脱獄開始
「こちら特別監房、『姫』が帰還した。このまま監視を続ける」
『了解した。侵入者騒ぎもあったばかりだ、気を引き締めておけ』
「……内勤の連中はいいもんだ」
定時連絡を入れ終えた男は通信を切ってから小さくぼやいた。看守である男の担当が今日はこの地下牢獄最下層にあたる特別監房であったからだ。地下深くということもあってか、地上までは昇降機でも10分以上もかかり常時薄暗くて底冷えしているころともあってか、看守たちにとっては当たりたくない場所である。
特別監房という仰々しい通称からここに入れられる囚人は重罪人とも思われるが、ここに収監されているのは『姫』と称される少女だ。
末端の看守には詳しい情報は伝えられていないが、この監獄を管理する上位機関から身柄を預けられたらしい。最重要人物なのか常に監視の目が光らせているが、少女は行動範囲の制限を受けている以外は丁重な扱いを受けている。
昼間は地上の中庭で過ごして夜間は特別監房へ入れられるが、監房の内部は監獄とは思えないほど整った内装でスイートルームと言ってよい。監房と中庭の移動は鳥籠と呼ばれる一人用の檻を使うのだが、これも柔らかなクッションが敷かれてカーテンで移動中は内部が見えないようになっている。
それほどまでの特別待遇を受けているのだが、件の少女についての情報は聞かなかった。魔法組織の暗部に関わる監獄でもあることから、身の安全も考えて誰もわざわざ知ろうとしないのだろう。
「まだ交代まで時間があるなぁ、早く終わらねぇか」
流石に夜勤が3日続くのは身体に堪える。これが終わったら丸一日休みが入っているのでそれまでの辛抱だと言い聞かせて職務に励む。
その時、無線機からブザー音が鳴る。これは特別待遇の中から呼び出されているもので、担当の看守はその呼び出しには従わなければいけいないという規則があった。
「はいはい、今行きますよお姫様。まったくもう……」
ぶつくさと言いながらも備え付けのインターホンを押すが、反応がなかった。どうやら故障しているらしく、呼び出しもコレに関してなのだろう。
腰のキーホルダーから鍵を取り出して特別監房の扉を開ける。中の少女は魔法使いという話だが、ここに収監されるときに魔法を制限する処置が施されて監房にも魔力を抑える術式が組み込まれている話だ。
いくら魔法使いでも魔法が使えないならただの少女にすぎない。そこまでも危険性はないはずなので扉を開けて中に入る。
「それでどこが壊れてるんだ――えっ?」
中に入って早々に目にしたのは紫色の光を発する魔法陣。奥に佇む白い少女が右手をかざして魔法を発動させていた。
魔法は使えなかったはずじゃ―。それを口にするよりの早く魔法陣から放たれた黒い光球が顔面に直撃して、意識を刈り取った。
「………おきないね、よしっ」
魔法弾を受けて伸びる看守を足の指先で小突く。多少揺らしたところでは目を覚まないとわかると、腰に差してるキーホルダーを丸ごと奪うと、監房の扉を閉めてしっかりと施錠する。
「……ちょっとさむい」
肩がむき出しなドレスを着てるためか地下深いこともあって肌寒く感じる。周囲を確認して他の人影が見当たらないと足早に移動を始める。
「そういえば、あの黒い子は大丈夫なのかな?」
不意に足を止めて、白い少女は昼間に目撃した黒衣の少年の姿を回想した。
「おい、きりきり歩け。ったく、どうして俺がこいつの担当なんだよ……」
「鎖が邪魔で歩きづらくて仕方ねぇんだ。それからそんなため息ばっかだと幸せが逃げちゃいますぜ?」
年若い囚人を看守が独房まで連行しているが、その看守は心底うんざりとした表情を浮かべていた。理由は当の囚人が囚人とは思えないほどにお気楽な態度を取っていたからだ。
