嫁がわらう
1
俺には今年23歳になる嫁がいる。
優しく可憐で華奢な美少女だ。
嫁が18歳の時に知り合い、20歳で結婚、現在一児の母になる。
嫁の名前は頼子、娘の名前は恵、という。
嫁の性格は温厚であまり怒ることをしない。
いつも穏やかに微笑んで娘の頭をそっと撫でている。
例えば、よく晴れた暖かい日の窓際で。
あるいは、雨降りの窓の外をぼんやり眺めながら娘と過ごしている。
また嫁はよく笑う人だった。
俺は特に話が上手い方ではないけれど、それでもよく嫁は笑う。
声を上げて笑ったり、声を押し殺して笑ったり様々だ。
「君はいつも笑っているね、そんなに毎日が楽しいのかい」
と俺は以前嫁に聞いたことがある。
すると嫁は娘をあやしながら、
「子供といるだけで毎日楽しいし、それにハッピーだよ」
と笑顔で答えた。
嫁はよく笑う。
その姿を見るだけで俺は嬉しくなり、心が温まる。
俺は嫁が笑う姿を見るのが大好きだ。
嫁の笑顔が毎日の仕事疲れを癒してくれる。
ちなみに嫁は専業主婦をしている。
なので仕事が終わって家に帰ると必ず、嫁の笑顔と労いの言葉が待っている。
「おかえりなさい、今日もお疲れ様でした」
その言葉がさらに俺の疲れを癒してくれる。
毎日の頑張りのエネルギー源にもなっている。
他にも忘れてはならない大切な要素がある。
それは料理だ。
こちらの方も嫁は中々の腕前だ。
いつも美味しい食事を作ってくれる。
得意な料理は肉じゃが、カレー、クリームシチュー、らしい。
実際それらが食卓に上ると非常に美味しく満足である。
また新たな得意料理開発にも勤しんでいるらしく、どんどん増えればいいなと思っている。
嫁についての説明はこんなものだろうか。
ついでに俺についての説明をしておく。
俺の名前は、竹田裕二。
嫁からは「裕くん」と呼ばれている。
25歳の普通の会社員だ。
体型も普通、顔も普通で、特に目立つ所の無い平均的な人間だ。
人に自慢できるものといえば、美人の嫁と可愛い娘くらいのものだろうか。
他人からは親バカや愛妻家などとよく言われる。
趣味は読書で、ミステリをよく読む。
朝晩の通勤電車の中でいつも本を読んでいる。
2
平日の夕食後、テーブルでお茶で一服している時だった。
食器類を洗い終えた嫁が俺の傍まで寄ってきて告げた。
「ねぇ、裕くん」
嫁の心地よい声が耳に届き、俺は飲みかけのお茶の入ったティーカップを手に持ったまま、
「うん?」
と声を出して嫁に視線を向けて続きを促す。
「もうすぐ私達の結婚記念日だね」
俺は頷く。
「そうだね」
もちろん、ちゃんと覚えている。
俺たちの結婚記念日は11月3日だ。
忘れるわけがない。
今日が10月20日なので後、10日程である。
毎年、結婚記念日には外食して美味しいものを食べる、というイベントを過ごしている。
お洒落でちょいと高めのお店で舌鼓を打つ。
中々に至福の時だ。
などと考えていると嫁が隣の椅子に座りながらいう。
「今年はどうしよっか」
「うむ」
どうしよっか、とは具体的にはどこに食べに行くか、または何が食べたいかであろう。
まさか存在の有無を問われているのではあるまい。
さて何を提案しよう。
「そうだな、鍋なんてどうだ」
「鍋?」
「そう、鍋だ」
嫁は少し考える仕草を見せて、
「何鍋がいいかしら」
「水炊き、寄せ鍋、しゃぶしゃぶ、その他何でもいいぞ」
「じゃあ、しゃぶしゃぶが食べたいかな」
「しゃぶしゃぶか、ところで今度の結婚記念日は何曜日だっけ?」
「土曜日よ、今年はゆっくりできそうね」
「それはいいね」
とりあえず休日出勤が無いよう願っておく。
仕事があればそちらを優先せざるを得なくなる。
朝から半日くらいで終わる仕事ならまだいい。
残り半日を有意義な結婚記念日で迎えることも可能だろう。
夕食の時間にさえ余裕があれば、外食のプランに然程影響はない。
問題なく食事を楽しむことができる。
だが一日仕事が入ってきてしまうと少し困る。
さらに残業など発生する日には、夕食の時間のめどが立たない。
妙な焦燥感に囚われてしまうだろう。
とまあ最悪のケースを考えてみたけれど多分そうはならない。
ここ最近、休日出勤することが稀だからだ。
だからあまり考えても仕方が無い。
「じゃあ、こちらで店の方は調べておくよ」
