目覚める魂
この監獄は露天掘りの採掘場跡を利用して作られている。全体的な形は円柱状になっており、螺旋状に掘られた壁面に独房が置かれた監獄エリアだ。中空になってる部分にはシャフトが伸びて、ここから各フロアへ向かう通路や昇降機が置かれ、採掘口を塞ぐ蓋を支えている役目もしている。
シャフトエリアは警備が厳重なので乗り込むのは得策ではない。螺旋状の監獄エリアを進むのも時間がかかりすぎるし要所の扉がロックされている。シャフトと監獄エリアの間にある中空部分を飛んでいければすぐに外へたどり着けるのだが。
「飛行魔法が使えればひとっ飛びなんだが。ここの魔力阻害が強くてなぁ。それにオレは元々から飛行魔法使えねぇし」
「使えるようにする方法、あるよ」
マップデータを睨みながら逃走経路の策定に頭を悩ます或斗に、スピカはマップのある分を指さした。
「ここと、そことあそこに魔力阻害術式がはられているの。この三つを壊せば飛行魔法も使えるようになると思う」
「なるほど、ここを目指せばいいいってわけか!」
魔力阻害が消えればスピカは飛行魔法を使えるようになるようだ。そうなればここからの脱出が容易くなるので、その提案に或斗は素直に載った。
「しっかし、まさかの全部崖に仕掛けてましたってパターンなのかよ……」
「アルト、遅いよ。はやくはやく」
或斗とスピカは今監獄エリアの壁面を登っている。仕掛けられた魔力阻害の術式は全てこの断崖絶壁に仕掛けられていたからだ。フリルのついたドレスを着ながらもスピカは既に登りきっており、或斗はただ落ちないことを考えながら壁面にへばりつく。
「うん、ちょうどそこら辺だからやっちゃって」
「了解了解、ここで賢者の石の出番だな」
先に上に登ったスピカが或斗の腰に繋いだ命綱をしっかり固定させると合図を送った。それを受けて腕の中から賢者の石を取り出して岩盤に触れさせた。
賢者の石が触れた瞬間、魔法陣が浮かび上がるとすぐに色を失って消えていく。これで魔力阻害術式を解除できた。
スピカが待っている上の階層まで登りきって、或斗は一息ついた。
「アルト、お疲れさま」
「ふー、これで残りの術式はあと一つだな。まさに賢者の石さまさまだな」
賢者の石を掌の上に乗せてその効力を実感していた。単純に魔力が籠もった霊石だけでなく、その魔力で他の魔法を上書きする能力があるのだ、相手の魔法を無効化できるこの石を狙うのは当然といったところか。
「もしかして、これってかなりヤバイ代物なり?」
「今頃気づいたの? 魔法使いの天敵みたいなものだよ」
「うーん、オレって魔力は扱えるが、どうも魔法がヘタクソなもんで――」
或斗が言葉を途中で遮る。強い殺気を感じたからだ。それはスピカも同じらしく、視線を鋭くして道の奥を睨む。黒の防護服を着ている警備員たちとは対照的な白いローブを纏った男が一人で奥から現れた。
あの男が殺気を放っているのだろう。男の表情は柔和なものだったが、その目はどこまでも冷徹であった。
「ようやく大ボスのご登場ってわけか。それにしちゃあ遅すぎるぜ?」
「こんな所にいたのかい、スピカ。ダメじゃないか、魔法陣を壊すなんて。さぁ部屋に戻ろうじゃないか」
ローブの男は或斗の言葉を完全に無視した。いや、その存在を一片たりとも認めていない、そんな風に感じ取れる。
スピカが素早く魔法陣を展開させると、魔力で形作られた純白の剣を握る。その剣先をローブの男に突きつけると、彼は苦笑いを浮かべた。
「ははは、随分と嫌われたものだね。ちょっと傷ついたよ。でもその前にやることがあるよ。お前のことだよ、この不埒者め」
スピカに向けていた時とは一転して、或斗に対しては剥き出しの憎しみをぶつけて来た。その視線で射られると産毛が総毛立つのがわかるが、恐怖を押さえ込むようにいつもの調子が良さそうな軽薄な笑みを浮かべた。
