ブラズニールの日常②
「イサム君ちょっとお邪魔するね」
「あ、ハカセいらっしゃいー。ちょっと散らかってるけど気にしないでくださいよ」
ブラズニールの操舵室を訪ねたハカセを紙の束を抱えたイサムが出迎えた。 艦橋の高層部にある操舵室は前面がガラス張りとなっているので遠くまで見通せて眺めも良い。船を動かす上でも重要な場所であるが、半分以上はイサムの私室のとなっている。
ここには彼が拾集した漫画や娯楽雑誌、映像ソフトが詰まった棚が鎮座しており、その一部は他の乗員へ貸し出されている。長旅において娯楽は必需品であるので、ハカセは特に咎めたりはしていない。
「相変わらずの蔵書だね。これだけ集めるのはさぞ大変だったろうに」
「親に隠れてコツコツ集めてたコレクションっすから、それに今はこうして堂々と飾れるし小遣い稼ぎもできて万々歳ですよ」
ブラズニールは基本的に皆の寄り合いで成り立っているので生活費については船の共同資金から出されている。ただ技術者が多いので自身の持つ技能を活かして船内で副業を行っているもの多い。モニカが行っている素材と料金を支払えば必要とする物品を製作してくれる工房だったり、イサムが行っている貸本屋するのだ。
社会から隔絶されているレガリアの環境では通貨は流通しづらく、古典的な物々交換が主流である。ただそれだけではうまく取引が出来ないので補助通貨として、V.I.Mの中で使われている架空通貨のコーム貨幣がそのままレガリアでの通貨として流通している。
ブラズニールの活動に必要な仕事を本業としてこなしつつ、個々人の要望に沿ったものを副業で有料のサービスとしていく。船を一つの街として見立てて盛り上げていくのがここの方針なのだ。
「それでハカセ、今日はなんの用ですか?」
「これからの航行方針について、航海士殿に相談しにきたのさ」
「へへ、そういうことならこちらへどうぞー」
部屋の真ん中が盛り上がった構造になっており、そこに航海用の作業机が置かれている。ごちゃごちゃとした蔵書棚と比べて、仕事机はきっちりと整頓されている。ごちゃごちゃとした蔵書棚と比べて、仕事机はきっちりと整頓されている。若年ながらも卓越した操船技術とともに船乗りとしての矜持を持ち合わせているイサムはまさに縁の下の力持ちだ。
机の上に置かれていたタブレットを操作するとプロジェクタが作動して、立体映像としてレガリアの大まかな地図を映し出した。これにハカセが持ってきた目的地の座標データを入力すれば、あとはイサムの手によって大まかな航路が出来上がる。その手際の良さにハカセが改めて感心した。
「こうして航路をすぐに用意できて、それでいて操船も上手い。本当に頼りにしてるよイサム君は」
「おだてても何も出ないっすよハカセ。航路図はただの予想図で操船に関しても基本全自動なんだから、俺の仕事はここから船の成り行きを見守ってるだけっすよ」
「そうですよーっ、この船を陰から支えているスーパー美少女AIルウナちゃんの頑張りを皆さんはもっと評価するべきなのですぅ!」
浮かぶ立体映像にノイズが走ると割って入るかの如く白いスカートを翻して赤髪の少女が映し出された。古代魔法文明が作り出した人造の天使であり今は魔導演算機を依代にして活動しているルウナである。
彼女が訴えているように、ルウナが大半のデータ容量と引き換えにインストールされて1割ほどしか稼働していなかった演算機は実用段階までに引き上げられた。
それによる自動航行システムの構築やV.I.Mのネットワークに接続することでの情報収集、データ化による事務作業の効率化などそれらを一手に担うルウナはハカセと並ぶ屋台骨となっている。
「もちろんわかってるよ。ルウナ嬢のおかげで事務処理の効率がぐっと上がったからね」
「当然ですっ! なんてったってスーパー美少女AIですから!」
「だからなんで臆面なくそんなこと言えんだか……」
