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争人  作者: 直弥
第一話「ランプ」
4/17

その2

真人はランプをおんぶしていた。

「にしても。マサトはちょっと筋肉付け過ぎじゃないの? まるで石にしがみ付いてるような感触だよ。普通、人間の背中ってもうちょっと柔らかいものだと思うんだけど。しかも、無駄に背が高くてちょっと怖いし」

「文句が多いぞ。俺はお前の座席かよ。って言うか、〝無駄に〟ってなんだ。この無駄のない肉体美を前にして」

「――うん、そうだね。すごいすごい」

「そうだろ?」

「ああん、もう! 皮肉も通じない!」

結局。道程の半分以上を、おんぶしおんぶされでやって来た二人が目的地に辿り着いた頃には、空で幾つもの星が瞬き始めていた。町。と真人は言ったものの、実際の形態は集落に近い場所。お上からの政治的な介入がなく、近代的な建造物や青少年向けの娯楽施設も一切存在しない、基本的には荒地同然の土地である。角を削った石を、粘土で隙間なく繋いで積み上げただけの家がまばらに建っており、ハリケーンにでも襲われればそのまま壊滅してしまいそうな脆さ。とは言え、都市と都市の中間に在するここには、一応の宿屋があった。真実、一応の。

「寝てる間に潰れそうな気がするな」

 文句を垂れつつランプを降ろしながら、真人はその小さな宿屋に入っていった。


「一天多少钱[一泊、お幾らですか]?」

「六十六块钱一房间[一部屋で六十六元になります]。房费需要预付[前金でお願いします]」

「请稍等[ちょっと待って下さい]。ええっと……」

 ロングボストンから財布を取り出した真人は、提示された金額を丁度支払った。

「谢谢你[ありがとうございます]。请去最里头的房间[奥の部屋へどうぞ]」

料金を受け取ってからも、普通ではない目つきで真人とランプを交互に見つめるおかみさんから逃げるように、二人は案内された部屋に足早く向かった。


「おかみさん、何か変な誤解をしてなかったか?」

 部屋に着くなり、真人は不服を絵に描いたような顔で文句を洩らした。あからさまに不信感丸出しの目つきで対応されたのだから無理はない。しかし、そのように対応されるのもまた無理のないことであった。ランプは言う。

「仕方ないよ。顔つきからして、まさか兄妹だとは思われてないだろうし。はっきり言って犯罪の匂いしかしないもん」

「ちくしょうっ! まさか、さっきのおばさんに通報とかされてないだろうな?」

「大丈夫だと思うよ。そんなことしたら、さっき真人が払ったお金も公安に没収されるかもしれないし。報奨金がもらえるわけでもないのに、そんな勿体ないことはしないでしょ」

「それもそうか。この宿屋っていうか、この町の財政自体が相当危なそうだもんな。面倒だから一応は言われた額通り払ったけど、どう考えても吹っ掛けられてたし」ぼろぼろの筵を一つ敷いただけ、暖簾で隣りの部屋と仕切っただけの、あまりと言えばあまりにもお粗末な個室。ランプの言葉に真人が同調してしまうのも無理はない。「あの砂埃の中で野宿するよりマシだろうけど。トイレは外に掘った穴。で、当然ながら風呂もなし、か。俺は慣れてるからいいけど、お前は大丈夫か? って、お前のこれまでについて、俺はまったく知らないんだけどさ」

「大丈夫だよ。元々、どっちも必要ないしね。食べた物は完全に吸収されるからおトイレなんて行かないし、身体はそもそも汚れないからお風呂も入らないの」

「都合の良い体だな。やっぱ、魔人だからか?」

「そう、魔人だから。正確には、汚れてもすぐ元通りになるってだけなんだけどね。わたし自身だけじゃなく、この服も」

 真人とランプを見比べれば、彼女の言っていることの真実性は瞭然。真人の方は、掻けば幾らでもフケと砂が零れ落ちそうな油ぎとぎとの頭で、汗と血で砂が引っ付いてわけのわからない色合いになったシャツ、といった風体。対してランプの真っ白な服は、多少の砂が乗っかってはいるものの、(はた)いてしまえばそれで落ちてしまいそうな程度であり、汚れているとは言い難い。髪も肌も艶やかなものである。

