神を目指した者達
「うぅ……どこ……?」
「お目覚めのようね、スピカ・シェルナ・ティアラ。ここは最上層の空中庭園よ」
ぼんやり意識を取り戻して周囲を見回した。今のスピカは鳥籠に似た檻の中に閉じ込められており、それはかつていた牢獄の中庭を思わせる。違いと言えば、地下か高空かの違いだ。
そんな緑が溢れる庭園に不釣り合いな無骨な十字架が建てられており、そこにアーテルが磔にされていた。
「アーテル!!」
「これから最終実験を始めるのよ。まぁ姉妹最後の面会ぐらいはさせてあげるわ」
「わたし達をどうする気なの!?」
実験だの最後だのと不穏な言葉を告げる塔の主に向けて、スピカは声を荒げるがそれが限界であった。魔力の殆どが枯渇した今の状態ではなんとか動くのが精一杯で、しかも閉じ込められている檻は魔力を抑制する効果を持った地下牢獄のと同じ仕様となっている。
ただ成り行きを見守りしかないのがとても歯痒い。スピカの焦りを見透かしてか塔の主は大仰な動作で手にしたタブレットを操作していく。すると十字架にスパークが走るとアーテルが苦しげに絶叫する。
「……あぁあ、 うぁあああーーーー!!」
「アーテル!? 」
駆け寄ろうと檻に掴み掛かるが、金属製のそれはスピカの腕力ではびくともしなかった。それを鬱陶しげに塔の主はスピカの前に立つ。まるで何も感じさせない視線でスピカ射抜く。
「これはプロビデンスの起動実験よ。成功すれば中に眠る古代魔法文明が残した自律術式『天使』が目覚めるわ」
「天使……」
この白き塔そのものがプロビデンスであり、その中に眠る自律術式はどれもが神の現能といって良いほどの力を持っていた。その中で唯一起動出来ずいたものが庭園の中央に鎮座して赤い石版だった。
目覚めた自律術式は意思を持っておらず塔の中で動くプログラムに過ぎないが、石版に眠る天使はかつての時代ほぼそのままに残されていた。だからこそ、起動させるには特殊な方法が必要なのだ。
「マギアよ。それにあなた達のアーティファクトに干渉できる術式もね。今のあの子にはあなたから注がれたマギアと、魔力によって一時的に術式を両目に宿している状態ならば、目覚めさせること出来るはずよ」
「それで、そんなことしてアーテルはどうなるの!」
そこで初めて塔の主は表情を動かした。無理矢理に口元を歪ませて作った笑みはどう見てもおぞましいもので、そこから感じられるのは嘲えいだけだ。
「死ぬわね、魔力が綺麗さっぱり無くなるのだから。残った肉体は天使の依代に使うから安心しなさい。それだけ価値が無ければとうの昔に燃料代わりに焚べていたところよ、あんな出来損ないの失敗作なんて」
「……そんなのって……ないよ」
力なく崩れ落ちたスピカに興味なくしてか塔の主は実験が進行中の方へ意識を向ける。苦しげな声を上げているアーテルには目もくれずに石版へ向き直り、その表面の赤みがぼんやりと光を放っているので順調に進んでいると確認できた。
そこで何かを思い出したのか、タブレットに視線を落としながらスピカへある事を告げた。
「言い忘れていたけど、あなたにはまだ用事あるわ。そのマギアを生み出す異能は特別だもの、存分に使わせてもらうわよ」
「あれは匣……」
スピカが見たのは黒い立方体の匣であった。かつて自身をその内部に閉じ込めて、解放された今でも時折悪夢として現れた存在。
またあそこの中へ戻るというのか、漠然とした恐怖を感じて、また別の何かがスピカの中から湧いてきた。
「まだあなたをあの匣に詰める気はないわ。妹が天使に転生する記念すべき瞬間には立ち会いたいものでしょう?」
言うだけ言うと実験の方に集中していく。スピカも女の言葉の半分も聞いてはいなかった。恐怖と一緒に出てきたものは暗闇から自身を掬い出したアーテルの言葉だった。ならばするべき事はただ一つ、この場所から抜け出して、アーテルを助け出す。そのためにはどうするべきか。
