水晶峡谷
「これが水晶峡谷か……。でも、近くで見るとあんまり光ってねえな」
「ここが光って見えるのは大地に含まれてる魔力結晶が陽光で反射するからなんですよ。だから、近づけば普通の峡谷とあまり変わりません、あくまで外見だけですが」
峡谷の入口となる最上部の端から下を覗き込みながら、或斗は進む経路を探っていた。最下層への最短ルートとしてここから飛び降りるという選択肢もあるが、下の状況がわからず飛行タイプの魔獣もいる可能性からあまりに無謀である。
かといって地道に下へ降っていくにはあまりに広く、主のいるであろう最深部にたどり着くまでどれほどの時間を要するか見当もつかない。
何か知恵はないかと後ろで待機しているアスールとステラに話を振ると、なにやら二人で作業を進めていた。
「こんな広いとこを進みのは骨が折れそうだ……って、二人して何してんだ?」
「そのお悩み解決方法よ。まぁ見てなさい」
アスールに言われるがまま、或斗はステラの作業を黙って見守る。
ポーチの中から取り出した魔石を並べると、手をかざして魔法陣を構築させる。魔力を注ぎ込まれた石は淡い光を放ちながら、内側より透明な翼や身体を持った蝶が飛び出してきた。
一つの魔石から無数の蝶がはばたくと淡い燐光の尾を引きながら峡谷へ向かっていった。
「すげえな! まるで陰陽師が使う式神みてえだ」
「これは魔石を利用した使い魔になるのですよ。扶桑の陰陽師が用いる式神も使い魔の一種と言われてますね、ちょっと原理は違うのですが」
使い魔には野生動物や魔獣を魔法で操ったものから、精霊や幻獣といった幻想種を使役するといったものまである。ステラが用いた使い魔は、本来目に見えぬ下級の精霊でそれを魔石の魔力で形あるものにして、単純な命令なら動くものだ。
精霊といっても下級のものは、ただ空気中を漂ってマナを取り込むだけのプランクトンに近い存在なので、それらを操れるステラの手腕に舌を巻く。
「マッピングのほかにも、魔力が強くてマナの濃いものに集まるという精霊の習性を利用して、魔石の鉱脈や危険度の高い魔獣にマーキングできると思いますよ」
「ここまでできるとは、ホントいたせりつくせりだぜ。オレも負けてられねえな!」
「でしょう、探索でこれほど心強いものはないわね」
改めて気合を入れ直した或斗は峡谷の方へ向き直る。ステラを中心としてアスールが後方で、或斗が先頭に立った隊列で進んでいく。出会い頭の遭遇戦ではフィジカルの強い或斗が、後方からの奇襲に対応できる高い危機察知能力持ったアスールが、それぞれ対応する形となっている。
峡谷の始まりはまだ平坦であり、荒涼としながらもところどころに緑が顔を出している。この辺りはまだ危険な魔獣はいないだろうと呑気にしていた或斗であったが、ガサガサと音を立てて茂みが揺れた事で身体を強ばらせた。
一体何が出てくるのだと身構えていれば、そこから姿を見せたのは長い耳を持ったウサギであった。既存の動物でも魔力を宿して魔獣の特性を持った種もおり、目の前に現れたハネウサギもそういった一種だ。魔獣とは言えウサギでもあるので草食性で警戒心が強いという。
「なんだ、ハネウサギかよ。ビビらせんなっての……」
「気をつけなさい、元は臆病な奴でも峡谷の影響で凶暴になってるかもしれないわ」
「大丈夫大丈夫、魔獣とはいえウサギなんだし……グヘエェッ!?」
不用意に近づいた或斗へウサギからの強烈な回し蹴りが顔面に決まり、思いっきり吹き飛んでいった。
ハネウサギは飛び跳ねて足を振り回すことで威嚇をするのだが、一部の個体はその威嚇行動を外敵を追い払う攻撃行為として活用している。そういった個体を特にケリウサギと呼び、縄張り内に入ってきたものを率先的に排除していくので、ハネウサギと同じ姿形でも危険度は跳ね上がる。
「或斗さん、大丈夫ですか?」
「言わんこっちゃない、見てくれだけで判断しちゃいけないってわかった?」
「……存分に身に染みましたよ。それとして、やられっぱなしもオレの流儀じゃねえからな」