「そうね、お願い」
それだけ言うと、嫁は娘の世話をするために椅子を立った。
3
結婚記念日の当日の11月3日になった。
会社は休みである。
午前中は家でそれぞれ気ままに過ごし、お昼ご飯を食べて、それからまたしばしの休息。
時計の針が三時を示す頃になって、そろそろ出かけよう、という話になった。
財布の有無を確かめて俺は娘を抱え、嫁と一緒に玄関を出た。
嫁が忘れず戸締りをする。
さて、準備万端、出発進行。
まずは娘を預けに俺の両親の家へ向かう。
両親は俺の家から徒歩10分くらいの近場に住んでおり、嫁と二人で出かけたいときなどに娘を預ける。
俺の母も、可愛い孫の世話が出来ると大喜びで引き受けてくれる。
今日も事前に娘を預けることを連絡してあるので、心待ちにしているだろう。
両親の家にたどり着いた俺は玄関を開けて中へと入っていく。
「かあさーん、いるか?」
大声で呼びかけると、母が居間からのそのそと出てきた。
嫁が笑顔で「こんにちは」と声をかける。
「頼子さん、いらっしゃい」
それから俺は母に、「恵を頼みます」と言って、抱えた娘を母に差し出す。
母は嬉しそうに受け取り、抱っこして、孫の顔を覗き込む。
今現在、一才になる娘はうたた寝をしているようで、おとなしい。
母が告げる。
「こないだ田舎から沢山みかん送ってきたのよね。袋に詰めといたげるから帰りにでも持って帰りなさい。頼子さんもみかん好きよね」
「あはは、はい、好きです。ありがとうございます」
嫁が笑い、礼をいって、表情をほころばせる。
「みかんか。田舎のみかんは甘くて美味いんだよな。ありがとう、かあさん。帰りに貰っていくよ」
俺も礼をいっておく。
「それじゃあ、俺たち出掛けてくるよ」
そう母に告げると、玄関へ歩き、靴を履き替える。
見送りに玄関まで来ていた母がいう。
「楽しんできなさい。二人とも」
「ありがとう。恵を頼むよ、かあさん」
「それでは、いってきますね」
そして二人は家を出た。
4
まず二人は電車に乗って繁華街へ出た。
天候も良く、休日の繁華街は、老若男女を問わず沢山の人で賑わっている。
「これからどうしようか、ご飯までまだ時間があるし」
「そうだな、適当にウィンドウショッピングに行くか、それとも映画でも見に行くか?」
うーん、と嫁は悩み、
「映画かぁ、そういえば最近映画見てないなぁ。面白そうなのやってるかな」
「じゃあ、とりあえず上映されてるものを調べに行くか」
「あはは、そうだね」
そして映画館へと足を向ける。
しばらく歩き、映画館へと到着する。
「色々やってるな。何か見たいものでもあるか?」
嫁に問いかけるとしばし沈黙し、目を泳がせる。
そしてインフォメーションの一部を指差して、
「あれがいいな。あのアクションのやつ。時間的にも次の開始が近いし。ちょうどいいんじゃない。ね、あれにしましょ」
「アクション物か。悪くないな」
映画館に入場した二人は、少しの間、前回上映が終わるのを待って、それから席についた。
「ワクワクするね」
嫁が目を輝かせながらいう。
「そうだな」
客席に目を向けると八割くらい席が埋まっている。
年齢層は若者が多いだろうか。
しばらくして、上映が開始された。
それを黙って行儀よく見ていた。
映画は、ドンパチありカーチェイスありで、ひたすら派手な内容だった。
極上のエンターテインメントとして仕上がっていた。
主人公がピンチになるたびに、嫁のほうから「あぶない」「ひゃあ」だの聞こえてくる。
どうやら嫁はひたすら映画に熱中しているようだった。
嫁のほうをこっそり伺うと、ハラハラドキドキといった表情を浮かべている。
目を見開いて、興味津々の視線を画面に注ぎ込んでいた。
まあ、楽しんでいるようで何よりだ。
俺も画面に目を戻すと、派手に暴れまわる主人公刑事が機関銃をぶっ放すところだった。
刑事が悪者を蹴散らしていく。
結局、マフィアのアジトを壊滅させたところで、エンドロールが流れた。
「いやー、手に汗握る面白さだった」
俺が素直に感想を述べると嫁もうなづき、
「面白かったね」
と感想を述べた。
映画館を出ると、日は落ち、辺りは薄暗くなっていた。
11月の風が吹きつけ、人々から徐々に体温を奪い去る。
嫁が両手で身体を抱く仕草を見せて、
「冷えてきたね」
