していくのは仕方のないことだろう」
間もなくローブの男は床に崩れ落ちる。それを鼻を鳴らしていい気味だと或斗は吐き捨てる。だが、ローブの男は動きはじめてまたしても姿を変える。そして最初と同じような姿で微笑を湛えていた。
「だが、こうすれば元通りさ。だけど、ストックが一つ消費してしまったのがね」
「魂ごと切り替えて元通りってわけか。……化け物め」
「そんな顔しないでくれよ、ボクは化物でもクソローブでもない。ボクはオスカー・ワイルド、以後お見知りおきを」
悪態をつく或斗を無視するかのようにローブの男は己のペースで話しつつ、右手に刻まれた魔法陣を見せつける。先ほどと異なり魔法陣を構成してる円の一つが塗り潰されていた。それが消費された魂を示しものなら、まだ塗り潰されていない円は5つなので、魂と姿のストックはまだ5回あるのだろう。
「すごいもんだろう、これがボクの固有魔法さ。それに僕に君らを害する気持ちなんて一片もないよ、だからそんな怖い顔しないでよ灰村或斗君」
「じゃあ一体なんの用だ」
いつでも引き金を引けるように、黒炎を放てるように構えている或斗とジェフティをどこまでも楽しげに眺めているローブの男改めオスカーは言葉を続ける。
「うんうん、その単刀直入な所は嫌いじゃない、むしろ好きなぐらいさ。なに簡単な頼み事さ。これからもスピカとともに居て欲しい、わかりやすいだろう?」
「何をほざいてやがる、今までスピカを地下牢獄に閉じ込めていたくせによ!」
「事情が変わったのさ、あの地下牢獄ではもうスピカを守りきれないからね」
「スピカを守る? 何言ってんだだお前は」
元々スピカが囚われていた地下牢獄の管理人の一人がオスカーであり、本来ならスピカを追う側の人間だろう。それをこちらに託すというのは何故なのか。それに守るという言葉に大きく困惑している。
それを見ながらオスカーは講義を始めよう、と両手を大きく広げて得意げな顔を浮かばる。そしてスピカが地下牢獄へ入れられた経緯をかいつまんで説明する。
別の魔法組織に囚われていたスピカを半年前にオスカーらが保護したという。当時の彼女の状態はひどいもので、すぐさま治療が施されたが、まるで魂が抜けて人形のようになっていた。
「そんな状態のスピカが、突如として自発的に動き出して脱獄したんだ! これまで人形であった少女が自分の意志で動いたんだよ、これほど素晴らしい事があるものか!!」
「で、そんな眼でスピカを見てたから、あんなに嫌わているわけか。それにスピカが他の魔法組織に狙われてるとか、あの左眼の術式が目的か。どうもあれもアーティファクトみてえだしな。ったく、魔法使いって奴はろくでなし揃いだな」
「それは仕方のないことさ、なにせ魔法使いなんだからね。自分の欲望を何事も優先させる人でなしのようなものさ、ボクみたいにね」
銃口を向けたまま或斗は呆れはてる。自身が所有してた地下牢獄が丸々台無しになったのに、それを些事と言いたげのオスカーは熱くなるが、逆に或斗は冷めた目で睨みつけながらも、ふつふつと込み上がってくる怒りの熱を感じながら宣戦布告のごとく叩きつける。
「まぁいい。スピカを狙っているとかの魔法組織から守っていたらしいが、結局は自由を奪ってあの箱庭に押し込めてただけだろうに。オレはそういった輩は全部ブッ潰すと決めてんだよ」
「いやはや素晴らしいよ灰村或斗君! やっぱり君こそがスピカ・シェルナ・ティアラを、いや一ノ瀬スピカを託すのに相応しい人物だ。これからもスピカを狙う組織が出てくるだろうが、君ならその全てを叩き潰せると信じているよ」
今にも牙を向いて襲い掛かってきそうな或斗に向けて、オスカーは賞賛の言葉を浴びせる。勢いを削がれた或斗は飛びかかる事はなかったが、もう話すことはないと口をへの字に閉ざすとそこから開こうとはしなかった。
言いたいことを全て言って満足したオスカーは、或斗のすぐ脇を通って外に出ようとしていく。既に銃口は下ろされていたが、徹甲弾もかくやな視線を刺していた。
或斗のすぐ横を通るその時、オスカーは小さく耳打ちをした。
「スピカが狙われる理由は術式だけが理由じゃないよ。『マギア』さ」
「おい、なんだそりゃあ?」
「そこからは自分で調べるんだよ。最近の若い子は何でもかんでも答えを聞きたがるのがいけないねぇ」
そういうとオスカーは喫茶店から外へと姿を消した。騒がしい喧騒は消えて静寂が部屋に中に満ちていた。ようやく終わったと、マスターが長いため息を吐いてから或斗へ告げた。
