途中地点
水晶峡谷―魔鉱石の鉱脈が地表へ隆起して出来た大地の裂け目であり、鉱脈で乱反射した光によって遠目から峡谷そのものが輝いて見えたことがその名の由来だ。
その煌びやかな外見とは裏腹に、鉱脈から放たれる高濃度のマナの影響を受けて従来よりも強靭に育った魔獣が跋扈する危険地帯だ。人間の生存圏である沿岸部からほど近い立地にかかわらず、これまで何人たりとも拒んできた土地である。
そんな魔境に挑むべく或斗は準備を進めていた。銃器の整備はもちろん持ち込む備品も万全で、あとはジェフティが行っている作業が終われば完璧といえる状態だ。目を通していた厚めの本を閉じると立ち上がった。
「さて、オレは腹ごしらえといくけど、そっちは大丈夫か?」
「我の方は問題ない。お前の無茶振りには慣れているから」
「へいへいそいつはすまねえな、じゃ、邪魔しないようにオレはクールに去るぜ」
日の出とともに起きて今まで準備と最終確認をしていたからいつも以上に腹の虫が騒いでいる。或斗は早足でラウンジへと向かう。まだ日が昇ってからそんなに時間が経っていることもあり、ラウンジ内は閑散としている。
厨房で忙しなく動いているチーフ達と挨拶を交わしながら朝食が置かれたトレイを受け取ると、そのへんのテーブルに腰を掛けて朝食にありつく。皿の上には目玉焼きにベーコンとソーセージが並び、主食であるパンとスープも付いている。オーソドックスな朝食であるが、量だけが3人前もありそうなほどであった。
山盛りの朝食に箸をつけようとした時、同じようにトレイを持ったスピカがテーブルを挟んだ座った。その隣にはアーテルもいる。
「おはようアルト、朝からたっぷり食べれるんだねー」
「今日は水晶峡谷の探索があるからスタミナを付けとかないといけねえからな。あ、アーテルもおはようさん」
「………………おはよ」
小さく返答したあとアーテルは或斗から顔をそむけると目を合わそうとはしなかった。それは悪気があるわけでなくただ人付き合いが下手なだけなのだから、あまり気にせず朝食を続けた。
スピカは或斗と同じメニューを、アーテルはシリアルを朝食に選んで互いに隣り合って食べている。或斗もすでに三人前分の朝食を食べきりそうだ。
「スピカは今日、留守番だっけ?」
「うん、水晶渓谷にはいってみたいけど、今日はアーテルのリハビリに付き合うからね」
「そうか先約があるなら仕方ないな、でも今日は探索よりも脅威になる魔獣を倒したりするのが主だし、ゆっくり回るなら明日のフィールド調査がいいと思うぜ。だから今日はしっかり付き合ってあげな、アーテルもリハビリがんばんなよ?」
「……う、うん」
これから或斗が行うのは本格的な調査を行う前段階として、調査やマッピングの障害となる魔獣を討伐する事だ。ただ侵入されたことを察知されぬように少数で、水晶渓谷が持つ環境特性で強力になった魔獣を相手取らなければいけない。
さらに必要ならばヌシといえる魔獣の討伐も行う必要もある危険性の高い仕事だ。それでも或斗は自身の全力がレガリアにて通用するか測る良い機会として率先して参加していた。
「アルト以外は他に誰がいくの?」
「アスールとステラだよ。だた、ちょっとな……」
「何か悪いことでもあるの、二人と喧嘩してるとか?」
「いやいやそんなじゃないよ。ただな、アスールは問題ないんだけど、ステラは戦えるかどうかわからなくてな。ちょっと心配でよ」
魔法戦士として高い実力を持ったアスールは戦闘要員として申し分ない。しかしハカセとアスールから魔法の手ほどきを受けているとはいえ、魔法道具屋の娘で戦闘経験など皆無なステラが、魔境と言える水晶渓谷で無事にいれるのか。
それが或斗が懸念するもので心配の種であった。話を聞いたスピカはうーんと少々首をひねらせてから口を開く。
「そうだったのね。でも、もしかしたらステラってすんごい魔法使えるかもよ!」
「おいおいそんなまさか……。、まぁ、見かけで判断するなってことだな。もしも万が一って時はオレが体張ればいいってわけだ」
そう納得した或斗はちょうど朝食を食べ終えて空になったトレイを厨房へと戻す。賑わいを見せてきたラウンジの中で集合時間までしばし羽を伸ばす。
朝食時も終わり、各々が持ち場に戻っていく中で或斗も荷物を抱えて搬入口の前に立っていた。ここハカセから最終確認のブリーフィングを受けることになっており、水晶峡谷へ向かうメンバーであるアスールとステラは既に来ている。
「よし、皆集まったようだね。最終チェックだけど荷物は大丈夫だね?」
「ああ、装備品とかはオッケーなんだが、アスール達の格好がいつものままなのが気になってな。しっかり着込んだほうがいいじゃないか? ステラのその髪飾りも大きすぎて邪魔になりそうだし……」
服装そのものは黒のインナーにチノパンと或斗は軽装であるが、その上に防刃耐衝撃素材のタクティカルベストを装備している。一方でアスールとステラはいつもと変わらぬ服装であったから、これから向かう危険地帯での行動に支障が出たり、いらぬ怪我を追ったりしないかとと心配していた。
それに前々からステラが常に身に着けている髪飾りが気になっていた。かなり大き目で重そうなのだが、ステラ本人は苦にしていないので軽く出来ているのかと思っていたが、流石に水晶峡谷で活動するのなら邪魔になりだったそう