方法は既に考えてある、後はそれを実行するだけだ。左眼に手を当てて最終確認をする。残り僅かな魔力を起爆剤として一気に爆発させる。それを行えばこの檻を吹き飛ばしてアーテルを助け出せるだけの力が得られるはずだ。左眼の視力と控えに。
迷うことはない。大事な家族か自身の左眼かどちらを掛けるかなんて最初から決まっている。
「今行くからね、アーテル!」
『……やれやれ、そんな自爆覚悟の突撃を選択するとは、我が共犯者の悪い癖が移ってしまったかい?』
十字架に磔にされたアーテルはだんだんと意識が遠のいてきていた。既に痛みは感じておらず、心の中で走馬灯の如く自分の姉の事を思い出していた。
(ごめんね、お姉ちゃん……。アーテルのせいでお姉ちゃんまで捕まっちゃって)
今考えられるのはスピカへの贖罪だけで、それすらもままならなくなってきている。このまま目を閉じれば二度と開くことはないだろう。
(最後にお姉ちゃんにちゃんと謝りたかったな……)
「アーテルゥ!!!」
閉じかけていて眼を見開いた。真っ白な光がアーテルを包み込むと十字架を、身体を絡め取っていた戒めが弾け飛んだ。
光に乗せられてアーテルは高く昇っていく。徐々に薄れてゆく光を見つめているとアーテルが待ち望んでいた声がしっかりと聞こえた。
「アーテル、助けに来たよ」
「お姉ちゃん……」
その声の主はスピカだった。魔力で出来たのであろう青白い炎の翼を背中から生やし、左眼の周りには翼と同じ青白い炎をモノクルのように纏っている。
翼を生やして自在に空を舞うその姿はまさに天使のようと、アーテルには思えた。
アーテルを解放させたスピカはふわりと着地する。地面に足がついたのと同時に左眼の炎と翼が消え失せるが、その瞳に宿っている炎が消えることはなかった。
その腕の中でアーテルをしっかりと抱きしめながら、塔の主たる女と相対する。スピカの影が生き物のようにうごめくと仮面をかぶった黒炎の魔人が傍らに浮かび上がる。
突如として姿を現したジェフティに驚きを見せるが、アーテルには怯えの色は見えなかった。
「ありがとうジェフティ、おかげでアーテルを助けられたよ」
「君は諦めを拒絶した。ならば力を貸さねばなるまい。フッ、それにしても我が共犯者の格好つけとやせ我慢に感謝する日がくるとはな」
塔の最上層にいち早くたどり着いたジェフティから魔力を譲り受け、地下牢獄における結晶龍との戦いで或斗が見せた炎の翼を一時的に再現された。ただスピカ自身の魔力と混ざり合ってか、或斗のものと違って青白い色合いを帯びていた。
大事な実験を途中で台無しにされても塔の主は相変わらずの無表情を貫いているが、そこから止めどない悪意がありありと滲み出ている。
だからこそスピカは目を離さずに相対するよう努めて、ジェフティも臨戦態勢で臨んでいる。
「よくも邪魔をしてくれたわね。魔力によって使役されるだけの影法師のくせに」
「その傲慢さがお前を躓かせた要因だ。これからは謙虚に慎ましくあるべきだぞ?」
ジェフティからの切り返しに塔の主は眉をひそめて苛立ちを露わにしている。そして指をパチリと鳴らすと庭園に次々とオートマタが現れて三人を囲んでいく。
逃げ場があるかと素早く注視してからスピカは視線をジェフティへ移す。
「ジェフティ、もう一度力貸してくれる?」
「そう焦るなスピカよ、逆転の手札は既にこちらの手の中にあるのだからな」
口元に指を当てる仕草を見せるジェフティに腑に落ちないスピカであったが、何か策があると察して頷いた。
「何コソコソと話し込んでいる。逃げようなんて無駄なことよ」
「確かにこの数から逃げおおせるのは我々だけでは骨が折れるが……」
『私達も居るのですよ!』
嵐が巻き起こる。突如として巻き起こった暴風にオートマタは吹き飛ばす。すぐさま声がした方を振り返れば、スピカの見知った顔がそこにあった。
「繊華!」
「遅れてごめんねスピカ、でももう大丈夫よ!」
繊華が巻き起こした風はスピカを守るように吹き荒び、近づいてくるオートマタを残骸へと変えていく。そんな風をものともせずに近づいてくる巨大な影があった。