自信満々なルウナに呆れながらもイサムはその能力に高さには舌を巻いている。情報処理能力の高さはもちろん、一応古代のアーティファクトに分類されるものなのだがネット上から覚えてきたのか現代知識も違和感がないほどに達者で、イサムとの会話も不自由なく熟している。
「まぁなんだかんだ言っても、ブラズニールでの貢献度は二人がぶっちぎりですわな。というかお二人さん、休憩とか休暇とかちゃんと取ってます?」
「僕はゴーレムだから一日1時間程度の休眠があれば十分さ。船の運営に調査地の選定、年少組の授業や研究論文の取りまとめもしたいから24時間フル稼働さ」
「美少女AIは眠りません! そんな暇あるぐらいだったらネットの海に入り浸りますよ~」
「うぅ、二人とも……」
疲れ知らずだからといってチームの中核がワーカーホリックで大丈夫なのかと頭を抱えた。もう一方の屋台骨もネット依存なダメAIという有様であるから、ハカセにこれ以上負担を増やさないように自分も出来ることを広げていこうと密かに決意するイサムであった。
「ごちそうさまでしたっ!」
「お粗末様でした。どうやらうちのカレー気に入ってくれたみたいでよかったぜ」
カレー三杯は胃袋に収めたスピカはスプーンを置いて手を合わせる。その食べっぷりにマスターは感心しながら頷いていた。魔力を生み出すのに体力を消費するスピカは回復のためにより多くのカロリーを摂取しなければいけないのだが、元より食べるのが好きなスピカにとっては何も苦にならず、むしろたくさん食べられると楽観しているぐらいだ。
「よく食べるね、お姉ちゃん」
「そういうアーテルはそれだけでいいの?」
「ん、これでおなか一杯」
スピカとは対照的にアーテルは小皿サイズのカレー一皿で満足していた。小食な妹を心配するスピカであったが、本人はもう満腹そうなので問題ないだろう。食後のコーヒーを啜りながらアスールは双子でも嗜好は違うのかと考えていた。
「嗜好なんて人それぞれだし違うのは当たり前よね。さて、みんな食べ終わったみたいだし、マスター会計お願いするわ」
「今日は特別だ、俺持ちってことにしておいてやるさ」
「あら、すごく気前がいいじゃないの、なにか理由でも?」
食堂の食事とは違ってここは自腹で支払う事になっているので、支払いの為マグフォンを取り出していた4人をマスターが遮った。金銭面に関してはきっちりとしているマスターが珍しく奢ってくれることにアスールが問うと、なんでもないようにマスターは答える。
「なーに、あの食べっぷりに感心したからさ。スピカ、またいつでも来なよ、今度はコーヒーも頼んでくれよ?」
「ありがとうマスター、絶対また来るよ!」
マスターに見送らて喫茶店を出た四人はそれぞれ工房へ戻るステラ、武具の整備と鍛錬を行うアスール、そして作業区画の方へ顔を出そうかと考えているスピカとアーテルに、それぞれ別れる事となった。
別れ際にアスールは冗談めかしながらモニカへの忠告を二人に告げた。天才的技術者であると同時にとびっきりの変人であることは周知の事実であった。
「二人とも、モニカからのセクハラにも気をつけなさいよ、油断しているとベタベタと引っ付いてくるから。ステラなんて何回被害を受けてたことやら」
「モニカさんは悪い人じゃないんですけど、構わず撫で回されるのはちょっと……」
「うーん、確かにモニカをよく抱きついてくるよね。でも、悪気があるでもないしきっと大丈夫だよ」
「そうね、でももしもの時はぶっ飛ばしちゃって構わないわよ」
些か物騒な解決法を提示しながらもアスールはステラとともにエレベーターに乗り組む二人を見送る。スピカも手を振って別れを告げた。
「二人ともよく来てくれたね!」
「わっ!? もうモニカったら」
「く、苦しい……」
スピカとアーテルの二人は今モニカの腕の中で抱かれてた。作業区画の奥にある工房へやってきてすぐにこれであった。
スピカはただされるがままに身を委ねているが、アーテルは身体を硬くして身構えていた。なぜならモニカはアーテルが一番苦手としているスキンシップの激しい人物だからだ