蹴られた顎をさすりながら或斗は立ち上がる。蹴られたお返しにと闘志を燃やす或斗に、ケリウサギの方も首の骨をへし折ったつもりで蹴り倒した相手が平然と立ち上がった事に目を細めて、改めてファインティングポーズを取る。
かかってこいと言わんばかりに立つケリウサギに向けて、にやりと笑って或斗は駆け出した。腰を低く落としていたケリウサギもつ億地面を打って飛び上がり、互いに全力を持ってぶつかり合う。
「壱式『震電』ッ!!」
「……!?」
一瞬にして渾身の競り合いを制したのは或斗であった。
魔力循環により右脚に集中させていた魔力を一気に放出させる。循環による肉体強化とジェット噴射に等しい魔力放出の相乗効果により、瞬間的に音速域まで達した回し蹴りがケリウサギの頭蓋を捉えた。
全力でぶつかり合えたので或斗は満足げに息を吐くが、直撃を受けたケリウサギの遺骸は頭部が吹き飛ばされて身体もバラバラになって辺り一面に転がっている。
そんな有様を後ろからギャラリーとして眺めていた二人だが、ステラは飛び散った肉片を見ぬように手で顔を覆い、アスールも感心半分呆れ半分であった。
「或斗さん、さすがにやりすぎですぅ!」
「わりいわりい、名誉挽回の機会だったもんでつい力んじまってよ。もう油断はしないぜ」
「魔力の循環と放出だけでここまでの力を出せるんだから、肉体強化特化というのに嘘偽りなしね。これはやりすぎだけど」
「うぅっ……」
スプラッターな光景を見ながらまたしても反省する或斗であった。だが、この場にこれ以上留まっている意味はないので、二人に押される形で木立から離れて峡谷の下に向けて動き出す。
道筋は轍としてずっと続いていて、少し開けた場所に出ると轍の道はいくつも枝分かれしている。どちらに進めばよいかは、ステラの使い魔である蝶が残した燐光をたどればよいので迷うことはない。
ただ獣道とは思えないほどにしっかりとした轍が、人の手が入っていない未開の地にもかかわらず幾重にも広がっていることに違和感を覚えずにいられない。
きっと何かがあるのだろう。警戒を強めていたアスールは近づいてくる気配を感じとって叫ぶ。
「二人とも、壁に寄って!!」
咄嗟にステラを抱えてアスールは壁際に身を寄せ、或斗は二人をかばうように両手を広げて覆いかぶさった。
そして、地響きを上げながら人の背丈を優に超す巨大な岩塊が転がってきた。或斗の鼻先数センチを掠めながら轍を下に向けて転げ落ちていく。
僅差のところでぶつからずに済んだ三人はほっと息を吐く。轍を作り上げた張本人を見送りながら或斗は呆気に取れれながら呟く。
「いやはや、あんな岩塊がゴロゴロ転がってくるとはねぇ……。ありゃいったいなんだ?」
「あれはきっとペリトラフォスね」
「にしたって、でかくなりすぎだろ!」
ペリトラフォスは固い外殻を持った至っておとなしい性格の魔獣で、身体を丸めて身を守ったり傾斜を利用した高速移動を行うなどの特性を有しいる。
本来なら大きくても直径1メートルほどであるが、今遭遇した個体は3メートルもあるかという巨体だったので、持っている知識と現実の齟齬に或斗が頭を抱える。
ここまで大きく成長したのはここの環境ゆえだったのか、その答えはすぐに見つかった。
「ペリトラフォスがあんなにたくさん……。なにをしているのでしょう?」
「うーん、斜面を削って岩を食べてるのか?」
轍が途切れて開けた場所にペリトラフォスの一団が集まって一様に地面を掘り返していた。彼ら主食は魔石なるのでその鉱脈が露出してる峡谷は絶好の餌場なのだ。
十分すぎる量の魔石を取り込み続けることが出来たのでここまで大きく成長できたのだろう。食事風景を遠目から観察しながらも、或斗は少しづつだが群れの方へ近づいていく。
本当は食事に気を取られている内に通り抜けるつもりだったが、ステラの使い魔が残したマーキングが示されていてベラトリフォスも餌としているものなら、きっと良質な魔石なのだから調べておく必要があった。
抜き足差し足忍び足でベラトリフォスの群れの中を縫いながら進む或斗を、物陰からステラとアスールの二人が見守っている。
