バベルの搭
「…………ぅっ……」
目が覚めると宙吊りに拘束されていた。
周囲を囲む多くの機械によってできた円の中心で、身体や手足など全身を無数のベルトで縛り上げられ、つま先を伸ばして何とか床についている有様だ。
唯一自由に動かせる首を使って見回しても人の気配はしないが、四角く狭い部屋の中には様々な機械が明滅してながら低い稼働音を立てている。
真っ白い部屋で機械に囲まれて拘束されている。それはいつもと変わらぬ風景、毎朝やってくる最悪の目覚めだ。
機械に埋もれた壁の中で正面だけは何も置かれておらず、そこは唯一の出入り口であり、扉が開かれて人影が中へ入ってくる。
「おはよう、今日もいつも通りにはじめるわ」
その人影は白衣を着た女であり、能面を張り付けたように無表情で、その口から発せられる言葉も抑揚がない事務的なものだった。
備え付けの箱の中から何かを取り出すと、それを持って近づいてくる。手にしていたのは蛍光色の薬剤が詰まった注射器で、先端の注射針を首筋へと突き刺した。
「うっ?! ぁぁっ……ぅぐぁ……」
チクリとした鋭い痛みと同時に全身を何かが流し込まれた様な感覚が駆けめぐる。反射的に身体が大きく跳ねあがるが、巻きついたベルトが身体を締め付けて無理矢理動きを封じる。
鈍い痛みが頭の中で響いて胸の動悸も激しくなる。それらは30秒ほどで収まったが、ドロリとした明らかに異物である何かが全身を這いまわるような感覚は一向に消えなかった。
苦しげな吐息を漏らしても白衣の女は目もくれずに、手にしたタブレット端末を操作している。指先の動きと同時に周囲の機器のランプが激しく点滅し、何かの駆動音が少しずつ大きくなって部屋に響き渡っていく。
一度、タブレットから視線を外して白衣の女がこちらを向く。相も変わらず鉄面皮の表情から無感情な言葉が流れる。
「魔力増強剤の効果は通常通り。いや、この状態ならば高濃度な魔力注入も可能だな……。まずは、魔力の増強からね」
タブレットによる何かの入力が終わるのと同時に身体を拘束している無数のベルトが、赤黒い光を放ってはじめた。
「うあぁっ?!」
ベルトから伝わる魔力が全身に流れ込み、反射的に身をよじらせるが、拘束された状態では身体を圧迫されるだけであった。
全身を掻き回されるような気持ち悪さに加えて、身体が火照りはじめて冷や汗が吹き出すと、暑さと肌寒さを同時に感じられて感覚も徐々におぼつかなくなっていく。
「増強剤と魔力発現遺伝子の刺激は完了、肉体負荷も許容範囲内。そろそろ本格的に注入をはじめても良さそうね」
全身を覆う不快感をどうにか耐えている中で、白衣の女がタブレットを操作しているのが見えた。すると、先ほどより多くの機器が様々な音を立てて駆動音がより強く激しい鳴り響く。
突如として全身を強い衝撃が襲う。今までゆっくりと入ってきていた魔力の流れが、濁流のようになって体内を蹂躙していく。
「あ、がっぁぁ…あ、やっぁ!?」
先ほどまでとは比べ物にならない魔力が流れ込み、まるで生き物が体内に入ったのではないかと思えるほどに 自分の意志など関係なく、激しく脈打つ様に身体が痙攣している。
地面に辛うじて付い足が、頭上に吊るされた腕が、縛り上げられた全身が、揺れ動く肉体を抑えようとする拘束ベルトによって、潰れてしまうと思えるほどの力で締め上げられる。
「うぁっあ……う、ぐ……ふぁ……うぅぁぁ!!!」
身体の中で暴れる何かを押し留めるようと反射的に身を屈めようと動く。その度にベルトが激しく胴体を締め付けて、肺の中の空気を強制的に排出させる。
締め上げられた肉体がちぎれそうになって、酸素が足りなくなった思考はちりぢりになって意識が薄まいく。視界が揺れ動き、目に映るものすべてが幾層にも分裂して見える状態で、どうにか意識を繋ぎとめるのもやっとだった。
何度も大きく反応を返していた身体が、次第に小刻みな痙攣を繰り返すだけになっていた。
「うぁ……はぁぁ…………うっ」
心臓が早鐘を打ちながら激しく息が吸い込んで、意識を保つために必死で自分の足で立とうとするが、身体は思うように動かない。 足は震え、指先は勝手に開いてピクピクと痙攣を繰り返す。