「便利だな。でも、風呂は汚れを落とすだけのもんじゃないからな。明日、銭湯か温泉でも探そう。都市の近くまで行きゃあ、俺らを変な目で見る奴もだいぶ減るだろ。国籍の違う義兄妹なんて、そこまで珍しいもんじゃないし。特に最近は」

 如何に魔人と言えども、見てくれは人間と寸分変わらぬランプ。加えて、やたらと気品あふれる格好をしているのだから、真人も自然と気を遣ってしまう。第一、幾ら本人が大丈夫だと言っても、風呂にぐらい浸からせて、身体を洗わせてやりたいと思うのが人情である。仮にも彼女は女の子なのだから。

「気持ちはとっても嬉しいけど、無駄な出費が増えるだけだと思うよ?」

 遠慮がちな。しかし期待は込められた上目遣いは、却って真人の心を打つ。

「無駄なんて思ってないから気にすんな。どうせ頼みたい願いも当分は思いつかないし、しばらくは二人で旅を続ければいいじゃんか。その間、お前には飯も食わせず風呂にも入れさせずじゃあ、こっちの気が重くなってくるんだよ」

「ふ、ふうん。わたしは別に、マサトがそれでいいなら、構わないけど」

 言われなければ気付かない程度に顔を紅潮させてランプは答えた。

「なら、決まりだな。しっかし。やっぱり、少なくとも見た目は童女って奴を連れ回すのは問題ある気がするな……。あ、そういえば。お前、変身出来るんだったよな? 人前に出る時だけでも大人の姿になれないか?」

如何にも『いいこと思いついた』という風に言う真人であったが、

「言い忘れてたけど、わたしが魔法を使えるのは『主人の願いを叶える過程に必要と判断された時』だけだよ。でないと、実質的には無限に願い事を叶えられちゃうことになりかねないから。同じ理由で、『永久に~』とか『ずっと~』って願いは、それ自体が禁止事項だから『ずっと変身させておく』っていうのもダメなの」

 彼の発案はあっさり霧消した。

「なんだ、いい案だと思ったんだけどな。まあ、いいや。ちょっと早いけど、今日はもう寝るか……って、勝手にここまで話を進めてたけど。もしかしてお前、寝る必要もないのか?」

「絶対に必要ってわけじゃないけど、睡眠ぐらいなら取るよ。ずっと起きっ放しだと、精神的にも参っちゃうしね」

「んじゃ、問題ないか。この辺りは夜になると涼しいからいいな」

 狭い筵の上。互いに体を丸め、ランプは真人の腹に顔を埋める形で、さながら太極図のような構図で二人は眠りの姿勢についたが、

「……汗臭い」

「仕方ないだろ、我慢してくれ」

 快適な眠りとは程遠いようである。


 日付が変わってから三時間後、熟睡していた真人たちは、

「出来,日本人!」

ドスの効いた男の声で起こされた。

「えっ、なになに!?」

 跳ね起きるや否や。冷静を欠いたランプが、これまでになく高い声を発して動揺する。

他方、真人は大体の事情を察し、落ち着いた声でランプに言う。

「俺を呼んでるみたいだな。ちょっと行ってくる。お前はここにいて、ヤバくなったらどっかに瞬間移動しろ(逃げろ)。そん時は、それが二つ目の願いで構わないから。いいな?」

「う、うん。わかった。でも大丈夫? なんか、物凄く恐い声な気がするんだけど」

「絶対に大丈夫とは言い切れないな。多分、強盗か盗賊だ」

「え――」

 あっさりと言い放った一言に固まってしまったランプに背を向け、真人は部屋を後にした。


「うわ、なんつう時代錯誤な」

 外に出た真人の目に映ったのは四人組の男。内、二人の手には青龍刀が。一人の手には猪狩りにでも用いられそうな猟銃が握られていた。残りの一人は、赤々と燃える火のついた松明を掲げている。