影の正体はハカセであり、その肩にはステラが乗っかっていた。側に寄ってきた二人に向けてスピカはどこか複雑な表情を浮かべる。
「ハカセもステラも来てくれてありがとね、……それから、ごめんなさい」
「別に気にするほどじゃないさ、助け合うのが仲間というのだからね」
「スピカさんがいなくなった時は驚きましたけど、それは妹さんの為でしたから責めることなんて出来ませんよ」
そんな表情を浮かべた理由は、勝手に出ていって捕まった自分をわざわざ助けに来てくれた事に感謝と申し訳なさからだ。それでも皆がこうして駆けつけて来てくれた事が嬉しくもあった。
オートマタも全て吹き飛ばされてか吹き荒れていた風がやんでいく。スピカの傍らに立つハカセは風の向こう側に立っている塔の主を見据えて、互いに名を呼び合う。
「ドクター・ヴィルヘルミナ、スピカ嬢は返してもらうよ。もちろん妹君であるアーテル嬢もね」
「これはこれは、御高名たるプロフェッサー・フォークトもマギアの神子に興味がお有りのようで」
「あなたなんかとハカセを一緒にしないでください!」
塔の主―ヴィルヘルミナの物言いにステラが強く反発した。彼女はハカセから魔法の手ほどきを受けた生徒であり、ハカセの人となりからすれば人体実験など行うはずはないと理解している。だからこそ、スピカやアーテルを捕まえて実験を加えるような輩と同一に見られることがすごく嫌だった。
ステラからの怒声も軽く流して、ヴィルヘルミナは天使が封じられているという赤色の石版を愛おしげに撫でる。アーテルからの魔力が絶たれたというのに漏れ出す光は強まっていた。
「フフフッ、もう天使は起動しているのよ。今からあなた達にその力を見せてあげるわ!」
ヴィルヘルミナの高笑いが響き渡る。表情筋が死んでいるかのように無表情のまま口元を歪めて笑うその様は威容な光景であった。いつまで続くように思えた高笑いが突如として途切れた。
水の刃がの主の心臓を貫いていた。刃は金属製の穂先から放出されており、その槍を持った黒い影がヴィルヘルミナの前に立つ
「ガハァ!? な、なぜ……」
「お前はここで終わり、そういうことよ」
フードと口元を覆う布を取り払いながらアスールが死刑宣告を放つ。右腕に携えた巨大な槍に更に魔力を流し込むと、水の刃はドリルの如く回転してヴィルヘルミナの身体を勢いよく貫いて壁ごと磔にした。
凄惨たる一撃であったが、それをもたらしたアスールを責める者はいない。平気で人体実験を行うヴィルヘルミナの非道をアスールが見逃す筈もなく、その悪行に終わらせるためにもこうするしかない。
スピカもあの女を許せない気持ちは強かったが、アスールに手を下させた事への引け目も感じている。そんなスピカの気持ちを汲み取ってかハカセが言葉を紡ぐ。
「スピカ嬢たちを助けるのが一番の目的だけど、立ちはだかるものがいるなら全部打ち倒していくつもりだったさ。それにドクター・ヴィルヘルミナの非道を許すつもりなんてない」
「非道を許さないね、御高名たりプロフェッサー・フォークトがそんな青臭い御仁だったちはね。正直失望したわ」
「なっ!? 確かに心臓を突いたはずなのに……!」
ヴィルヘルミナは生きていた。胸を貫いている水の杭を無造作に引く抜くと、穿たれた傷跡など最初からなかったかのように消えていた。杭は投げ捨てられてただの水に戻ってぱしゃりと地面を撥ねた。
禍々しい気配を放ちながら塔の主はその場から浮き上がる。その身に宿した魔力が爆発的に膨れ上がっていき、呼応するかのようにスピカたちの周囲に影のような、黒いヒトガタがいくつも現れた。
そしてアーテルの身体にも呪縛の刻印がまたしても浮かび上がる。
「あなた達を招いたのは、この塔の中で私を倒せるものなぞ存在しないからよ。いくら足掻いても無駄なこと、ここから誰も逃がさないわ」
「お、お姉ちゃん……」
「大丈夫だよ、絶対に離さないから」
怯えたアーテルをきゅっと抱きしめるスピカの前で石板がまばゆい光を出しながら崩れてゆく。