「ここで暴れた事と、ここで聞いたことは忘れといてやるよ。面倒事に関わる気はねえからな。それとここで銃ぶっ放したり魔法放つのは一切厳禁だからな、次はねえぞ!」
「ああ、すまんなマスター。ああいった輩はオレが一番大嫌いなもんでよ」
もう消えたであろうオスカーの背中を幻視しながらも或斗は扉の向こうを睨み続けていた。
「わたしも混じって良かったのかな?」
「えぇ、構いませんよ。むしろスピカと灰村君は協力者なんだから、ちゃんと歓迎しませんと!」
大浴場からの風呂上がりであるスピカは繊華に連れられて食堂にきていた。これから発掘作業に切りがついたのでその打ち上げをスピカと或斗の歓迎会を兼ねて行うという。
既に傾いた陽光がオレンジ色となっている時間帯であるので、作業を終えた発掘隊員は汚れた体を洗い流すべく浴場へ向かう者や、片隅に開かれた喫茶店に入っていく者など各々に一日の疲れを癒している。
対照的に食堂のスタッフたちはこれからの準備に忙しなく厨房を行きかっている。まるで格闘家のように筋骨隆々なチーフコックが指示を出しながら料理は作っている。椅子に座ってただ待っているスピカも何か手伝えないだろうかと考えていると、扉が開いて中へ誰かが入ってきた。
「あら、繊華が先にいるなんて珍しいわね」
「はい、こちらのスピカさんの案内をしていましたので。アスールさんも巡回お疲れ様です」
「ふーん、その白い子が噂の協力者ね」
繊華が親しげに声をかけたアスールという少女は、色に染まった長い髪をなびかせ、飾り気のないノースリーブのジャケットを纏って動きやすそうな服装をしている。
そんなアスールは何か気になったのかスピカの方をじっと見つめてきた。あまりに凝視されるものだから、居心地悪く少し顔を傾ける。
「あの、えっと、どうしたの、かな?」
「あ、ごめんなさい。変わった眼の色をしてたから、つい見とれちゃって」
確かに右眼が紫で左眼が青に分かれているのは珍しいものだろう。スピカから顔を離したアスールはつかつか歩いてと近くのイスに腰を下ろした。
面食らったようなスピカに対して繊華がアスールの人となりについて軽く耳打ちをする。
「彼女はアスール・セレステさんといいまして、ここの警邏を担当してる魔法戦士の方ですよ。ただ、何を考えているかわからない所もありまして、ちょっと変わった人なんですけどね」
「うん、でも悪い人じゃないみたいだね」
スピカの返答に繊華は肯定する。組織に属している事が多い魔法戦士において流れ者ということは、或斗と同じような自由人なのではとスピカは勝手な想像をしていた。
外を見てみれば、太陽は地平の向こうへ隠れて夜の帳が降りてきている。食堂にもスタッフが集まり始めて、にわかに活気づいてきた。
或斗が食堂へ入る頃には、多くの人が集まってお祭り騒ぎとなっている。発掘作業に目途がついての打ち上げであり、一応は協力者である或斗にも皆気さくに声をかけてきて、席を確保したイサムも手を振って呼んでいた。
人の波をかいくぐりながらイサムのもとへたどり着いた。その途中スピカの姿を見かけたが、繊華やステラと楽しげに談笑していたので声はかけなかった。
「ふーっ、いつになく皆ハイテンションだな。それからお疲れさん」
「ありがとよ。これで発掘作業が終わったからな、これからの選定や修復なんかも大変なんだから、ここでガス抜きってわけさ。姐さんもこれば良かったのに」
力仕事が終わったら次は頭を使った仕事が始まるのだ。発掘された物が有用な代物なのか修理すれば使うことができるのかなど、イサムやモニカのような技術屋には特に忙しくなるだろう。
当のモニカはここにはおらず作業を続けていると、テーブルの隅に立っているハカセが告げる。
「仕事熱心なのはいいけれど、周りが見えなくなるのがモニカ嬢の欠点であるね」
「まったく天才と変人は紙一重ってほんとだな。それでハカセ、なんでそんな隅っこにいるんだよ?」
「僕はゴーレムだから飲食する必要がないからね。ただ、この雰囲気を楽しめればいいだけさ」
バイキング方式のためイサムが持ってきた料理がテーブルの上にいくつも並んでいる。アルコールの類も出されているようだが、未成年者である或斗たちはソフトドリンクを飲んでいる。
ちょうどハカセもいることなので、或斗はとある事を聞いてみた。
「なぁ、ハカセ。『マギア』ってなんだか知らねえか?」
「マギアかい? 確か古い文献に載っていたのを見たことがあるよ」