――盗賊か? にしちゃあ、ずいぶんと数が少ないみたいだけど。……それにしても。

 銃を持った男が真人に向かって早口で何かをまくし立てている。が。

「訛りが強すぎて何を言ってるのかほとんど分からん。讲普通话[共通語で話せ]」

 母国語としての話者が世界で最も多いとされる中国語であるが、実際に十三億人の人間がネイティヴに話す〝中国語〟というものは存在しないと言って過言ではない。方言どうしの差があまりにも大きいのだ。日本語で言うところの標準語と関西語の差異とは比較にならず、もはや別々の言語と化している事態も珍しくない。だからこそ〝普通话[プートンホア]〟という、いわゆる共通語があるのだが。四人の男達の誰もそれを使えないのか、相変わらず真人には断片的にしか分からない言葉を浴びせ続けている。しかし、その断片的な情報から、彼らの狙いが自分やランプにあることだけは真人にも分かった。 

――俺の鞄とランプの服が目立ち過ぎたか。多分、昼間っから尾けてやがったんだな。にしても、そんな気配は微塵も感じなかったのに。ランプがいたから勘が鈍ってたのか?

 真人が自分の迂闊さを呪っていると、一向に意思疎通がままならないことに痺れを切らしたのか、とうとう青龍刀を持った男の内の一人が真人に向かって走り出した。

 元々僅かしかなかった二者間の距離は瞬く間に狭まり――男の身体は弾き飛ばされた。

白目を剥き、口から泡を吹き出し、顎の砕けた一人の男が、残り三人の後方に〝素手〟で倒れていた。

涼しい顔をして無傷の真人が、青龍刀を右手に持って、男が走り出す前と寸分違わぬ場所に立っていた。

「武道家が喧嘩(・・)で盗人に負けるわけにはいかないよな」

 仲間の無惨を目の当たりにして愕然としている男たちをよそに、静かな口調でそう言い放った真人は、折角奪った得物を邪魔だとばかりに地面に突き立て、構えを取る。

「アアアアアォー!!」

叫びながら、もう一人の青龍刀男が半ば自棄になって駆け出した。

「死吧[死ね]!」

 自分の持っている武器が〝斬る〟ための道具であることも忘れているのか。男は、真人の頭をかち割らんとして、青龍刀を真っ直ぐに振り上げ、振り下ろした。

 粗雑な男の動きに対し、真人の動きはひどく静かだった。彼は、自分の頭を狙って降りてくる巨大な刃を、右手の五本指で挟み込むように受け止めた――事もなげに。刃は彼の手のひらまでも届かず静止する。

「ギギギギッッっ!」

 男がどれだけ力を込めても、刀はびくとも動かない。必死な形相の彼をよそに、真人は涼しい顔で、そっと右腕を振り上げた。同時に青龍刀も持ち上がり、その柄を握っている男の身体も連動して浮上した。

「ひぁっ」

 故意か、咄嗟の反応か、或いは完全な無意識の反射か。男は慌てて柄から手を放し、地面に落ちて尻もちを着いた。武器も戦意も奪われ、唖然と自分を見つめる男の頭に、

「ふんっ」

真人の脚が振り下ろされた(形としては踵落としであったが、男の頭部に直撃したのは真人の踵ではなく脹脛であった)。争人(あらじん)流奥義『落斧脚(らくぶきゃく)』。男は言葉を発する間もなくうつ伏せに倒れ、真人は取り上げた得物をまたも地面に突き立てた。

「まともに扱えもしない武器を護身目的以外で使うなよな」

盗人たちにとってはさながら悪夢。手を出す相手を間違えたのだと、悟らざるを得ない状況にあった。武道家とは、道を究めれば一個人が国家レベルの軍事力に及び勝る存在。全武道家たちを見渡せば特別に抜きんでた強さを持つわけではない真人でも、常人から見れば十二分に超人の域。多少の荒事に慣れている程度ではどうにもならない。勝負は最初から決していた。