「なんだい、オレがスピカと一緒にいることがそんなに悔しいのかい、おっさん」
「あぁ、そうだ。だからお前は消えろ」
魔法陣が男の周囲にいくつの発生していき、或斗は賢者の石を構えた。魔法陣からは風の刃がいくつも飛び出して、その全てを賢者の石の魔力で逸らす。魔法使いの天敵と呼ぶに相応しい効能だ。
「ハッ、アンタがオレの数十倍の力量を持っていようがコイツがある限り……」
「誰が魔法でお前を殺すと言った? 薄汚い盗人風情にはこれだけで十分だ」
乾いた銃声が響いた。
軽い衝撃を受けて視線を落とすと、左胸に穴が開いていてそこから赤い鮮血がドバドバと吹き出す。ローブの男が握っている拳銃からは硝煙が立ち上っていた。
撃たれたというのに痛みはない。まるでテレビの向こうから見ているような現実感の無さだ。呆然と立ちつくしていると、いくつもの足音が聞こえてきて警備員たちが集まってくる。
「ふん、さっさとその死体を片付けておけ」
「……アルト!」
スピカの悲痛な声が聞こえるが喉が熱くなって声をだすことができない。足元も力が入らず、倒れそうになる。このまま地に伏したらもう終わりなのだろう。
ここで終わるのか。呆気ないものだ。
『どうした……もう諦めるのか? このままでは本当に死ぬぞ?』
視界がもう真っ白に染まっている。その中で語りかてくる声が聞こえる。もう死んでいくしかない自分になにができるのか。
『お前は本当にここで終わることを許容できるのか。あの少女はまだお前が倒れないと信じているぞ?』
少女、そう聞いてスピカの顔を思い出す。あの子はまだ牢獄に捕えられているんだ。自分だけがここで終わって逃げるわけにはいかない。
―まだ終われない!―
『フハハハ、よかろう! ならばお前の中のお前を解き放て! あらゆる逆境を覆す強き意思の力を!』
「その通りだ、オレはまだ終われない! ここからが本当のスタートラインだ!!」
「アルト!? ……うん、それでいい」
崩れかった身体を右足で強く踏み込んで支えながら、或斗は心の奥底から叫ぶ。ただ倒れるだけの人間が上げた叫び声にこの場の誰もが動揺の色を浮かべていたが、スピカだけはどこか納得したように頷いた。
或斗の右手にはしっかりと握られた賢者の石が収まっている。それを強く握りしめて、それを粉々に打ち砕く。これがすべてを覆す或斗の反撃だ。
賢者の石から溢れ出した魔力が青い焔となって辺り一面を焼き焦がす。そのいちばん近くにいた或斗は完全に青い焔へと飲み込まれていた。
「フハハハハハ! この程度の焔で怖気づいているようでは、我々を倒すことはできないぞ!」
焔の中から高笑いが響く。広がっていた焔が人型に収束しいくと、目と顔が浮かび上がってその中から或斗が姿を現す。
先ほどまで着ていた囚人服から、かつて纏っていた黒のロングコートに似た装いへ変わり、首に巻いた深紅のスカーフが熱気に靡いている。
不敵な笑みを浮かべる或斗の後ろに立つ人型の青焔も纏う火炎を振り払ってその正体を見せる。
青い焔の意匠をもった翼を腰から伸ばす貴族風の出で立ちな魔人。身体から噴き出る黒炎によって形成された頭部は仮面を被っているように見え、斜めに入った6本のスリットの奥から燃える光が目を思わせる。
「こ、これがオレの力なのか……!」
「我が名はまつろわぬものの守り手『ジェフティ』! 恐れるな我が共犯者よ、お前が望めばこの力はお前とともにある!」
「そう、これがあなたの本当の力だよ、アルト」
自分の内からあふれ出る力に戸惑いを或斗は覚えるが、いつの間にか隣に立つスピカが背中を押す。
或斗は小さく頷くと、握られた右拳に魔力を集中させていく。そこには心臓に撃ち込まれたはずの銃弾が収まっており、歪んだ弾頭は光を発しながらその形を大きく変えていく。
光が収まると或斗の右手には黒塗りの魔導銃が握らていた。