「或斗さん、大丈夫でしょうか。もし、一斉に襲い掛かってきたら……」
「ベラトリフォスは魔獣でも温厚な方だからそんなことはないと思いたいけど、そうなったら或斗を囮にして一目散に逃げるしかないわね」
「ちくしょう、とんだ貧乏くじを引いち……!?」
ぼやきながらもあと少しで鉱脈にたどり着ける。そんな時、或斗の足元でパキリと甲高い音が響いた。足元に目を向ければ、小さな結晶がいくつか転がっているので、その一つを踏み砕いてしまったのだろう。
そして恐る恐る顔をあげてみると、すぐ隣で鉱脈を貪っていたベラトリフォスがこちらを覗き込んでいた。
岩盤を掘り進むため前に大きく出っ張った額、硬い魔石を砕けるよう発達した臼のような歯に強靭な顎。比較的おとなしいとはいえ、間近でその巨体を拝めば圧迫感が凄まじい。
しばしの間或斗を見つめていたが、ペリトラフォスは興味をなくしたように顔を背けると、また土を掘り返して食事へ戻った。その隙に手近の鉱石を抱えると、足音を立てぬようにそれでいて足早に離れる。
「お疲れさま、或斗」
「いや、マジでビビったぜ……。とりあえず魔石は回収成功さ」
「これは……かなり良質な魔力結晶で出来てますね。ペリトラフォスが好んで食べるのがよくわかるのです」
或斗が抱えてきた原石をステラがハンマーで割ってみせた。分断された石の断面にはキラキラとした結晶がいくつも見えて、これが魔力結晶である。
原石のままでも魔石として活用できるが、形を整えて魔法陣を加えたらより扱いやすくなり、魔力結晶のみを抽出して加工すればクリスタルに早変わりだ。
魔石の需要も大きいものであるので、これほど良質な鉱脈であればかなりの採掘量が見込めるだろう。それら資源の有無を入念に調べるのは本格的な調査が行われる時なので、今は最深部目指して進むことだ。
「おおまかな鉱脈の位置も地図に示しておきましょう。きっとハカセ達の探索にも役立つはずです」
「ペリトラフォスが群がっているところが目印ね。あとは下手に刺激しなければ襲ってはこないと書いておきましょう」
「さ、先に進もうぜ。まだまだ先は長そうだが、幸い道はしっかりあるみたいだしな」
峡谷を張り巡らされた轍道を進み、時にはペリトラフォスの群れの中を突っ切り、時には上空から飛び掛かってくる翼竜種を打ち落としたりしながら、三人は峡谷の底にたどり着いた。
「ここが谷底かー。思ってたより結構広いもんなんだな」
「水晶峡谷の4割ほどはこの谷底が占めているらしいですよ」
「ここからが正念場よ。油断しないようにね」
先頭に立つ或斗はマグフォンのセンサーを作動させながら慎重に進んでいく。センサーはマナの濃度を測定して人体に悪影響を与える数値になると警告してくれるもので、これからは魔獣だけでなく、周囲の環境にも注意を払わなければいけない。
センサーの数値はまだ正常値を指示しているが、ところどころに魔力結晶が集まってできた天然のクリスタルが顔を出しているので、マナの淀みがあるホットスポットの危険性がある。
谷底ということもあって両側に聳え立つ岩肌の圧迫感と薄暗さで見通しは悪いが、使い魔の作った道標とちょうど真上に昇った太陽が谷底を照らしているので、何かを見落とす事はなさそうだ。
「アスールさん、或斗さん、あれを見てください」
「ん、あれは岩か何かか?」
「使い魔が探知したのなら、ただの岩ってわけはなさそうね」
何かを見つけたステラが指差す先は、地面がこんもりと盛り上がっていた。一見ただの岩にしかみえないが、使い魔が反応しているので何かがあるのだろう。
近づいて確認してみれば、それはペリトラフォスの遺骸であった。鉱石の如く堅固な表皮は無残に引き裂かれて、特に大穴が穿たれた腹部から流れる血液が一面の地面を赤黒く染めている。
「ううむ、ペリトラフォスをここまでズタボロにするとは、襲った奴はそうとう強靭な爪や牙を持ってたんだろうな」
「それにまだ絶命してからそんなに時間は経っていないわ。そいつがまだ近くにいる可能性は十分にあるわよ」
