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争人  作者: 直弥
第二話「茉莉花」
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その6

先に仕掛けたのは真人。構えも取らず直立姿勢のまま、右拳を振り上げる。

「そっ!」

 そっちの手? とでも言いたかったのだろう。真っ直ぐに顎を突かれた蜂一郎の身体がよろめく。真人としては珍しく、意識した上で相手の意表を突いたが、

「いっっっ」

彼もまた顔を歪ませて声を出す。火傷、構えなし、予備動作なし。勢いを殺されに殺された拳では、蜂一郎の超強固な骨に力負けする。真人の右腕全体を強烈な痺れが襲っていた。連続した攻撃に移る余裕など失われ、代わりに、よろめきついでに繰り出された蜂一郎の蹴りを脇腹に喰らって、真人の身体は吹き飛ばされる。彼は、自身の身の丈以上の距離を後方まで浮遊してから、畳に背を着かせた。

「あ」

茉莉花は小さく声を洩らしたが、果たして何に対してどういう感情で出した声なのか、彼女自身にも分からなかった。分かるより先に、二人の戦闘は再開していたのだから。

天井高くまで跳び上がった蜂一郎が、未だ仰向けに倒れる真人目掛けて急降下を仕掛けていた。ミサイルのようなその攻撃は、しかしミサイルがこの世界に誕生するよりも古くから存在する。蜂集花流奥義『(はち)(すがり)』。

「っ!!」蜂一郎の爪先を瞳に映した真人は咄嗟に左手に転がって、間一髪で攻撃をかわした。蜂一郎の足が畳にずっぽりと突き刺さる。「ちょっと! いきなりそれはやり過ぎでしょ! 殺す気満々じゃないっすか!」

 急いで立ち上がりながら叫んだ真人に、蜂一郎は、

「真剣勝負で手は抜けんだろ」足を抜きながら、平然として言う。「心配するな。手は抜かんが、力は加減してる。死にはせんよ」

「死ななきゃまあオッケーみたいな発想はそろそろ卒業してくださいよ!」十年前と何一つ変わっていない蜂一郎に呆れながらも何処か安心し、真人は駆ける。「ふうっ!」

摩擦で畳が焦げるほどに軸足を回転させて放った真人の蹴りは、

「むっ」

 あっさりと蜂一郎の左手の甲に阻まれる。

――ちくしょうっ。シャンカの腹なんかよりずっと硬い!

 ならばと。真人は、蜂一郎の左手を強引に足場とし、さっきと軸足を交換して、蜂一郎の顔面に蹴りを入れる。

「つっ!」

自分で定めた条件上、たとえ反応が間に合ったとしても右手を使えない蜂一郎は、真人の蹴りをモロに受けた。今度はただよろめくだけでなく、僅かながら浮かび上がって後方へと飛ばされる。

無事に着地した真人はその隙を逃さず、蜂一郎の顎を――今度は左腕で――殴り上げる。

「がっ」

 次に左肘で頭から突き落とす。

「んっっ」

 最後にトドメの蹴りを入れ、『天地昇』は完成、しなかった。真人の脚は空を蹴る。

「!?」

 茉莉花やランプには心底意味不明だったのであろう。突然に蜂一郎の姿が消えたとしか認識出来ていない。二人はあちこち視線を泳がせ、蜂一郎の姿を探していた。だが真人は迷いなく身体を捻り、背と腹の位置を入れ替え、寸刻前までの自分の背後を見ていた。

蜂一郎はそこにいた。

「お。これぐらいならもう、目で追えるのか」

言葉の端だけを拾えば余裕すら感じられる蜂一郎の言であったが、彼なりに驚嘆はしていた。真人の成長ぶりに。目を見張るものだとすら感じていた。だが同時に。目では追えても、身体がまだ追っつけていかないか、という感想も抱いていた。それは真人自身も同様で、彼は、

「目で追えるだけじゃ、意味ないじゃないっすか」

と愚痴る。確かにな、と蜂一郎は笑った。

拳で相手の顎を突き上げる『天』、その拳を作った腕の肘を相手の頭に突き落す『地』。この二つの攻撃の間に隙はない。しかし『地』と『昇』の間には、足を振り上げるまでの一拍の隙が生じる。『天地、昇』。その〝、(隙)〟が、蜂一郎にとっては充分過ぎる余裕を与えていた。

――駄目だ! 速過ぎる! こっちが足振り上げようとしてる間には、もう回避行動起こしてるんだもんな。幾ら見えてても、当たらなきゃ意味ないのに……!