「その心配はないわ。魔獣の攻撃なんて受けたらひとたまりもないんだから、避けるか魔法で防御するかが定石よ。だから、動きやすい恰好の方がいいの」
「この天球儀は少し浮いてるから重くないのです。それに星の動きやマナの流れを読み取る測定器みたいなものですから、今回のような探索では役に立ちますよ」
「そうだったのか。確かに言われてみればいつもの格好の方が動きやすいし楽ちんでいいよな。オレのベストも防御目的というよりは、荷物入れの役目の方がメインだしな」
髪飾りとなっている天球儀はアーティファクトに分類されるもので、魔法の補助もしてくれる優れものでもあるので、危険なレガリアで力になってくれるとのことで常用しているのだ。ステラとの相性も特に良くて大事な装備品なのである。
そう納得した或斗は荷物を詰めたバックパックを腰に巻き、同じに荷物入れとなっているポーチがたくさんついたタクティカルベストも羽織って準備万端だ。改めて全員の顔を見渡してからハカセはブリーフィングに戻る。
「さて今回の目的だけど、一つは水晶渓谷の環境情報を調べるための下準備として大まかなマッピングっと、危険性のある魔獣や地理の調査。そしてもう一つは、ここの主といえる巨大魔獣を討伐することだ」
「ヌシの討伐ですか? たしかに危険はあるかもしませんが、そこまでする必要があるのですか?」
ステラが疑問を口にする。調査活動の上で危険な障害を出来る限り排するのが先行調査の目的であるが、水晶峡谷で最も危険度の高い魔獣に率先して挑む必要はないのと思えたからだ。それに主となる魔獣が人間の手で倒された事によって、環境が激変した例がいくらかあった。
魔法資源として乱獲されたことで他の大陸では魔獣が姿を消した事情もあって、多くの魔獣が住まう自然の営みを人間の手で壊す事に懸念する声は大きい。もっとも強大な魔獣が我が物顔で跋扈し、お伽話で語られる龍種すら平然と空を舞う魔法大陸において人間は食物連鎖の下位に位置するものだから、魔獣保護に関しては狩猟を主とするハンター達が主クラスの魔獣を狩る際にルールを決めているぐらいだ。
そんな懸念を述べるステラにそれらの事を全く意識していなかったと気付かされた或斗はハッとして、ハカセはしっかりと頷いたから返答する。
「うん、よく考えているね、そこに気付けるのは良いことだ。普通のヌシだったなら無視しても良かったんだけど、そうも行かない事情があるんだ。これを見て欲しい」
そういってハカセが取り出したのは数枚の航空写真であった。ドローンか使い魔を使って低空から水晶峡谷の端となる同じ一帯を収めているのだが、一目見ただけで違いがわかった。
「水晶の部分が広がっている?」
「その通りさ。自然に出来るとは思えない速度で結晶地帯が広がっているんだ。それによって隣接したエリアの魔獣達が追われて別のエリアへあぶれてしまっている。これが奥地で起きていれば早急に対応する必要はなかったんだけど、この場所から直線距離で50キロ以内にオリエンの街や各都市を結ぶ街道があるからね」
水晶峡谷の異常な拡張によって元の住処を追われた魔獣が街道に出没して多くの被害を出していて、本来なら出ないような大型の魔獣も確認されたらしい。それが生活圏まで侵食してきたのならさらなる被害も免れないということで、オリエンでは火急の危機として水晶峡谷での調査を官民問わず募っていた。
そしてこの事態の原因となったのが水晶峡谷の主であるとハカセは推察していた。
「この異常拡張を作り出しているのは結晶龍だと予測している。生態として巣としたエリア一帯を自身の魔力結晶で覆い尽くす性質からほぼ間違いないと言っていいね」
「結晶龍……、地下牢獄でスピカと一緒に倒したあのデカブツか!」
「或斗君達が倒したのはよく見かけるタイプだけど、今回のは成長しきった上に水晶峡谷で力を蓄えている特殊な個体。正直な話、別物と見た方がいいね」
或斗が遭遇した地脈を回遊する結晶龍は成長途上にある個体であり、地脈に満ちるマナを取り込みながら成長していき、繁殖可能な段階になると地上に自身の巣となる結晶体で覆われたエリアを作り上げる。そこで繁殖を行うと残りの一生を巣の中で過ごすという。
水晶渓谷の主と思われる結晶龍は巣として選んだ峡谷に溢れた魔力結晶を取り込みすぎた結果、峡谷そのものを巣として更に拡大させるほどに強大な力を持つようになっている。
「龍種の異常個体で、これまでの討伐隊を屠ってきた相手だ。僕達フリーケンシーの最初の仕事としては、かなり危険性の高いものだと思うけど……」
「だけど、危険に挑んでこそ勝利があるってものよ。こっちはいつでもいけるわ」
アスールの言葉に或斗とステラは頷く。危険な分見返りも大きなこの仕事はフリーケンシーの名前を広く知らしめることもできよう。チーム名の名付け親としても或斗は特に気合が入っている。
その気迫にハカセはしっかりと頷いて、背中を後押しする。
「わかった、皆気を付けて。僕の方で渓谷の入り口近くにベースキャンプを張っておくから、もしまずくなったらすぐに戻ってくるように」
「わかった。さぁ、私らフリーケンシーの初仕事ってわけだから、気合い入れていくわよ。二人とも準備はいい?」
「はい、問題ないです!」
「こっちも、ドンとこいだぜ!」
その声を合図に三人は水晶峡谷へ向けて駆け出した。