放たれる光は人の形へと収束されていく。頭上に浮かぶ光の輪に背中から伸びる純白の翼、一枚の布を衣服のように纏った赤髪の少女はまさに古い絵画に描かれている天使そのものだ。
「あれが、天使……」
「我が眷属であなた達を抹消できるけど、天使の力で消し去ってあげるわ、光栄に思いなさい。それとマギアの二人はちゃんと残してあげるから安心なさい」
「ふざけないで……!」
天に掲げられた天使の右腕が発光して圧倒的な魔力が収束されていると肌で感じ取れた。アーテルを解放するためには塔の主たるヴィルヘルミナを倒さなければいけないが、その為には天使も相手取らなければならない。
天使からの攻撃を迎え撃つべく、ハカセを先頭に皆が構えた。そして、視界が真っ白に染まる。
『大丈夫、私はあなたの味方です』
「……えっ?」
やがて光が薄らいでいくとスピカの前に天使がいた。膝をついてこちらの目線を合わせているその姿から敵意は全く感じられなかった。
周辺で蠢いていた黒い影は跡形もなく、天使が放った光はスピカ達ではなく影達をかき消したのだ。
「何故だ!? 契約のギアスはこちらにあるはずなのに!」
「アーテルさん、右手を出してください。すぐに終わりますから」
「こ、こう……?」
捲し立てるヴィルヘルミナを無視して天使がアーテルの右手を取る。祈るように瞠目するとアーテルを覆っている刻印が蠢きはじめて、天使の方へと引き寄せられていく。完全に刻印が引き剥がれたのを確認してから手を離す。
「刻印は全て離れました。これであなたを縛るものはもうありませんよ」
もう一度笑顔見せてから天使は立ち上がり、振り向いて塔の主と対峙する。召喚したはずなのに裏切られた事に対する憤りがヴィルヘルミナからありありと感じられた。
「裏切ったのではありません。私を呼び寄せたのはこのお二人の魔力であり、私の役目は自律術式の悪用を防ぐためのストッパー。あなたに味方する理由など存在しません」
「限界維持用と行動制限の魔力をかけていたのにちゃんと作用しなかったようね……。フッ。所詮あなたも魔力がなければただ消え去るだけのプログラムに過ぎないということ。創造主に刃向かった罪をは重いわよ!」
怒号とともにヴィルヘルミナの纏う魔力が沸き立つように膨れ上がる。その総数は天使の力を超えている。一方の天使は四肢の端から徐々に薄らいできている。現界に必要な魔力が絶たれた状態で影の軍勢やアーテルの呪縛を消したため、どんどん力が弱まってしまっているのだ。
「ねぇ、ほんとに大丈夫?」
「私一人の力では勝てないでしょう。ですが、皆さんのお力があれば可能性はあります」
「まかせて、最初からそのつもりだったさ」
ハカセたちからの後押しを受けて天使を翼を広げて飛び上がる。半分ほどまでに消失してしまった翼でも宙を舞うには問題はないようだ。
光を纏った突撃はヴィルヘルミナが作り出した魔法陣によって容易く受け止められた。さらに魔法陣に触れられたところから天使の魔力が吸い取られていき、その姿は一層薄らいでいく。
「まさか、これほどの数の権能を取り込んでいたなんて……」
「あなたもその仲間入りよ。完璧な状態で保存されていた唯一の自律式だけど、反抗するようなら権能だけを頂くだけのこと」
抵抗しきれずに天使は魔法陣の中へ吸い込まれて姿を完全に消してしまった。天使を完全に取り込んだヴィルヘルミナはその力を確かめるように権能を全身に巡らせる。
「所詮は自律式、創造主には逆らえ……うっ!? な、なにが!」
『この私を見くびりましたね、あなたと塔の繋がりを一時的に遮断しました! みなさん、権能が使えない今がチャンスです!!』
浮遊していた塔の主が崩れ落ちるように地面に足をつけると胸を押さえて苦しみだした。取り込んだはずの天使が内部から妨害を行い、権能を封じ込めたたのだ。
しかし、その状態を維持できる時間は少ない。だかすぐに行動に移らなければならない。スピカたちが身構える。
「みんな、いこう!」
「くっ! 貴様らなんぞに!」