 地団駄を踏みたくなるような悔しさを覚えながらも、真人は血走った眼で蜂一郎を注視している。今や彼は、当てるよりかわすこと、隙を探すより姿を見失わないことが先決であることを理解していた。かと言って。攻撃を当てなければ勝てないし、当てるためには隙を見つけなくてはならない。隙でもないのに強引に攻撃して通るような相手でもないことは、真人とて百も承知。魔法使いにも通用した力ずくが、蜂一郎には通用しない。

――なら、アレしかないよな。

真人が攻撃の手立てを思い付くと同時に、蜂一郎の反撃も始まっていた。

両の足で地を強く蹴り、真人に向かい突貫する蜂一郎。弓道家の放った矢の如く精確無比で俊敏な動き――下が畳でなければ、更に速度が出ていただろう。目一杯に伸ばされた左腕の先端は拳。コンマ一秒掛けずに到達したその拳を、真人は受けるでもなく払うでもなく、しゃがんでかわし、蜂一郎の身体が到達する瞬間を待った。そして。

「っらあ!」

ここぞというタイミングを計り、――奥義でも何でもない――アッパーカットを繰り出した。完璧なまでの間を掴んだカウンターアタックに、手応えはなかった。蜂一郎の姿は真人の眼前で消えていた。

 ――なっ、また!?

 真人がそう感じたのも無理はなかったが、彼は〝また〟ではなかったことにすぐに気付いた。何故なら今度は、真人にも、本当に蜂一郎が消えたとしか思えなかった。思った直後、思い出す。蜂一郎が『蜂蜂』と同様に得意とした技の名を。

――『蜉蝣(かげろう)蜻蛉(とんぼ)』……!!

 気付いた時にはもう遅い。陽炎のように揺らめきながら、真人の背後で立ち上がった蜂一郎は、渾身まで振りかざした左拳を真人の後頭部に叩き付けた。真人の身体は、頭部を先頭にして真っ直ぐに飛んでいく。さながら、投擲されたハンマーのように。

 蜂集花流奥義『蜉蝣蜻蛉』――魔法も道具も一切使わず、相手に残像を見せるという人間離れした所業、忍術。真人渾身のアッパーカットは、蜂一郎にかすりもしていない。

「っっっっっっっっ!!」壁に激突する寸でで踏みとどまった真人は、踵を返し、激しく咳き込んで、えづきながら蜂一郎に向かって叫ぶ。「ど、どこで、がはっ! 残像と入れ替わったんすか。ぇふっ! がふっ! そ、そんな隙、なかったはずなのに……!」

「相手に隙だと思われたら、それはもう隙じゃないんだよ」

 なるほどもっともだ。と、不覚ながら感心してしまった真人は、未だがんがんと揺れを感じる頭の中で、次なる攻撃の手立てを考え始めていた。

しかし、考えれば考えるほどに穴が露見する。

そもそも。まともに実体を捉えることすら出来ない相手に、どうすれば試合を決めるほどの一撃を浴びせられるというのか。考えて闘うなんて、やはり自分には無理なのか? そういった諦めの思いすら生じ、絶望感すら味わい始めていた。

「どうしたんだ? もうやめるのか。諦めるのか」

「違います! 諦めるわけないじゃないっすか!」

 それは、思考する暇もなく反射的に真人の口を突いて出た返答であったが、その返答によって、彼はこの闘いの意味と意義を思い出す。

 魔法使いとの闘いは絶対に負けられないものであった。しかしこの闘いは負けてもいい闘い。そう。究極的には負けてもいいのだ。勝ちか負けかだけで結果の決まる類のものではないのだから。だが、諦めるのは――諦めることだけは許されていない。諦めは茉莉花への、蜂一郎への、花梨花への、そして自分への侮辱であるし、何よりも、十数年分の自分の想いへの侮辱となる。そう言った意味では、諦めだけが真の敗北となる闘い。