「ウウッ」場で唯一の銃器を持った男の脚が竦んでいる。真人はそれを静かに見ている。「ウウウ、ア、アア!!」

 無言の重圧に耐え切れなくなった男が発砲する。真っ直ぐに突き進む弾を、真人は、

「ん」

目の前の蚊を殺すような気軽さで叩き潰した。

それを見た銃器の男は、真人が直接何かをするより前に、一人で勝手に気絶した。

 残ったのは松明の男一人。目に見える武器を持っているわけでもない男。だが、ここに来て真人は一番の緊張感を見せる。

――火はやばいかもな。

 彼が危惧していたのは、自棄になった男が町に火を放つこと。真人も、町につけられた火を消すような(すべ)は持ち合わせていない。出来ることがあるとすれば、江戸時代の火消しよろしくに、余所へ燃え移る前に火のついた家を破壊することぐらいである。

 言葉の通じない相手には交渉も不可能。兎にも角にも、まず火を奪うことが先決だと、真人は頭の中で『最高速度で移動しつつ、相手や自分の服に火が触れないように男から松明を奪う』イメージを創り出す。そしていざ実行に移ろうとしたその時、男が松明の火を消した。

「?」

 人間の頭部大の火を一息で吹き消した男の肺活量よりなにより、行動そのものの意味が分からず、真人は動けなくなる。そんな彼を置き去りに、男は続いて、火の消えた元・松明(棒切れ)を投げ捨て、天を仰ぐように頭上高く左腕を突き上げた。右腕は身体の前方に突き出され、挑発的に掌を返している。

――この構え、空気、匂い。素人なんかじゃないっ。

 真人の目が一層険しくなる。盗人を狩る(・・)だけだった顔が、武道家と闘う(・・)顔になる。

星と月の光だけに照らし出された夜の世界。対峙する二人の武道家。

先に動いたのは松明を捨てた男であった。突き出した右腕を振り上げると同時に、突き上げた左腕を振り下ろし、両腕の位置が逆転すると、今度は右腕を振り下げながら左腕を振り上げる。そんな動作を繰り返しながら、真人に走り寄って行く。一見、ただがむしゃらに腕を振り回しながら騒いでいるだけの子どもじみた動き。しかし、真人は男の動きの正体が何であるかを一瞬の内に把握した。

劈掛拳ひかけんか……っ! ぐっ」

 真人の想像を超える速度で迫って来た男の振り上げた右腕が、真人の眼前を掠めた。真人は咄嗟に右へ数メートル跳躍し、し終えてからやや後悔した。

――しまった。あそこで捕まえといた方がよかったか?

 男は一度動きを止め、向きを変え、構え直し、なおも真人に向かって来ようとしている。真人は逃げる素振りも見せずに、その場から動こうとしない。

『劈掛拳』は、自らの腕を風車の如く振り回して相手を打つ、完全に遠距離攻撃を意識した武術。本来、真正面から攻めるようなものではない。片方の腕でも相手に掴まれれば、その瞬間に生じる隙が大きすぎるからである。体側、背後という隙を狙った連続攻撃によって、更なる隙を作り出した後、別の武術で接近戦に移るのが常套。だが。まったく身動きしない相手には正面から攻める他に方法がない。回り込もうとしても、相手に身体の向きを変えられてしまうだけなのだから。無論、劈掛拳を使う側の方が相手より素早く動ければまだ芽はあるが、男は既に『この小僧には、動きでは勝てない』と悟っていた。故に、危険を冒してでも正面から向かって行かなければならなかった。それが真人の狙いだと分かっていても、である。

特に決まった形を持つわけではないが圧倒的に近接戦闘を得意とする『無形格闘』争人(あらじん)流の使い手である真人にとって、遠距離戦闘が主体の劈掛拳使いは相性の悪い相手と言える。

とはいえ。弱点ならまだしも、相性の問題ならば……それなりに二者の実力差が近くなければ意味を為さない。

「ノロ過ぎ」

 無防備に近付くしかなかった男は両腕(・・)を容易く真人に捉えられ、そのまま上方へと投げ飛ばされた。

「――――ッッ!!」

受け身こそとり損なったものの、流石に先の三人とは違い、男はすぐさま立ち上がって態勢を立て直した。が、いつの間にか彼の目の前に立っていた真人が、

「とうっ」

 一撃の拳骨で彼の意識を飛ばした。

 闘うために学んだわけではない。ただ殴るためだけに会得した劈掛拳。それも、まさしくやり方を学んだだけで、修行と言える期間をほとんど持たなかった男。彼は、年齢こそ真人を大きく上回っていたものの、武道家としての人生は真人より圧倒的に短く、そして薄かった。