「目の前の敵を憎め! その意思を力に変えて放ってみせよ!」
「わかった。……駆け抜けろジェフティ!」
「なに、死にかけの小僧一人に気圧されるいる! 総員で叩き潰すぞ」
魔導銃の銃口を目の前の『敵』であるローブの男に向けると、その動作に警備員たちが反応したかのように動き出す。指示を飛ばす男も言葉とは裏腹に動揺を隠しきれていない。
そんな動きなどお構いなしとばかりに、或斗が引き金に指をかけて銃口から魔力弾が放たれる。まっすぐに飛んだ魔力弾がローブの男が持つ拳銃を弾き飛ばし、ジェフティも黒炎を纏った翼を伸ばして空中に舞いあがる。
「殺せ、撃ち殺してしま―」
ローブの男は最後まで言葉を発せなかった。何故なら或斗が撃った第二射が眉間に命中して卒倒したからだ。警備員たちが手にした銃や魔法を発動させて攻撃してくる。
その全ては黒炎そのものと化したジェフティによって掻き消され、高笑いとともにジェフティは音を超えて駆け抜けた。目にも留まらぬ速度と黒炎を纏ったことで、ただ触れただけでも人間を容易く吹き飛ばす。
超高速で動き回るジェフティの間を縫うように或斗は手にした魔導銃を次々と放つ。こちらへ向かってくる銃弾や魔法をスピカの魔法が相殺し、その隙に懐に入った或斗が反撃の魔力弾を眉間に命中させていく。
「ば、馬鹿な!?こんなことがありえるのか……」
撃たれた衝撃で地に伏せていたローブの男が顔を上げると、その目の前には銃を突きつけた或斗とジェフティが立っていた。その二人以外に立っている者はおらず、他のものは全て地面に伏して動けずにいた。
「はい、これチェックメイトだ」
「ま、まて、もうそちらに危害を加えるつまりはないっ!」
「フハハハ、それは出来ぬ相談だな! 我が共犯者の心臓に鉛弾を撃ち込んだのなら、お前の心臓が射抜かれても仕方ないことであろう?」
「……二人ともちょっと待って」
二人の後方からちょこんと顔を出したスピカがローブの男の前に立つ。スピカの姿に一縷の望みが出てきたのだろうが、現実は非情であった。
スピカが魔法剣を振るうと、男の頭上に黒い光球が生み出されてそのまま下に落とされた。高密度に圧縮された魔力の塊が直撃して、男の身体の殆どが地面にめり込んでいた。
溜飲が下がったのか、スピカは満足したように息を吐く。
「……ずっとわたしに色目を使ってきて、気持ち悪かったの。これでスッキリ」
「おぉ、完全にめり込こんでやがる……。まぁ、変態野郎にはお似合いな始末だな」
「して、わが共犯者よ。敵を撃滅して満足なのは構わんが、どうやら長居は無用のようだぞ?」
落ちている携帯端末をジェフティは拾い上げると、画面が二人に見えるように差し出した。ジェフティの言葉と画面に映った文字を見て、或斗は気を引き締めなおす。
画面には赤字で書かれた緊急事態が浮き上がっている。ここで倒した連中がこの監獄にいる全ての看守や警備員ではないだろう。
「確かに長いは無用だな、さっさと脱出だな」
「我が翼なら地上まで容易く到達できるだろう。さぁ、スピカよ、少々狭いがこちらへ」
「うん、失礼しますっ」
翼を大きく広げたジェフティの背中にスピカが恐る恐ると乗ると、地面からジェフティの足が離れて徐々に加速していく。魔力を回しながらアルトはジェフティの手を掴み、そのまま監獄の外へ飛び出した。
天蓋を支えるシャフトを縫うように飛びながら上昇していく。あと少しで地上に突くはずだろう。
突如として或斗の視界がぐにゃりと歪んだ。
何が起きたかわからない。動機が激しくなって全身に力が入らない。ジェフティを掴んでいたはずの手が離れて重力に引かれてしまう。
「アルト?」
スピカの眼差しが不思議そうにこちらへ向けられた。その時は既に或斗の身体は竪穴の底に広がる深い闇の中へ落ちていっていた。