奪われた権能を取り返そうと内部の天使へ魔力を注いで残滓を削り取り、いち早く力を元に戻そうとしている。そうさせないために一番槍としてあすーるがとびかかろうとしたその時だ。
―ウオオオオオオオオォォォォォ……
雄叫びとともに塔の主とスピカたちの間にある床石が音を立てて砕け散る。巨大な質量を持った何かが下から突き出てきて、それが塔を支えている柱の一部だと気付いたのは、柱を根本から持ち上げた者の姿が見えてからだった。
その見覚えのある姿で、それでいて今までに見せたことがない怒りに満ちた姿に、安堵と驚愕を感じながらスピカはその名を呼ぶ。
「アルト……!?」
「ぶっ潰すれろォォォォォ!!!!」
後方に立つスピカ達に目もくれず、殺意の籠もった雄叫びとともに手にした柱を塔の主目掛けて振り抜いた。塔の主の姿がその場から消えると、何が頭上を通り過ぎていたのでスピカが後ろを振り向くと、すぐ後ろにズタボロになった塔の主が転がっていた。
或斗が手にした鉄筋コンクリート製の柱を横薙ぎに振り回して、その直撃を受けたのだ。あとはバットで打たれた野球ボールの如く、吹っ飛ばされたのだろう。地面に向けて自由落下していく塔の主に向け、全身をバネにして或斗が跳躍する。
「まだだァァァァァァッ!!!!!」
どうにか声として認識できる絶叫を振りまきながら或斗は渾身の力を込めた飛び蹴りを、塔の主の顔面へ叩き込んだ。床の大理石に頭部を強打しながら墜落するも勢いは収まらず、床とともに顔の肉が剥がされていき、10メートルほど滑ってようやく止まった。
「あれ、本当に灰村君……?」
顔面を血塗れとした塔の主が無残に転がる、あまりの光景にこの場の全員が唖然としていた。絞り出すように漏れた繊華の言葉でアスールとハカセがいち早く動いて身構え、繊華はスピカ達をかばうように前に立つ。そのスピカの腕に中ではアーテルが悪鬼の如き或斗の姿に怯えている。
当の或斗は全身から怒気を滲み出しながら肩で息をしているが、少しは落ち着いたのか肩越しに左眼だけを後ろに向ける。
「……いきなり割り込んでこんな事した上で、更にお願いするのは厚かましいにも程があるのはわかってる。それでも、あとはオレに任せてほしいんだ」
首を僅かに動かした或斗からは先ほどまでの悪鬼じみたものは消えていたが、覗く左眼の奥には殺意と決意がギラついている。語りかける声色は憎しみも殺意もない、純然たる決意だけが籠もっていた。
その背中に背負っている何かがスピカには見えた気がした。だからその背中を押すように言葉をかける。
「うん、後は任せるよ、アルト」
「……ありがとう。それじゃあ、いってくる」
そこからはもう或斗は振り返らなかった。スピカの傍らで守るように立っていたジェフティが或斗の元へ向かい、二人のシルエットが重なる。完全に一体化すると、蒼く燃え上がる炎が影から吹き出した。
「よくも私の顔を蹴り潰してくれたわね……。それに天使を縛るギアス用の魔力供給源を全て断ち切ったのは、あなたの仕業というわけね。権能の制御にリソースを回しすぎたツケが出たみたい」
「…………ここまでブチ切れたのは初めてだ」
倒れ込んだままだがみるみるうちに顔面の傷が再生していくヴィルヘルミナに対し、或斗の声色に怒気の籠もった不協和音が混ざり始める。そして、それを見守っている繊華たちも怒りを露わにする。
「いい加減にしなさい! 多くの人を利用して苦しめたというのに、まだ飽きたらないというのですか!?」
「繊華、この女に何を言っても無駄よ。人も神も天使も利用して使い潰すことしか頭に入っていない、正真正銘のエゴで出来た怪物なんだから」
全く悪びれないその姿に、繊華が怒りは爆発させ、アスールは軽蔑するように見下ろす。そして自身の中を渦巻く激情を示すが如く、或斗の背から黒炎が燃え盛る。もう彼を止められないと悟ったアスールがその背中に向けて告げる。
「私らも色々とあるけど、そこまで背負ってるもの見せられちゃ譲るしかないわよ。だから、こっちの分も含めて思いっきりかましてやりなさい!」