アスールの言葉を受けて或斗は周囲に意識を送る。これほど鋭い爪を持った捕食者がペリトラフォスの次に自分たちを狙って息を潜めているかもしれないので、警戒を強めるのは当然だ。
使い魔を使って周囲を警戒しているステラが、近いづいてくる何かを感じとって叫ぶ。
「アスールさん、或斗さん、気を付けて! 上から何か来てます!!」
ほぼ同時に遺骸の上に何かが飛び込んできた。或斗もアスールも横っ飛びで避けて、すぐに臨戦態勢に移る。目の前に現れたものは、巨大な狼の姿をした魔獣であった。
体躯は鼻先から尻尾の先端まで優に6メートルもあるほどえ¥で、生え揃った牙はどれもナイフのように鋭く、肉球に隠れた爪もかなり湾曲した刃のようだ。まるで生皮を剥がれたような筋組織がむき出しとなった真っ赤な体表が見るものの嫌悪感を煽る。
「気を付けてください、どうやらわたし達を獲物を奪った外敵と思ってるみたいです!」
「魔狼であるマムルプスの変異体ね。ステラは後方に下がって攻撃が使い魔を出して。或斗は奴の注意を引いて頂戴」
「まかせな! 牙や爪を持ってるのは奴だけじゃないことを教えてやるさ」
魔狼の横を駆け抜けながら、腰のホルスターから黒い拳銃を、背中に差してあった白銀の長銃をそれぞれ手の中に収める。
突然動き出した或斗に釣られてマムルプスがそちらに顔を向ける。その鼻先目掛けてレイヴンの魔力弾を撃ち込んだ。拳銃型ゆえに射程は短いが、装填されている術式は強力な衝撃を与えるものだ。近距離で当たるものならヘビーボクサーのパンチに等しい。
だが大型の魔獣に対しては効果は薄いもので、現にマムルプスへのダメージは微々たるものでただ怒らせるだけだった。だがそれは注意を引くというのが目的であり、思惑通りに魔狼は或斗へ向かってくる。
レイヴンを下げて左手に握っていたブレイズを構えて引き金を引く。上下に連なった銃身から同時に魔法弾が撃ち出され、輝くレーザーと鋼鉄の砲弾がマムルプスに直撃し、レイヴンの衝撃弾と比べ物にならない威力にその巨体も大きくぐらついた。
銃身に装填された魔導カートリッジによりそれに対応した属性弾を撃ち分ける事が出来るのがブレイズの最大の特徴であり、一発撃つ毎にカートリッジの冷却が必要なため素早くリロードを行う。
その隙を逃さずマムルプスが牙を向いて或斗へ突撃するが、その視界を覆い隠すように大量の蝶が飛び回る。その隙間から槍の穂先に水を纏わせたアスールが突撃してきた。
「ナイスアシストだぜ、二人とも!」
「隙を突くのは基本よ、口よりも身体を動かしなさい」
横一文字に薙ぎ払われた槍の一撃に魔狼は吹き飛ばされ、穂先から伸びた魔力を帯びた水が鞭のようにしなりながら追撃を浴びせる。水気のないこの場所で水魔法を自在に操れるアスールの技量に感心しつつ、そのサポートに移る。
装填するカートリッジはどちらも水属性。放たれるまで溜めの時間があるが、魔力弾を水球として放つ事ができる。大質量の球体が魔狼の周囲に水を撒き散らし、それがアスールの魔法を助力する。
地面に槍を突き刺して散らばった水を操り、細くて鋭い無数の針となってマムルプスの脚部で皮膚が薄くなっているところを貫いて地面と縫い付ける。
「動きを封じた、今よ!」
「おうよ、ブレイズの最高火力をお見舞いさせてやるぜ!」
動きを止められた魔狼を逃すはずもなく或斗はブレイズを構える。最も高い火力を出せる組み合わせのカートリッジは既に装填されており、それに見合うだけの魔力を注ぎ込む。
十分に溜まったところで引き金を引いて、上下の銃口から炎と風が迸る。撃ち出された火球を吹き荒れる突風が煽り、巨大な爆炎となってマムルプスを飲み込んだ。鉄をも溶かす灼熱の怒濤をただでは済まないだろう。
「どうだ! 炎と風のベストマッチな組み合わせだ、そのまま燃え尽きちまい――うわぁ!?」
口角を上げて勝ち誇る或斗を一喝するかの如く、身を焦がす炎を纏わせながらも魔狼が牙を剥いた。それを間一髪で後ろへ飛び下がって避けながらも、全身を焼かれて足には無数の穴が空いているにもかかわらず全く堪えた様子を見せぬマムルプスの高い生命力に感心しつつも或斗は舌打ちする。