「ああ」
言葉を返し、そして笑みを浮かべ、
「鍋がうまそうだ」
5
今宵は鍋である。
時期的には少し早いかもしれないが、今日は鍋を食う。
あの熱湯に肉や野菜をささっとくぐらせて食べる美味いやつ。
つまりはしゃぶしゃぶだ。
肉を食う鍋としては、すき焼きと並んでポピュラーだろう。
食べるのを想像するだけで垂涎モノである。
さて、それでは早速鍋の店へ向かうとしよう。
俺と嫁は歩いて目的の店へと向かい10分程かけてたどり着いた。
特に混雑しているわけでもなく、そのままのれんを潜って店内へと入る。
「いらっしゃいませ。何名様ですか?」
「2名で」
すぐさま席に案内されて嫁と向かい合って座る。
その場でしゃぶしゃぶ二人分を注文し、店員が去ってく。
二人でくつろいでいると、店員が水を持ってきた。
俺はすぐさま水をぐびりと一口飲む。
嫁も同じように水に口をつけていた。
それから少し先ほど見た映画の感想を嫁と述べ合った。
どこどこのシーンが良かったねとかそんな感じだ。
あと主人公の刑事がかっこよかったとかなんとか。
そんな話をしていると、鍋や肉や野菜がやってきて、店員が鍋の準備を始める。
慣れた手つきで作業を終え、店員は去っていった。
後は湯が沸くのを待つのみだ。
目の前には、肉や野菜が皿に載せられている。
和牛に白菜、春菊、白ねぎ、星型にんじん、生しいたけ、えのき茸、くずきり、豆腐。
「どれもうまそうだな」
「おいしそうね」
そして湯が沸き始めた。
時は来た、俺は割り箸を手に取り、さっそく肉に手を伸ばす。
がっつりで肉を箸で掴んで、鍋の中へ入れる。
そのまま数秒間、湯に潜らせてから、ポン酢の入った取り皿に入れた。
それを口に放り込む。
「うめぇ!」
思わず声が出た。
嫁の方に視線を向けると、肉をふぅふぅして食べるところだった。
嫁がぱくりと一口食べる。
すると見る見るうちに嫁の表情が綻び、笑顔の花がふわりと咲いた。
「おいしー!」
「だろう?」
俺も嫁も非常に満足な表情を浮かべている。
美味しいものを食べると人は笑顔になるのだ。
俺は次々に肉を取っては鍋に放り込み、取り皿に取って食べた。
「そろそろ野菜もいっとくか」
「そうだね。お野菜も食べないとね」
俺たちは鍋に野菜を一通り放り込んだ。
春菊など時間のかからない物から先に食べる。
もぐもぐ。
「野菜、うめぇ!」
にんじん、しいたけ、えのき茸、と続けて食べる。
どれもこれも美味であり、俺も嫁も笑顔が止まらない。
「お野菜も、おいしいね」
そういって嫁は、次はどれにしようかな、と迷い結局、白ねぎを取り皿に取って食べた。
白菜は少し早いかと俺が悩んでいると、豆腐が自己主張していたので、すくって取った。
そして食べると、もうどれも美味くてたまらない。
俺たちは鍋の魅力を存分に堪能した。
6
「あー、食った食った」
俺は満足げに腹をさすって、目の前の状態を見る。
食材の皿は既に空になり、残すは今嫁が鍋から取った白菜のみになっていた。
嫁が最後の白菜を口に入れると、もそもそと咀嚼し飲み込む。
これで完食だ。
俺は、ふぅ、とため息を一つついて、背もたれにもたれた。
嫁が、「ごちそうさまでした」と手を合わせる。
俺は水を一口飲んで一服し、ぼんやり今日の一日を振り返る。
中々に有意義な一日だったと考え、嫁を見ると目が合う。
嫁は、ふふっ、と笑い、
「おいしかったね」
「ああ、うまかった。来て正解だったな。映画も楽しかったし」
「そうだね」
「今日は良い結婚記念日になった。これからもよろしく頼むな」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
嫁がぺこりと頭を軽く下げて、そして眩しく微笑んだ。
「じゃあ、そろそろ帰るか」
「うん、帰ろ」
俺は残っていた水を、ごくごく、飲み干してから立ち上がった。
レジへ行き、それなりの金額を支払って会計を済ませる。
店の外へ出ると辺りは暗く、少し肌寒かったけれど、鍋で身体が温まっていたので、ちょうど良い感じだった。
現在時刻を確認すると八時くらいで、今から帰ると八時四十五分くらいには帰れるだろう。
帰る前に俺の両親の家に寄って、娘とみかんを回収せねばならない。
俺の両親は九時半にはもう寝るので、それに間に合うようで安堵する。