「……ああ、全部載せで終わらせてやる」
何事もなかったかのように立ち上がったヴィルヘルミナに銃口を突きつける。或斗を睨みつけるその顔が、嘲笑へと変わった。表情筋が働かずに笑みを浮かべようとしたのか、その表情はひどく歪なものだった。
一方の或斗はどこまでも無表情だった。叫び喚きたいほどの激情がどんどん溢れてくるというのに、ある境を超えてからは頭の中はシーンとなって冷え切っていく。内なる感情をを瞳の奥にギラつかせながら。
「あなたがいくら魔力供給源を破壊しても無意味よ。そしてこの私を破壊することも不可能!!」
「それがどうした。あいつらへの落とし前だ、地獄に落ちろ」
「ハッ、いい気になっていられるのは今の内よ? イド魔法だけが取り柄の魔法も魔力もカスみたいな小僧なんぞ、簡単に捻り潰してくれる!!」
膨大な魔力を纏わせながらヴィルヘルミナが浮かび上がる。或斗も背中の黒炎を激しく燃え上がらせて、今生み出せる最大量の魔力塊を塔の主めがけてぶっ放した。
黒炎が眼前に迫り、それでも塔の主はかかってこいと言わんばかりに口元を歪める。燃え盛る爆炎が飲み込んだ。だが炎が殺到する中で勝ち誇ったような高笑いが響き渡る。
「やはり、この程度か! 既に天使は魔力に還元されて私を邪魔するものはいない。神の力を宿す塔と一体である私を滅ぼすなど絶対に不可能! この顔を削り取ってくれた痛みと炎の熱さを万倍にして返してあげるわ!!」
天を焦がすほどの黒炎に全身を呑まれてなお平然としており、己の魔力をさらに高めて作り出した球体状の魔力塊を頭上に掲げた。放たれれば周囲一体を容易く吹き飛ばすような一撃が眼前に現れても、或斗は銃を突きつけたまま一片たりとも動じていなかった。
「いや、これまでだ。オレの炎はお前を絶対に離さない、お前の歪んだその魂を焼き尽くすまで!」
「何を今更、強がった所で…………!? な、かっ、身体が、崩れて、く…… い、いったいなにが」
高笑いが突如として途切れ、黒炎に包まれた塔の主が墜落した。宙に浮かんでいた魔力塊は黒炎に飲み込まれてそのまま降り注いだ。避ける事が出来ずにいたヴィルヘルミナの肉体を尽く焼き払って、末端は既に黒ずんだ炭へと変貌させる。高笑いは既に絶望と痛みに対する悲鳴に変わっていた。
肉体を修繕させる為に更なる魔力を搭から取り込むが、黒炎は魔力の高まりに比例するよう火力が上がる。黒炎は例外なく全身を焼き尽くしていき、表皮から内臓まで蹂躙していく。その痛みのあまり、魔法を行使することすら出来なくなった。
そして、ジェフティが或斗の背後で燃え盛る黒炎から姿を現せて、意趣返しの如く高笑いを周囲一帯へ轟かせる。
「フハハハハハ!! 我らを見くびっていたな、大海を知らぬ井の中の蛙よ。この黒炎は魔力を糧にして燃え盛る魔女殺しの炎なり、大焦熱地獄の具現たる第六天魔王波旬の再臨なり! 神の力に縋りきった貴様などが打ち消せる道理など存在しない!!」
「お前に利用された者達の無念と恩讐の炎だ。……死ね、死んであの世で皆に詫びろ」
右手に握られた魔道銃へ黒炎が収束していく。そして黒炎によって銃身が上下に裂けた長銃へと姿を変えて、その銃身へ更に黒炎が殺到し銃弾が装填される。
銃口をピッタリと苦痛に悶える塔の主へ狙いをつけられ、全ての激情を混ぜ込んだ或斗の一睨みと共に躊躇なく引き金が引かれた。
「失せろ!!」
黒炎の銃撃が放たれ、弾丸は真っ直ぐに塔の主を撃ち抜いた。短い断末魔とともに青白い炎が燃え盛り、あっという間にその身を飲み込んだ。
魔道銃を纏っていた炎は消えて、煌々と燃え上がる焔もやがて下火になっていく。或斗はその様を銃を構えたまま静かに見据えて、黒炎が消え去ってそこに何も残っていない事を確認してから、ようやく銃を下ろして長い息を吐いた。
もはや怒りも憎しみもない。達成感や喜びもなく、ただ胸のつかえが下りた、そんな心持ちだった。そして後ろを振り向いて、今まで静かに見守っていた皆に短く告げた。
「終わったよ」