 三人の盗人を返り討ちにした真人は、文字通り一息つき、彼らの全身を衣服の上からぺたぺたと触る。探る。

――他に武器はなし、か。えらくお粗末な連中だったな。

とにかく。確かめたかったことを確かめ終えた真人は、彼らを縛る物を取るために、宿の部屋へ戻ろうとした。が、そんな彼の目に、その宿の入り口から顔だけを出し、真人の方を恐る恐る見つめている女の子の姿が入った。

――ランプ? まさか、ずっとそこで見てたのか?

 どことなく気まずそうな、加えて不機嫌そうな顔を浮かべて、真人はランプの直前にまで近付いて行き、口を開いた。

「お前なあ……いや、この話は後でいいや。まずはロープを持ってきてくれ。俺の鞄の中にあったはずだから」

「え、あ、うん。わ、わかったよ」

 真人の表情からその感情を読み取ったランプは大人しく彼に従い、宿泊していた部屋に引き返して行った。駆け足で。それから三十秒としない内に、伸ばせば長さにして四十メートルはある麻のロープを携えて、再び真人の元へ戻って来た。

「あのう。は、はい」

「ん。サンキュ」

 ランプが差し出したロープを受け取った真人は、目下失神中の男たちの両手両足をそれぞれ縛っていく。手慣れた様子で、黙々と。ランプはその様子を無言のまま観察している。必然的に訪れる静かな時間。

三人目の男をようやっと縛り終えた真人が立ち上がったところで、遂に意を決したランプが彼に話し掛けた。

「この人たち、何だったの?」

「さあな。盗賊に見えなくもないけど、それにしちゃあ武装が貧相だし。何より、数が少な過ぎる。突発的な強盗ってわけでもないだろうな。それだと逆に武装が大袈裟すぎるし」

「じゃあ、結局よく分からないってこと? でも、どうしてわざわざこんな夜中に……。尾行してたんなら、その時に襲えばよかったんじゃあ……」

「実際に俺たちを尾けてたのは一人だけだったんじゃないか? 四人もぞろぞろ尾いてきてたら、流石に俺かお前のどっちかは気付いてただろうし。俺たちがここに泊まるのを確認してから仲間を呼んできたってとこだろうな」

「ああ、なあるほど!」

 推理とも言えぬごくごく単純な真人の推測に、ランプはわざと大仰な反応を示した。未だ晴れぬ真人の不機嫌さを払拭、或いは誤魔化そうとしてのことであったが、

「んなことより、ランプ!」徒労であった。「なんで言うことを聞かないんだ! 部屋から動くなって言っただろ。幾ら瞬間移動(魔法)が使えるからって、そんな暇もなくやられてたらどうするつもりだったんだよ!」

 冗談めかした様子は微塵もなく、疑う余地もなしに本気だと思い知らされる強い口調で発せられた真人の言葉には鬼気迫るものがあった。ランプの頬は痙攣したかのように震え始め、涙袋にはじわじわと涙が溜まっていく。

「ご、ごめ、なさ……。ひくっ、うぐっ。しん、ぱい……だったから…………っ」

 怒られたことそれ自体よりも、突然大声で叱責されたことに対する動転で、小さな魔人はとうとう泣きじゃくり出してしまう。両手を使って必死に涙を拭いながらわんわんと泣くその姿からは、幼いながらも恥じらいを覚え始めたような少女らしさが垣間見えた。

 そんな様子を見た真人は大きく嘆息し、ランプの傍に歩み寄ってしゃがみ込んだ。そのまま左手で彼女の身体を抱き寄せ、右手を彼女の頭上に掲げる。

「っ!」

 突然の抱擁に身も心も強張らせたランプは、きゅっと目を瞑り、両手を握り拳(グー)にして口元に当てた。拳骨を待つ子どものように。だが、彼女の頭に触れた真人の右手は拳になっていなかった。開いたままの掌で、赤ん坊をあやす時にそのお腹を撫でるような優しさで、真人はランプの頭を二、三度叩く。