古い文献なので正確かどうかわからないと前置きをしてから、ハカセは内容を述べる。マギアとはマナの上位物質と呼べる存在であり、マギアを使った魔法は非常に強力なものとなるらしい。ただ自然界に存在せず、マギアは特殊な魔法使いから生み出されるのだという。
「この文献は古代魔法文明が残した記述をまとめたものなんだ。現代よりも魔法が発達していた文明をもってしても解明できなかったものが記録されているね。古いものなんだけど或斗君はよく知っていたね?」
「特殊な魔法使いねぇ……。ハカセ、聞いてほしいことがあるんだ」
ハカセとついでに隣にいたイサムへマギアを知ったきっかけと自身の所感を伝える。
まずマギアについて知った経緯である喫茶店で出会った男―オスカー・ワイルドの事について。そして、スピカがマギアが関係してるのかもしれいないことを。竜種を単独で撃破できる魔法使いなど聞いたこともないので尚更だ。
「……そんなことがあったのか。スピカ嬢がマギアを扱えるのかどうかはわからないが、オスカー・ワイルドという男は聞き覚えがあるよ。魔法界のフィクサーと呼ばれているが正体は不明、まさか魂ごと姿を切り替えているなんてね」
「トンデモな魔法使いが多いもんっすね。しかもうちのスタッフに紛れ込んでいたみたいようだし」
うーんと唸るハカセに対してイサムは能天気に皿の上の料理を頬張っている。或斗としてはあまり深刻に考えていないイサムの方が気楽で良いのだが、真摯に対応してくているハカセを無下にするつもりはないので或斗はしっかりと見据えている。
結論が決まったようなハカセは姿勢を楽にして或斗へ向き合う。
「とりあえずはマギアについて調べてみるのが良さそうだね。早速明日から始めようか」
「ありがとうハカセ、あなたが居るとホント百人力だよ」
「そそ、真剣な話はここまでにして飯でも食いなよ。俺の方も手伝いくらいはするからさ」
「そうだな、お言葉に甘えて頂くぜ」
ハカセとイサムに感謝しつつ、テーブルに置かれたチキンソテーの皿へ手を伸ばした。その時スピカの方を見てみたが、ちょうど席を外しているのか姿を確認することはできなかった。
「悪いわね、いきなり呼ぶ出しちゃって」
「ううん、かまわないよ。それにしても星がキレイだね」
スピカは甲板の上に居る。アスールから呼び出されてここへ来たのだが、それよりも満天の星空に目を奪われた。アスールも同じようで夜空を仰いでいる。
スピカのすぐ後ろにはついてきた繊華がおり、何故スピカをここへ呼び出したのか疑問に思っていた。
「アスールさん、どうしてスピカをここに呼び出したのです? 話なら食堂でもできたと思いますが」
「ホントは一対一で話がしたかったんだけどね、まぁ繊華にも関係してるおところもあるからね」
そういってアスールはスピカに近づいて、初めて会った時と同じようにその顔を凝視していく。スピカも今回は顔をそむけずにいる。
お互いにしばらくっ見つめ合って、何かを確信したようなアスールは視線を外す。
「やっぱり見間違いではないわね……。スピカ、あなたは半年前の事を覚えているの?」
「半年前の事?」
アスールの言から半年前に会った事があるのだろう。だが、スピカには当時の記憶はなく、アスール自身もどこか確かめるような感じであった。
二人が自分の記憶に答えがないかと考えているところへ繊華が言葉を挟む。
「アスールさん、スピカは記憶喪失で昔の事を思い出せないのです。昔のスピカを知っているんですか?」
「記憶喪失ねぇ……。覚えてないならそれでいいわ。はっきり言えば、思い出すべき事じゃないわね」
困ったように眉を寄せたアスールの表情が、半年前の出来事というものが良からぬものだと、むしろすこぶる悪い事であると如実に語っている。
どうすべきかと繊華はちらりと視線を送ってくると、スピカは小さくうなずいて歩を進めると、アスールの手を握りしめる。
「アスール、教えてほしい。わたしの過去が何かわかるなら、どんなことであっても後悔はしないよ」
「……わかったわ。そんな決意した眼で訴えかけられたら断れないね」
諦めたように少し笑ってアスールはスピカの目の前に指を突き出す。その指先を動いてスピカの視線も同じように動いて世界樹の方へと向けれられた。
「明日の朝、世界樹の根元で待っている。気が変わったのならこなくてもいいわ。一晩しっかり考えるのよ」
スピカがしっかり頷くのを見るととアスールは船の方へ足を向ける。繊華も中に戻ろうとスピカを促す。
「さ、戻りましょう。夜風は浴びすぎると身体に障りますよ」
「そうだね、おなかへっちゃったよ」