 そんな闘いの渦中にいながら、ただ見守ることしか許されていない茉莉花は、強い歯がゆさを感じていた。鈍痛に顔を歪ませる真人の姿に胸を痛め、彼の脚が僅かに震えていることに気付いた瞬間には、今にも立ち上がってしまいそうになる。この闘いを止めることが、真人の気持ちを踏みにじることになるのは、彼女も分かっている。だが。たとえ踏みにじってでも――。

 そんな茉莉花をぎりぎりのところで押し留めていたものは、彼女の裾野をぎゅっと握り締め、下唇を噛んでいるランプであった。幾つもの殺し合いを目の当たりにしてきたはずの彼女も、敬愛するものが痛む姿には慣れていなかった。

「これじゃあまるで俺が悪者みたいだな」

「え? なんすか?」

「いいや、なんでもない。そんなことよりも。諦めないというのなら、言葉だけでなく態度で示さないと。ただ突っ立ているだけなら一歳児にでも出来るぞ」

 嘘だった。真人の足の震えに気付いている蜂一郎は、今なお立ち続けている彼に称賛を贈りたいとさえ思っていた。真人のハンデが火傷だけでないことに気付いたから。

 ――旅先で何があったのか詳しくは知らんが……少なくともここ数日は並みの数日じゃなかったみたいだな。疲労が溜まりに溜まっているようだ。こんなことなら、今日一日ぐらいは休ませた方がよかったか。

 焦って試合を申し込んだことに、蜂一郎もやや悔恨の念を抱いていたが、すべては今更。

 蜂一郎の言葉の裏を読み取ったわけではなかろうが、奮起した真人は、棒立ちから構えの姿勢に切り替える。疲労困憊による足の震えも強引に止めて。

 向い合う二人。彼らが義親子となれるかどうかを決する闘いは、まだ終わっていない。

 真人は構えを取ったまま目を閉じる。それを訝しがる者はランプのみ。

蜂一郎と茉莉花。彼ら親子は、真人の意図を理解していた。目でも追えなくなった相手に対応するには、勘と感覚に頼るしかない。今や己の視覚は嘘の情報を垂れ流す刺客であり、故に死角なのだから、厄介でしかない。それに。最初から目を閉じていれば、見失う心配もない。

「!」

暗闇の中。空気の流れと勘だけで攻撃の気配を感じ取った真人が、上体を大きく逸らした。僅かな藺草の匂いが真人の鼻をつく。彼の顔面数ミリ上を、蜂一郎の蹴りが通過していた。その蹴り足を、目を閉ざし上体を反らしたままの真人が両手で掴み、茉莉花達のいない方の真横に放り投げた。一七五センチ、七五キロの蜂一郎の身体は、振り抜き過ぎてすっぽ抜けたバットよろしくすっ飛ばされる。すっ飛ばされた直後、眼前に真人――彼はまだ眼を閉じている。

「むおっ」

 前には真人。後ろには壁。既に宙を浮いている身体がこれ以上浮上することは重力に許されず、引力による落下は慣性がまだ許可しない。逃げ場はない。だから、呻き声の上がる結果が生まれる。

「う、ぶ」

 形としては、真人が、蜂一郎の顔越しに壁を殴りつけたという状態。内壁はぶっ壊れ、その先にあるチタン剛金(〝合金〟にあらず。現状、最悪を誇る核ミサイルの直撃にも耐える、世界中でもたった一つの工場でしか加工できない新物質)の外壁も大きく凹む。

蜂一郎の身体がずり落ちる気配。真人は一度拳を引き抜き、さっきよりやや低い位置に再度拳を叩き付けた。そして。

壁を殴った感触だけを味わった。

「あれ!?」

真人は驚き、思わず目を開いた。――嘘だろ!? だって確かに……! 目を閉じていたのに見失った。そんな、馬鹿な冗談としか思えぬことを考えた矢先、彼の身体は大きくのけ反った。   

同時に、意識は暗闇に落ち始める。蜂一郎の『蜂蜂』を額に喰らって。

 地に足を着けた蜂一郎が、瞼閉じゆく真人に告げる。

「第六感まで騙くらかせて、初めて〝忍術〟だ」

 蜂一郎がどの時点から偽の気配を発していたのか。確実なことは蜂一郎にしか分からない。だが推測は出来る。彼の右頬には、確かな殴られ痕が残っていたから。


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