「ちっ! あの温度の炎でも平気なのかよ!!」
「少しは効いてるみたいね。なら、物理的に潰しにいけるわよ」
槍を構え直すアスールに或斗も頷き、そして巨大な狼に向かって駆け出した。一歩一歩を踏み出す毎に青白い炎を吹き上げながらただ真っ直ぐに突っ込んでいく。マムルプスも爪を立てて横一文字に薙ぎ払うが、或斗は直上へ思いっきり飛び上がり、壁面を強く蹴って空中で身を翻しながら、青い炎を纏った右脚を魔狼に向ける。
アスールもまた、身を低くしながら穂先に水を溜め込んだ槍を突き出して突撃する。
「零式『紫電』!!」
「……クレッシェント!」
己の魔力を炎として放出させながら放った渾身の飛び蹴りがマムルプスの胴体を深々と抉り、しなりながら伸びて大鎌を思わせる水の刃がその首を跳ね飛ばす。或斗とアスールが得意とするそれぞれの技が同時に決まり、狼はその巨体を地に伏してやがて動かなくなった。
激闘を制した二人の下にこれまでアシストをしていたステラがやってきて労いの言葉をかける。
「二人ともお見事です! 怪我とかしてませんか?」
「ありがとよ、ステラのおかげでこのとおり無事さ。……と言いたいけど、意外と疲れるもんだ」
「ちょうどお昼時だし、休憩にしましょう。特にステラは疲れただろうし」
「い、いえ、そんなことは! ……ちょっとありますかね」
アスールの言葉を否定しかけるステラであったが、少し恥ずかしがりながら小さく頷いた。休める場所がないかと辺りを見回す或斗は少し離れたところに岸壁に出来た裂け目を見つけた。
裂け目の奥行はそこまでないが、三人が中に入るには十分すぎる広さがあった。そこに腰を落ち着かせると、アスールが見張り役として外に目を向けて、或斗はバックパックの中からコッヘルや携帯ストーブを取り出した。
水を入れたコッヘルを火にかけると、その中にポークビンーズの缶詰を入れて湯煎する。缶詰が温まるまで携帯食料であるカロリーブロックをかじりながらただ待つ或斗の横で、食事に手を出さずにいるステラは髪飾りを取り外してその手に収める。
すると髪飾り中央の青い石から立体的な映像が浮かび上がり、投影されたものは三人が通ってきた水晶峡谷のこれまでの道程であった。
「すげえなこの髪飾り! これまで通ってきた道を自動的に記録してるのか」
「それだけじゃなくて、追加で書き込んだり余計な情報を削除する添削もできるんですよ」
他にもビデオカメラのように映像を撮影できたり、記録したものを分類ごとに振り分けてデータベースとして保管できたりと、その多機能ぶりに或斗は思わず感心する。
このアーテファクトが一体どんな技術が使われているのか興味が尽きない或斗であったが、ステラが大事そうに持っているので自身が手にすることはせずただ眺めるだけで済ます。
「ホントすごい髪飾りだな、オルビス商会の家宝にもなるわけだよ。でもそんな大事な物を持ってきても良かったのか?」
「はい、わたしがフリーケンシーに参加したのは、この天球儀を完成させるためなんです」
完成させるとはどういうことなのか、そもそも天球儀とは。ハテナマークを浮かべる或斗に、悪戯っぽい笑みを向けるとステラは髪飾りを操作する。
これまで投影されたものとは比べ物にならない光を発しながら、立体映像が浮かび上がる。まばゆい光とともにいくつもの光点が洞窟内に映し出されてさながらプラネタリウムだ。
「なるほど、だから天球儀ってわけか……。所々穴抜きなのもまだ未完成だからか」
「これは星の運行を占星術に基づいてを記したものになります。星見の一族だったおばあちゃんが若い頃に作ったものなんです」
星の動きから魔力の流れを読み取り、大きな天変地異を予言するのが古来より存在する星見の一族の役目であり、星の運行を記した星図はいつの時代も重宝されてきた。