さて、さっさと電車に乗って帰ろう。
7
俺の両親の家に着いたとき、時刻は八時四十分を指していた。
今ならまだ余裕で起きている時間のはずだ。
俺は玄関の扉を開けて中に入ると、廊下を進みながら、
「おーい、帰ったぞー。かあさんいるか?」
と大声で呼びかける。
すると居間から母が、のそのそ、と出てきた。
「おや、おかえり。今日は楽しんできたかい?」
「ああ、有意義な一日だったよ」
「そうかい。それは良かったじゃないか。頼子さんも楽しかったかい?」
「はい、とっても楽しかったです。おいしいもの沢山食べてきました」
「それは良かったねぇ」
「ところで恵はどうしてる?」
「めぐちゃんなら居間で寝てるよ」
それから俺たちは居間に入っていき、娘を見つけた。
すやすやと安らかに眠っていて、のん気そうな顔をしている。
「じゃあ、つれて帰るよ」
そういって俺は娘をゆっくりと抱きかかえた。
「それと、みかんがあるんだよな」
「そうそう、そうなのよ。取ってくるからちょっと待ってなさい」
そういって母が台所へと姿を消し、戻ってきたときには、手にビニール袋提げていた。
袋の中にはみかんが十個ほどだろうか。
「頼子、みかんの袋を持ってくれるか」
俺は娘を抱いているので手が空いていない。
「はあい」
嫁が母に歩み寄り、ビニール袋に手を伸ばす。
母が嫁にビニール袋を手渡した。
「ありがとうございます」
嫁が礼をいって、頭を下げ、手に持つ袋を大切そうに扱う。
「それじゃ、帰るか」
「うん、そうだね」
居間を出て、廊下を歩き、玄関までやってきた。
靴を履く俺たちに母が声をかける。
「それじゃあ、気を付けて帰りなさいよ」
「ああ」
「頼子さんも、またいらしてね」
「あはは、はい、また伺わせてもらいます。もちろん恵もつれて」
母は満足そうな嬉しそうな顔を浮かべる。
「それじゃあな」
そういって俺たちは玄関から外へと出た。
家への道を歩いていると、11月の風が吹き付けてくる。
「肌寒くなってきたね」
「そうだな。早く帰ろう」
「うん」
鍋のあったかパワーも収まり、今では肌寒く感じる。
しかし、もう少しの辛抱だ。
後、十分ほどで我が家へと帰り着く。
そう思うとなんだかほっとする。
ふと見上げると空に月が出て綺麗だった。
8
「我が家へ到着」
家に着くと俺はまず娘を布団に寝かしつけた。
それから椅子にすわり脱力して身体を休ませる。
嫁はというとみかんを片付けに台所へ入っていく。
台所から嫁が、
「ねぇ、裕くん。みかん食べる?」
と聞いてきたので、
「ひとつ、もらおう」
と返事する。
台所から嫁がみかんを二つ持って来て、その内一つを俺に手渡した。
「はい、どうぞ」
「ありがとう」
みかんの皮をむき、ひと房ぱくりと食べる。
「うん、甘くてうまい」
「あはは、ほんとだね」
嫁も満足そうに笑い、さらにもう一口二口と食べる。
「今日は疲れたな」
「うん、でも楽しかったよ。おいしいものも食べれたしあたしは満足」
「そうか、なら良かった。またいつか映画見に行ったり、おいしいもの食べに行ったりしよう。まあ頻繁には無理だけど。たまになら大丈夫。何かイベントのある日がいいね。次はいつになるかなぁ」
「あはは、次が楽しみだね」
それから俺たちは、次はあれが食べたいだの、あそこに行きたいだのと二人で話し、盛り上がった。
結局三十分ほどそうして話が盛り上がっただろうか。
徐々に話題も尻すぼみになり、口数が少なくなってくる。
ふとそろそろ風呂に入らなければと考えがよぎる。
しかし今日の結婚記念日を締める上で、俺にはまだ遣り残したことがある。
それはまあ毎年恒例の風物詩みたいなもので、義務ではないが、まあこの日くらいはみたいな。
だから俺は告げた。
「頼子」
嫁は何かを察したのか、ぱっと姿勢を正し、少し緊張気味の声で、
「はいっ」
と返す。
「こんな冴えない男の嫁になってくれてありがとな。愛してるよ頼子。これからもよろしくな」
告げたとたん俺は胸が熱くなる。
嫁はというと、嬉しさとか照れとか感動とか、色んな感情がない交ぜになった表情を浮かべ、
「えへへ」
とわらった。
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