たっぷり30秒ほどかけてモニカはようやく腕の力を緩めて二人から離れた。アスールとステラの話からそれとなく察してはいたが、ここまで強かったとはアーテルは予想できていなかった。
「いきなりハグしてくるんだからビックリしたよ」
「ごめんごめん、二人が来てくれたから嬉しかったのー」
ハニカミながらモニカはスピカ達を工房の奥へ招き入れる。作業区画を取り仕切っていることもあってか多くの機械類が所狭しに並べられていて、解体されて部品が取れているジャンク品や組み立て中の機材などがいくつもあった。
そんな機械の山の中で場違いな椅子が置かれていた。茶色を基調としたリクライニングチェアのようだが、4つの脚の代わりに車輪がついている。
「これってもしかして車椅子?」
「そうそう、アーテルちゃんの脚代わりに作った電動車椅子の第一号だよ!」
新しい車椅子と聞いてアーテルはじっくりと見つめる。革張りの椅子なら長く座っていたも大丈夫だろうし、電動なら誰かに押して貰う必要もなさそうでだ。
気に入ってくれたことを誇らしげに胸を張って自作の車椅子をアーテルの前に持ってきたモニカは、車椅子を移るのを手伝おうとするが、それをアーテルは断った。
「これくらいなら一人でできる……」
「なかなか器用ね。でも無理は禁物だよ、困ったときはこのモニカお姉さんに頼りなさい!」
アーテルが片足立ちで立ち上がると、影がうねうねと伸びてそれを右脚の代わりにして椅子へ身軽に飛び移った。その意外な跳躍力と魔力を使って影を動かすという珍しい使い方に感心しながらも、魔力消費が体に障らないかと心配なモニカはドンと胸を叩く。
そんな甲斐甲斐しさをアーテルは鬱陶しげに思いながらも拒みきれないでいると、にじり寄ってきたモニカが身を屈めて顔を近づけながら、椅子の感想を矢継ぎ早に聞いてきた。
「ねえねえ、座り心地とか動きやすさとかはどんなもん?」
「ちょっとそんなに引っ付かないで! 今試してるんだからさ」
なんだかんだ言い合いながらも互いに掛け合うアーテルとモニカを少し見守っているスピカの後ろから、聞き慣れた声が聞こえてきた。振り返ってみるとそこには、少し呆れ顔な或斗が立っていた。
「まったく、出会う女の子に毎回これじゃあセクハラで訴えられても知らんぜ」
「あ、アルトもここに来てたんだね」
手にはいつもの黒いコートを持っており、服装も黒いインナーシャツの上に青のジャケット羽織り、カーキ色のチノパンをはいた活動的ながらどこかラフな格好となっている。トレードマークとして気に入っているので真紅のスカーフは首に巻いたままだ。
「このコラウスの改造に使えそうなものを探してたのさ。あ、コラウスってのはこのバトルコートの名前でな、銃に名前をつけたんだから勝負服にも付けたってわけよ」
「ふーん、名前をつけてあげるとたしかに愛着が湧くよね。でも、改造とか大丈夫?」
「心配すんなって、モニカは勝てねえが手先は器用な方だと自負してるぜ」
いつも力任せに行動しているので壊さないものかと心配するスピカを、或斗は内心少し傷つきながらも笑い飛ばした。コラウスはスピカのドレスと同じく魔力を宿しているので、それを利用したギミックを搭載しようとモニカが提案し相性の良いオブジェクトを探していたのだ。
複製が不可能なオーパーツであるアーティファクトと違って、現代の技術で作られたオブジェクトは基本量産品でよく流通している。性能面はアーティファクトに劣るものは多いが、日々改良が重ねられているのでそれに追いつく日も遠くない。現に魔導エンジンに関しては古代魔法文明のアーティファクトよりも勝っていると言える。
「とりあえず今見つけた中で合いそうなのは、アラクネアの糸を加工した触腕と、針とか石とか飛ばせそうなマルチランチャーかな。腕に取り付ければいけそうだな」
「おー、中々コンパクトサイズ……!」
どちらも文庫本サイズの大きさであるが有能な物に変わりない。触腕の方は強靭で伸縮性に富んだアラクネアの糸の過去品で、標的を絡め捕ったり移動用のロープ替わりと魔力を流せば自在に操る事ができるが、加工は非常に難易度が高いので予備のない一点物となっている。