若かりし頃のステラの祖母もより完璧な星図を求めた末に、魔力プロジェクターと呼ばれるアーティファクトを発見し、星を写し取って細かく映し出すことができた。しかし、古くからのやり方に拘っていた他の一族には魔導機を使った星図は認められず、仕方なく若き魔導機職人の青年とバディを組むこととなった。これがステラの祖母と祖父の馴れ初めらしい。
見張りを止めて映し出された星図を眺めるアスールにもこの話に思い当たる節があった。
「その話は私もステラのお祖母さんからよく聞かされたわ。なんでも二人で魔法大陸のどこかにある全ての星が見える場所を探してたって」
「だから全ての星が見える場所を見つけて、この天球儀をおばあちゃんの代わりに完成させたいのです」
「祖父母が果たせなかった夢を孫が引き継ぐとは、泣かせてくれるじゃあねえか。ほい、ポークビーンズもちょうど温まってるぜ」
温め終えた缶詰をコッヘルの中から取り出して封を切る。用意しておいた小分け用のボウルに移して二人に渡すと、或斗はいつも通り缶の中にそのままスプーンを突っ込んで食べて始める。豪快に食べる或斗に続いて二人もポークビーンズに口を付ける。
「本当のところ、天球儀の完成も大事な目的なんですが、わたし自身が研究しているものもあって、冒険に出る理由付けが大きいですね。アスールさんやハカセ、商会の人がついてくることになってたんですが、お父さんやおじいちゃんはわたしが参加するのは最後まで反対してて、天球儀の事を出してようやく認めてくれたんですよ……」
「あの二人は本当に過保護なのよねー、これで少しは子離れ孫離れ出来ればいいのだけど」
或斗自身は会ったことはないが、ステラの祖父が製作した魔導機の数々を見ていたので職人気質なイメージを持っていたが話を聞くに孫にはダダ甘のようだ。なんだか微笑ましい気持ちになった或斗にアスールが疑問を投げかける。
「そういえば、さっきから気になっていたんだけど、一式とか零式とか叫んでたけど、あれってただの蹴りじゃないの?」
「んもー、アスールはわかってねえな。気合入れるために叫ぶのは基本だろ?」
あっけらかんと笑う或斗に対して呆れ顔なアスールであったが、当の本人はそんなことお構いなしで得意げな顔を浮かべて続ける。
魔力の循環と放出を併せる事による肉体強化から繰り出す体術が、或斗の唯一にして最大の魔法であった。分類も技というよりも強化する部位によって分けられており、脚部を強化する壱式、腕部を強化する弐式、そして全身を強化させる零式だ。また武具との併用を前提とした参式もあるのだが、これはまだ考案段階である。
「それに技名付けて叫んだ方がイメージがしっかりするのさ。魔法を放つには強い想像力が必要なんだしよ」
「たしかにそうですね。でも、体術が魔法なんてなんだか可笑しいですよね」
「そこは仕方ないさ、オレは魔法陣作れないんだしさ」
缶詰の湯煎をした残り湯を使って淹れたコーヒーにスティックシュガーを3本ほど入れながら、或斗は地面に円を描く。でたらめに描かれたされた魔法陣た。
しっかりと描かれた陣なら魔力を流せば魔法が発動する。ただ地面に描くだけでなく、魔石などの魔力を宿したものに陣を刻んで魔法をブーストさせたりもできる。
さらに魔力操作の技能があれば描かずに魔法陣を生成させることができる。その分、魔法を発動させるために強いイメージを浮かべなければいけないので、その補助に魔法名を唱えるものは多い。
魔力操作が出来る者が一般的に魔法使いと呼ばれており、それ以外の者は魔力使いとなる。魔法使いは魔力操作技能と高い集中力を、魔力使いは多くのパターンを持つ魔法陣を覚えて使い分ける知識がそれぞれ必要となるが、或斗にはそのどちらも持ち合わせていなかった。
その点、直感的に扱える体術とは相性が良く、魔力の循環と放出による肉体強化が極まっている事も相まって、その一点にのみ重きを置いた特化型が或斗の魔法である。
「そもそも、循環は魔法のためのに魔力の流れを作ることで、放出も魔法陣に魔力を流すためのものよ。肉体や感覚の強化は本来副次的な効果なのだけど、それをメインにしていくなんて本末転倒な感じがしないでもないわね」
