青空
長年店番として勤めた雑貨屋の仕事をやめた。
由貴彦が働いた分で暮らしていけたし、変わりの可愛い店員が見つかったのだ。
それでもエリナは毎年色とりどりのニットをプレゼントしてくれる。
エリナは綺麗な色が好きなのだ。
私の見る限りでは特にピンクと青が好き。
雑貨屋では、私と由貴彦の子供の麻雪がお手伝いをはじめた。
看板娘だ。まだ小さいので手習い程度だが、それで良いのだそうだ。
小さな麻雪は小さなユキヒコに良く似ている。
それを言うと由貴彦はお得意の「ふぅん」という。
私が子供を授かったのはとても意外で、それは由貴彦も同じだったらしく、妊娠に気付くまでに随分時間がかかった。
妊娠がわかった時の由貴彦の言葉は「そうかぁ…出来るのかぁ…」だった。
産まれた子供は麻雪と名付けた。
マリコの麻にユキヒコの雪。
嘘ではないが本当とは違うもの。
マリコはどんな字を書くの?と聞いておけば良かったなと思った。だから小さなユキヒコに習いこれだと思うものに私が決めた。
麻理子だ。
私は子供が産めた。今までの成り行きは夢か幻か、最初から人だったのだろうかと思ったけれど、
私は変わらず年を取らなかった。
人とも言えず山羊とも言えない説明のつかない何かなのだと改めて感じた。
麻雪は由貴彦の籍に入り、四ツ谷麻雪という。
麻雪のおかげで籍というものにも思い至った。知ろうとしなければ知らないことは山の様にあるだろう。
でも表札には山羊にえ 雪彦 麻雪 と名前が並ぶ。
この町で由貴彦は雪彦だし、四ツ谷だと言っても伝わらない。
それにこの海辺の町は私たちの本当のことを知ろうとはしていない。
ただこの家の持ち主はキザブロウからユキヒコに変わったようで、たまに来る書類ヨツヤユキヒコ宛になっていた。
私の知らないところで賢い由貴彦は上手く折り合いをつけているのだ。
私は贄山羊としての色んなことをそっと麻雪に伝えた。麻雪が贄山羊に似ることだってあるだろう。
そしてお願いした通り二人だけの秘密を守ってくれた。
由貴彦はずっと穏やかに由貴彦であり続けたし、
近くで目覚め暮らしまた眠り、夢から覚めてもまた近くにいるだけで私は満たされていた。
その時が近付いて来たと感じた時私は家族で浜を散歩していた。
若い由貴彦が別れを告げたあの浜辺だった。
海の向こうから静かに傷つき年老いた力弱い薄汚れた白山羊が歩いて来た。
片割れはアザゼルの山羊としての役目を果たし終えたのだ。
その貧相な姿を見た途端涙が溢れた。
行かなくてはならないという強い想いに足が海へ向かった。
私もまたアザゼルの山羊だから。
由貴彦は私と手を繋いで波打ち際まで歩いてくれた。
麻雪は由貴彦の手を握っていた。
「行ってしまうんだね」
「ええ」
あんなにたくさん覚えた言葉はが上手く使えなくてもどかしかった。
今以上に何か言葉を使うべき瞬間があるとは思えなかった。
「ありがとう由貴彦、ありがとう麻雪」
「最後まで何者かわからない人だなぁ…こんな別れ方なんて…きっと僕が年老いて先に死ぬと思ってたのに」
穏やかな輪郭の美しい由貴彦の声に私は思わず笑顔になった。
「私が何者か私にもわからない」
「君はあれの片割れだろう?いつか話した。だって穏やかな気持ちだよ」
「そうなの。きっとあなたの分も背負ってるんだわ」
「ママはまゆきのママだから。何者かはもうなくさないでね」
「…もうなくさない」
由貴彦は娘をしっかり抱きしめてくれた。
そして私も。
ぎゅうぎゅうと抱きし合ってから、
私はゆっくりと海へ向かって歩いていった。
二人の姿が見えるところで大きく手を降って「好きよ!由貴彦!好きよ!麻雪!」と大声で伝えると、二人は笑顔で手を降っていた。
私の姿は次第に黒山羊になりさっきまで海底の砂の上を歩いていた足は、波の上を歩いた。
白山羊のとなりに並び労わりの気持ちでそっと兄弟山羊に近づくとその時私たちは終わりを迎えた。
青空と海、
白い波、
優しい人たちに見送られて。
誤字脱字は気が付いたらなおします。
改行なども気が付いたら。
段々雑になる罠。