全身を鎖で雁字搦めに縛られている。上半身は簀巻のようになって両腕の自由は完全に奪われ、両足も脛に枷が填められて足を上げるどころか歩行するのも覚束ない。
生殺与奪を握られているのに等しい状況だが、どうしてここまで能天気でいれるのか看守には理解できなかった。
「どうして、ここに忍び込んで『賢者の石』を盗もうとしたんだ。それから石をどこに隠しやがったんだ?」
「うーん、石に関してはちゃんと持っているんだけどさ。みんななぜか気づかないんだよねー」
どうしてなんだろうねと、囚人の少年はあっけらかんに笑う。気味悪がった看守は彼の言動の一切を無視することに決め込んだ。
ようやく囚人を入れる予定の独房が見えてきたというところで、看守の支給品の携帯情報端末がメッセージを知らせてきた。しかもそれは緊急事態を知らせるレッドアラートであった。
『全職員に告ぐ。特別監房の囚人が脱走した。速やかに捜索に移り、発見次第確保に移れ。なお囚人が魔法を使用した痕跡があり、各自注意されたし』
「なんてっこた、一難去ってまた一難かよ……」
特別監房に収監されている囚人はここの上位組織から預けられた強力な魔法使いと聞いている。そんな奴が逃げ出したとなると、大きな混乱を生み出してしまう。更には管理責任を問われて所長を始めとした幹部の首が飛ぶかもしれない。
一般職員も手を抜いて上に睨まれたくはないので、皆躍起になるだろう。変わり者の囚人とも早く離れたいとも看守は思っていたので、手早く独房の鍵を開く。
「さっさとここへ入れ、これから忙しくなるんだから貴様の世話なんぞ見てられるか」
「忙しいのはいけないな、ここで休んでいったらどうだ?」
「ハァ? 何を言って――」
呆れ気味に振り返ると思わず目を剥いた。囚人を縛り上げているはずの鎖が全て外されていいたのだ。呆気に取られる看守を尻目に囚人は身軽になった身体で飛びかかって鳩尾あたりに膝蹴りを叩き込んだ。
看守は無抵抗のままに崩れ落ちて、意識も闇に沈んでいった。
「よっと、これでよしっと」
自分が入れられるはずだった独房の中に気絶した看守を収めると、鍵をしっかりとかける。看守の持ち物から鍵だけでなく、携帯情報端末や作業用の十徳ナイフ、そして拳銃型の魔導銃を拝借した。本当は偽装用に看守の服も奪いたかったが、着替えるのに時間を要することとサイズも合いそうにないので諦めた。
「魔導銃で良かったぜ、実銃だったら使えなかったな」
反動があって扱いづらい実銃よりも魔力を撃ち出す魔導銃が性に合っており、これだけあれば自衛はなんとかなるだろう。あとは気づかれずに抜け出すだけである。
「それにしてもすごいもんだな、賢者の石ってやつは。鎖を全部外しちまうとは、神通力の一種なのか?」
右手の掌に意識を向けると、腕の中から光り輝く石が出てきて掌の中に収まった。この石こそが賢者の石であり、ずっと持っていたのだ。身体の中に入っている形で。
どういうわけかは知らないが、賢者の石は身体の中への出し入れが自由自在なのだ。手にするだけで大きな魔力を感じるが、身体に入れて悪さをすることはなかった。
「この石があれば百人力だぜ。さっさと脱出して届けてあげねぇとな」
少年は地上へ向けて駆け上がる。だがまだ知らなかった。昼間に見かけた白い少女もまた、この牢獄から抜け出そうとしていたことを。
「さて、どうやって脱出しようものか……」
灰村或斗はトレジャーハンターである。これは自称であったが、地下施設から抜け出す心得はトレジャーハントの基本として持ち合わせている。実際には魔法資源の調査や回収を請け負っているのが正解なのだが。
今回の仕事はオルビス商会から盗まれた賢者の石と呼ばれる強力な霊石の奪還であった。行方を調べた結果、この監獄にあることがわかり、石の奪還には成功したが監獄に捕らえられている。