「それでもしっかり使えるなら上等なのさ。ほら、伝説的な拳士である拳聖だって、循環と放出による肉体強化と培った技量のみで戦っていたんだぜ。まぁ、オレの格闘技の技術は今のところクラブ活動以下、趣味の延長線上に過ぎねえんだけどな」
「……魔法使いにも色々あるんですね」
或斗が淹れたインスタントコーヒーを飲みながら感慨に耽るステラの横で、或斗は一気に飲み干すとテキパキと荷物をまとめている。三人ともスタミナはしっかり回復できているので、いつでも最深部へアタックをかけられる。
荷物を詰めたバックパックを持ち上げた或斗の前に、ステラは使い魔を使って道筋を浮かべる。これを辿れば最深部まで迎えるのだろう。
「さぁ、最深部に向かいましょう。でも気を抜かず慎重にです」
「おうよ、任せときな」
「二人ともお疲れ様です。そろそろ休憩にしませんか?」
「うん、ありがとねセンカ」
「…………そうする」
左足が動かないアーテルのリハビリを一緒に行っているスピカの元へ、繊華はスポーツドリンクを持参しながら顔を出した。いつもの黒いドレスでなく動きやすいジャージ姿のアーテルは恐る恐るといった感じで繊華からドリンクを受け取ると黙って口につける。
「それじゃあ、わたしはお昼ご飯持ってくるから、三人でここで食べようね」
「あ、お姉ちゃん……」
そう言ってスピカは席を外し、部屋にはアーテルと繊華の二人だけが残る。そもそも繊華を苦手としているアーテルはどこか居心地悪そうにただ黙ってドリンクの飲んでいた。
そんな彼女のすぐ隣に繊華は腰をおろす。ちらりと顔を向けるとにっこりと満面の笑みを向けてきて、アーテルはすぐに目をそむけてしまった。そんな事を気にせず繊華は声を掛ける。
「アーテルさん、足の具合はいかがですか? 痛いところとかありませんか」
「…………ん」
「もし、歩行補助器とか道具が必要なら遠慮なく言ってくださいね。これでも色々と――」
「…………どうして、アーテルを構うの?」
元々人付き合いが苦手なところもあるが、スピカと仲がよい繊華を快く思っておらず、それが嫉妬からくるものなのか自分自身でも判断がつかないでいる。警戒心全開で上目で睨んでくるアーテルを繊華が優しく抱きしめる。
突然そんな事をされて抵抗するアーテルであるが、敵意を感じられず強く引き剥がすことができなかった。
「それはもちろん、あなたの事が好きだからですよ。今まで大変なことも多かったでしょう、だから少しでも安心して欲しくてですね」
「そ、それって……」
ストレートな言葉に赤面しながら顔を埋める。アーテルはこれまで振り返っても、思い出したくない出来事ばかりで遠い記憶にあった幻想のスピカを追っているものだ。だからこそ、全く関係のない他人から愛情を向けられることに慣れてはいなかった。
それでも、良いものなんだと心で理解できた。少しだけど歩み寄れそう、そう感じた時に予想外の言葉が耳に飛び込んでくる。
「それに、スピカの妹なら私の妹と同義ですよ。一人っ子だったから兄弟姉妹というものにあこがれてましてね。あ、なんだったら、私のことをお姉ちゃんと呼んでもいいですよ?」
「――えっ?」
突然のお姉ちゃん宣言に頭の中が真っ白になるアーテルを、お構いなく撫で回す繊華。ハッと現実に戻ってきたアーテルは強く反抗する。
「嫌あぁ! アーテルのお姉ちゃんはただ一人だけだよぉ!!」
「ふふふ、お姉ちゃんが一人増えても構いませんよね?」
ぎゅっとハグして頬ずりもしてくる繊華から離れようと力を込めるが、その細碗にどんな力が入っているのか振り解くことができない。そんな中、トレイに三人分の昼食を載せたスピカが部屋に入ってきた。アーテルは唯一の姉に向けてすぐさま助けを求める。
「あ、お姉ちゃん助けて!」
「どうしたの二人とも? うん、二人とも仲良くなれてよかったよかった」
二人の状態を不思議そうに眺めてから、なるほどと頷いたスピカは残念ながらアーテルが思っていたのと真逆の答えを出した。それに絶望しながらアーテルの叫びが虚しく響く。
「だから違うの~~!?」