「分かったんなら、それでいいんだよ。もう怒ってないから、そんなにびくつくなって。ろくに説明しなかった俺も悪かったよ。心配してくれてありがとうな」

「ううぐっ、ううっ……ひくっ、うみうっ」

「ったく、なにも泣かなくたっていいじゃんか。見た目はそんなんでも、俺の何倍も何十倍も生きてるんだろ? 魔人っていうぐらいなんだから」

少しずつ落ち着きを取り戻しつつあったが未だに肩を震わせている魔人を宥めながら、真人は密かに気になっていたことをそれとなく訊いてみた。が、帰ってきた答えは彼にとって予想外のものであった。

「う、ううん。……ひっく。生まれたのは二千年ぐらい前だけど。意識があるのは、器の外に居る時だけなの。ひっく。その間は、身体も人間と同じように成長するの。ずっと変わらないのは、この髪型ぐらい。だから、うっく、精神的には見た目相応なんだよ」

「なんだ、そうなのか」

 つまり。ランプという魔人は二千年近くも〝存在〟しているが、〝生きている〟のはたかだか六年やそこらということ。確かに。夢も見ず、まったくの意識がないままでいる状態を〝生きている〟と表現するのは無理がある。

SF小説によく見られる〝冷凍睡眠から目覚めた人間〟を例に考えれば理解は早い。目覚めた時点での彼らの年齢は〝眠りに入った時点の年齢足すことの眠っていた期間〟と言えるか。事実としてはそうだろう。戸籍上もそうかもしれない。だがその〝精神〟や〝経験則〟は、確かに眠った時の年齢のまま凍っているはずだ。例えば、十歳で冷凍睡眠に入った人間が、百年後に目覚めた先で、まっとうな六十歳の老人を年下だと見なせるかどうか。百十歳と言えるかどうか。答えは明白だ。逆もまた然り。

「じゃあ、お前まだ本当に子どもなんだな。子どもっぽい、ってだけじゃなくって」

「うん、そうだよ。ごめんなさい」

「いや、そこは謝るところじゃないだろ」

 真人が、中身は子どもじゃないと思っていたからこその恫喝でランプを委縮させ過ぎたことを後悔していると、暗闇の向こう――真人から見て、ちょうどランプを挟んだ向こう側――から、一人の男、老人が現れた。まず視覚で真人が、続いて聴覚でランプが、数コンマの差で彼の存在に気付く。真人はランプを抱き寄せたまま男を睨みつけた。

「ま、待ちなさい! 私はこいつらの仲間じゃないぞ! ここの長老みたいなものだ」

――……うん、敵意も悪意も感じないし。大丈夫か。

慌てて釈明しようとする男の様子に、ある程度の警戒心を解いた真人は、より話をし易いように、彼と目線の高さを合わせるために立ち上がった。顔つきを見るに、悠に八十を超えているであろう男は、しかしまったく腰が曲がっておらず、身長一八四センチの真人と並んでもほとんど背丈が変わらなかった。

男が日本語で話し掛けてきたことから、真人も日本語で応対する。

「すみません、長老さん。夜中に騒ぎを起こしてしまいまして。俺みたいなもんが泊まったばっかりに、この町にも危険を……」

「いやいや、気にしなくて結構。感謝しているのです。これで私たちも、ようやく安心出来るのですから。礼を言いに来たのです」深々と頭を下げようとする真人を制止し、男は事情を説明し始める。「以前、この町の近くには四十人の仲間から成る盗賊団がいたのですが、その内のほとんどが、ふらりとやって来た一人の男に、一夜にして捕まってしまいましたのです。こいつらは、その残党なんですよ」

「ふらりとやって来た一人の男?」

 言って。真人は怪訝な表情になる。警察でも敵対組織でもないたった一人の男が、四十マイナス四イコール三十六人の強盗団を一夜にして捕える。そんな無茶苦茶なことをやってのけることの出来る人間を、真人は幾らでも知っている。自分だってその一人だ。しかし、それだけの力がありながら、わざわざ残党を放ったらかしにするような半端者となれば――。