看守から奪った携帯情報端末から監獄の情報を呼び出す。大まかなマップデータから現在位置を割り出すと、ここは中層区にあたるようだ。
「まだここでも真ん中あたりかよ、どんだけ深いんだ……」
それなりの距離を登ってきただけにゴールがまだ遠いことに落胆を隠せない。独房へ向かうときは昇降機を使っていたが、鉢合わせの危険性があるので使用していない。
しかしここに至るまでの道中、警備員はおろか看守の姿も確認できなかった。
「どうして、こんなにガラガラなんだ? さすがに看守が一人もいないっておかしすぎだろ……って、レッドアラートメッセージ?」
情報端末に残る赤枠で囲まれたメッセージには、特別監房から囚人が脱走した旨を知らせるものだった。その捕縛に全職員を動員していることが、この空白を生み出したのだろう。
特別監房に総動員というワードから、脱走したのは相当な危険人物なのだろう。もし鉢合わせたらどんな危険があるかわからないが、全ての目が向こうに集中している今がチャンスだ。
先ほどまで続けていた忍び足をやめて或斗が力強く踏み出そうとした時、情報端末へメッセージが入ってきた。勢いを削がれて転びそうになった或斗は、何事かとメッセージを確認する。
『特別監房の囚人は中層区に逃げ込んだことが確認できた。総員ただちに集結せよ』
「中層区って、ここじゃねぇかよ!?」
或斗は嘆ながらも一目散に駆け出した。無我夢中に駆け抜けると、広い場所に出た。いくつもコンテナが置かれたこの場所には見覚えがあった。
違法に集めた魔法資源の集積場であり、賢者の石もここから持ち出したのだ。すると後ろの扉が閉まって施錠された。どうやら中層区全域の扉にロックが掛けられたようだ。
「逃げ込んだ、というよりは追い込まれたって感じだな」
退路は断たれて、今この場所に向けて追手たちが集まってくる。しかも、ここには危険人物と思われる囚人も一緒にいるのだった。
アルトはまだ打開策を出そうと頭を絞る。正直にいって打つ手なしな状況だが、まだ諦めるわけにはいかなかった。
「さて、どうこの状況を打ち破るかだ」
首を捻ったその時、或斗の視界の端に白い何が映った。とっさにそれが動いた先を視線で追うと、青いコンテナの陰に隠れたようだ。
警備員なのか特別監房の囚人か、はたまた全く別の何かか。ベルトの間に差した魔導銃に手をかけながらコンテナへ身体を寄せる。そして勢いをつけて、白い影がいるであろう場所へ躍り出た。
「あっ……」
そこにいたのは白い少女だった。
純白のドレスを身に纏い、その白さに負けないほどの純白の長髪がなびいている。白で染まる少女に色彩をあたえるかのように左右の瞳は、青に紫と異なった色を帯びていた。
細い右手を伸ばしてその指先に魔法陣を展開していつでも魔法を放てる体勢で、或斗を警戒している。
「君って、もしかして昼間に中庭にいなかったかい?」
或斗はその場に座り込みながら少女に尋ねた。その姿には見覚えがあり、鳥籠に入っていた少女と同一人物だと確信していた
少女も魔法陣を解くと、その場にペタリと座り込んで或斗と視線を合わせると口を開いた。
「……もしかして昼間に屋根の上を飛び回ってた黒い子?」
「あぁ、そうなるな。……まさかこんな風に出会うなんて、偶然とは恐ろしいものだね」
「うん、わたしも驚いた」
或斗は少女に見惚れていたから捕まってしまったという気恥ずかしさから、少女は屋根を跳ね回っていた或斗が珍しかったから覚えていたに過ぎない。
それでもこうして巡り合うはなにかの縁だと思える。だから或斗は右手を少女に向けて差し出した
「オレはアルト。どうやらお互いここから抜け出したいようだし、ここは手を組むってどうだい?」
「うん、そのほうがいいかもね。わたしはスピカ、よろしくねアルト」
互いに名乗って握手を交わす。これからは二人での脱獄が始まる。