ベルトから送られる光は、収まる気配がない。
ここでいつも限界を迎える。
口の端からだらしなく涎が垂れ、目元から止めどなく涙が流れるまま意識を手放しそうになる。注入された魔力はもはや肉体の限界を越えていた。このまま続けば内部から崩れてしまうのではないかと消失間際の意識が思うほどに。
「ふむ、ほぼ全ての魔力注入は完了。高濃度ということもあってかいつも以上に負荷がかかりすぎたわね」
白衣の女の声が耳に入る。残った意識で考えるなら、いつもここでタブレットを操作して魔力の注入を止めて、検分入っていた。だから、ここでこの苦しみも終わると安堵した。
だが、いつも通りはやってこなかった。タブレットを忙しなく操作すると、全身を拘束するベルトがより禍々しい強い光を発し始めた。
「…………えっ……はうぁっ!?」
「魔力を司る遺伝子がフル稼働状態で肉体も高濃度な魔力で満ちている。これなら刻印の張り付けも上手くいくでしょう。身体にかかる負荷はこれまでと段違いだけどね」
白衣の女の説明が終わる前に、既に言葉を聞く余裕など彼方に失せていた。
「あ、ぁ……ぁあっあ!? うぁぁぁっ!!?」
ベルトから放たれる光が増幅され、全身を外と内から押しつぶされるような圧迫感に、思えず顔を天井に向けてうめき声を上げる。疲れ果てた肉体はもはや抵抗を見せず、ただただ魔力の凌辱を受け入れる。
今まで以上に周りの検査機器が大小様々な音を鳴らし続ける。その音の中に警告音の様な激しさを表すものがあるが、それらは何の意味を持たず、実験は続けられる。
「いやぁあ……、うぁああああああああーーーー!!!」
手足の表面に何かの紋様が浮かび上がる。それはまるで生きているかのように蠢き、全身に広がってゆく。赤い光が強く太さを増して流し込まれ、それに呼応するように紋様はより色濃く深く刻まれていく。
「いやぁ!! もぅだめ! ……いやあぁぁぁぁっ!!!!!」
無意識に拒絶の言葉が零れて、肉体的にも精神的にも限界を迎える。それを示すように検査機器が今で以上にけたたましく警告音を鳴らし、タブレットにも被験者の身体のラインが赤く点滅して警告文らしき文字が表示されてる。それでも、実験が止まることはなく、白衣の女は淡々と実験の推移を観察していく。
そして、身体中に流し込まれる魔力が内部から飛び出そうと膨張し、刻まれた紋様がより深く内部へ根差そうと強引に魔力を圧縮させる。
「いあ……ぁあ……いああああぁぁぁーーーーーーーーーー!!!」
内外からの魔力による押合いに身体が大きく跳ね回る。拘束ベルトに激しく押し込まれてもその肉体は壊れたように跳ね回り続けて、胸部にベルトが深々と食い込んだ。魔力の押合いも重なって、意思とは関係なく肺から空気が無理矢理押し出される。
「ぁああああーーーーー!!! ぁっあああ!! うぁあああーーーー!!!!? っぁぁぁぁぁぁーーーーーー!!!!!!」
息を吸う間もなく、まともな呼吸すら出来ずに叫び続けるしかない。涙の筋が走るその瞳からも光が消え失せて、開けっ放しの口元からは無残にもいくつもの涎が垂れ流れる。
「ぅ……ぁっ……ぁぁ」
ようやくベルトを流れる魔力の光が徐々に収まり、全身を覆っていた紋様も溶けるように消え失せた。周囲の機器の駆動音や警告音も静まり、嘘のような静けさが実験室に充満している。
ぐったりと俯いて全身をベルトに預けたまま、白衣の女はコードのようなものを身体に繋げていく。拘束ベルトと幾つものコードで縛り付けると、最後に電極がついたヘッドセットを被せて、顎を掴んで俯いていた被験体の顔を上にあげた。
「ん……んん………ぅぁぁ」
「実験は成功よ。刻印はあなたの身体にしっかりと根付いたわ。あとはちゃんと機能するか、このままテストも継続して行うわよ。あなたなら大丈夫でしょう、もう既に壊れているんだから」
顎から手を離すと、力なく俯いた。それを感慨もなく見下げた白衣の女は被験体の耳元に口を寄せる。
「さぁ、研究の続きをしましょう。アーテル・シェルナ・ティアラ」