「そう言えば、あなたはその時の男によく似ております。顔も声も、あと二十年もすれば瓜二つになりそうだ。彼も日本人だったからか」

 ほとんど決定打であった。続く真人の質問は確認のようなもの。

「名前とか聞いてませんかね? その男の」

「名前? おお! 勿論、聞きましたよ」

「差し支えなければ教えて欲しいんですが」

「サシツカェ?」

「あー……、えっと」どれほど流暢に日本語を話そうとも、この老人は日本人ではないのだということを思い出した真人は、〝差し支え〟という言葉をどういう風に言い換えるべきか迷った挙句、「問題がなければ」と変換した。

「ううむ。口止めされたわけでもないので、いいでしょう。彼は自分のことをこう名乗りました。〝シンゴ〟と」

「やっぱりかよ!」電話帳をぱらぱらと捲れば幾人も見つけることの出来る、ごくありふれたその名前こそ、真人が期待していた――いや、期待していなかった名前であった。「あのすちゃらか親父だけは相っ変わらずだな! 手ぇ出したからには最後まで面倒見ろってんだ。余計な禍根残しやがった結果がこの有様かよ! それでも警察官か、っての!」

 ひととおり叫び終えてから頭を抱えて嘆息した真人に、長老とランプが声をかける。

「親父ということは、つまり、あの男はあなたの父親というわけですか?」

「ええ、そうです」

 真人は答える。

「しかも警察官ですって? あの男が?」

「はい、一応。もちろん、真っ当な警察官じゃないんですが。『国際武道警察官』、つまり『武道官』なんですよ、あれでも」

「なんと、武道官! そうだったのですか! あいやあ、それは知りませんでした。盗賊団を縛り上げてからは『あとは近くの警察に任せといて下さいな』なんて言ったものですから。まさか彼自身が警察官だなんて夢にも思いませんでしたよ」

「うわあ、目に浮かびますよ、その光景」そう言いながら苦笑いを浮かべる真人。そんな彼のズボンの裾を、ランプが引っ張る。「お、どうした?」

「『こくさいぶどうけいさつかん』ってなに?」

「何って……なんだ、そういうことは知らないのか。まんまだよ。武道家たちによる国際的な警察組織。それ以上は説明のしようがない」恐ろしく簡潔に、真人は答えた。武道への一途さだけではなく、適当さや面倒くさがり屋な面も、彼はしっかりと父から受け継いでいるのかもしれない。「とりあえず変な警察なんだよ。そう覚えときゃいい」

「変でも何でも、警察官なんでしょ? それなのに、自分の子を捨てたんだ」

「だから捨てられてないっつうんだよ!」

「え、捨て……す、すみません。そんな事情はまったく知らなかったもので」

 驚愕して罰悪そうな表情で謝罪する長老を、真人は。

「ああ、気にしないでください。本当に、捨てられたってわけじゃありませんから。それにしても長老さん、日本語が上手ですね」

 真人は、自分が作り出してしまった妙な雰囲気を打ち破るべく、普段通りの口調に戻し、本当は特別気にもなっていないことを、如何にも興味深げに訊ねた。

「まあの。若い頃は日本に出稼ぎに出ていたからのう」

彼の意図を察した長老は大人の対応として、にこやかな笑顔で応じる。

「へええ! 日本にいたんですか! たこ焼き食べたことありますか?」

 ランプはまったくもって邪気のない子どもっぽい質問をする。長老は彼女に「あるよ。あれはおいしかった。しかし私はお好み焼きの方がもっと好きだな」と笑顔で答え、そのまま和やかな雑談が始まらなかった。