マルチランチャーはスリングショットをギリギリまで小さくしたもので、その名の通りなんでも射出できる性能を維持しつつここまでコンパクトにまとめるには多くの努力があったに違いない。魔法の扱えぬ或斗にとってはこれらの道具を最大限活用して欠点をカバーしていくのだ。
「アルトの服もすごいんだね。よしっ、わたしも新しい機能を見せてあげる」
「ほう、どんものなんだい?」
スピカが自信あり気にうなずいて首輪に手を伸ばす。それに刻まれた十字の紋章に触れると、白い帯が噴出してスピカの身体を瞬く間に包み込んだ。
帯が身体にしっかりフィットすれば、それらはスピカの勝負服である純白のドレスに姿を変えた。
「す、すげえ! 変身ってやつか!! 原理は転移魔法か、いやそれとも蒸着!?」
「落ち着きなよアルト。そんな大げさなものじゃなくて、糸に戻していたドレスを編み上げなおしただけだよ」
目の前で変身じみたものを見えた或斗が興奮気味に迫るが、スピカはそれをマイペースに躱してみせた。これはドレスそのものが魔力で編み上げらているという特性を利用したもので、ドレスを一旦糸まで解いて首輪の中に詰め込み、そしてスピカの魔力に反応して自動的に編み上げなおす魔法陣が紋章として首輪に仕込んであるのだ。
もともと着込んでいた服も同じように圧縮収納されていてドレスが収納されると元に戻る。これらはスピカの意思でしか発動しないので、外部から操作されることはない。
予想以上のギミックに圧倒された或斗は自分の装備が児戯に思えて肩を落とすが、スピカは元の服に戻ると足元に転がるいくつかのパーツを手に取った。
「わたしはコラウスもすごいと思うよ、こんな風に他のパーツを取り付けられちゃうんだから。わたしのは解いて収納するから他のもの付けたりできないし」
「そだな、どちらも浪漫的だけど両立できないってわけだし、こうなったら重装備ロマンを極めてやるぜ」
「そうそう、その心意気だよ」
宝の山だがガラクタの山だかわからない積まれた機械の中から使えそうなパーツを探すべくスピカはその中を覗きこんでいる。そんな彼女を横から見つめる或斗はこれまでやり取りを受けて内心安堵していた。
塔の戦いでの激情に任せた或斗の戦いを間近で見ていたのだから、恐れや嫌悪を抱いてもおかしくないと考えていた。それでも皆はいつもと変わらずに付き合ってくれることが嬉しかったのだ。
だからといって、その好意に甘えているだけではいられない。覚悟を決めた或斗はスピカの方へ向き直る。
「その、塔の時は色々とすまなかった。あそこまで自制できずに暴れちまって挙句にあんな残虐なのを、見せちまってよ……」
「アルトが謝ることじゃないよ。あんな風に戦ってくれたのはわたしとアーテルを助ける為だったんだし、確かに怖いところはあったけどあの時のアルトと同じくらい塔の主は許せなかったから」
自分のことで手一杯だったがスピカも塔の主に対して強い怒りを覚えていた事に或斗は驚いたが、家族を酷い目に遭わせた張本人を許せないと思うのは当然のことだ。
心配事が一つ減って胸のつかえが下りた或斗はほっと一息ついた。まだ残っている問題とすれば、アーテルと仲良くできるかだが、そんな心配は必要ないとスピカは笑い飛ばす。
「そんなに心配することないと思うよ? もうすっかり仲良くなってるみたいよ、アーテルとジェフティ」
「あ、あの野郎いつの間に!」
見ると向こうで会話しているアーテルとモニカの間にジェフティが立っている。正確にはにじり寄ってくるモニカからアーテルを守るべく盾となっていたのだ。
或斗と繋がっているので意識を集中させればジェフティと互換を共有することができるが、スピカとの会話に意識が向いていたので独立して動いていたことに全く気付かなかった。
自分のあずかり知らないところで勝手に動いていることに嘆息する或斗の手を掴んで、スピカは駆け出した。
「さ、わたしたちもいこう!」