 がやがやと、そちこちの家屋から住民が姿を現し出す。彼らは皆一様に、寝間着と思しき衣服を身に纏っている。よくよく見れば長老の格好も似たようなものである。

「……失礼」

 言って。長老は彼らの元へと歩み寄って行く。住民達の内、見目五十歳前後の男が長老に何かを訴えかけている。ひそひそ話に近いものであったが、猫並みの聴力を持つ真人の耳にはすべてが聞こえていた。が、恐らくは盗賊達が使っていたものと同じと思われる方言で話していたので、意味内容までも百パーセント理解出来るには至らなかった。それでも、彼らが真人達を疎んでいるということは十二分に分かった。

聴力は普通の人間と変わらないランプにはそもそも彼らのやり取りが聞こえていなかったが、醸し出されている雰囲気から、明らかに好意的ではないものを感じ取っていた。

「行くか、ランプ」

「……そだね」

「ちょっとだけここで待ってろ。荷物だけ急いで取って来る」

真人は気配を完全に消し去って、住民達の側を走り過ぎて宿屋へ入り、そそくさと荷物を抱えてそこから出、再び彼らの横を過ぎ去った。そのままランプの元に戻って来る。一連の動作には一秒と掛かっていない。住民達は誰一人として真人の行動に気付かなかった。

「行くぞ」

「うん」

 まだ真っ暗な夜闇の中、二人は集落を後にして歩き出した。


「やっぱり負ぶってやるから背中で寝ろよ。まだ眠いだろ?」

「ん、大丈夫だよ、大丈……ふ、ふああぁあ。むにゅ」

 おぼつかない足取りで、何度も大きく欠伸をしながらも強がって歩くランプに、真人は苦笑した。今や彼の心の内に、ランプを叱ったことへの後悔はなかった。ほんのちょっとしたことで、もしかすれば一時的なものですらあるかもしれないが、とにかくランプが成長してくれたことを嬉しく思っていたのだ。親心にも似た感触で。

 その後も、ランプが自分から負んぶをせがむことはなかったが、一度彼女が躓いて転びそうになったのを受け、とうとう真人が負んぶを強行した。彼の背中の上で、ランプはすぐに寝息を立て始めた。

彼女を起こさないよう、なるべくゆっくりと歩いた真人が目的地に着いたのは、太陽が頭を覗かせ始めた頃であった。件の目的地たる街には、海外からの観光客向けに建てられたホテルが幾つか在った。すぐさまその内の一つ――世界的に名の知れたグループのホテル――に入った真人は、滞りなく部屋を取ることに成功した。彼にとって何より有り難かったのは、夜も明けきらぬ内から、しかも予約客でもない自分を、快く受け入れてくれたホテルの対応であった。眠ったままの女の子を背負ったまま、ぼろぼろ且つ汚れ切った服を着た自分が、まともなホテルで部屋など取れるのだろうかという一抹の不安もあったが、それすら彼の杞憂に終わった。

――この場合、〝いい加減〟なのか〝懐が深い〟のか、どっちなんだろうな。

 エレベーターの『昇』ボタンを押しながら、真人はそんなことを考えていた。


 地上七階。カードキー。真っ白な壁紙に覆われた清潔な室内。皺一つないダブルベッド。読書灯の付いたデスク。風呂(トイレ同室)。冷蔵庫。テレビ。各部屋備え付けのランドリー。

――……二日の内にここまで極端に違う宿を取ったのは初めてかもな。野宿を除けば。

 部屋に着いた真人の感想はそれであった。ベッドの上――更には掛け布団の上――にランプを慎重に降ろし、続いてロングボストンの鞄を床に置く。

「流石にこのままじゃ、ベッドの上には寝れないか」砂にまみれた自分の頭と衣服を再確認して呟き、ランプを一瞥して、「こんだけよく眠ってりゃ、シャワーの音ぐらいじゃ起きないよな」そう自分に言い聞かせ、真人は風呂場へと入っていった。


   ◇


 時間は少し遡り、真人とランプが集落を出た直後。その集落近くに、黒衣の男が一人。

「唆した盗賊どもはまるで役に立たんかったか。折角、気配まで消してやったというのに。それにしても、武道家か。なるほど、恐ろしい相手だ。しかし、やはり奴では宝の持ち腐れ。魔人(あれ)は元々、我々に使われてこそ価値ある物だ」

 不穏な風が、男の足元で砂を舞わせていた。


   ◇


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